3 何食わぬ顔で帰ってきた雲雀をとりあえずは寝室に招き入れ、ディーノは神妙な面持ちで口を開いた。 「お前、ホテル街に行ったんじゃないのか」 「行ったよ」 「行ったのか!」 素っ頓狂な声を出すディーノに、雲雀は鬱陶しいと言わんばかりに眉を顰める。 「行ったけど、すぐ帰ってきた」 「何しに行ったんだ?まさかそこまで鳥の餌を買いに行ったんじゃないだろうな」 雲雀が何かをする時は自分自身の事か、ヒバードの事かのどちらかだ。 だが、雲雀は小さく首を振った。 「――確かめたいことが、あったから」 「確かめたいこと?」 「うん。でも、いろんな人が寄って来るし、みんな群れすぎだし、嫌になって帰ってきた」 「寄って来たって…なんともないのか」 「なにも」 ディーノは雲雀の両肩を強く抑えていた両手の力を抜くと、盛大に息をついた。 色々言いたいことはあったが、すぐに帰ってきてくれて良かった。雲雀は知らないだろうが、世の中には色々な嗜好の人間がたくさんいるのだ。 中には一筋縄では扱えない少年のマニアもいて、雲雀なら簡単に力づくで抑えられないことも知っているが、それでも何が起きるかは分からない。 ディーノはふわり、と雲雀をやわらかく抱きしめた。 いつもなら飛んでくるトンファーも今日は大人しかった。それを良い事に、雲雀の温もりを存分に味わう。 「とにかく、無事でよかった。もうそんなとこ、1人で行くなよ」 「1人じゃないよ」 「ヒバードはノーカウントだ」 「どうして。あなたよりよほど役に立つし邪魔じゃないよ」 「恭弥…お前なぁ」 辛辣な雲雀の口調にディーノは苦笑いを浮かべるが、未だ解かれない身体の温かさにほっとした。 「で、その『確かめたいこと』はもういいのか」 「うん。あなたの部下が処女は面倒とか言うから、あなたもそうかと思って」 「はぁ?」 「処女じゃなかったら良いのかなって」 「お、おまえ…」 今にも叫びだしそうになるディーノに、雲雀はたいして後ろめたさも感じない口調で続ける。 「でも考えてみたら、意味なかったね」 「え?」 「あなたじゃないと意味がないって気付いた。違う?」 「…違わない」 1人で自己完結している年若い恋人に、ディーノは口を挟む間もない。 「恭弥」 後頭部を引き寄せて、おでこに自分のそれをこつん、と触れ合わせる。 いつも触れ合うとほんの少しびくりと身体を震わせる雲雀も、事前に察してたのか自然に身体を任せる。 「俺、やっぱりお前にはかなわねーみたい」 「…嘘だ」 未だに雲雀がディーノに勝てたことは一度もない。 それが悔しくてたまらないことは、ディーノも知ってるはずなのに。 「嘘じゃねーって。頼むからさ、勢いに任せて変なことはするなよ」 「しないよ。僕はあなたみたいにバカでも間抜けでもないからね」 「はは、そりゃそーだ。なのになんでまだそんな顔してるわけ?」 珍しく大人しくしている腕の中の顔を覗き込むと、雲雀の表情がほんの少しおかしい事に気がつく。 表面上はいつものそれと変わりはないが、ディーノは些細な変化も見逃さなかった。 いつもの何もかも跳ね除けるような強さがなく、眼差しの奥深くに浮かぶのは、惑いの色。 雲雀はきゅと引き締めていた口元をわずかに緩めた。 「…くだらないんだ」 「は?」 「変なことで悩んだりするのがくだらない。でも群れるのは嫌いだし、こんな事でむかつくのも嫌だ」 「恭弥、頼むから俺と会話してくれない?」 さすがのディーノでも、唐突な言葉の意味を全て察することは出来なかった。 雲雀が何か思い悩んでいる、という事しかわからない。それが恐らく自分の事なのだ――という事も。 「……」 「恭弥」 決して強くなく、やわらかく名前を呼ぶと雲雀は顔をあげた。 至近距離で間近に見る雲雀の表情は普段の彼からは想像もつかないくらい危うげな感じで、儚い。 今まで色々な顔を見てきたとは思うけれど、こんな不透明な感情を出す雲雀は初めてだ。 だが、知らない間に何かしてしまったのかもしれないと思い巡らしても、ディーノには全く身に覚えがなかった。 「――愛人…」 「え?」 「だいぶ前に…赤ん坊が各国に愛人がいるって言ってた。だから、必要ないの」 その言葉に、ディーノはようやく合点がいった。 『愛人』 まさか雲雀の口からそんな言葉が出てくるとは思わず、ディーノは自分の愚かさに頭を抱える。 中学生なんてまだまだ子供――だと思ってのは大間違いだった。 普段のそっけない言動そのものを受け止めていた自分を、軽く叱咤した。 (恭弥はこんなにも、) こんなにも繊細で、一言一句を真剣に捉えて離さない。 ただそれだけで、目に見えない愛情が溢れこんで来るのは決して自惚れなんかじゃない。 それは紛れもない、愛されているという確かな感覚。 ディーノは静かに深呼吸をすると、 「愛人か。確かにいたけどな、お前に告白してからは全部切った。今まで誰にも手を出したことがないなんて綺麗ごとは言わないけどな、今関係を持っているのは誰もいない。お前しかいないって分かってたと思ってたから…ちゃんと言わなくて悪かった」 聡い彼の事だから、と安心しきってた。 するとようやく、雲雀の表情が和らいだ。 「謝る事はないよ。僕はそれでも良いって思ったし」 「恭弥?」 「あなたが誰を選んでも、それを止める権利は僕にはない」 人の心までは強制することができないと教えてくれたのもディーノだ。 だから、雲雀が自分を好きになってくれるまで待つと言って――長い間、傍にいてくれた。 「だけど、誰かを抱いた手で自分を抱こうものなら――あなたを咬み殺してたよ」 「おいおい、物騒なこと言うなって」 「本気だよ」 不適な笑みを浮かべる雲雀に、ディーノは肩を竦める。 「だろうな。でも、その必要はないさ」 自分が雲雀以外の誰かを選ぶなんて、絶対にないことだ。先の事は分からないが、今は「絶対にない」と言い切れる。 雲雀は伝わったかは分からないが、その表情はすっきりとしていて惑いは見られない。 こればかりは言葉だけで伝えるのは難しいから時間をかけて分かってもらうしかない。 ディーノはようやく訪れた二人の時間を慈しむように、やわらかな眼差しを腕の中の少年に落とした。 「他にはないか?何でも聞いてやる」 「…ハンバーグ」 「え?」 「ハンバーグが食べたい」 ほんの少しだけ顔を赤らめている雲雀のリクエストに、ディーノは嬉しくなってがしがし、と乱暴に髪の毛を撫で上げた。 「よし、作らせてここまで持ってきてやるから待ってろ」 うん、と頷く声が返って来たのを確認して、ディーノは満足げな笑みを浮かべ、部屋を後にした。 普段は独占欲や束縛を最も嫌う雲雀が、初めて口にしてくれた事がたまらなく嬉しい。 本人も自覚しているのか分からないが、居心地悪そうにディーノから視線を反らすのがその証拠だ。 (子供、だと思ってたけど) 案外7歳差というのはほんの僅かな差なのかも知れない。 今まであえて手を出さないようにしていたが、少しずつ少しずつ距離を縮めても許されるだろうか。 とりあえず今は極上のハンバーグを餌に、思う存分甘やかしてやろうと思うディーノだった。 2011.11.18 |