比翼の鳥は甘く鳴いた




 痒くもない肌を爪で引っ掛かれたような、痛くはないけど気持ち良くもない、そんな感じがした。
 バンエルティア号の食堂は今日も満員御礼で騒がしい。限られた座席しかないので交代で食事を取るか、あるいは弁当のように包んでもらい別の場所で食べることもしばしばだ。今日は運よくテーブルにつけたヒスイは、普段から鋭いと怖がられている瞳を更に半眼にして目の前の光景に呆れていた。

「カノンノ、ほっぺたにご飯付いてるよ」
「えっ、どこどこ?」

 シングが隣の席で食事をしていたカノンノの頬を指差して言うと、彼女は慌てた様子で頬を拭う。しかしその手は上手い具合に米粒を避けて通り、なかなか取ることが出来ない。その様子にふっ、と息を漏らしたシングの指がカノンノの頬へと伸び、僅かに触れた。

「とれた」
「有難う、シング」
「どういたしまして」

 にこりと笑ったシングは、ごく当たり前のように自分の指先に残った米粒を口に運んだ。

「あ」
「あ」

 ヒスイとカノンノが声を上げたのはほぼ同時で、その声にシングは不思議そうに首を傾げた。

「どうかした?」
「お前が人の食い残し食うからびっくりしたんだろ」

 石像のように固まってしまったカノンノの代わりにヒスイが声を上げる。ヒスイが話す度に口に咥えたままのフォークの柄の先が上下に揺れた。シングは不思議そうに首を傾げると、隣のカノンノに声を掛けた。

「オレ、何かおかしかったかな?」
「う、ううん!まさか食べちゃうとは思ってなかったから…なっていうか、恥ずかしかった、かな」
「そう?普通だと思うけど」
「いや、変態臭いだろ」

 シングの呟きにヒスイが間髪入れず突っ込む。シングはじとりとヒスイに視線を送ると、頬をめいいっぱい膨らませて不満を主張した。馴染み切った二人のやり取りに、カノンノも口元が綻ぶ。

「そうだね、知らない人にさっきみたいな事されたらちょっと怖いかも…」
「………!?」
「ホラみろ」
「あ、でもね!シングのは嫌じゃ無かったよ!」

 ショックを受けた様子で目を見開いたシングに、カノンノは慌てて手を振った。それから少し考えるように人差し指を唇に添えながら俯く。

「シングの優しさって裏表が無いから。それになんていうか…やっぱりドキッとしちゃうかな。男の子に優しくされるのってあまり無いし」
「え!?そうなの?カノンノは可愛いから誰だって親切にしちゃうと思うよ」
「か、可愛いとかは置いといて…!やっぱりシングは優しいんだと思うよ。」

 シングがにこりと笑うと、連鎖するようにカノンノの頬が桃色に染まる。そんな彼女は確かに可愛くて、けれどヒスイの胸中にはモヤモヤと重苦しいモノが溜まりだしていた。

(シングが優しいだって?)

 そんなのずっと前から知ってる、とヒスイはスピリアの中で呟く。

「ほら!重いもの、代わりに持ってくれたり」
(知ってる)
「戦闘に巻き込まれた時もさりげなくなんだけど、背中に庇ってくれたり」
(それも知ってる)
「自分が一番怪我してるのに、他の人にグミをあげちゃったり」
(それだって、俺の方がずっと前から知ってる)

 ざわつくスピリアを不思議に思いながらも、ヒスイは黙ったままカノンノの言葉に耳を傾け続けた。こんな理由の分からない気持ちは咀嚼して飲み込んでしまえばすぐに消えてしまう。そう考えて椅子の背もたれへと体重を預けて瞳を閉じた。
 ヒスイの様子に気づかないまま、カノンノは少し間を取ってから再び口を開く。

「シングって優しいんだなって、いつも思うよ」

 どくん、と一際大きく心臓が跳ねた。育ち始めた不可解な感情はヒスイのスピリアを逆撫でる。苛々とする気持ちを抑え切れず、緩んだ掌からフォークが滑り落ちた。すっかり空になっていた皿とぶつかり、ガチャンと大きな音を立てる。その音に驚いてシングとカノンノが弾かれた様にヒスイへ視線を向けたが、ヒスイは動揺することもなく目を眇めて鼻を鳴らした。

「はっ、そいつのは優しいとかじゃなくて、ただの馬鹿なんだよ」

 吐き捨てる様に言うと、ヒスイは口の片端を上げて笑う。

「馬鹿で、単純で、お人好し。ただそんだけだろ、こいつは。それにウチの妹の風呂覗いて『ケダモノ!』なんて言われてんだぜ?優しいからって近付くと危ねぇぞ」

 まるで溜まっていた鬱憤を吐き出すように、矢継ぎ早に捲し立てた。自分自身何を熱くなっているのかと思うが、口は勝手に動き続ける。テーブルの下で知らず知らずのうちに握り締めていた掌はじとりと汗ばんでいて気持ち悪い。
 シングは慌てて立ち上がると、向かいに座るヒスイの口を塞ごうと両手を伸ばした。

「ちょっ…!?ヒスイ!ひど…!」
「ホントの事だろうが」
「うっ…それはそうだけど…」

 痛い部分を突かれたのか、シングは歯切れ悪く口籠る。シングの困っている様子に胸がすっきりと晴れていくのが分かる。性が悪いと自分でも思うが、事実だから仕方ない。

「ふぅ…ご馳走様。とっても美味しかったわ」

 のんびりとした穏やかな声が少し離れた席から聞こえてきた。ヒスイが声のする方へ振り向くと、アンジュがナフキンで口許を拭いているところだった。

「やっぱり、ロックスの焼いたパンケーキって最高ね。」
「アンジュ様は本当に美味しそうに食べてくださるので嬉しいです」
「でも、敢えて注文をつけさせて貰うなら、次はトッピングに生クリームをたっぷり乗せて欲しいかな」
「では、生クリームにチョコレートソースもご用意しておきますね」

 和やかな会話に先程まで騒ぎ立てていた自分が恥ずかしくなり、ヒスイは視線を彷徨わせた。ふと、目に入ったのは、アンジュの前にある空になった白い皿だった。少し前まであそこには八段重ねのパンケーキが確かにあった。それが今は綺麗になくなっている。一体アンジュの胃袋はどうなっているのかと考えてしまい、自然と眉頭が中央へと寄せてしまう。

「まあ、楽しみ。あそこの二人に負けないくらい甘いものにしてね」
「はぁ!?な、何言ってんだ!?」

 アンジュの突拍子もない言葉と向けられた視線に、落ち着きかけていたスピリアがまたざわざわと騒ぎ出す。ヒスイは大きな声を上げると勢いよく立ち上がった。ガタンと椅子の足が悲鳴をあげる。慌てふめくヒスイとは反対に、シングの方はきょとんとした表情を浮かべて瞬きを繰り返していた。

「何言ってるだよ、アンジュ。オレ達は昼御飯のハンバーグ食べてたんだよ?甘いものなんて食べてないんだけど…」
「そ、そうだぞ、アンジュ!甘いものなんて何一つねぇだろ」
「あらあら、まさか無自覚なの?」

 口許に手を当てて、アンジュが笑い声を漏らす。前途多難ね、と言って瞳を閉じたアンジュはロックスへ首を傾ける。ロックスへは眉尻を下げて緩い微笑みを返した。

「あの、どういうことなんですか?」

 おずおずといった様子でカノンノが控え目な声を上げる。アンジュの答えを聞かない方がいい気がしたが、ここでこの場をあとにしたら何を言われるか分からない。ヒスイは無意識に生唾を飲み込んでその瞬間を待った。

「ふふっ、カノンノも覚えておくといいかも。さっき貴女がシング君を褒めたでしょう?」
「あ、はい、シングは優しいねって…」
「そうそう、そうしたらヒスイ君がシング君を悪く言い出した。あれって牽制よね」

 『牽制』という言葉がすとんと滑らかにスピリアの底へと落ちていった気がした。モヤモヤと重苦しいモノや、妙な苛立ちも、その言葉が全てを説明している。だが、ヒスイはその事実を認めたくなかったし、気付きたくないと思ってしまう。

(気付いたら色々後戻り出来ない気がする)

 懸命に気付かないふりをした。それでも女という生き物は非情なもので、恐らくヒスイの心中などとうに察しているだろうアンジュは更に言葉を重ねた。

「好きな人、取られたくないからヒスイ君は牽制した」
「はぁ!?なんで俺がこの馬鹿シングを取られる心配しなきゃなんねぇんだよ!」

 声を荒げるヒスイに、アンジュは怯むどころか一層楽しげにその大きな瞳を細めた。悪戯が成功した子猫のように瞳の奥を輝かせながら、アンジュが微笑む。

「あら?私、貴方とシング君の話だなんて一言も言っていないんだけどなあ〜」
「…!?」

 くすくすと笑いアンジュはロックスが運んできた紅茶のカップに手を伸ばした。ゆったりとした動作で紅茶を一口飲む。
 墓穴を掘ったヒスイはまさに顔から火が出そうなほど熱い火照りを感じた。

「私、ヒスイ君はカノンノが好きだから、シング君の悪口を言って嫌いにさせようとしているのかと思ったのに」
「ちが…言葉の綾でそう言っちまっただけで…!」
「あら、隠さなくていいのに。人を愛する事はとても尊いことよ」

 何とか弁明しようと言葉を探すが、視界の端に照れ笑いを浮かべるシングが入り、ヒスイは呆気にとられ二の句が継げなくなる。
 だいたい、愛するとか、惚れてるとか、好きとか。そんな甘ったるいものではないと思う。正直な話、シングは八方美人で分け隔てなく優しい。普段はヒスイにべったりと張り付いて暑苦しい程だが、もしも、目の前で傷付いたり倒れている誰かがいたら、シングはヒスイを二の次にしてその人を助ける為に走るだろう。そういう優先順位を百も承知で、それならシングの意思も含めて優先すればいいと考えてしまうあたり、相当末期だと思う。どうしようもない。だからこそ、自分の気持ちは認められないし、明確な関係を築きたいとは思わなかった。
 頭を抱えてテーブルに突っ伏すと、上機嫌なシングの声が聞こえてきた。

「なんだ、ヒスイはヤキモチ妬いてたの?」

 ああ、聞きたくない。知りたくない。時間が戻せるなら戻したいし、過去の自分に会えるなら忠告してやりたい。
  とりあえず今はだらしなく緩んだ笑顔を浮かべている目の前の男の顔面を殴りたかった。

「二人は両想いってこと?」
「両想いっていうか…もうオレ達は『ひよくのとり』って感じかな!」
「ふふっ、本当に甘いわね。というか、シング君は意味を分かってその言葉を使っているのかしら?」
「二人の絆はガンドコ続くよ!ってことだろ?」
「うーん、あながち間違いじゃあ無いんだけどね…その言葉、誰に聞いたの?」
「リカルドさんだよ!」
「あぁ、リカルドさんって見た目は怖いのに中身は乙女思考なのよね」

 自分を差し置いて好き勝手に盛り上がる三人に言い返す元気も無くなり、低い唸り声を上げ項垂れる。唯一まともな話が出来そうなロックスに助けを求めて視線を送ったが、苦笑を返されて終わった。ふと顔を上げると、それはもう腹が立つのを通り越して呆れてしまう程に爽やかなシングの笑顔が目の前にある。周りには、ニコニコ嬉しそうなカノンノと、若いっていいなあと愚痴をこぼし始めたアンジュ。今自分はとんでもないカオスの只中にいると泣き出したい気持ちになった。
 そんなヒスイに追い討ちをかけるように、シングが声高にこう言った。

「ヒスイはさ、オレのになっちゃえばいいよ」

 くらりと襲ってくる眩暈は気のせいでは無い。いつかコイツ絶対泣かせてやる。そう決意してヒスイはシングの額を叩いた。









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ふぎゃあああぁぁかわいいいいい←
まじアンジュGJ!(><)b

調子に乗ってなこさんの10000hit企画に参加しました。
シンヒスがかわいいよハアハア
こんな素敵な文をいただいちゃってもう…ごちそうさまでした^q^

ありがとうございました!


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