お城の庭、綺麗に手入れされた沢山の花に囲まれた道を、神威団長と並んで歩く。しっかりと手を繋いで、ゆっくり歩く。
「…」
神威王子は無言であたしたちを城の外に解放してくれたが、その顔は決して晴晴しくはなかった。今考えると酷いことをしてしまったと思わないわけではない。人を本気で叩いたのなんて初めてだ。だけど、あたしにはどうしても許せないことがあって、
「…キス」
「ん?」
キスされてしまったこと。それがすごく悔しくて悲しくて、さっきからあのシーンだけが頭をグルグルしていた。キスくらいと思うかもしれないけど、あたしにとってはすごくすごく大きなことで、
「雛何か言った?」
「…っ」
神威団長の声を聞くと堪えられなくなる。
「雛?」
繋いでいる手の温もりを感じると、溢れる思い。
「…か、神威、だん、…ちょっ」
途端に潤い出す瞳に情けなくなって、繋いでいない方の手で目を擦った。神威団長が言う。
「どうしたの?どっか痛いとか?…それともアイツのこと?大丈夫だよ、もう俺がいるから」
あたしはぎゅうっと繋いだ手に力を込める。ひとしきり目を擦って涙を拭うと、ゆっくり団長を見上げて口を開いた。
「き、キず…」
「傷?どこに?痛い?」
首を横に振る。
「き、キスしちゃいまじた」
「は?」
「ごめんなざいキスして下ざい」
「…え」
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ただでさえドキッとくる上目遣い。それが涙でウルウル光って、加えて少し赤い頬。キスして下さいなんて言われたらもう我慢出来ないわけだけど、雛の顔はくしゃりと歪んでいて、涙は本当に彼女の悲しみを伝えてくる。俺はとりあえず優しく抱き締めて、
「もしかして、無理矢理された?」
そう訊けばモゾリと動く頭。よしよしと手を添えて、そっと離して視線を合わせる。
「目閉じて」
言えば素直に閉ざされる瞳。涙が睫毛に控えめに光る。そのままゆっくり近付いて唇と唇が触れると雛の体が一瞬ピクリと反応した。頭を優しく撫でるように、首から髪をかき上げて、やわやわと唇の感触を確かめるような口付け。最後に上唇をひと舐めして離れると、雛はゆっくり目を開けた。
「これで満足?」
「…ありがと、ごめんなさい」
キスくらいでそんなに悲しまなくていいんだよ。謝らなくてもいい。俺は別に怒らないから。
雛に無理矢理キスしたという王子には腹が立つが、今はそれよりも雛が可愛いくて、泣きやんでほしくて、そして俺を求めてくれたことが嬉しい。
暫く抱き締めていれば、再びモゾリと頭が動いて、
「…お誕生日」
「ん?」
「…お誕生日なのに、何も、…何も用意出来てな、くて」
ああ、そういえば阿伏兎から聞いている。雛が俺の誕生日プレゼント買うためにここに来たこと。俺は自然と微笑んでしまう。
「いいよそんなの」
「…」
雛からキスをねだってくれただけでもかなり満足だ。だいぶ進歩したよ。と思ったのだが雛は眉間に皺を寄せて首を振った。
「あたしが嫌だ…」
「…」
「ごめんなさい」
「んーん、じゃあ今から買い物行こっか」
「…え」
「デートしよ、俺に付き合って」
「…うん」
まだ涙の残る瞳を細めて、今日初めての笑顔を見せた雛を見て、俺は再び彼女の手を引いた。
「神威団長」
「なに?」
「お誕生日おめでとうございます。生まれてきてくれて、ありがと…」
「どーいたしまして」
その言葉が一番嬉しいということに、彼女は気付いているだろうか。
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庭の中心で口付けを交わす雛と春雨の団長を見て、僕は苦笑した。沢山の花に囲まれて絵になる風景。大きな窓からは丸見えだ。
「恋人か…」
春雨の団長は、どうやって雛の心を掴んだのだろうか?もし、僕が先に出会っていたら、雛は僕のことを好きになってくれただろうか?僕を選んでくれたのだろうか…?
考え出せばきりがない。そして人生において、もしなどというものは存在しない。つまりあの二人はああいう運命を持ち合わせていたのだろう。
「ずるいなぁ、団長さん」
身分より財産より権力より、もっと素敵なものを彼は手にしているように見えた。これは無いものねだりだろうか?いや、人なら誰だって羨ましいはずだ。好きな人から好かれること。
「僕にとっては、最後かもしれないのに」
恋というもの。本気だったんだよ…。
きっと、どこかの国の金持ちと結婚させられるであろう僕。そこに愛があるのかと問われれば疑問である。春雨の団長にはこれからいくらでも出会いがあって、どこにだって行ける。僕にはそんな自由は無いのだ。
「今回くらい譲ってくれたって」
いいじゃないか…。
だけど、大事そうに雛を抱き締める団長を見て、そんなのは僕の我が儘なんだろうと思った。彼にとっても雛との出会いは最初で最後。彼はそのチャンスを上手く掴むことが出来て、僕にはそれが出来なかっただけ。それに、
「心を捕まえるのは、難しいなぁ」
雛の心。権力を振りかざしても、お金を注ぎ込んでも手には入らない。ほんと、団長はどうやって雛の心を手に入れたのだろう。
お城の中ばかりで、何不自由なく過ごしてきた僕には分からない。だけどやっぱり、ここまで強く僕の心を掴んで離さないのは、後にも先にも、雛だけだったんだ。
いつか、また出会えたら、もう一度この思いを伝えたい。今度は君が涙しないように。笑顔が見れるように。その時、君がたとえ団長と結婚していても、すでに子供がいたとしても、僕はしっかりと伝えるよ。だから、その時だけは、もう一度彼女を貸してね。もう奪ったりはしないから。
お誕生日おめでとう
僕もまた、一つ大人になった日だと、6/1を頭に刻む
20090531完 白椿