この前雛に言っていた大きな湖のある惑星に到着した。最近ではもうこの団長室もくつろげる場所ではない。少しでも時間が出来ればあの女がやってくるのだから。二人で過ごせていた時間がどんどん少なくなっていってしまう。そんな俺の心とは逆に雛は人数多いと楽しいですねと笑顔を咲かせている。仕方ないからそうだねと返すのだけど。
「さ、雛散歩行こ」
でも、今回は邪魔される前に行動を早め早めに。
「はい、準備出来ましたよ」
「ほら」
前からの癖なんだろう、自然な動作で雛に手を差し出す。それをふわりと握るのがいつもなのに、
「ん?」
見たら差し出した俺の手を凝視する雛がいた。
「あ、」
その反応で、彼女の記憶のことを思い出して手を引っ込める。引っ込める必要なんてないのにね。
「…行こうか」
「あ、はい」
何でもないように笑顔を作りなおして歩き出す。内心で大きな溜息をして。船の出口に辿り着いたところで傘を開く、扉が開けばやはり眩しい太陽の光が強烈で目を細める。
「うわぁ、いい所ですねー」
短い草が敷き詰められた緑の大地。所々色づいているのは花が咲いているからで、空には鳥が飛び交う。地球産には住みやすそうな良い所。
「神威団長本当に大丈夫ですか?」
「何が?」
「太陽、けっこう眩しい気がしますけど」
「大丈夫だよ、さぁ行こっか」
雛は一度ニコリとすると、一歩外に踏み出す。その途端にやわらかい風が彼女を包み込んで、隣を歩く俺に香りを運ぶ。ふわりとかすめるそれは優しく俺の気持ちを静めていく。せっけんか、シャンプーか、よく分からないけど何使ってるのかなぁってちょっと考えた。団長室はあの女の香水の匂いに染まりつつある。雛はあまり自分を飾るってことをしないから、考えてみたら俺の周りで彼女がつけた彼女の印ってない気がする。ふわりとその場に溶け込む彼女。なのに、いつの間にか心の奥底にこびりついて取れないくらいに大きな存在になっている。
隣の彼女はニコニコと景色を楽しみながら歩を進めている。穏やかな時間というものを久しぶりに肌で感じた。
「雛、」
「何ですか?」
「今楽しい?」
「え?」
「今の生活楽しい?」
「…楽しいですよ」
「そう?本当に?」
「はい、あたしは楽しいです…でも」
「でも?」
「…神威団長はあまり楽しそうじゃないですね…」
「…そうかもね」
雛を見たら、少し距離をあけて歩く彼女の二つの瞳がしっかりとこっちを見据えていた。
「でもいいや、今は」
「え?」
「雛が楽しいって思うならいいや」
「…」
無理に思いだせと迫ることなんて出来ない。雛を殴ったのは俺。記憶を失ってしまったのは俺のせい。溜息を一つ。
「もうすぐ湖見えてくるよ」
「…」
不思議なことに、雛と二人だけでいるときは穏やかに物事を考えることが出来る。太陽の下で傘をささなくちゃいけない俺とは逆に、身軽に楽しそうに笑う雛。太陽の下を歩きたいなんて思ったことはない。太陽は俺にとって忌々しいだけの存在。でも、雛と全く同じ条件で隣を歩けたらいいなぁと思ったことは何回かあるよ。太陽に焦がれているわけではない。ただ雛と同じ世界を歩いてみたいと思う。だけどやっぱり俺は夜兎で、雛は地球産で、雛は平和を愛し、俺は血を愛でる。全く違う人間だから考えていることが分かるはずもなく、
「神威団長…」
「なに?」
「…あたしが記憶を取り戻したら、神威団長も楽しくなるんでしょうか?」
「…」
俺は、今まで雛が何を思って過ごしてきたか、考えたことがなかった。自分のことでいっぱいいっぱいになっていて、彼女の話をあまり聞いていなかったことに今更気づく。いったい、雛は記憶を失ってから、何を思って過ごしてきたのだろう。
「…そうだね…雛が記憶を取り戻してくれたら、嬉しいよ」
素直に言ってみたら、彼女はそうですかと微笑んだ。
「この前資料室で藍斗さんに言われたんです」
藍斗…その名前を彼女の口から聞くだけでまた少し苦しくなる。でも、黙って聞く。
「記憶喪失に明確な治療法は無くて、思い出すか思い出さないかは誰にも分からないって。だから、記憶を取り戻せないことに悩むよりは、自分が今求められていることは何かを考えた方がいいって…そう言われたんです」
「…」
「でも、あたしに今求められているのって、記憶を取り戻すことなんですね?」
「…」
「やっぱり、もっと努力してみます」
そう言った彼女の顔が少し曇った。でも、俺はどういう返答をするのが一番なのかよく分からない。
「雛」
「はい」
「俺は雛に無理させたいわけじゃないよ」
「…分かっていますよ」
「今の生活が楽しいなら、もう少しこのままでもいい」
「…」
「俺も、自分を見つめなおす良い機会みただからさ」
けっこう辛いけどね。
「雛に今求められているのは無理をしないことだよ…ほら、湖が見えてきた」
「…」
目的地だった湖。大きく静かに広がるそれは太陽の光を浴びてキラキラしていた。
「…大きい」
だけど、俺がしっかり自分と向き合えたときにはさ、そのご褒美として俺のこと思い出してくれたらなぁと。
―――――**
穏やかな惑星の景色を見つめて思う。
本宮さん、誘ってみようかな。
隣の部屋のおっさんは意外にも俺の味方になっていろんなアドバイスをくれた。おっさんも詳しくは知らないようだったけど、団長と本宮さんはやっぱりそれなりに仲良しな関係だったようで、いつも行動を共にしていたという。でも、俺たちが合流する一つ前の惑星で交渉が上手くいかず、相手が襲撃してきたと。その後本宮さんは記憶喪失になったらしい。戦乱に巻き込まれたのだろうなぁと思う。
おっさんのアドバイスとしては、本宮さんにはやはりあまり積極的な迫り方は良くないと。彼女はあまりそういうのに慣れてない上に団長のお気に入りでもあるから、強引に迫ったのではどちらも上手くいかずに痛手を負うのみ。
「少しずつ距離を縮めるべし」
相手に恋人がいたからって、諦めなくちゃならないなんて法律はないとおっさんは言った。確かにそうだ。何もしなかったら何も変わらないし、きっと自分が後悔してしまう。と、大きく息を吸ったときに見えたのは緑の大地に二人並んで歩く二人の男女。
「…あ」
小窓から見えたそれに目を細める。団長と本宮さんだった。ぼんやりと見つめる。手をつなぐでもなく、ただ歩いているだけの二人の間には恋人なんて甘い雰囲気は感じられない。ただ、一瞬見えた本宮さんに向けられた団長の視線が、とても優しいオーラを放ったのを見逃さない。
「…辛いだろうな」
俺は、団長と本宮さんが今までどんなふうに過ごしてきたのか知らないし、どんな出会い方をしたのかも、どれくらいお互いの存在が大切なのかも知らないけど、大事な人に忘れられてしまうってきっと辛いことだ。きっと、いや絶対、俺のしようとしてることは良いことではないんだろうなぁと、
「…やっぱり、やめとこうかな」
記憶を失っている彼女にアプローチをかけるのってどうなんだろう。卑怯なのかな?よく分からないや。
「…」
二人の間には、やっぱり楽しそうな雰囲気はない。心なしか、切ない。見るのをやめる。そのまま伸びをして自室に戻ることにした。
二人が奏でるメロディー
優しくて切ない片思いの唄
20100211白椿
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