神威団長が任務に出て、わたしは一人することがない。結局、今のあたしには自分が本宮雛という名前であるということと、記憶喪失だという情報以外与えられていないのだ。溜息しか出ない。ここ最近わたしがしたことといったら少しのお掃除とたくさんのトランプ。遊んでばかりいて申し訳ないという気持ちが日々膨張していく。でも、仕事がしたいと申し出ると神威団長は嫌そうな顔をする。だから大人しくトランプをするわけだけど、それでもたまに神威団長が見せる陰りのある笑顔に心が少しずつ傷ついてくのが自分で分かっていた。絶対、…絶対秘密にされている。わたしが何をしていたのか、神威団長は教えたくないんだ。どうしてだろう?何でだろう?考えても考えても分からない。
「藍斗さん、楽しんでるかな…?」
確か、藍斗さんも任務だと言っていた。初めての戦場だって喜んでいたなぁと思い出して、今戦場で暴れているであろう姿を想像してみた。あんなに優しく微笑むことが出来る人でも殺しが出来るのだなぁと。怪我してないかなぁとか、上手く仕事できているかなぁとか。全く想像の出来ない戦場というものに思いをはせてみる。
コンコンコン
そんな思考を遮ったのはノックの音。
「はーい」
駆け足で扉を開けに行く。開いた先には見覚えのある顔があった。
「こんにちは本宮雛さん」
「あ、貴方は確か、」
「ちゃんと自己紹介したことないわよね?わたし紅衣、よろしく」
前に団長室に来た新人さん。栗色の髪が楽しげに揺れる、可愛い女の子。
―――――**
神威団長が任務で少し出るという情報を得たわたしは早速行動に出ることにした。思ったとおり、彼女、雛さんは一人。良いチャンスだ。いろいろ確かめることができる。危害を加えようとは思っていない。神威団長に手出しするなって言われているし。雛さんは笑顔でわたしを迎えると、特に警戒心もなく部屋に招き入れた。おまけに温かい紅茶まで入れて席を用意する。なんて無防備な子だろうと少し呆れたけれど、お礼を言って席につく。
「今日から神威団長は任務でいないんですよ、用事なら、わたしが承っておきますけど」
「ううん、今日は貴方とお話したくて来たの」
「あたしと?」
「そう、雛さんと少しお話したいの」
そう言ったら、面白いくらいに雛さんの顔が輝いた。
「わ、は、初めてです同い年くらいの女の子に誘ってもらったの」
あんまりにも嬉しそうに言うものだからこっちが面喰う。少し間を置いて口を開く。
「神威団長のことなんだけど、」
「はい」
「雛さんと神威団長ってどういう関係なの?」
「え?」
「雛さんと神威団長の関係」
「…」
「ん?」
途端、今度は黙り込んでしまった雛さんに眉をひそめる。
「やっぱり恋人なんだ?」
溜息して言う。しかし、そう言った途端に今度は大きな声が上がった。
「こここここ恋人なわけないじゃないですか!!!!」
ビクっとして彼女を見ると、真っ赤な顔して首をぶんぶん振っている。目をぱちぱちしてからそんなウブな彼女の反応を見た。あれ?
「恋人じゃないの?」
「そんなわけないじゃないですか!!どう見たらそうなるんですかあたしと団長釣り合ってないですよどっからそんな勘違いしたんですか!!?」
反応を見るに嘘を言っているようには見えない。あれ?それなりに覚悟してきたのになんだコレ??わたしは少々拍子抜けしてポカンとする。雛さんはその間も誤解だと必死に口を動かしていた。笑いがこみ上げてくる。
「ふふ、あはははははは」
「紅衣、さん…?どしたんですか?」
「い、いいえ、ちょっと…あ、あの、おかしな誤解してごめんなさい」
「い、いいえ!!ちょっとビックリしましたけど、あの、でもそんな事実全くないので誤解しないで下さい…ほんと心臓に悪い」
「…はい」
胸のつっかえがスッキリして爽やかな気持ちが流れだす。もやもやしていた心が嘘のよう。それから、今まで少なからず敵視していた目の前の本宮雛という存在がやけに可愛いものに見えてきた。今だに赤い顔の彼女に笑いかける。
「じゃあ、雛さんは神威団長のお世話係?」
「…それが、ですね」
雛さんの顔の色が引いていく。赤から白へ…生気のない顔へと変わっていくのを不思議な気持ちで眺めた。
「あたし、今記憶喪失なんですよ…」
「え…?」
それからわたしは、今の状況をすべて知る。彼女が記憶を失ったという以外にほとんど情報を与えられていないことを知った。少しだけ、再び重たくなった心。じゃあ、もしかしたら、やっぱり恋人なのかもしれないじゃないか…と。ぬか喜びもいいとこだ。
「だから、あたしが何をしている人なのか、分からないんです…」
「…」
「だから、今日、紅衣さんが話しかけてくれて、すごく嬉しいです」
「え?」
「最近、神威団長としか話してなかったから、女の子と話す機会がなくて、」
「そっか…」
記憶喪失…
それは、彼女にとって大きなことだろう。苦しい悩みだろう。でも、今のわたしはそのことにかまっている余裕がなかった。
この時わたしの頭を巡っていたのは、彼女が本当は団長の彼女なんじゃないかということ。彼女だったという記憶すら失っているんじゃないかということだった。だって、そうじゃないと初めて団長に会ったときに言われた言葉の説明が上手く出来ないんだもの。でも、そうだったら団長が教えていてもいいはずなのに…しかし、そんなわたしとは裏腹に彼女は嬉しそうに笑う。楽しそうに笑って口を開いた。
「ねぇ、紅衣さん」
思考は彼女に遮られた。
「なに?」
「もしかして紅衣さん、神威団長のこと好きなんですか?」
「え…」
咄嗟に言葉を紡げなくて沈黙したら、本宮さんはまた優しく笑った。
「やっぱり、そうなんですね」
「…なんで?」
「だって、今日一番最初にあたしと団長の関係を訊いてきたから」
「そ、そうよね」
「…なんか、恋する女の子って可愛いですね」
恥ずかしいことをニコニコ喋る。もしかしたら、彼女はライバルかもしれないのに、なんでかもう敵視できなかった。そして、彼女から紡がれた言葉に目を見開く、
「応援しますよ」
「…え??」
「神威団長顔いいし、カッコいいし、たぶんモテモテだと思いますけど、負けないで頑張って下さい!!」
「…」
「紅衣さん女のあたしから見ても可愛いし、十分狙えると思います!!」
「え、いやでも」
貴方、自分が団長の彼女かもしれないって思ったことはないの?
そう言おうとして、でも何故か口が動かなかった。別に、このことを上手く利用しようと思っていたわけではない。それよりむしろ、半分雛さんが団長の彼女だとわたしは今思っていた。それなのにわたしを応援するなんてそんなこと言ったら、団長が可哀そうじゃないかと思ったのだ。でも、口は動いてくれない。たぶん、雛さんは自分が団長の女かもしれないなんて微塵も思っていない。夢にも思っていない。今その可能性を提示したら、今の彼女の笑顔が消えてしまうような気がしたのだ。
「大丈夫ですよ、今団長彼女いる気配ないですから」
もし、わたしの勘が当たっていれば、やっぱり団長は雛さんに思いを寄せている。そうじゃなきゃ、いろんな状況に説明がつかないのだから。こんな弱い存在を側に置くはずないんだ。でも、記憶喪失の彼女は団長に思いを寄せていない。つまり今、実質団長の片思いな状況なのだ。団長が今の彼女に事実を打ち明けない理由は何となく分かる。
「本当に応援してくれるの?」
「はい」
「貴方は神威団長のこと好きじゃないの?」
一応訊いてみる。すると彼女は微笑んだ。
「好きですけど、そういう恋愛感情の好きじゃないです」
「…そう」
でも雛さん、貴方きっと一度は、その胸に恋愛感情の好きを宿していたと、わたしそう思うよ。なんでか分からないけど、そう確信できた。もしかしたら、雛さんと団長が恋人だなんてそんな事実ないのかもしれない。だけど、団長が雛さんに思いを寄せているのはたぶんそう。それは団長の行動を見ていれば誰でも分かる。…雛さん以外は。だから、たぶん二人は恋人だったんだと思う。可哀相に、…忘れてしまったんだね。でもね、わたしそんなに良い子じゃないの。同情はするけど、手加減なんてしないから。
過ちが笑顔に埋もれた
だけど、本気で雛さんと仲良くなりたいなって思ったよ
こんなに純粋な子、なかなかお目にかかれないもの。
20100209白椿
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