コンコンコン、
そのノックに溜め息する。この気配は前に一度感じたことがある。…たぶん資料室で。雛は持っていた手札をそっと机に伏せてから席を立った。今日も掃除してトランプして、そうやってグダグダ時間が過ぎていくことを願っていたのに…なんたってそんなに邪魔したいんだか。
「はーい、どちらさまですか?」
カチャリと開いた扉の隙間から見えた顔は予想通り、
「あ、あの先日ここに入団した藍斗と言います」
「あ、藍斗さん!」
「本宮さんこんにちは」
「こんにちは、団長室になんか用ですか?」
雛が首を傾げると、彼は若干緊張した面持ちでこちらを見た。それから再び雛に向き直る。
「あの、今時間ありますか?」
「え?、ああ、今トランプしてて」
「トランプ…」
また彼はこちらに視線を寄越した。まぁ気持ちは分からなくもない。果たしてトランプがどれほど大切な行事なのかを見極めているのだろう。つまり、今のタイミングで誘うのがいいのか否か、と言ったところか。俺はまた溜め息した。こんな時に限って雛にモテ期到来である。
「あ、ちょっと待って下さい」
「え?」
「トランプを中断するのは全然構わないので」
「じゃあ」
「はい、神威団長」
雛は笑顔でこっちに駆け寄ってきた。
「なに?」
「次あたしの番ですから、神威団長が戻ってくるまで待ってますね」
「…ん?」
予想と噛み合わない雛の言葉に首を傾げた。同じく扉の前の彼もポカンとこちらを見ている。
「大丈夫ですよ、団長がいない間にズルしたりなんかしないですから」
ニコニコ顔で言う。ありゃーこれは素晴らしい勘違い。
「雛、彼の用事は俺にじゃないよ」
「え?」
「ねぇそこの君」
「は、はい!」
言えば彼の肩が面白いほど跳ね上がった。なるほど、彼もそれなりに覚悟決めてきたわけだね。ふーん…つまり俺たちの関係を少なからず疑いながら、それでも雛を誘いに来た…と。これは宣戦布告と取っていいのかな?
「ちゃんと雛に分かるように言ってあげて」
そう言えば、少し顔を強張らせながらも口を開く。
「…時間があったら、ちょっと俺に付き合ってほしい…んですけど」
雛は目をパチクリして、
「…あたしに?」
そう呟く。彼が頷けば雛は俺を見た。
「…いいですか?」
「雛の好きにすればいいよ」
「あ…じゃあ」
雛はそのまま彼の方へと歩みを進める。しかし途中で振り返り、
「…あたしがいない間にズルしないで下さいよ」
「あはは、しないよ安心して」
そうして出ていく二人を見送った。
そうだよな…今までの乗組員たちは雛がトリップしてくる前からいた。だから事情も多少理解している。だけど彼等は、新人たちは何も知らない。何も知らなきゃアプローチだってかけてくるさ。
はぁ…
こう言うのもアレだが、女性経験に関しては多少自信がある。負ける気はしない…が、問題なのはターゲットが雛であるということ。雛ってたまに驚くくらい初で鈍感だから…。
今、俺と彼の状況に大した差はない…か。今ので確定だ。今日から君には手加減できないよ。
─────**
緊張した…。何でこんなにドキドキしたんだろ。やっぱりやめときゃ良かったかな…。
「で、何かあったんですか?」
「え」
あの日見たのと変わらない、綺麗な光を放つ漆黒の瞳がこちらを見据えていた。首を傾げる本宮さんに、
「あ、いや、ちょっと聞いてほしいことがあって…!」
何故か焦る。焦った理由はよく分からなかったけれど、そんな俺とは対照的に本宮さんはニコニコ何ですか?と問う。彼女ののんびりしたペースにどこか安心しながら口を開いた。
「…少しずつ、ここにも慣れてきました。」
言えば、少し間を置いて彼女はふわりと微笑んだ。
「それは良かったです。楽しいですか?」
「はい、とても。今度戦場にも連れて行ってもらえることになりました」
「…戦場」
俺は頷く。今の状況を聞いてほしくてウズウズする心。自然と口がペラペラ言葉を紡いだ。
「本宮さんに出会った後に声をかけてくれた先輩が良い方で、俺の面倒もよく見てくれて、その先輩が今度出る戦場に誘ってくれたんです。他にも何人か知り合いが出来てそいつらとも一緒で、そのことがすごく嬉しかったから、本宮さんに聞いてほしくて…!」
言いたいことだけ紡いでいけば分かりにくい文が出来上がってしまう。そんな自分に内心苦笑しながら彼女にあの日のお礼を言おうとした時、
「戦場…楽しみなんですか?」
「…?」
その言葉が小さく紡がれ、彼女の顔を見れば笑顔が消えていた。今まで気付かなかった自分を殴りたくなる。
「あ、本宮さんはやっぱりそういうのダメですか」
少し焦りながら言えば彼女も慌てたように口を開く。
「い、いえ!!そんなつもりで言ったんじゃなくて!」
「…、」
「…お仕事決まって良かったですね」
そう笑顔で本宮さんが言って少しだけ気まずい空気が流れた。本宮さんはやっぱり少し冴えない顔をしていて、話したいままに話したことを少し後悔し始めた時、沈黙を彼女が破った。
「…藍斗さん、前に会った時にあたしにはオーラが無いって言ってましたよね?」
「え?ああ、資料室で」
「…それ、たぶん合ってます」
「え?」
本宮さんは少し悲しそうな顔をして語り出した。
「あたし、最近考える時間が多くて、いろいろ考えてました」
黙って聞くことにする。
「自分はどんなことしてたのかなって…ここは第七師団だからたぶん戦場に関わることしてたんだろうなって考えたんです」
「…」
「でも、どんなふうに考えてみても、戦場が楽しそうとは思えませんでした」
「…」
おかしなことを言うと思った。何を言っているのかよく分からない。なんだかまるで、
「…あ、ごめんなさい…あたし実は」
彼女が彼女のことを知らないような…
「今記憶喪失なんです」
記憶喪失…?その単語が何を意味するかを考えるのに数秒。
「…え」
「って、こんなこと言われても困りますよね」
えへへと笑った顔には、しかし不安が隠しきれていない。
「いや、でもやっぱり藍斗さんが言う通りなんでしょうね。少なからずここで戦場に関わってる人たちは戦場や戦うことが好きなんですよね」
「…」
「神威団長もそう」
「…」
「だけどあたしは違う…やっぱりあたしは戦場とは無縁のとこにいたのかな…」
「…」
「神威団長は、…どうして何も教えてくれないんですかね…」
「…」
俯いてしまった彼女。しかしぱっと顔を上げ、
「あ、またごめんなさい…こんなこと話されても困りますよね…。藍斗さん、もう一度、お仕事決まったことおめでとうございます」
「あ、ありがとう…」
少なからず、今彼女を悩ませてしまった理由は俺にあるだろうに、本宮さんは笑顔を向けてくれた。しかしやはりどこか悲しそうなのは変わらず。
彼女の悲しそうな顔の理由は何となく分かる。今自分が第七師団にいる理由が分からなくて探ってみても答えが出ない…大きな原因はそれ。残念ながら俺にもその明確な答えは分からない。新人なのだから当たり前だ。しかしこの時俺はぼんやりとその答えを掴みつつあって、
「…」
「…」
あまり考えたくないと頭の片隅で思いながらも勝手に推測は筋の通った一つのストーリーとなって頭を巡る。
団長が彼女に役割を教えていないということは、団長にとって彼女に役割を教えることに少なからず抵抗があるということ…その場合考えられるのは彼女が…
そんな時に本宮さんは俺をしっかり見据えて言った。
「あの…なるべく怪我しないで下さいね…生きて帰って来て下さい」
「…」
巡り巡っていた思考が停止した。彼女の言葉が頭の中で響き続ける。
生きて…帰ってきて…?
初めて言われたそんなこと。
生きてる世界が違う、と思った。平和を愛する地球人。そして、
「ねぇ本宮さん、もしかしてさ、団長のお世話係だったんじゃないですか?ほら、いつも団長の傍にいるんでしょ?」
「…あたしもそう思ったんですけど、神威団長に違うって言われました」
「…そう」
その答えに半分確信を得た。俺の勘が正しければ、彼女は団長に愛された地球人だ。
勘が良すぎるのも困る
知らなくていいことまで分かってしまう…
20100109白椿
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