雛は無事に医務室を退院した。記憶喪失のことばかり気にしていて気付かなかったけれど、身体のいたるところに包帯がちらつく。記憶だけじゃない。怪我だって相当だ。
俺は雛に彼女の部屋やこの船のことを1から説明していく。まさに雛がトリップしてきた時と同じ。当時を思い出す。雛の反応もその時と重なる部分が多くてなんだか懐かしかったけれど悲しかった。本当に忘れてしまったのだという実感がわいてくる。
「ここ俺の部屋ね」
「はい」
「いつでも来ていいから」
「はい」
「じゃあ、よく歩き回ったしね、休もうか」
「はい、…って神威団長仕事とかいいんですか?」
「ん?気にしなくていいよ、阿伏兎がやってくれるからね」
「…そですか」
目をパチクリしながら返事をした雛を部屋に入れる。
どうやら雛は必要最低限の知識は忘れていないらしい。言葉とか、ご飯の食べ方とかね。だけど人や自分のこと、自分の故郷のことはすっかり忘れているらしい。何を聞いても悲しそうに首を振った。雛という自分の名前にすら反応が薄い。
「何しようね、トランプでもする?」
「…あの」
「なに?」
「神威団長はいいにしても、あたしまでこんなふうに遊んでいていいんでしょうか?」
「…」
「いくら記憶喪失だからって、書類整理くらいは出来ると思うんですけど…」
「いいんだよ雛は、…いつもこんな感じだったよ」
「え?」
「雛はいつもこんな感じだったよ」
まぁ阿伏兎の手伝いはよくしていたようだったけどね。基本君の仕事は俺と一緒にいることだから。それとなしに言ってみる。
「俺と雛はいつも一緒にいたんだよ」
雛は首を傾げる。そして言った。
「あたし神威団長のお世話係だったんですか?」
少し落胆。俺は首を振った。
「はずれ…さ、トランプしよ…ってトランプは覚えてる?」
「あ、はい」
複雑極まりない。トランプは覚えていて俺を忘れるなんて。
「じゃあ、ババ抜きでもする?」
「二人でですか?」
「うん、けっこう楽しいもんだよ」
「そうですか」
そして二人でババ抜きが始まった。別にいつも二人でババ抜きしていたわけじゃない。いろいろ遊んではいたけれど、ただ、いつもと違う雛にまだ戸惑う自分がいるようだ。なんだか調子が狂っている。
案の定、ババ抜きはどんどん進んでいって、残る手札は俺1枚、雛二枚。つまり雛がババを持っているわけで、
「よし!勝負だ」
俺から見て右側を引く。すると見えたのは人を馬鹿にしたように笑うピエロの顔。どうやらババを引いたらしくて、一瞬顔をしかめるも、
「…あ」
見たら雛が嬉しそうに笑っていて、
「よし、次はあたしの番ですね」
彼女が記憶をなくしてから初めて見る笑顔で、思わず口元が緩むと、
「あ」
雛が目を見開いたから、
「なに?」
そう問う。
「神威団長、そっちのがいいですよ」
「なにが?」
「笑顔…いつものニコニコも素敵ですけど、今の方があたし好きです」
そう言う雛はまた笑った。俺は自分がどんな顔をしていたのか分からないけれど、
「…たぶん」
それは君にしか見せない、君にしか見せたことがない俺の表情の一つ。きっとそうだ。そういえば、雛にそんなこと言われたの初めてだ。記憶を失くす前もそう思っていたのだろうか…?どうして以前の雛はそれを言わなかったのだろうか…?そう考えて気づく、雛は言わないんじゃなくて言えないと。何をするにも、何をしても、雛は恥ずかしがって顔を赤くしていたことを思い出す。あれは少なからず、俺のことをちゃんと意識してくれていたという証拠だったのだろう。今の雛は俺を上司としか思っていない。そういうこと。
そんなことを思っているあいだに、
「やった!!あがり!!」
雛は喜びの声をあげ、俺の手には憎たらしいピエロの顔が残っていた。
幸せを感じた自分を呪え
つまり君は君でない証
20091122白椿
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