「団長、雛が目を覚ましました…」

「…!!」


朝一番、阿伏兎に言われた言葉に一気に目が覚める。急いで医務室へ向かおうと駆け出したところでいきなり腕を掴まれ、


「なに?」


焦りを抑えられず、若干イラッとしながら腕を掴む阿伏兎を睨む。すると少し眉をしかめて、


「その…なぁ」


言いにくそうに目を泳がせ、


「早く言いなよ」

「…記憶喪失らしい」

「…は?」


しばらく沈黙が続いた。俺が理解するより先に阿伏兎は言う。


「だが一時的なものかもしれん。すぐに戻る可能性もある」

「可能性…?なにそれ…?」

「すぐに俺たちのことも思い出すかもしれないってことだ」

「俺のこと忘れてんの…?」


いや、今一番訊きたいのはそうじゃなくて、


「…思い出さない可能性もあるってこと…?」

「…」


その沈黙が苛立たしくて、


「離して」


腕を振りほどいて駆け出した。言われたってすぐに理解できるわけない。だって俺は雛にとって、そんなに簡単に忘れられるような存在だったのだろうか…?そんなはずない。雛が俺を忘れるなんてそんなのありえない…と俺は俺に言い聞かせる。だってそうだろ…?だって雛は俺にとって大事な存在で、雛だってそう思い返してくれてるって…強さを求める妨げになると知ってて傍に置いていた唯一の存在。だった…


ガチャッ!!!


「雛!!!」


そこにはベッドから目を見開いてこっちを見る雛がいて、それは確かに雛で、だけど


「は、はい…何ですか…?」


ちょっとおどおどしながら喋る姿は確かに雛で、でも


「ねぇ俺が誰か分かる?」


その質問に、


「…」


悲しそうに沈黙した彼女は、


「…俺が誰だか言ってみな」


俺の知っている雛ではなくて、


「ごめんなさい、あたし、記憶喪失らしくて、その…」

「…冗談はよしてよ」

「…」


それはもとはと言えば俺のせいだったのに、


「…ねえ…なんで?」

「…え?」

「早く俺が誰だか答えなよ」

「…え…えと、あたし」

「いいから答えなって!!」


ドンッ!!!


「…!!」


すぐ隣の壁に亀裂が入る。雛の怯えた瞳が揺れている。原因は俺なのに、そんなことは分かっているのにイライラして、悲しくて、


「ご、…ごめんな…さ」


謝ろうとする彼女が悲しくて、なんだかイライラした自分が悲しくて、


「…ごめん」


小さく呟く。


「…雛」

「…な、んですか?」


思い出せ、笑顔の作り方。得意なはずだろ…?
彼女の傍までゆっくり歩み寄る。すると何を勘違いしたのか、彼女はベッドの上で少し後退する。瞳が恐怖の色を宿していた。どう考えても俺が悪い。だけどお願い、そんな目で見ないで…。君にはそんなふうな目を向けられたくないよ。
彼女を抱きしめる。いつかの吉原の時のように。そして耳元で囁くんだ。


「神威」

「…え」

「俺の名前、…神威だよ」

「かむ、い」

「そう、この春雨の団長だよ」

「…団長さん」


そして彼女を離した。
見るとまだ不安の光を宿す瞳。なんだか、雛と初めて出会った時を思い出して渇いた笑いが漏れた。すべてがリセットされてしまったような…。あの時と同じ瞳をしている君。信じられないけど現実はそう甘いもんじゃなくて。だけど信じたくないと心の奥底が悲鳴をあげている。君の中の俺が消えてしまった。


「…すぐに思いだせるよ」


頭を撫でる。その言葉は半分自分に言い聞かせて。まだすべてを理解しきれていなかった俺は、そうやってその場しのぎの安心を掴もうとしていた。


「団長さん」

「…神威団長って呼んで」

「…神威団長」

「なに?」

「あたしは、何をしていたんですか?」

「ん?」

「春雨については阿伏兎さんから聞きました。でも、あたしがここで何をしていたかは団長に訊けって言われて、」

「…そう」


なんだかなぁ、どんどん悲しくなってくるのが不思議だなぁ。
だけど俺はニコニコを保ったまま言う。一切迷わずに、今の雛にこれ以上不安を与えないように。大丈夫、すぐに思いだすから。


「何もしなくていいよ」

「…え」

「今は何もしなくていい、思い出すことだけ考えて」

「…」

「だけど、俺の傍からは決して離れないで…」

「…」


不思議そうにこっちを見る。


「何かあったらまず俺に言って、それだけ、団長命令だよ」

「…はい」

「絶対俺の目の届くところにいてね」

「…」


それだけ言うと背を向ける。もう今の雛を見ていることが出来ない。そんな余裕がない。大丈夫、すぐに思いだす。そう思い込もうとしてみても、なかなか出来ない。嫌な予感がして仕方がない。こういう勘は外れたことがないからすごく嫌だ。このまま思い出さなかったらどうしようとそればかり考えてしまう。


「神威団長」


早く医務室を出ようとしたのにその声に引きとめられて、


「なに?」


再び笑顔を張り付けて振りかえる。


「あの…すみませんでした、ご迷惑をおかけして…早く仕事復帰できるように頑張ります」

「…」


仕事復帰…。
君はそんな存在じゃないのに…。どう答えていいのか分からなくて曖昧に頷いた。少し落ち着かなければ…。









大丈夫、大丈夫…

誰か嘘でもいいから俺に言って









20091115白椿


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