江戸の冷たい風に身を縮めた。この季節の風は冷たいと言うよりは痛いと表現した方が正しいかもしれない。時刻は午後11時を少し過ぎたくらいだろうか。白いマフラーに灰色のコートをしっかり着込んで両手をポケットに突っ込んで公園をぷらぷら…。


「はぁ…」


息が白くふわりと宙を舞ってきえる。少し気を緩めたら目から悲しいヤツがはみ出しそうで唇をきつく結んだ。辺りはすっかり暗くて街灯の明かりが虚しく光りを投げ掛ける。その光景が一層寒さを煽るよね…なんて考えてたら気が緩んだのか目から悲しいヤツがちょっとはみ出した。


「…」


きっと今誰もいない部屋に帰ったって、悲しさ寂しさに耐えられなくなるだけだからもう少しぶらぶらしよう。鼻を小さくすすって歩調を緩めると、


「ねぇ」


いきなりかけられた優しい響きの声。俯けていた顔を上げる。


「これあげるヨ」


明るい自販機の前、ニコニコと微笑む桃色の髪のお兄さんがこちらに缶を差し出していた。


「…え」

「なんか間違って出てきたんだよネ」


ブラックコーヒー…。
現状になかなか対応できずにポカンと黒い缶を見つめていたら、


「あり?もしかしてあんたもブラックは無理?」


そう言ってお兄さんはもう一方の手にしていたベージュの缶、カフェオレを飲む。


「あ、いえ…いいんですか?」

「うん俺飲まないし、阿伏兎にあげるよりはあんたにあげだ方いいかなって」


あぶと…?
よく分からないけれどお礼を言って受け取った。
暫く受けとった缶を黙って見つめて、それから、


「…それじゃ」


そのまま一礼して去ろうとしたのだけど、


「えー、もう行くの?」


その言葉に足を止める。


「せっかくだから一緒に飲もうよ」

「…」

「阿伏兎が来るまでここで待ってなきゃいけないんだよ」

「…」


お兄さんは自販機横のベンチに腰掛けてトントンと隣を叩いた。


「せっかく奢ってあげたんだから付き合ってよ」


変なことしないから安心してなんて笑いながら。
奢ってほしいなんて頼んではないが、帰る気分でもないから言われた通りにすることにする。
隣に座って、温かい缶を両手で包んだら、冷えきった手がジンジンと脈打った。


あったかい…


たったそれだけで、また悲しいヤツが…。紛らわすように缶を開ける。カコンと乾いた音がした。一口含むと香ばしい香りが口いっぱいに広がる。


「…おいし」

「ふーん、あんたの味覚変わってるね」

「…」


隣ではカフェオレを美味しそうに飲むお兄さん。改めて見たら、なかなか整った顔立ちをしている。暫く見とれていたのだが、沈黙も気まずいと思ったので、


「…阿伏兎さんて、お友達ですか?」


聞いてみた。


「ん?んーん、俺の部下」

「部下…」


その返答にぎゅうっと胸の中が狭くなる。
こんなに若いのに、もう部下がいるんだ。


「…その、阿伏兎さんは…」

わたしはぼんやりと今日のことを思い出しながら缶を見つめる。


「ん、なに?」

「…優秀なんですか?」


言った後に何聞いてんだかと自分に溜め息する。


「…なんか変な質問すみません」

「んー、阿伏兎はまぁ優秀っちゃ優秀だネ」

「あ、…そですか」

「一人いたら便利だよネ」


乾いた笑いが漏れた。便利、かぁ。便利な部下かぁ。


「ところであんたさ、」

「はい」

「こんな時間にどうしてこんな所にいたの?」

「…仕事帰りです」

「ふーん、こんな遅くまで大変だねぇ」

「…まぁ」

「じゃああんたにも部下とかいるの?」

「い、いや…まだわたしが部下ですね」

「ふーん」


胸の奥がぎゅうぎゅうと締め付けられるよう。ただただ缶コーヒーを見つめていれば、思い出されるのはハゲで眼鏡のムカつく上司の顔。

─ったく、お前はほんと役立たずだな!─

─やること全部とろいんだよ!─

言われた言葉が脳内で乱反射。グサグサと心をえぐる。なんだって言うのだろう。上司ってそんなに偉いのかくそったれが。心で悪態をついたら、また泣きたくなった。コーヒーを多めに口に入れる。


「…その阿伏兎さんは、いつ頃来るんですか?」

「さあね、仕事が片付かないと来ないだろうねー」

「そですか」

「…」

「…」

「もしかしたらヘマしたのかもね…うん、確かに遅過ぎるかも」


隣を見たら、空を見つめていた。ブルーの瞳が暗闇の中でも綺麗に光る。


「ヘマ…」

「仕方ない、俺が行くか」

「え…」


お兄さんはニコニコとカフェオレを飲む。


「これ飲み終わったら助けに行ってあげようそうしよう」


ニコニコ言う彼に思わず笑ってしまった。
あんたも一緒に行く?なんて的外れな質問に首を横に振る。阿伏兎さんはきっとこの上司に振り回される苦労人なんだろうなぁと知らない彼を心で労う。笑ったら、なんだか少し心が温かくなって、


「あーあ、わたしの上司もお兄さんみたいにカッコよかったら多少性格に難有りでも許せるのになー!」


少し大きな声出した。そしたら少し間をおいて、隣から笑い声があがる。


「何ソレ」

「へへ、わたしの上司、すーっごくムカつくんです」

「ふーん」


なんだか声出して笑ったの久しぶりな気がして、思わず溜め息。じめじめした自分を吹っ切ろうとコーヒーをぐいぐい飲み干した。


「お兄さんは阿伏兎さんのこと大事にしてあげて下さいよ」

「えー、阿伏兎をー」


そんなふうにニコニコ言うお兄さんを笑って見つめる。不思議と、なんだか前向きになれる気がした。明日からまた頑張れるような…


「あんたの上司は容姿に難有りなんだネ」

「性格にも…です」


また笑う。
わたしの知らないところで、わたしの知らない上司と部下な人たち。その人たちも頑張っているのだろうなぁと思いを巡らせて立ち上がる。すると隣のお兄さんも立ち上がった。


「さ、そんじゃ部下思いな俺はそろそろ行くよ。付き合ってくれてありがとネ」

「こちらこそ」


カランと小気味好い音をたてて、空の缶が2つゴミ箱に消えた。

江戸で一人暮らしを始めて約2年。やりたいこともやる気も見失いかけていたわたしが出会った変なお兄さんのお話。



冷たい風と苦いコーヒー






その一週間後、再び彼がわたしのもとへとやってくる。


「容姿性格共に完璧な上司さまが迎えに来てあげたよ」


ほら、容姿性格共に難有りな例の上司なんて早く捨てちゃいなって、彼、神威団長さんはニコニコと手を差し出した。





企画『pomp』様提出
20091121白椿