久しぶりに降り立った故郷は、相変わらずじめじめと湿っていて、雨の匂いと微かな鉄の匂いがする。団長が急にここ夜兎の星に停泊すると言い出したときは驚いた。まだこいつにも故郷を思う気持ちがあったのか…と。着いた途端に出かけるというものだから、仕方なしに俺も付いていくことに。

団長は、ここは変わらないネと言うと変わらずの笑顔で歩き出した。家にでも帰るつもりなのだろうか。
勘弁してくれ。あんたの里帰りに付き合っていられるほど、俺は暇じゃないんだ。


「帰っててもいいよ阿伏兎」


そうやって言われても、こんな危険な団長一人残して船に戻るのは心配なことこの上ない。故郷で暴れだすなんてこともありえるのだ。
俺は溜息を吐いて黙ってついていく事にした。これも下の仕事よ。
暫く無言のまま歩き続ける。町並みは昔と変わらない、俺も少し懐かしく感じる。

十分ほど歩いた頃だろうか。


「あっ…」


団長の歩みが止まった。団長は一点を見つめてニコニコしている。
その視線の先を見ると、黒い髪を二つのゆるいおさげにした女性が、傘と買い物袋を持って歩く後ろ姿があった。

「見ーっけた」


おいおいおいおいマジかよ。里帰りでも何でもない。こいつ、女に会いにきたのか…
そう思って気がさらに重くなるが、そんな俺の憂鬱は杞憂に終わる。


「名前姉さん!」


名前姉さん?


団長が叫ぶと、黒髪の女が止まってくるりと振り返った。黒い髪に黒い大きな瞳がクリクリして、白い肌と白いチャイナ服よく栄えている。美人だった。
彼女は少し目を細めて、こちら覗うよう見ながら呟くように言った。


「神威…ちゃん?」


神威ちゃん?ぷっ!!
春雨第七師団団長ともあろうお方をちゃん付けとは恐れ入る。思わず笑いそうになるのを堪えて団長を見やると、特にどうということはなく笑顔のまま彼女の方に歩んで行く。


「久しぶり姉さん」


まさか姉がいたとは驚きだった。この前地球で妹に会ったときも驚いたが、団長は女に挟まれて育ったのか…。

地球で初めて妹に会ったとき、久しぶりの再開であろう妹に向けて傘を振り下ろした団長を思い出して、同じことが起きるのではないかと身構えるが、団長はニコニコニコニコ…何もしなかった。
しかも何だ…この妙に輝かしい笑顔は。団長の笑顔がいつもと明らかに違う。
彼女は驚いたように目を見開いて、それからニッコリ笑う。随分と穏やかな笑顔だった。


「お帰りなさい、神威ちゃん」

「買い物?」

「ええそうなの。神威ちゃんは?どうして帰ってきたの?そちらの方は?」


団長はお姉さんの買い物袋を取り上げて、阿伏兎、俺の部下、と最小限の紹介をした。
お姉さんは物腰柔らかく一礼をして、


「はじめまして阿伏兎さん。神威の姉の名前です」


と笑顔で言った。俺も頭を下げる。
いきなりの顔合わせに落着かなくて、しかも団長の雰囲気がいつもと違ってなんか落着かなくて、何となく俺はお邪魔な気がしたので、


「団長、俺ァ先船に戻ってるぜ」


そう言って去ろうとしたら、


「え、待って下さい!」


彼女に呼び止められた。
振り返る。


「せっかくいらしたんですから、どうぞお茶でも飲んでいって下さい」


そう言われて、面倒くさいことになったと思った。だけどお姉さんはニコニコ、団長もニコニコニコニコ…。
断ることが何故か拒まれる。団長のお姉さんがどんな人なのか気にならないわけでもなく、ちょっとした興味から、じゃあお言葉に甘えてと言って、付いていくことにした。
その時団長の笑顔が怪しく光ったのは気のせいだということにしておこう。


「それにしても神威ちゃん、背伸びたわねぇ」

「姉さんは小さくなったね」

「違うわよ、神威ちゃんが大きくなったのよ。家を出ていく前はあたしの方が大きかったのに…ちょっとショックだわ」

「まぁ俺は男だからね…姉さんは綺麗になったね」

「そう?」

「うん」

「ありがとう、神威ちゃんもとっても男前になったわ」


歩きながら話す兄弟二人。何だこの気持ち悪い会話。
団長はお姉さんの買い物袋をさげて、彼女の隣を歩く。こんなキャラだっけ?いや違うないつもの団長じゃねぇ!なんか気持ち悪い…鳥肌たってきやがった!!


「そういえばこの前地球に言ったとき妹に会ったよ」

「まぁ神楽ちゃん!?」

「あいつ今地球にいるんだね、いつの間にここを出て行ったの?」

「マミーが死んですぐだったかしらね」

「姉さんを置いて行くなんて酷いヤツだね」

「ふふっ、ちゃんと誘ってくれたのよ、神楽ちゃん」

「そうなの?」

「ええ、だけどあたしはここに残ることにしたの」

「何で?」

「ほら、やっぱりここは皆の故郷だし、マミーもいるし、ね?」

「ふーん」


随分と出来たお姉さんらしい。俺は黙って二人の会話を聞いていた。


「神楽ちゃんも元気にやってくれているのならそれでいいわ」

本当に優しく笑う人だ。そう思っていると彼女は言った。


「着きました、ここが家です」


団長の家を見るのは初めてだ。どこにでもあるような普通の家だった。少し古い感じがするが、そこがまたいい味を出していて、でも女一人住むには少し広くて脆い感じもする。
彼女は急いで上がると、適当に座ってて下さいネと言って台所で準備を始めた。すぐに紅茶の良い香りが漂ってくる。
団長と俺は茶の間のちゃぶ台に向かい合って座るが、すぐに団長のニコニコとしたいやらしい視線に気づいて眉をしかめた。


「何だ?」

「阿伏兎、まさか姉さんのこと狙ってるわけじゃないよね?」

「…は?」

「手出したら殺しちゃうぞ」

「はあ?」

「この世で一番苦しい方法で殺してやる」


おいおい…今分かった。こいつかなりのシスコンだ。
妹のときとは全く違ったこの態度。
俺は珍しい団長の反応に新鮮さを感じながらも、少しでも下手をしたら本気で殺されると冷や汗がつたった。
そんなにお姉さんのことが好きなんだろうか?どこが?昔に美しいエピソードでもお持ちで?
俺は少しでも誤解を招くような態度はしないように気をつけようと思った。


「紅茶入れましたよ〜」


そう言って、お盆に三つのカップをのせて笑顔で来る彼女。今の会話は聞こえてないだろう。
彼女はニコニコしていて、本当に前を見ているのか少し不安になると思っているそばから、何もない畳の上で何かにつまずいた。


「あっ!」


びっくりして彼女の傾く身体を支えようとしたら、団長も同じように腕を伸ばしていて、ついでに団長から蹴りをくらって後方に吹っ飛ばされた。


ドンガラガッシャーン!!


何でこんな目に合ってんの俺…。


「姉さん大丈夫?」

「うん、ごめんなさい、紅茶零れちゃって」

「いいよ、今度は俺が入れてくるから」

「え、いいわ、あたしがやる」

「姉さんはそこで座ってなよ」


俺無視?
少々イラッとしながらも、起き上がってもとの位置に座ると、彼女は驚いたような顔をした。


「阿伏兎さん!?何でそんなボロボロなんですか!?いつの間に!!」


あんたの弟のせいだよとは言えず、ちょっと戯れを…なんて意味不明な言い訳。
全く恐ろしい弟さんをお持ちで。

それにしても、彼女と団長とでは大分気性に違いがあるらしい。彼女は、本当に夜兎なのか?と疑いたくなるくらい穏やかでおっとりしている。もしかしたら戦闘能力は低いのかもしれない。でも、だとしたら弱い者を極力嫌う団長がどうしてこんなに好いているのか不思議だ。
俺は頭を掻いて溜息を一つついて、彼女を見た。
彼女にも疑問はある…


「なぁ、あんた」

「はい、何ですか?」

「団長、…あんたの弟は確かお宅らを置いて、この家を出ていったんだろ?」

「そうですよ?」

「あんたはそれについて怒ったりとかはしねーのか?」


妹の方はかなり団長のことを嫌っていたというのに彼女は嫌うどころか、帰ってきたことを喜んでいるよにさえ見える。
彼女はニコニコして言った。


「あれも若気のいたりですよ」

「…妹さんの方は随分ご立腹だったようだがね」

「神楽ちゃんはまだ子供ですからね、これからいろんなこと学んでいけばいいんですよ」


本当に寛大な人だと思った。とても団長と血の繋がりがあるとは思えない。


「家族がばらばらになったのも、団長のせいだろ?」

「んー、まぁあの事件が引き金になったのは確かですね」

「それでも団長を許すのか?」

「…神威ちゃんは夜兎の血に愛された子だと思ってます」

「…」

「親殺しなんて、今では昔の風習ですけど、強さを求めたからこその行動であって、まぁパピーが腕を失くしちゃったのは悲しかったけど…でもね阿伏兎さん、神威ちゃんはあたしのこと守ったりしてくれたこともあるんですよ」

「ほぉ」

「男の人たちに絡まれた時とか、変な人に連れていかれそうになったりした時とか、神威ちゃんが助けてくれたんです…だから根は優しい子だと思ってます」


いや、ただのシスコンですよお姉さん。


「それに、夜兎はバラバラにいた方が、もしかしたら幸せかもしれないですしね」

「まぁ、それには同感だがね」

「くすっ、群れるのはあまりお好きではないでしょう?」

「…」

「仲間でも、強ければ戦ってみたくなる、それが夜兎の本能ですから」


ただおっとりしているだけじゃない彼女。きちんと世の道理をわきまえているらしい。こんなにしっかりした上がいたら、そりゃ下はちゃらんぽらんになるはずだ。
だけど彼女は笑顔で言った。


「でも、もし阿伏兎さんが神威ちゃんを殺しちゃったら…」

「…は?」

「その時はあたしが、阿伏兎さんを殺しちゃいますヨ」


ニコッ


おお、やっぱり団長の姉さんだ…と思った瞬間だった。


「ははっ、姉さん、俺が阿伏兎なんかに負けると思ってるの?」

「ふふっ、もしもの話よ」


戻ってきた団長は、紅茶を配りながら言った。何か恐ろしいものが入っているかも分からないので、口をつけるのは遠慮しておく。


「ところで姉さん」

「なに?」

「俺と一緒に来ない?」


はいぃいい!?何言ってんのこの団長さんは!!
俺は危うく大声を出しそうになって堪えた。


「俺さ、今宇宙海賊春雨の第七師団の団長やってんだ」

「まぁ、出世したわね」

「ははっ、ね?だから姉さんもおいでよ、もう母さんも神楽もいないんだから」


また面倒なことになったと内心で舌打ちしながら、彼女がどう返事をするのか覗う。
彼女はニコニコしながら首を振った。


「ありがとう、でもあたしは行かないわ」


良かった…ひとまず安心して胸を撫で下ろす。こんな危なっかしい人春雨に入れたら、俺の仕事がもっと増えるどころか、団長は彼女にベッタリになってもっと仕事しなくなるかもしれない。
団長は首を傾げた。


「どうしてさ?」

「神威ちゃんが活躍してくれれば、姉さん幸せだからそれでいいの」

「でも、一人じゃ寂しいだろ?」

「ふふっ、大丈夫。あたしはここにいて、ここで家を守りながら、皆がいつでも帰ってこれるようにしておくのが仕事だと思ってるの」

「…」

「この前も一度パピーが帰ってきたし、神楽ちゃんもいつ戻ってくるか分からないでしょ?」


団長はニコニコ聞いていた。


「神威ちゃんもよ、いつでも帰ってきて」

「…」

「姉さん大丈夫だから、心配しないで」


彼女は穏やかに笑った。本当によくできた人だと改めて思う。
少し団長に似ているところもあるが、団長よりよっぽど常識がある。
もしかしたら、彼女が春雨に来たら、逆に団長の良いストッパーになってくれるかもしれないと今更ながらに思ったのはここだけの話。





帰り道。

無言の笑顔で隣を歩いていた団長がふと口を開いた。


「とりあえず、あいつからかな」

「…何の話だ?」

「阿伏兎、親父を殺しに行くよ」

「はぁ?」


親父って確かあの海坊主だよな…。
俺は頭をかかえる。


「なんでまた?」

「親父と妹がいる限り、姉さんはあの家を離れられない…」


ああ、頭が痛くなってきた…。


「だから殺すことにしたよ」

「……お好きにどうぞ」


もうどうしようもねぇよ…。困ったシスコン団長だ。しかも姉限定の。


「ところで余談なんだけどさ」

「…」

「俺の殺しの作法のきっかけは姉さんなんだ」

「ほう…」

「姉さんの笑顔綺麗だろ?あんな笑顔見たら、もう死んでもいいと思わない?」


いや確かに素敵な笑顔の持ち主だとは思うけれど、死んでもいいとは思わない。だけど、ここで否定すると怖いことになるので、


「…そうかもな」

と言っておく。


「だから俺も、姉さんのような笑顔を目指して特訓したんだよ」

「特訓!?」


アレか、鏡の前で一時間とか?
笑顔の殺しの作法にそんな苦労があったとは…だけど団長、あんたの笑顔と彼女の笑顔ではやっぱり何か違うぞ、と思う。


「姉さんは本当に美人だよ」


俺は当分彼女の自慢話を聞くことになりそうだとうんざりした。


「俺、結婚するなら姉さんみたいな人がいいや、ってか姉さんがいいな」


おいおいそれはいろいろまずいですよ団長。
だんだん話しが危険な方向に流れていくのを方耳に聞きながら、俺は小さく溜息。団長はニコニコニコニコ…。俺はうんざり。この人のシスコンぶりには恐れ入る。


「ってことだからさ、今から親父殺しに行こうネ」


俺は意気揚々と歩いていく団長を見て、髪を掻き揚げた。


お姉さん、この団長をここまで手なずけて、ここまで夢中にさせられる人は貴方しかいないでしょうよ…。ちゃん付けで呼べるのも、綺麗って言わせるのも、女では貴方だけなんでしょうね。













珍しい笑顔
お姉さんの話をする団長はデレデレで気持ち悪い…

by阿伏兎









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キリリク2000


20090218白椿