雨の中、ミャアミャアと甲高く切ない声に顔を振り向けると予想通り小さな命が寒さで震えていた。こっちをじっと見つめるまん丸で大きな黄色の瞳。それが期待と少しの恐怖で揺れている。そっと近づけば若干の警戒心からか半歩後ずさる。でも逃げはしない。さしていた傘を少し傾けて小さな子猫を中に入れる。濡れて、いつもはフワフワであろう毛が体に張り付いてみすぼらしく見える。そっと手を伸ばせば触れさせてくれた。小さな温度が一生懸命に脈打っている。


「…寒いねぇ」


何か食べ物持っていなかったかとポケットをあさってみたけれど何もなし。いつ入れたのか覚えのない50円玉が一枚出てきたけど、得した気分どころか逆に虚しくなった。せめて100円だったらなぁ。


「ごめんネ、何も持ってないや」


子猫は相変わらずわたしをじっと見つめていた。連れて帰ることは…できないよなぁ。きっと阿伏兎さんに捨てて来いって言われてしまう。反論できるような立場じゃないんだよ。ごめんね。


「せめて、時間いっぱいまでこうしていよっか」


それから、どっか雨宿りできる所に連れて行ってあげよう。もう少し行けば民家が増える。そうすれば雨をしのげる屋根もいっぱいだ。でも、他にも猫がいっぱいいるから、もしかしたらこの子には居づらい場所なのだろうか?


「…わたしと一緒だね?」

ミャア

「そうなの…弱者には厳しい世界だよねぇ」

ミャア


まるで会話しているみたいに鳴くので思わず微笑んでしまう。雨は容赦なく傘を叩きつけてくる。田んぼの広がる広い緑の世界に、一人と一匹で寄り添って雨をしのぐ。なかなかに良い時間の使い方じゃないかなぁ。寒いのに温かい、不思議な感覚だね。
そのままたまに話しながら、時は流れ辺りは暗くなっていった。そろそろ帰らないといけないなぁ。でも雨はやむどころか強くなりつつある。


「…雨がしのげそうな所まで行ってみる?」

…ミィ

「…大人の猫たちにいじめられちゃうかなぁ…」


どうしようかなぁ。雨、やまないかなぁ。少し傘をずらして空を見上げればどす黒い雲に覆われていてとても晴れなんて望めない。一つ溜息をして隣の小さな命を見れば、すっかりわたしへの警戒を解いたのか、隣でうずくまって良い子にしている。


「もしかして眠たいの?」




今この場を立ち去るのは心苦しい。もう少しだけここにいよう。そう決めて溜息した。


「はぁ、…こんな所にいた」


ふと響いた声に傘をあげれば、二本の足。そのまま上へ上へ視線を持っていけば見慣れた桃色の三つ編みが見えた。雨の中でニコニコと嘘の笑顔を張り付ける。


「…団長」

「せっかく地球に寄ったから暇をあげたのに、こんな所で何してるの」

「…」

「里帰りはしたの?」

「…」

「まさかずっとここでうずくまってたとか笑えない冗談はやめてよ」

「…すみません」

「…もう、名前は」


傘を下げて団長をシャットアウト。隣を見たら少し警戒したのか立ち上がった子猫ちゃん。わたしはまた溜息した。暇を貰ったのは確かだけど、里帰りして来いとは言われなかった。わたしがわたしの暇をどう使おうと文句を言われる筋合いはない。里帰りしたって家族がいるわけじゃないし、もう地球から連れ去られて一年以上経っているのだ、住んでいたアパートの部屋だってとっくに他の誰かのものになっているだろう。帰るところなんてないのだ。


「…どうするの?もうそろそろ出発の時間だよ。早く行きたいとこ行かなきゃ」


そう言うと団長はわたしの手を握ってぐいっと引っ張り立ち上がらせる。その途端、


ザザッ


「あ」


隣にいた子猫ちゃんがビックリして走って向こうへ行ってしまった。思わずそっちを見る。神威団長も同じ方向を見つめた。少し離れた所でこっちの様子を覗っている。雨が再び子猫の体に打ち付けていた。


「…ふーん、アレのためにここにいたの」

「…」

「名前も物好きだよね」


少し悲しくて、少しイライラする。団長にあの子猫がどう見えるのかなんて分からないけれど、今あの子猫がどんな気持ちでいるかなんて考えていない。団長にはただの弱い命としか映っていないんだと、そう思う。





―――――……





取った彼女の手は冷え切っていた。こんな雨の中ずっとうずくまっていれば当然のこと。バカだなぁと思う。あんな子猫のために自分の時間を割くなんて。そんなことする暇があったら逃げ出して行方くらますくらいのことすればいいのにと思う。それでも見つけ出す自信があるのだけれどね。


「さ、行こうよ」


言えば彼女は頷くでも嫌がるでもなく、ただ俯いた。いつもそう。彼女はいつも俯いてすべてを受け入れていた。行動力に欠けていた。いつでも受け身だった。俺の言うことに反論したことはない。拉致されて、好きでもない戦場というものを目の当たりにさせられて、それでもすべて黙って受け入れていた。それは彼女の防衛方法なのだろうか?弱い存在だ。簡単に殺せてしまうのに、


「ねぇ、あのネコ欲しい?」

「…え」


俺はそれをしない。違うんだ、俺が望んでいたのは。こんな暗くて悲しいもんじゃない。もっと笑っていたでしょ君は。初めて俺が君のレストランに行ったとき、もっと眩しい笑顔で出迎えてくれたでしょ?君の作ったご飯を食べて、素直に美味しいと感想を述べたら嬉しそうにしてくれたじゃない。ただその笑顔が欲しかったの。今でも君が作るご飯は美味しいけれど、違うんだよ、こんなんじゃない。こんなんじゃなかったはずだ。俺は頭をひねるのだ。どこで間違ったのだろうと。


「飼いたい?」


名前が俺を少し驚いた表情で見つめた。名前はいつだってそう。俺の言うことには反論しなくて、何でも言うことを聞いて、それなのに全く俺の思い通りにならない。心は遠いまま。笑顔を見せてはくれない。
もっと我儘言えばいい。地球に帰りたいなら帰してと泣きわめけばいい。殺しが嫌ならそう叫べばいい。俺のこと嫌いなら殴ってくれればいい。黙ってないで何か言って。俺は君を地球に帰してあげるつもりはないし、戦場にだってこれからも行くつもりだし、君が俺を嫌いだと言っても傷つかない。でも、そうやって感情を爆発させてくれればそれらすべてを受け止めて、最終的に君の気持ちを仕留める自信はあるのだ。そう、自信はあるのだ。だけど、君はいつも俺を避けて、逃げて、なるべく関わらないよう関わらないよう。一歩歩み寄れば一歩引いて行く。気に入らないのを通り越して虚しいヨ。


「あのネコ飼いたいんでしょ?」

「…」

「捕まえてあげよっか?」

「………いいんですか?」


小さく紡がれた小さな声。それを聞いて俺は思わず微笑んだ。それは、彼女が初めて俺にしたお願い。


「いいよ、ちょっとコレ持ってて」


そう言ってさしていた傘を差し出すと無言で受け取った。それから標的を見つめる。濡れて震えている小さな命。


…潰さないように気をつけなくちゃな


子猫に笑いかける。君は幸せ者だよ、名前に見初められたんだからね、少々癪だけど羨ましいなぁ。


「よっ」


素早く間合いを詰めて両手で包み込むと、

ンギャァ!!

可愛らしくない声があがった。潰さないよう潰さないよう、でもしっかり捕獲。子猫は必至で足掻く。俺から逃げ出そうと足掻く足掻く。でも、残念、俺の肌は地球産のように柔じゃないんだ。


「はい、どーぞ」


暴れる子猫を名前に差し出せば少し驚いたように、少し怖々と手を伸ばす。


「大丈夫、名前には懐いてるよコイツは」

「…」


名前の手が近づくと、子猫は暴れて暴れてその手を求める。やがて受け渡し作業を終えると子猫は大人しくなって名前の腕に収まった。ほら、ね。良い子になった。少し期待する。笑顔でお礼を言ってくれるんじゃないかなって、ありがとうって笑いかけてくれるのではと、でも、振り向けた彼女の顔に笑顔はなく、それに少し落胆する。でも、


「…手、大丈夫ですか?」

「え」


紡がれた言葉は温かいものだった。


「俺は地球産とは違うんだよ」


笑って傷の無い手を見せれば名前は安心したように笑った。あ、こんな笑顔久しぶりに見た気がする。


「…ホントに飼っていいんですか?」

「いいよ、ちゃんと面倒みなよね」

「はい」

「んじゃ行くよ」


そう言って歩み出すと名前は声をあげる。


「団長、船こっちですよ」


そんな的外れな彼女の言葉に笑う。


「何言ってんの、そのネコの餌買いに行くんだよ」

「…え」

「あとトイレとかね」


言えば名前は驚いた顔をした。その後、目尻を下げてふわりと柔らかく微笑む。あの日の懐かしい彼女の笑顔。



ほら、言ってみなよ


今が言い時だよ。
名前は雨の中小さな声で空気を震わす。


「ありがとうございます、神威団長」

「はは、どういたしまして」


やっと、思い通りの言葉を吐かすことに成功した。





Thanks.しおっぺさま
20100306白椿


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