何でもなかった普通のこと。例えば熟れた林檎の赤さ、ホットミルクの温かさ、イチゴがのった小さなショートケーキの甘さ。そういうものに名前はいちいち反応する。目で見て、肌で感じて、舌で味わって、すべて笑顔に変換していた。変なの、と思った。俺がどんだけかまってみても、ちょっかい出してみても、名前はちょっと困ったように笑って、次には少し悲しそうにする。彼女の心はいつでも故郷に帰りたいという願望に支配されている。その支配力は絶大で、俺にはなかなかその支配を解くことが出来ないのに、熟れた林檎の赤さ、ホットミルクの温かさ、イチゴがのった小さなショートケーキの甘さは、いとも簡単に彼女を笑顔にする。
「なるべく、考えないようにはしているんですけどね…団長は、故郷に帰りたいとか思わないんですか?」
「俺?ないよそんなの」
「…そうですか」
「考えたって帰り方見つかるわけじゃないのに、悩むの好きだね」
「はは」
だけど、不思議なもので、熟れた林檎の赤さを見ると、名前に見せてあげなくちゃと思うようになった。ホットミルクの温かさを感じると、名前に持っていってあげなくちゃと思うようになった。イチゴがのった小さなショートケーキが甘いと、名前にも食べさせてあげなくちゃと思う。そうすれば、名前が笑顔を見せてくれることを俺は学んだからだ。
「太陽と地球産はお友達…」
そして、それは太陽でも同じ。忌々しかっただけの太陽。それが今ではこれ見たら、少しは名前笑うかな?とぼんやり考えている。別に名前が笑ったからって俺に得があるわけじゃないのにね。
「名前、散歩行くよ」
「え?」
「早く準備して」
「あ、はい」
媚びるわけではなく、泣き虫なわけでもなく、でも強いわけでもない。一人で何とか出来るって強がってもどこか頼りない彼女を放っておくことが出来なかったのは、
「あ、この花あたしの故郷にもありました」
「え?」
「イヌフグリ!」
「いぬふぐり?」
「この花の名前です」
「ふーん」
小さな小さな青い花。油断したら踏みつぶしてしまうだろう雑草。太陽を見せるために連れだしたのに、そうやって俺にとってはどうでもいい小さな世界を嬉しそうに眺める彼女に少なからず惹かれていたのだろうなぁと思う。この小さな青い花は、今少なからず太陽に勝利を得ている。名前は太陽に背を向け、小さな花に笑いかける。ちょっとだけざまぁみろ太陽と思った。
「名前、そろそろ帰ろっか」
「はい」
日が傾きかけた頃に引き返す。その時に一度だけあの小さな青い花を見たのは、太陽に勝利したというその事実に少しだけ敬意を表し、そして少し羨ましかったから。
「楽しかった?」
「え?」
「今日楽しかった?」
「はい、ありがとうございました」
そんな彼女が、太陽よりも故郷よりも俺を選んでくれるようになるのは、もう少し先の話。俺が太陽を今よりも柔らかい気持ちで見られるようになるのは、名前がいてくれたから。
君とみる世界が美しい
ラララ、過去を振り返る
Thanks.クロコさま
20100208白椿
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