あ!

声が跳ねて、水面に波紋を作るみたいに、書店にそれが響いた。それは学校帰りの待ち合わせのために寄った書店で夢中になって雑誌を立ち読みしていた私の耳にも当然届き、それが呼び水みたいになって意識が漫画の世界から現実に引き戻される。一体何事だと、ほとんど無意識に、私は顔を上げて声のした方に振り向いた。すると、雑誌コーナーの背の低い棚の向こう側から口をポカンを開けてこちらを凝視している、同い年くらいの男子と目が合った。驚いて思わず心臓が止まりそうになった。知らない人と目が合ってしまった気まずさに、咄嗟に視線をはずそうとしたけれど、何故かその子は視線を外そうとはせず、むしろもっとまじまじと見るように目を大きくさせるので、しどろもどろになる。小さく視線を泳がせて辺りを見るけれど、他のお客さんは本を選んだり立ち読みしている雑誌に視線を落としているばかりで、彼に視線を向けている人はいない。ともすれば、彼と視線をかち合わせているのは私だけのようだ。では彼が驚いた顔で凝視しているものは私なのだろうか。それとも、そっぽを向いている誰かなのだろうか。はたまた別のもの?私を見ている、と思うのは、自意識過剰かもしれない。再び控えめに、盗み見るようにゆっくりと彼に視線を戻すと、相変わらずこちらを凝視していた彼が、視線を外さず駆け寄ってくる。再び驚いて、心臓が止まりそうになった。え?私?私なの?いや、でも知らない人だし、やっぱり私の勘違いだよ。ほら、たまにあるじゃん、顔見知りの子がこっちに手を振ってきて振り返したら、本当は後ろの子に振ってた、みたいな、あの気まずい感じの。あれだよ。だから驚くことないって。全く私はいつも自意識過剰なんだからさあ、この前も凰壮に「夢山先輩!」……え、私?

「夢山先輩、ですよね?」
「え、あ、はあ、はい……?」

私が相槌を打つと、彼は花が咲いたように笑顔を見せて「わあ!久しぶりですね!」と言った。え、この子知り合い?
人の顔を覚えるのが別段苦手なわけではない。話したことがある人なら、そう簡単に忘れないだろうし。それこそプレデターのチームの子なんて、試合でしか見たことなかったけど、顔覚えてた。
「久しぶり」なんて言葉が出てくるのだから、話したことのある子だろうか。そういえば、私のことを「先輩」と呼んだ。先輩ってことは、後輩だろうけど、後輩と呼べる後輩がいたことなんてない。高校はまだ一年生で後輩なんていないし、中学だって部活に入ってなかった私からしたら、後輩との関わりなんて皆無だった。しかしながら、よくよく彼の装いを見てみれば、母校の制服ではないか。だとしたら中学。もしかしたら、委員会で一緒だった子かもしれない。ぐるっと記憶を探ってみるけれど、どうしたって彼を思い出せなかった。

「先輩、桃山東の制服ですね!よかった、受かったんですね」
「あ、はい……ありがとう……」

人懐っこく笑う。どこか従順ささえ感じるそれは、年下特有のものなのだろうか。可愛らしいと言えば可愛らしいのだけれど、(たぶん)話したこともない子からこのような好意的な態度を取られるのには違和感があったし、人見知りも手伝って戸惑わずにはいられなかった。無意識に持っていた雑誌で顔を隠し、少し後ずさる。この子、誰なんだろう。

「桃山東かあ。俺、受験校悩んでるんですよね。でも先輩がいるなら、桃山東いいなあ」
「そ、そうなんだ……」

距離が近い。私がいるなら、ってなんだろう。私は彼と(たぶん)話したこともないのに、どうしてこんな親しそうに接してくるんだ。私が桃山東にいたって、関わることなんてないだろうに。だって、知らない人でしょう?あ、でもじゃあなんで私の名前知ってるんだろう、この子。

「お前、何してんの?」

知っている声にハッとして、視線で確認する前に足を向けた。振り返った先で声の主を見つけたら助けを求めるように寄り縋る。スッと声の主の背中に隠れて、制服をギュウと握った。

「夢子?」
「凰壮、遅い」

待ち合わせをしていた相手、凰壮は背中に隠れた私を訝しげに覗いた後、「しょうがねえじゃん。部長の話なげえんだもん」とまるで自分のせいではないと言うように不服そうに言った。
違う。待たされたのは別にいい。立ち読みしてたし。第一、そんなに待っていない。補習のせいで通常より帰りが遅かったのだから。だからこうして、普段ならありえない、凰壮と下校時に待ち合わせなんてことができたのだ。
私が遅いって言ったのは、だからそういう意味じゃなくて、この目の前の知らない人に捕まってしまってからのことを言っているのだ。助けにくるのが遅い、と。たった一言二言話しただけだけれど、まるで永遠の時のように長く感じたし、ちょっとだけ恐かった。
凰壮の背中は安心する。凰壮が、偉そうで態度のでかい、怖いもの知らずだからだろうか。

「で?何してたんだよ」

凰壮がもう一度尋ねた。「え、あ、いや、その」としどろもどろにわけのわからない言葉を繰り返す。だって、なんて言ったらいいかわからない。知らない人が私のことを知っているように話しかけてきていて困っていた、だなんて、目の前に本人がいるのに言えるはずもない。仕方がないので代わりに、凰壮の制服をより強く握った。

「あ、あの、だから」
「お前に言ってんじゃねえよ」
「え?」
「凰壮先輩、お久しぶりですね!」
「……え?」

人懐っこく笑う彼が、今度は凰壮に話しかけた。すると今度は凰壮が「ああ、卒業振りかな」と笑いかける。
え、何?知り合いなの?

「凰壮……?」
「ん?ああ、こいつ中学の柔道部の後輩」
「へ、え……」

中学の柔道部の、後輩?
そう言われれば、見たことあるような気がしないでもない気がしない……。
いや、やっぱりわからない。

「でもお前らが知り合いだなんて知らなかったな」
「いや、私も初耳なんだけど……」
「はあ?じゃあ何話してんだよ?」

凰壮が不思議そうに眉を顰めた。

「え、あれ?俺、夢山先輩と話したことありませんでしたっけ?」
「な、ないと、思い、ます……」

凰壮の背中から弱気に答えれば、彼は頬を染めて「うわ、嘘!やだなあ、恥ずかしい!」と顔を覆った。

「俺、夢山先輩のことずっと知ってたから、なんかもう勝手に知り合いになった気でいて」
「え、わ、私ですか?」
「よく試合見に来てましたよね?」

俺が試合で勝つと、すごい喜んでくれてたから、それで、なんとなく気になって。凰壮先輩と話してるところもよく見かけてたから、それで明るくて可愛い人だなあってずっと思ってたんです。それで、卒業式振りに見かけたから、テンションあがって、話しかけちゃって。

彼はまだ恥ずかしいのだろうか、先程よりも顔を赤くしてそう続けた。
試合で彼が勝つと喜んでいた、というのは団体戦のことを言っているのだろうか。凰壮の試合がある日は確かによく竜持と見に行っていた。個人戦だって、そりゃあ自分の学校の選手が勝ち進めば嬉しいと思ったに違いないけれど。どちらにせよ、彼のために喜んだ記憶がなかったので、少し気まずいと思ったし、申し訳なくも思った。

「……こいつが可愛いって、お前目悪いんじゃねえの?」

白けたような目をした凰壮が吐き捨てるように言った。
ムッとして凰壮の背中を軽く殴ったけれど、凰壮はこっちになんて視線すら送ってくれなかった。

「え?可愛いじゃないですか」
「あ、あの、ありがとう……」
「……こいつ調子に乗るからやめろよ」

調子になんて乗ってないよ!こんな社交辞令真に受けるほど自意識過剰じゃないもん!
といつもだったら反論しているところだったけれど、如何せん初対面の人の前でそんな素が出せる筈もなく、せめて後ろから凰壮の襟足を睨んだ。

「あ、あの、それで、今度また大会があるんです。夢山先輩、よかったら応援に来てくれません?」
「え?私?」

なんで?
思わず首を傾げた。いくら以前から知っていたとはいえ、今日初めて話したというのに、先輩である凰壮を差し置いてどうして私を誘うのだろう。
凰壮の肩ごしに見える彼ははにかむような表情を見せる。

「夢山先輩が来てくれたら、俺頑張れると思」
「お前さあ、応援されないと試合できねえわけ?」

彼の言葉を遮るような凰壮が、いつもより少し低い声を出した。その音色から少しの苛立ちを感じ取って、傾げていた首を今度は反対に傾げた。凰壮も、いきなりどうしたんだ。

「凰壮?」
「夢子、もう帰ろうぜ」
「え、う、うん?」
「あ、あの、夢山先輩、あの、もしよかったら」
「あのさあ」

帰ろうと踵を返し出口に足を進めいていた凰壮が、再度彼の言葉を遮る様に口を挟み、彼に振り返った。凰壮の後ろをついて歩いていた私は、いきなり振り返ったことで向き合うことになった凰壮に驚いて思わず後ずさる。そんな私の肩を、凰壮がパッと掴んだ。グッと力を加えられ、反転させられて、私も彼に向き合う形になった。
初めて目が合った時のように驚いて口をポカンと開けた彼と、再び目が合った。
え?なに?

「こいつ、俺の彼女だから」
「え」
「な!」

凰壮がサラッと、普段決して自分から言わないようなことを言いだしたので驚いたし、凰壮の口から出た「彼女」という単語に思わず顔が赤くなった。いや、確かに彼女だけど、そういえば凰壮が私のことを人にこんな風に紹介するのなんて、初めてだ。

「そーいうこと。じゃ、またな」

私の肩を掴んでいた凰壮が、今度は私の手を握って踵を返した。そのまま強引に手を引いて書店を後にする。
凰壮、どうしたんだろう。変なの。らしくない。
歩幅大きく歩く凰壮の背中を見つめてそんなことを思いつつ、正直、冷静に何かを考えられなかった。凰壮に手を握られたのが久しぶりで、ものすごく緊張していたし、すごく幸せだった。凰壮の手、大きくて力が強くて、私の手とは全然違う。突然の出来事に、頭がどうにかなりそうだ。

「……お前もさあ、調子乗るなよな」

書店を出てしばらくすると、緊張している私なんか知らない凰壮が、歩を進めながら話しかけてきた。

「え?え?の、乗るよ!こ、こんなことされたら……」
「……何の話してんだよ」
「え、凰壮こそ?」

怪訝そうに眉を顰めた凰壮が振り返った。
手を握られているからか、凰壮に見つめられていつも以上に緊張してしまい、思わず視線を泳がした。

「……なんで顔赤いんだよ」
「だ、だって……手、握る、から……」
「……」

凰壮がパッと手を離した。
え、と思わず声を漏らして凰壮に視線を向ける。

「……なんだよ」
「……いや、離しちゃうの、かと……」
「……繋ぎたいのかよ」
「……だめ?」
「別にいいんじゃね」

そう言って凰壮がもう一度手を握った。今度は、先程みたいに手を引かれているという感じではなく、繋いでもらえてる、力加減が優しく感じた。

「お前さあ」
「うん?」
「可愛いとか言われて嬉しくなかったの?」
「?社交辞令じゃん」
「……ああ……そう」

そんなことより、凰壮と手を繋げる方がずっと嬉しいよ。

そう、口の中で一人モゴモゴと呟くと、ちゃんと聞こえていたのだろうか、凰壮が「お前、本当馬鹿だよなあ」と言って呆れたように息を吐いた。






りりさん!リクエストありがとうございました!
いつもお世話になっております!いつも感想いただいて本当に嬉しいのに企画にまで参加していただいて、本当に感謝してもしきれません…!本当にありがとうございます!
如何でしたでしょうか…なんかオリキャラ出張ってて本当すみません。時系列的には正月後くらいの話だと思って書きましたー。
少しでもりりさんに楽しんでいただけたらいいな〜と思っております…!><
これからもよろしくお願いします^^それでは失礼いたしました!(13.08.05)

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -