誕生日なんて大した日じゃないよ。だから何もしなくていい。


青砥はいつもそう言って遠くを見た。
毎年毎年、その言葉と共に彼の誕生日を見送っては、お門違いにも私が寂しい気持ちになった。青砥の海のように澄んだ碧眼がどこかもの悲しく虚ろって見えたからだろうか。いや、そう見えたのはきっと私の気のせいだろう。気のせいだと思いたかった。誕生日を祝いたいという私の気持ちを突っぱねたはずの青砥が、誕生日を迎える度に孤独な気持ちで漂っているのは、私だって不本意だし面白くない。
ただ、ずっと遠くを見る青砥の視線の先がわからなくて、それがきっと寂しかったのだ。

それでも、毎年、内緒でこっそりプレゼントを買っていたしちゃんと渡していた。青砥の気分を害さないように、さり気なく。「昨日友達からもらったんだけど、食べきれないからこのお菓子青砥にあげるね」「実は商店街のくじ引き当たっちゃったんだけど、私使わないからこのゲームあげるね」「お父さんからサッカーのチケットもらったんだ、多義と三人で見に行こうよ」とか。
そんな私の青砥を尊重した行為に対して「もっと普通でいいと思うぞ」と多義は優しく笑ったけれど、「誕生日なんて」といつもの淡々とした口調で言った青砥のことを思えば、とてもじゃないけれど「普通」になんてできなかったし、もはや青砥に対して「普通」に接することもできなくなっていた。
青砥のあの深海のような瞳を見ると、やっぱり寂しくなって、胸がキュウとなった。いつかの青砥みたいに、溺れてしまいそうだと思った。

ところがどっこい。
今年はどうやってプレゼントを渡そうか。一人頭を悩ませていたら、今年はプレデターで合宿をするという。ちょうど、青砥の誕生日だった。どうせ私は盛大に青砥を祝えるわけではない。ポーズとしては「いってらっしゃい」と見送ったが、内心落ち込んだ。
そして帰ってきた青砥と会って、もっと落ち込んだ。



「これなあに?」

青砥と多義が帰ってきたと言うので青砥の家へ遊びに行くと、青砥が珍しく彼の机に飾った絵があった。いや、絵なのかはよくわからなかった。ただ、「スペイン特急」と書かれた文字がやけに目についた。不思議に思って尋ねれば、答えたのは多義だった。「誕生日プレゼントだよ。な、青砥」

「うん」
「プレゼント?」

首を傾げると、青砥はどこか照れたように視線を外した。

「(あ)」

一人ぽっちの海のように揺らいでいたはずの青砥の瞳が、日の光に反射した水面のように、眩しく輝いたのが見えた。

「スペイン……連れてってくれるって」
「スペイン?」
「うん」

スペインと言えば、青砥のお父さんがいると言った。

「(そうか)」

青砥のその嬉しさに色づいた頬を見て、やっと理解した。ずっとひっかかってた。寂しさの正体。

青砥が海のように澄んだ瞳で見ていた遠くは、スペインだったのだ。お父さんのいるという、海の向こう側。
青砥の一番のプレゼントは、お父さんだったのだ。
どうしてずっと気付かなかったのだろう。青砥がお父さんの写真を時々盗み見ていたのも、誕生日にはケーキを買って帰ってくるお母さんをご飯も食べずに待っていることも、全部知っていたのに。
――誕生日なんて大した日じゃないよ。
そう言った青砥が、一年に一度訪れる誕生日よりもずっと、お父さんに会えるいつかを待ち望んでいたことに、どうして気付かなかったのか。

「これ以上のプレゼントは、ないね」

何人かの、隅に描かれた名前を見ながら呟いた。多義の名前もあるから、チームメイトだろうか。いつもチームメイトに頼られていた青砥が、「連れて行ってもらう側」になっているなんて。それがすごく、羨ましい。

「夢子はプレゼント、ないのか?」

気を遣ったのか、多義が尋ねた。
その質問に、首を振るだけで答える。

ないよ。あっても、ないよ。これ以上のプレゼントなんて、ないよ。
だから、あげない。

自分の愚かさに、どうしようもなく情けなくなった。
私の瞳は、青砥みたいに海のような色はしていないけれど、海じゃなくても雫は零れる。睫毛が濡れて、淵に水たまりができた。

「えっ」

青砥の高い声が、驚いたように跳ねた。
当たり前だ。脈絡もなく涙がでるなんて、青砥からしたら驚き以外のなんでもない。
でも睫毛は濡れる。ますます淵に涙がたまるから、瞳が溺れてしまいそう。
青砥も多義もきっと困ってしまうだろうに、それでも出てこようとする涙は意地っ張りだ。


本当は、ずっと、私が一番に青砥を喜ばせてあげたかった。けれどもいつも自己満足で、到底喜ばせてあげれてなかった。青砥の望むものを、あげることなんてできていなかった。傍にいるばかりで、ずっと近くにいたのに。なんにも知らなかった。無知は罪だ。恥ずかしい。自分が。


そんな自分が恥ずかしくて、嫌いで、どうしたって涙が溢れてしまいそうになった。


「……青砥」

不意に忍んだ声が聞こえ視線をあげれば、多義が青砥に耳打ちするのがぼやけた視界の中で見えた。瞬きしたら溜まっていた涙が零れて、少しだけ視界がクリアになった。気まずそうな顔をした青砥が、遠慮気にこちらを覗いた。

「ん」

ポケットをから何かを取り出した青砥が、ぎゅっと握った拳を突き出した。青砥は言葉が少なく時々わかりづらい。けれどこれは受け取れという意味なのだろうとぼんやり理解して、そっと掌を広げて見せた。

シャラ。

掌に、薄桃色と真っ白の、貝殻が転がった。

「……なあにこれ」
「お土産。海行ったから」
「海?」

泳げないくせに、海なんて行ったの。私とは行ってくれなかったのに。

やはり不満げに思いながらも貝殻に視線を落とせば、時々部屋の蛍光灯に反射した貝殻が、色素の薄い青砥の稲穂のような髪の毛みたいだと思った。とても綺麗だった。

「夢子の爪みたいだと思った」

ポツリと、青砥が言葉少なげに言った。
顔を上げると、青砥が眉を寄せて、不安げにこちらを見ていた。
突然泣いてしまったから、困ってしまったのだろう。嗚咽のこぼれそうな呼吸をなんとか整えてから、一度深呼吸をした。

「……私の爪、こんなに綺麗じゃないよ」
「そう?」

青砥が不思議そうに首を傾げる。
そうだよ。こんなに綺麗じゃないよ。
指で涙を拭って、もう一度貝殻を眺めた。やっぱり綺麗で、私には不釣り合いだ。

「青砥、夢子が喜ぶと思って拾ってきたんだよな」
「……そんなんじゃない」

青砥をフォローするような多義に、異議を唱えたようにプイと青砥がそっぽを向いた。

「タギー、サッカーしよう」

突然、青砥は部屋に転がっていたボールを足元で転がして、多義に振り返った。
脈絡ない青砥の提案に、多義がうわずった声を出した。

「え、帰ってきたばっかじゃないか」
「……」

多義の言葉に、青砥は唇を尖らせた。そしてすぐ、一人ボールを持って家を出て行ってしまったのだ。

「しょうがないなあ、青砥は」

多義が呆れたように、けれども慈愛の籠った声で溜息を吐いた。
すぐに青砥の後を追うように、多義が玄関へと足を進めた。

「夢子、行かないのか?」

多義が小さく振りむいた。咄嗟に、それに答えるように俯いてしまった。

「夢子は、どうして泣いたんだ?」
「……」
「寂しかった?」

青砥に会えなくて。

多義が優しく、諭すような音色で尋ねた。

違う。そんなんじゃない。
心の中で一人大きく首を振った。

そんなんじゃない。そんな独りよがりな理由で二人を困らせたかったんじゃない。それに、たった二三日会えなくて泣いてたんじゃ、青砥に合わせる顔がないじゃないか。青砥は、ずっとお父さんに会いたいのに。
ただ、青砥を一番喜ばせてあげれていなかった。それが酷く、寂しかったのだ。

何も言えずにしばらく黙って俯いていると、多義がポケットからハンカチを出して渡してくれた。大人しく受け取って、遠慮気味に頬を叩く。多義はいつも優しい。「……貝殻拾ってる時、青砥が言ってたんだけどな」多義が絵本を読み聞かせるみたいな声で言った。

「僕や夢子がお父さんの代わりに傍にいてくれるから、嬉しいんだって」

もっと、素っ気ない言い方だったけどな。

そう言って多義が照れたように笑った。私を励ますつもりで言ったのだろうけど、多義だってきっと嬉しかったのだろう。多義は青砥が大好きだから。私と一緒。私とは、違う意味だけど。


「だから、お土産拾ってきたんだぞ、青砥。合宿の時も、傍にいたって、しるし。たぶんだけどな」


多義が微笑んだ。その微笑みに、気持ちが掌の貝殻と同じ色になった。

それからもう一度、掌の貝殻に視線を落とした。
薄桃色と白が扇形に色づいて可愛らしい。
これを青砥がせっせと拾っていたのかと思ったら、自然と笑みが零れた。


「行こう。青砥、待ってると思うぞ」

多義が笑いかける。私は小さく頷いて、青砥の元に向かった。


海の傍に転がる貝殻みたい。
私だって、海色の瞳を持った少年の傍に、誕生日とか関係なく、ずっと寄り添っていたいって、そう思ったのだ。







青砥誕生日おめでとう(20130802)

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