今日はあなたに幾つ名前を呼ばれるかしら?
「おい、西園寺は?」
練習の休憩中。スパイクのひもを結び直していたら、足元に影が出来た。同時に降ってくる無愛想な声が、どうしてこうも甘く聞こえるのか。恋は盲目と言うけれど、耳もまた然りかも。
体勢は崩さず、顔だけサッと上げれば、私を見下ろしてる虎太と目が合った。ジッと虎太を見つめると、睨みつけるように威嚇した虎太が私を見る。虎太って、動物みたい。
「『西園寺』はトイレ」
「そうか」
それだけ言うと虎太は竜持や凰壮の元に帰って行った。
「でたでた。虎太くんの『西園寺』攻撃や」
後ろからヌっと出てきたエリカが茶化すように笑った。けれども虎太に聞こえないのだから意味がないだろうに。それでもエリカは面白そうに笑う。恋バナが好きだなんて、エリカは結構女の子らしい。自分では気づいてないみたいだけど。
「今日は何回『西園寺』言うやろなあ」
「なあに、何の話?」
タイミングよく、トイレから帰ってきた玲華が話に入ってきた。
「ああ、玲華ちゃん!」とエリカがぱあっと笑顔を見せる。花が咲いたような、とはよく言ったものだ。エリカの雰囲気が華やいだ気がした。
「なんでもあらへん」
「えー?内緒?」
「せやせや、『西園寺』には内緒」
西園寺?
玲華が、エリカからは珍しい名字呼びに首を傾げた。自慢の長く艶やかな紫がかった髪が肩を撫でる。先ほどまで頭の上で綺麗に丸まっていたのに。解いてしまったのだろうか。個人的には、玲華は髪を下ろしているほうが可愛い気がする。お人形さんみたいで。
「ええからええから。練習戻ろう」
そう言ってグランドに駆けて行くエリカを、玲華が追いかける。仲睦まじいこと。フーと溜息を吐きながらそれを見送る。
それからごく自然に、そっと虎太へ視線をずらすと、見えるのは横顔。いつも、横顔。
熱心に何かを見つめてる。視線なんて辿らなくても分かる。虎太がいつも見ている先は、おんなじなのだ。
サッカーと、それともう一つ。
「西園寺、かあ」
今日は幾つ『西園寺』と呼ぶかしら。
「へい、パスパス!」
竜持から受けたボールをドリブルしながら前線に運んでいくと、右から走りこんできた虎太が必死にアピールしてくる。一瞬だけ視線を送るけれど、パスは出さず、強引に敵陣に切り込んでいく。翔をかわしてゴールを決めようとしたら、横からスライディングしてきた凰壮にあっさりボールを奪われてしまった。ついでにこけた。
「今のはちょっと強引でしたねえ」
敵チームにボールをとられたところでプレーが一時中断される。皆が私と凰壮の周りに集まってきた。
「虎太がフリーだったろ」
凰壮が先ほどのプレーについて指摘すると、虎太が同意するように睨んでくる。
その鋭い視線に、同じように視線を返した。
私には、そんな目ばっかりだ。
「ああ、ごめん。見えてなかった」
「はあ?」
私がブスっとした顔で言うと、虎太がすごんだ声をあげる。
「あれだけ意思表示してる奴が見えなかったって?」
凰壮が訝しげに眉を顰めた。
「だって、ヘイパス、だけじゃ誰に言ってるのかわからないもん」
「ボール持ってるのは一人しかいねえだろ」
お前、喧嘩売ってんのか。
虎太が痛いくらいに睨んでくる。売ってるなら買うぞ、と言っているようだ。
別に、そんなんじゃない。ただ。
ただ。
「ご機嫌斜めですか。何があったかは知りませんが、練習は真面目にやってもらわないと」
竜持が腕を組んで溜息を吐いた。
今日の練習は最悪の雰囲気のまま終わった。私と虎太の険悪さに翔やエリカや多義や玲華はオロオロしてしまって、申し訳ないことをしたなあと思う。(青砥は興味なさそうだったけど)
一人で帰る夕焼けの道はどこか寂しい。
自分でもどうしてあんな態度をとってしまったのかわからない。
ただ、突きつけられる違いに、どうしようもなく腹が立った。
玲華は名前で、私は「おい」なんだ。
それが、そんなちっぽけなことが、どうしようもなく。
「夢子」
知っている声に、ハッとして振り返る。
いたのは、バツの悪そうに眉を顰めた虎太だった。さっき別れたはずの虎太がどうしているんだろう。帰り道はこっちじゃないはずなのに。いや、それよりも、私が思うのは。
「(名前を呼ばれた)」
呼んだ。呼んだ。今日初めて。私の、私の名前。虎太が。
ああ、一回目の呼応が、酷く甘い。
「な、なに……」
「悪かったな」
「え」
虎太が謝ってる?
なんで。今日感じ悪かったのは明らかに私なのに。
謝るなら私の方だ。
「どうして……」
「……仲直りしてこいって」
「え?」
「西園寺が」
あ、また『西園寺』。
「……そう」
「……」
「……私もごめん」
「いや……」
「明日は、真面目にサッカーやる、から」
「ん」
譫言のような台詞。
正直、目の前が真っ暗で。
わかっていたことなのに。何も、今日一日と変わったところなんてなかったのに。一度名前呼ばれただけで、どうしてこんなに浮かれてしまったのか。
どうして一度の『西園寺』がこんなに。
こんなに。
「俺さ……」
虎太の声に、ゆっくりと顔を上げた。
気まずそうに目を逸らした虎太が視界に映る。ジッと見ていたら、虎太がこちらに顔を向けた。
いつも横顔ばかりの虎太の顔が、今日は真正面だ。
「お前のプレー好きだ」
「……」
「だから、なに気に入らねえかは知らねえけどよ。明日は調子取り戻せよ」
「……うん」
うん。
大きく、ゆっくりと、気持ちを込めるように、一度だけ頷いた。
虎太が、下手くそに笑った。
虎太、私、ねえ。『西園寺』が羨ましかったの。
そんなの、知らないでしょう。
虎太は、好きなことばっかり、見てるから。
「じゃあまた明日な、夢子」
今日二回目の、『夢子』。
「また、明日ね。虎太」
帰り道を駆けていく虎太の背中に手を振った。
「『西園寺』のおかげ、だ」
フフ、と自然と、笑みが零れた。
『西園寺』には遠く及ばないけどね。
たった二回の『夢子』で、こんなにも。
こんなにも。
明日は幾つ、名前を呼ばれるかしら。
ももかさま
この度は企画へのご参加どうもありがとうございました!
玲華ちゃんを好きな虎太くんに片想い、ということでしたが、
どうだったでしょうか?少しでもご希望に添えていたでしょうか。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいと思います。
虎太くんと同じ中学通いたいですよね。
虎太くんはいつまでスペインにいるのでしょうか。
中高生な虎太くん夢も書きたいなあと思います。
それでは、リクエストありがとうございました!^^
(2013.06.15)