暑いなあ。
さほど気温は高くない。暦は四月の下旬。春といえど、まだまだ上着は手放せない。熱いのは、直接熱気が顔に当たるからだ。
けれども一番暑そうなのは、黒い鉄板の上でジュウジュウと悲鳴をあげているお肉たちだ。次第に赤から茶に色を変えるお肉から脂が滴ると、悲鳴は一層大きくなる。時々こちらに跳ねた脂が飛び散るので、思わず手を引っ込めて反射的に「熱い!」と叫ぶと、目の前でひたすら箸を進めている三人が一斉にこちらに視線を送った。
鋭い六つの目から睨まれるのは針のむしろだ。取り繕う様にへらっと笑って見せるけれど、三人とも知らん顔して、また何事もなかったかのようにお肉を頬張りだした。三人に見られるにはいちいち緊張する。それはあの鋭い目に萎縮してしまうせいもあるだろうけど、初恋の男の子でもあるからだろうと思った。
どの子かは、未だに分からないけれど。





「お前、俺たちのこと知ってるんだって?」

忘却と捏造を繰り返した頼りない記憶に比べ、まだ鮮明に脳裏に残っている、一週間前の授賞式。
立ちはだかるように横一列に並んだ降矢三兄弟は、同じ形の目をしているはずのに、一人は威嚇するように、一人は品定めするように、そしてもう一人は不審そうに視線を注いできた。三者三様であるけれども、決してどれも好意的なものではなかった。センター分けの子の質問に答えあぐね、壁にしていた母のスカートを不安げに握ると、皺が出来た。

「お、お母さん……」

助けを求め母を見上げるが、有ろうことか「もう、何照れてるの?ちゃんと挨拶しなさいよ」と笑って背中に隠れていた私を三人の前に押し出した。
よろめきながらも三人の前に立ち恐る恐る顔を上げると、壁がなくなった分より強く視線が突き刺さり、思わず生唾を飲み込んだ。こんな風に睨まれることなど、今まで経験したことがない。緊張から目を伏せ、一昨日買った、レースが施された余所行きの純白ワンピースで手汗を拭いた。

「質問に答えろよ」

ドスのきいた声が私の耳を脅して、肩がビクンと一度震えた。

「まあまあ虎太くん、そんな怖がらせなくても」

先ほど降矢さんから一番に紹介された竜持くんという子が、宥めるように虎太くんに微笑んだ。彼はそのまま再び私に視線を戻したけれど、送る目はどこか警戒を含んでいて、一線を引いたものであった。竜持くんに「コタ」と呼ばれたその子は、フンと鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。
「で?どうなの?」と、再度センター分けの子が私に尋ねてきた。「コタ」くんの後のせいか、どこか穏やかな口調に聞こえた。

「……小さい頃に来たパーティーで……一緒に踊ったことがある。でも、私が躍った男の子は一人だったし……その子の顔も思い出せないし、名前も憶えてないから、誰かまでは……。第一、その子が降矢さんの息子さんだって言い出したのは、お母さん、だし」

ましてや三つ子だなんて、思いもしなかったし。と、心の中で独り言。

「あら、間違いないわよ。降矢さんの息子さんだったわよ」
その男の子が夢子と別れた後、降矢さんと手を繋いで帰るところを見たもの。

真偽を疑い責任転嫁するような私の発言に、母は心外だというような声をあげて、そう話した。

「でも、お前ら心当たりないんだろ?」

センター分けの子が竜持くんと「コタ」くんに目配せをして確認をとった。二人とも同じタイミングで大きく頷き、更に竜持くんが「それに、一人だけというのも変な話ですねえ」と顎に手を当てて考えるような素振りをした。

「こういうパーティーには、いつも三人で来ていた気がするんですけど」

そう言われても、私にだってわからない。私にわかるのは、そういう男の子がいたという事実だけだ。それから、その子が私にとっての初恋だった、ということ。
できればその子が一体誰かだったのか知りたいけれど、当人(達)に心当たりがないのではどうしようもない。あの時の記憶を共有している子がいれば、話は簡単だったのだろうけど。

あの時の出来事を大切に想っていたのが私だけだったのかと思うと、どこか寂しい気がした。

「もしかしたら、僕たち四つ子だったのかも」

竜持くんが口元に笑みを浮かべながら、「コタ」くんとセンター分けの子に冗談めいた声で話しかける。一度キョトンとした顔を見せたセンター分けの子が呆れたような溜息を零した後「勘弁してくれよ。これ以上増えたらそれこそ面倒くさいね」と言った。

「ま、とりあえず旧友に自己紹介でもしたらどうですか?」

竜持くんの皮肉めいた提案に一瞬たじろいだけれど、会話している内に幾らか穏やかになった気がする彼らに、小さく頷いた。(事情をきいて警戒心を解いたのかもしれなかったが、真偽のほどは定かではないし、私の気のせいだったのかもしれない)

「夢山夢子、です。同い年」
「僕は先ほど済ませましたよね。はい、じゃあ凰壮くん」
「ん。俺は降矢凰壮。当たり前だけど、竜持と同い年な。よろしく」
「よ、よろしく」

センター分けの子、もとい凰壮くんがニッと笑う。初めて見せてもらった笑顔に、そっと安堵した。

「で、こっちが」
「……」
「虎太くん。挨拶したらどうですか」

竜持くんに促された「コタ」くんが、鋭い目を細めて睨み、舌打ちをした。先ほど緩んだはずの緊張がまたやってくる。私は思わず目を逸らしてしまった。

「降矢虎太だ」
「よ、よろしく……」

窺うように挨拶をしたけれど、虎太くんはまたそっぽを向いてしまって、私も俯き口を噤んでしまった。どうやら、虎太くんには嫌われているらしい。どうしてかはわからないけれど。(また、他の二人から好かれている保証も、どこにもなかった)

「おい、もう行こうぜ」

虎太くんが竜持くんと凰壮くんに声をかけた。「そういえば、缶けりの途中でしたね」と竜持くんが相槌を打ち、歩き出す虎太くんに二人がついて行く。
このようなパーティーに来てまで缶けりに興じるとは、一体何を考えているのだろうか。(というか怒られたりしないのだろうか)。思わず「缶けり……」と呟いてしまった。

「じゃ、そういうことで」
「またね、夢子さん」

また、があるかはわかりませんけど。

「え、あ、の」

このままでは行ってしまう。初恋の男の子が。誰が本人かもわからないまま、ずっと好きだったその子を思い出せないまま、別れしないといけないなんて。そんなの嫌だ。
そうは思ったけれど、最後に鼻で笑ったように呟いた竜持くんの言葉が耳ざわりな会場の音と共に脳内に置き去りにされるばかりで、足は全く動こうとしなかった。
彼の言葉は直接的ではないにしろ、鬱陶しいと突きつけているようで、彼らを引き留めようとする私の意思を消すには充分だった。

「(折角会えたのに)」

素っ気ない。本当に、あの日のことを大切に想っていたのは私だけだったようだ。
思い出は、大人しく宝箱に仕舞っておいた方がよかったのかもしれない。

そう、一人後悔した。



しかしながら、その後悔が活かされないことを痛感させられたのはそれから一週間も経たない内にであった。
本日両親に連れられてやってきたのは、なんと降矢邸。なんでも、庭でバーベキューをするからと、パーティーの時に、家に招待されていたらしいのだ。
父の運転する車に揺られながら、外を眺めると、窓に映った自分と目が合った。どこか苦笑いをしている。恐らく、再びあのように冷たくされてしまうのではないかという不安に陥りながら、初恋の子に再び会えるという高揚感も持っていたからだろう。初恋の男の子がどの子か分からないというのに、変な話だ。どの子に会えるのが楽しみなのだろうか。
しかしながら、もしかしたら、今日こそ初恋の子が誰かわかるかもしれないと、心の隅で期待もしていた。一週間も経っているのだ。誰か、何か思い出してるかもしれないと、安易な考えに淡い想いを抱いた。
けれども、実際降矢邸に赴けば、友好的な笑みを浮かべる降矢さん夫妻とは打って変わって、仏頂面の三人が私たちを出迎えた。

「また、会っちゃいましたねえ」

玄関先で私を見るなり、ため息交じりにそう言ったのは竜持くんだ。挨拶に夢中な両親たちは、私たちの会話など気にも留めていなかった。不躾な対応と咎める人がいないからだろうか、彼らはまた毒を吐く。(咎める人がいてもこの態度を改めるかどうかは、現時点での私の知るところではないのだが)

「面倒くせえよなあ、ガキの子守しないといけないなんてさ」
「こ、子守?」

胸の前で腕を組んでそう言い放った凰壮くんに、思わず面食らったように目を見開いてしまった。ガキとは私のことだろうか。同い年なのに、どうしてガキだの子守だの言われないといけないのか。(あとから聞いた話だが、三人は母親から私の相手をするように仰せつかっていたらしかった。だからと言ってもこの言い方はおかしいのだが)
不遜な彼の態度に怯えながら、二人の隣で眼光を鋭くしている虎太くんが視界に入れば、ますます萎縮してしまう。どうして私は、少しでも彼らに会うことを楽しみにしていたのだろうか。結局、一週間前と同じ、恐い思いをしているではないか。学習という言葉を知らないのか。

「ま、精々迷惑かけないでくださいね。夢子さん」



そして現在。サッカーゴールの置いてある、やけに広大な庭に広げたテーブルに座った両親たちは数学談義で忙しいのだろうか、何かを真剣に議論しているかと思えば時々笑い声があがって、実に楽しそうだ。焼き肉なんてそっちのけ。代わりと言うように、鉄板の周りを囲んだ私たち、特に虎太くんが驚くようなスピードでお肉を消費していく。折角凰壮くんが育てていたお肉も横取りされたらしく「おい、虎太。お前も少しは焼けよ」と不服そうに眉を顰めていた。更にその隣で我関せずといった竜持くんが、黙々と鉄板の上のお肉を口の中に片づけている。結構な量を食べているように見えるのだが、がっついてるようには見えず、上品にすら見えた。

「竜持くん、ちょっと」

話に夢中だったはずの降矢さんがふと、竜持くんを呼んだ。ちら、と視線をだけで返事をした竜持くんは、口の中のお肉をゆっくり咀嚼し飲み込んでから降矢さんの方に寄っていった。親たちの机の傍まで言った竜持くんは、降矢さんの隣に立って私の父の言葉に頷いたりして耳を傾けだし、会話に参加させられているようだった。(竜持くんが父たちの会話について行けるのか、私には甚だ疑問だったけれど)
竜持くんがいなくなったことで取り分が増えたのか、虎太くんと凰壮くんの焼き肉争奪戦は一時終戦を迎え、それぞれ鉄板の領地を半分に分け独立してお肉を育て始める。
こう自分のお肉は自分のものと区切られてしまっては図々しくお肉を突くのは躊躇われる。別に勝手に焼けばいいだけの話なのだが、お呼ばれされている立場だからなんとなく勝手するのは躊躇われるし、なにより私の一挙一動に反応する三人の目が怖くて鉄板の前で縮こまることしかできなかった。

「夢子」

名前を呼ばれて顔を上げたら、凰壮くんがトングで掴んだお肉を私の前に差し出していた。

「皿出せよ」
「あ、ああ、はい」

凰壮くんの方にお皿を差し出すと、ヒョイヒョイと鉄板の上のお肉を乗せてくれた。

「……ありがとう」
「目の前でひもじい顔されてもうっとおしいからな」

口の端を上げて笑う凰壮くんは、嫌味な言い方なのだけれど、あまり不快感はなかった。今日会った時には「ガキの子守」なんて言い方していたけれど、元より面倒見のいい性格なのかもしれないなあ。
凰壮くんの焼いてくれたお肉を頬張る。う。美味しい。咀嚼しながら降矢邸を見上げると随分大きい。これだけ大きい家なのだ、きっといいお肉を使っているんだろう。

「お、美味しいね」

先ほどまで蛇に睨まれた蛙の如く縮こまっていた私だけれど、思い切って話しかけてみた。もしかしたら、案外優しい人なのかもしれない。素っ気ないし話し方もきついしちょっと怖いけど、そういえば凰壮くんは自己紹介の時に「よろしく」と言ってくれていた。
私の言葉に「普通だろ」と返す凰壮くんに「そっかあ」と笑みを返すと、その隣で虎太くんがまたジロリと睨むので、慌てて顔を伏せた。
虎太くんは相変わらず怖い。
その視線から逃げるように、一歩後ろへ後ずさると、突然何かにぶつかった。

「わ」

降矢くんたちのおばさんの声がしたのと同時に、私の足が思い切りよろめく。
なんとか踏みとどまってホッとしたのも束の間、背中に冷たいものがあたって、服が貼りつく感覚がした。驚いて反射的に視線を向かわせると、ストライプシャツから黒いスカートにかけて、茶色のシミが広がっていた。

「ごめん、怪我してない?」

すぐにおばさんが私の肩を掴む。迫力に気圧されて何度も首を縦に振ると、一瞬安堵の表情を浮かべてから「あーあ、ごめんね。汚れちゃった」と私の服を触った。この匂い、どうやら焼き肉のたれらしい。

「すぐに脱いで、洗濯するから」
「え?」

おばさんに手を引かれ、家の方へ連れて行かれる。

「あ、竜持。あんたの服貸してあげなさい」

ふと足を止めたおばさんが振り向いて、竜持くんにそう指示した。おばさんの視線を追うように一緒に振り向いて竜持くんを見ると、ちょっとおかしそうにニヤニヤしていたのが途端に驚きの表情に代わり、「え?僕ですか?」と異議を唱えた。

「別に僕じゃなくても」
「つべこべ言わない。早く!」
「……はあい」

一瞬口を尖がらせた竜持くんが、父たちの元から席を外し、リビングらしきところの窓から家の中に上がっていった。

「竜持のやつ、ビンボーくじだ」

本人に聞こえていないのに、からかうような凰壮くんの独り言を聞きながら、私もおばさんに連れられて玄関から家の中にお邪魔した。



やけに広い脱衣所でシャツとスカートを脱がされ、下着姿にさせられる。洗濯機を回しながらおばさんが「肌にもついちゃったね。お風呂も入る?」と尋ねてきた。慌てて首を横に振って否定の意を示す。初めて尋ねた家でお風呂だなんてとんでもない。それよりも、早く服を着たい。いくら同性で相手は女の人と言っても、初対面の人の前で一方的に下着姿を晒すのは、恥ずかしいことこの上ない。
おばさんは絞ったタオルでタレくさい私の身体を拭いてくれた。されるがままにされていると、脱衣所の向こうから「母さん」と扉越しに呼ぶ竜持くんの声がした。思わず息を止める。

「服、持ってきましたけど」
「ああ、ありがと。そこに置いておいて」

返事はなかったけれど、足音が遠のいていくのが聞こえて、止めてた息を「はー」と吐き出した。扉一枚挟んだところに竜持くんがいると思ったら、少しだけ緊張してしまった。何しろ今の私の格好はとてもじゃないけれど見せられたものではなかった。
おばさんは竜持くんの置いていった服を取って私に差し出した。

「ごめんね、男の子ものだけど」
「いいえ、ありがとうございます……」

竜持くんが貸してくれたのは緑の長袖に黒っぽいジーパンだった。
どこか華奢に見えた竜持くんだけど、実際着てみれば袖は余る。同学年の男の子に比べれば頭一つ飛び出た身長をしているのだから、当たり前だ。ジーパンも裾が余って折ったのだけれど、その割には腿のところが少しきつく、思わず眉を顰めた。いつも思ってたけど、男子って、女子より足が細い気がする。なんとなく。(単純に私の腿の肉付きの話かもしれないが)
もし、竜持くんが初恋の男の子だったら。私は今、とんでもないことをしている気がする。鉄板の熱気で火照った頬はだいぶ冷めたはずなのに、また熱くなった。

着替えをすませ、おばさんと皆の元に戻ると、竜持くんの服を身に纏う私を見た凰壮くんが「お。竜持が帰って来たぞ」とやはり茶化したように言った。

「凰壮くんが貸してあげればよかったのに」

凰壮くんの隣でお肉を焼いていた竜持くんが不満げな声をあげた。父たちの元へは戻らなかったらしい。

「ごめんね、竜持くん。ちゃんと洗って返すから」
「それはよかったです。ちゃんと洗って返してくれる礼儀を持ち合わせていくれているようで」

ニッコリと満面の笑みを見せた竜持くんは、よかったとは言っているが、明らかに皮肉った物言いをしていた。竜持くんの服を借りたことへの申し訳なさが圧し掛かる。
竜持くんから逃げるため、慌ててお皿を手に取って、先ほどのお肉を頬張り、食事に夢中になってるフリをしたが、先ほどみたいに美味しさは感じられなかった。きっと冷めてしまったからだ。
今日こそ初恋の男の子がはっきりするのではないかという小さな期待も、泡となり消えてしまった。これでは突き止めるどころか手がかりだって得られないし、得られたところで素っ気なくされることには変わりない。もはや真相は闇の中のままでもいいかもしれないと思った。

はあ、と一つ溜息を吐く。
それを見たおばさんが「もう、あんたたち、少しは仲良くしたらどうなの」と呆れたような声を出した。

「これから一緒に住むんだから」
「え」

おばさんの言葉に、私だけではない、三人も同時に顔を上げて素っ頓狂な声をあげた。三人のこんな間抜けな声、後にも先にもこれだけだったかもしれない。

「ど」
「どういうことだよ」

訳を聞こうと口を開いた凰壮くんにかぶせるように、虎太くんの問い詰めるような声が飛んできた。
攻撃的な声に、思わず肩を揺らす。さっきまで無口だったのに。

「どういうこともなにも、言葉の通り。再来週から家に住むことになったんだよ、夢子ちゃん」

降矢くんのおばさんが、ニコッと笑った。虎太くんとも竜持くんとも凰壮くんとも似ていないその爽やかな笑みに、私たちは開いた口が塞がらなかった。
つまり、どういうこと。




(2013.06.12)

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