その部屋に決して入ってはいけないと、厳しく言い聞かせられたのは一昨日の昼の話。依然、その部屋は私たち子供の前に「禁断の間」として立ちはだかり、禍々しい空気を放っている。だからこそ、そこに取り残された仲間を思うと、どうしたって後ろ髪をひかれる思いになる。

だって今日は、大切な幼馴染たちの一年に一度しか来ない、大切な大切な誕生日なのだ。
それなのに。



「虎太の熱下がった?」
「まだです」
「今日も寝込んでるぜ」

五月は二十三日。爽やかな朝。快晴。はしゃぐ小学生に交じって、竜持、凰壮と三人並んで学校に登校する通学路。どこか空気は重い。
いつもいる筈の人間の不在に物足りなさを感じながら溜息を吐いた。

怪我ばかりで滅多に病気なんてしない虎太が風邪を引いて三日目。どうもこじらせてしまったらしく、なかなか熱が引かないようだ。このところ、気温の寒暖差が激しかったせいもあるだろう。朝のランニングを欠かさない虎太は、健康体そのものだったのに。まるで、今まで跳ね除けてきた病原菌が猛攻をしかけてきたかのよう。病気に喘ぐ虎太を想像し、また溜息が漏れた。

「虎太くん、病気しない分耐性がないんでしょうねえ」
「夜中じゅう、唸り声が聞こえるよな」

兄の身を案じた竜持と凰壮が頷き合う。
私たちに風邪がうつらないように、虎太の寝ている部屋には近づいてはいけないと凰壮たちのお母さんに言いつけられてから、私たちは虎太に会っていない。普段の竜持や凰壮なら大人の言いつけなんて知ったこっちゃないだろうが、相手がおばさんになると話は別だ。おばさんの制裁は容赦ない。特に凰壮は、おばさん相手になると滅法弱かった。

晴れ晴れとした空を見上げる。今日は雲がなく、青々とした空がとても綺麗だ。
本当だったら、今日は最高の日になるはずだったのに。たった一人欠けただけで、こんなに寂しくなるなんて。
これじゃあ、折角の三人の誕生日が台無しだ。

「仕方がないですよ」

私の気持ちを察したかのような竜持の声が聞こえた。

「予行練習だと思えばいいじゃないですか」
「なんの?」
「いつか来るお別れの」
「何それ」

竜持があっけらかんと、悲しいことを言った。思わず眉を顰めてしまう。
虎太がいない誕生日を過ごさないといけないことでただでさえ寂しい思いをしているというのに、どうして追い打ちをかけるようなことを言うのだろうか。竜持の言うことはほとんどが正論だが、配慮に欠けたものも多かった。

「だって、僕たちこれからも仲良こよしで一生を過ごすわけにはいかないでしょう?それとも、夢子さんはそれをご希望で?おめでたい頭ですねえ」
「べ、別にそうは思ってないけど、でも、そんな言い方することないじゃん」
「おい、やめろよお前ら」

いつもは喧嘩相手の凰壮が、珍しく仲裁役として割り込んでくる。(とは言っても、険悪な空気になった時ほど、こういう役目をするのは凰壮だった)

「だって、竜持が」

喧嘩両成敗だという言葉があるが、明らかに今回突っかかってきたのは竜持のほうだ。竜持が悪い。私は弱弱しくも不満げな声をあげ、凰壮に同意を求めるように視線を送った。が、凰壮は「どっちもどっちだろ」と呆れたように溜息を吐いた。
こういう時凰壮は決してどちらかの味方をすることはない。どちらか一方の味方をして、どちらか一方から反感を買うのが、面倒くさいのかもしれなかった。
けれど最終的にはやはり虎太や竜持の肩を持つことの方が多く、二人と一緒になって「少しは反省しろよ」とか私を責めるようなことを言うことも少なくはなかった。完全に私の味方をしてくれたことは一度もない。もしかしたら、私に喧嘩を売るためだけに二人の肩を持つのかもしれない。凰壮は、すぐ私を「ブス」とか馬鹿にして怒らせる。そうして結局、凰壮と他愛のない口喧嘩が始まるのだ。

「あーあ、つまんないの」

虎太がいないとつまらない。みんな一緒じゃないと。
二人との会話もそこそこに、今まさに病気にもがき苦しんでいるだろう幼馴染のことを思って、今日何度目かわからない溜息を吐いた。




「なにしてんだよ」

昼休み。一人せっせとルーズリーフにペンを走らす私に、凰壮が声をかけてきた。いつもだったら虎太や竜持と外へ遊びに行ってしまうのに。虎太がいないと、どこかまとまりがなくなってしまう。それは、いつだって虎太が真っ先に私たちを先導して飛び出すからなのだけれど。

「ノート、虎太の分写してるの」
「虎太の分なら竜持がコピーとるって言ってたけど?」
「……」

凰壮の言葉を聞いて、忙しなく走らせていたペンをコロンと机に放った。

「お前ってさあ」

凰壮がどこか気怠げに、私の前の席に腰掛けた。背もたれを前に、椅子を跨ぐように座った凰壮は、頬杖をついてぼんやりと、先ほどまで私が書き写していたルーズリーフに視線を落とす。
騒がしい教室。廊下やグラウンドからもはしゃぐ子供の高い声が聞こえる。上履きが床を叩く足音も。ボールが跳ねるときに上げる低い音も。けれども、そういった全てが、凰壮を前にするとなぜか小さくなってしまうから不思議。
凰壮にばっかり、目も耳も向けてしまうのだ。

「本当、虎太贔屓だよなあ」

凰壮がルーズリーフを手に取って、団扇のようにヒラヒラと扇いで見せた。

「そうかな」
「そう」

自信あり気に、凰壮が頷く。

凰壮だって、兄弟贔屓しているくせに。
それに、どちらかと言えば、私はきっと凰壮贔屓だと思う。心持ち的に。
けれどもそんなこと口が裂けたって言えやしないし、凰壮に自分の恋心を悟られないようにとしばしば冷たく接することもあったので、凰壮は感じ悪く思っていたのかもしれない。それは私にとっても、ひどく不本意なことである。

「今日だってそうじゃん」
「今日?」
「つまんねーつまんねーってさ、落ち込んで」
「そりゃあ……」

そりゃあ、誕生日だし。三人の。

今年の誕生日はどう祝ってやろうかと、一か月も前から思案していた。だって一日に三人も誕生日の人間がいるのだ。気合が入らずにはいられない。誕生日を忘れたふりをしてみたり、サンタクロースの名前でプレゼントを宅配してみたりと、毎年何かとサプライズをしかけるのが恒例だった。今年は三人が練習に行っている間に部屋に忍び込んで、宝探し風にプレゼントを隠しておこうと計画していたのだ。
けれども、もはやそのような陽気なことをするテンションではない。とにかく今は、虎太が早く元気になりますように、とそればかり考えてしまう。
つまんないよ。折角楽しみにしてたのに。虎太がいないんだもん。
私は、三人に、喜んでほしかったのに。
それが叶わないばかりか、一人は折角の誕生日に熱にうなされ大好きなサッカーもできずベッドに閉じ込められているのかと思うと、落ち込まずにはいられない。

それは贔屓でもなんでもなく、平等に幼馴染を想えばこその感情であった。

「別に、虎太贔屓してるのが悪いって言ってるんじゃねえぞ。三つ子だからって一色単に扱われるよりずっといいしな」

だから、贔屓なんてしてないのに。

「でもさあ」

私の頭の中の反論なんて知らない凰壮が、普段から鋭い目を更に細めながら、話を進める。

「うん?」
「俺も竜持も、今日誕生日なんだぜ?」
「……うん?」
「つまんねーって言われたら、俺たちだって面白くねえじゃん」
「……」

凰壮の言葉に、思わずハッとした。
平等に扱っているつもりだった。平等に想っているつもりだった。
けれど、そのせいで、二人の誕生日まで台無しにしてしまうのは、とても愚かな行為だった。
もちろん、竜持や凰壮だって、虎太がいなくて、いい気がしているはずがない。ぶっきらぼうなことばかり言ってはいるが、案外兄弟想いな奴らなのだ。竜持なんて朝はあんな冷たいことを言っていたけれど、強がりな竜持が時折見せるお得意の虚勢と言えばソレに間違いなかった。
しかし、だからと言って私までもが二人の誕生日をないがしろにしていいはずもない。
私の役目は皆と一緒になって落ち込むことではなくて、どうしたら虎太も竜持も凰壮も、三人が誕生日を楽しく過ごせるか考えることではなかったのか。
サプライズを考えるのが、あんなに好きなのに。そんなことも思いつかないなんて。
やっぱり私は、凰壮の言うように、馬鹿なのかもしれない。

誕生日は、人に祝ってもらえるからこそ、生まれたことに感謝できるのに。
私が祝ってあげなくて、どうするんだ。


ジッと黙ってそんなことを考えていると、目の前の凰壮が少しだけ表情を陰らせた。
返事をしなかったのを、感じ悪く思ったのかもしれない。慌てて弁解しようと口を開けば「夢子もさあ」と続けた凰壮の言葉に遮られてしまう。
仕方がないので、凰壮の次の言葉を待つことにした。

「俺たちは三人揃ってないと意味がないって、思ってんの?」

凰壮が不機嫌そうに口をへの字に曲げた。
いつもは余裕そうに笑っている凰壮だけれど、時々、こうやって拗ねたような顔を見せることがあった。自分が理不尽だと感じたことに、意を唱えずにはいられない性質なのである。

「……っていうか」

私が言葉を返すと、凰壮は静かに耳を傾けた。

「四人じゃないとダメって、思ってる……」
「……」

竜持の言う通り、いつまでも仲良こよしでいられるわけじゃない。
いつかは離れる日がくることも知っている。それがわからないほど、もう子供でもなくなってしまった。それが、今は少し寂しいけど。
凰壮と口喧嘩して、竜持にからかわれて、虎太に甘えて。そういう関係が、ずっと続けばいいと思う。こうやって、毎日傍にいられなくなったとしても。時々会った時に、いつでもいつもの幼馴染に戻れたら、それは幸せなことだって。
私は、虎太も竜持も凰壮も大事。だから、ずっと、このままでいられたらなあって。
「だから凰壮くんとなんにも進展しないんですよ」なんて、また竜持に怒られるかもしれないけど。

「四人でお祝いしたかっただけなの」
「……」
「……気分悪くして、ごめん」
「……」
「……凰壮?」

返事のない凰壮を恐る恐る覗き込む。凰壮はそっぽを向いてしまって、やっぱりへそを曲げさせてしまったのかもしれないと、ばれないように溜息を吐いた。

「そういう意味で、聞いたんじゃなかったんだけど……」

小さく凰壮が何か呟いた。聞き返したけれど、「なんでもない」とはぐらかされた。
予鈴が鳴る。納まらない騒がしさが、少しずつ教室に戻ってくる。
凰壮も、自分の席へと戻っていった。背を向けた凰壮を、席に着いたまま見送る。
どこか、凰壮の耳が赤くなっている気がした。




放課後、家に帰ってから部屋のクローゼットを漁る。
確かここにあったはず、と薄い記憶を頼りに目当てのものを探せば、数分もしない内に発見した。けれどもそれは本来の機能を果たしておらず(無理もない、ずっと暗い場所で眠っていたのだから)、私はそれを動かすための源、電池を買いに出かけた。



それから更に数時間後、竜持と凰壮がサッカーの練習から帰ってきたのを部屋から見つけ、急いで降矢家に駈け出していく。二人が門の中に入ろうとするところで声をかけた。

「おかえり!」
「おう」
「夢子さん、どうしたんですか?慌てて」

二人の横に並んで歩き出す。三人で門から降矢家へ続く道を歩いた。

「これ、二人の部屋に置かせてほしいと思って」

私は先ほどクローゼットから発掘したものを二人に差し出した。

「ん?」
「デジタル時計、ですか?」

竜持は私からそれを受け取ってしげしげと眺める。
どうしてこれを渡されたのか、未だによくわかっていないようだった。凰壮も同じように、不思議そうに覗き込んだ。

「おい、これ時間遅れてるぞ」
「ああ、そうですね。というか、丸一日遅れてますけど」

日付と時刻が表示されるタイプのそのデジタル時計は、今の時刻を示しておきながら、日付だけはまだ昨日の二十二日を表示していた。

「うん、だからね、まだ二十二日」

竜持と凰壮が、二人して私に視線を送った。
どういうこと?と問いかけるような視線。
ちょっとだけ、緊張する。

馬鹿なことだって、思われないか。
酷いことだって、思われないか。


「だから、誕生日は、まだ、明日って、いう……」
「……」
「……」

こんなことしても、世界中に二十三日がまた明日も訪れるなんてことはありはしない。どう足掻いたって、明日は二十四日だし、二十三日はもうやってこない。
けれども、やっぱり、私は三人に喜んでほしい。
竜持や凰壮の誕生日をないがしろになんてしたくないし、虎太だって、仲間はずれにしたくなかった。
だから、虎太が元気になったら、また二十三日を三人で過ごしたいと考えたのだ。
取りようによっては、二人の誕生日をなかったこととして扱ったと思われてしまうかもしれない。それを、酷いことだと感じてしまうかもしれない。
でも、今の私では、これ以外に思いつかなかったのだ。

ダメかなあ?と、反応を示さない二人に、伺うように尋ねる。

「……ダメも何も」

しばらく黙っていた竜持が呟いた。

「まだ今日は二十二日でしょう?」

そう言って時計を見てフッと笑った。

「明日には、虎太。良くなるといいな」
なんたって折角の誕生日なんだし。

続けて凰壮が可笑しそうに笑った。

拙い私の提案を笑ってくれた二人に、緊張していた気持ちが安堵に変わっていく。


ああ、私は、やっぱり四人でいるのが好き。
心からそう思った。

「これからさ、虎太んとこ行こうぜ。明日までによくなれよって発破かけにさ」
「そうですねえ、そうしましょう」
「凰壮、おばさんに怒られても平気なの?」
「ばれなきゃ平気だって」




明日には、虎太、元気になってくれるといいなあ。
そうしたら、今日の誕生日、明日みんなでお祝いできるね。
ケーキを買って。プレゼントをあげて。写真もたくさん撮りたいな。
最高に三人の誕生日を祝いたい。


いつか、みんな一緒に、が出来なくなる日がくるなら、みんな一緒に、が出来る今を、私は大切にしたいって、そう思うのだ。




虎太くんが でて な (ry (2013.05.23)

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