暦よりも少しだけ早く梅雨入りした五月下旬の放課後。先ほどまで曖昧だった空がご機嫌悪く、いつの間にか雨模様になっていた。委員会で遅くさえならなければ、曇りの内に帰れたのに。今日は運悪く傘を忘れてしまった。
友達はみんな帰ってしまったから、誰かに入れてもらうことも叶わない。別に濡れて帰ってもいいのだけれど、ランドセルの中の教科書が濡れてしまうのは忍びないと、靴箱の前で溜息を吐いた。
しばしの間雨宿りでもしようかしら。
けれども、一向に止む気配がなかったので、それが得策ではないことをすぐに悟る。

今日はツイていない。
朝寝坊して走って登校したら校門前で盛大に転んでしまった。ソレをクラスメイトに目撃されていたらしく、朝から教室内で笑い者にされた。三時間目の音楽では、リコーダーのテストなのに肝心のリコーダーを忘れてしまった。先生には怒られた上に、一人だけ歌のテストにされた。給食の時間は楽しみにとっておいたデザートを床にぶちまけてしまうし、掃除の時間はバケツをひっくり返した。
何をやってもダメな日は、何をやってもダメなのだ。

現に、今日の最大の目標を、私は達成できなかったのだった。

「はあ……」
「お前、なにしてんだ」
「ぎゃ!」

突然声をかけられて振り向いたら、不思議そうに私の顔を覗き込むクラスメイト、虎太くんと目が合った。
驚いて思わず後ずさる。

「こ、虎太くん、帰ってなかったの……?」
「ああ、先生に呼ばれてて」
「そ、そうなんだあ……」

どうしよう、と心臓がバクバク鳴る。まさかこんなタイミングで虎太くんに会うとは思わなかったからだ。私は止まない雨を気にする素振りをしながら、意識は虎太くんの靴箱にばかり行ってしまっていた。
虎太くんが靴箱を開ける。
「なんだこれ」と不思議そうな声がして、ドキンと心臓が一層大きく鳴った。至極平静を装いながら「どうしたの?」と小さく尋ねた。

「なんか入ってる」
「へ、へえ。なんか、って?」

虎太くんは、靴箱の中の小さな包みを取り出して見せて、訝しげにそれを眺めた。しばらくしてから、包みを開けて、中を暴く。
その様子を、私は緊張しながら見守った。
実は、虎太くんの靴箱に包みを入れたのは、私だった。今日は虎太くんの誕生日だったので、プレゼントを用意してきたのだ。絶対に本人に手渡しするんだ、と昨日までは意気込んでいたものの、いざ当日になれば私のちっぽけな勇気なんて無残にも散り、結局人気のなくなった放課後、靴箱にこっそりと忍ばせるはめになった。翌日、誕生日を過ぎた虎太くんに見つけてもらおうと思って。名無しのプレゼントを。
この、意気地なし。
そっと、自分を詰った。
(それにしても、靴箱の忍ばせた時に虎太くんの外履きがまだあることに気付くべきだった。緊張してそれどころにではなかったにせよ、やはり間抜けだ)

「クッキーだ」
「そ、そっかー」
「……」

虎太くんは黙ったまま包みをしげしげと見つめていた。
名前も分からない人間から食べ物を贈られて気味悪がっているのかも、と今更ながらにハッとした。せめて、好意的な手紙でもつけていればよかった。ああ、私の馬鹿。昨日、寝坊という対価を払ってまで一生懸命作ったクッキーは、可哀想にゴミ箱の中で永眠するかもしれない。私の気持ちと一緒に。

けれども虎太くんはそのクッキーをランドセルの中にしまって、代わりにランドセルの中から折り畳みの傘を出した。

「お前、帰らねーの?」

傘を開きながら、虎太くんが尋ねた。

「……傘、忘れちゃって」
「ふーん……」

傘を組み立て終わった虎太くんが雨の中に歩き出す。雨粒が傘に当たる音がする。地面を叩くより、少し鈍い音。
ああ、虎太くんが帰っちゃう。プレゼントも直接渡せなかったのだから、せめて「おめでとう」ぐらいは言いたいのに。そうは思っても、モタモタするばかりで、声をかける勇気はなかった。
けれども虎太くんは昇降口の前に立ったまま、動かない。ぼんやり空を眺めたり、うろうろしたり。どうしたんだろう、と思って首を傾げていたら、今度は私に振り返って「帰らねーの?」と先ほどと同じ質問をもう一度投げた。

「えっと……だから、傘が……」
「……入れてやるよ」
「え?」
お前、そのままずっとそこにいるわけにもいかねえだろ。

口を拗ねたように曲げた虎太くんがぶっきらぼうに言った。

「えっと、いいの……?」

遠慮がちに確認すれば、虎太くんはそっぽを向いて「うん」と一度小さく頷いた後、もう一度私に視線を送り「クッキーのお礼」と呟いたので、私は面食らったように驚いてしまった。

「え!なんで私って!」
「クッキー、割れてたし。粉々のもあった」
「あ」

朝、転んだせいだ。手提げかばんに入れていたクッキーは、一緒にいれていた水筒とコンクリートに挟まれて割れてしまっていたらしい。朝教室で笑い者にされたことを思い出して、また居たたまれない気持ちになった。
それにしても、こんなことなら確認しておけばよかった。そんなものを虎太くんにあげてしまっただなんて、恥ずかしい。そして、先ほどクッキーを見つけた虎太くんに、知らんぷりして接していたのも、あまりに滑稽で恥ずかしく思った。

「あれ、誕生日プレゼント?」
「う、うん……」

俯き加減で答える。ソロソロと、伺うように虎太くんに視線を向けたら、それに気付いた虎太くんがニッと、時々見せる顔で笑った。

「……サンキュウな」
「……ううん。誕生日、おめでと」
「ああ」

嬉しくって、先ほどまで自分を恥じていたことも忘れ、つられて笑ってしまった。
早く来いよ、と虎太くんが声をかけたので、急いで虎太くんのところに駆けて行く。「今度は転ぶなよ」と虎太くんが冗談めいた。

「クッキー、竜持も凰壮も喜ぶぜ」
「え」
「ん?」
「あ、いや、なんでも」

そうか、今日誕生日なのは、虎太くんだけじゃないものね。三人分のプレゼントだって、思ったのかな。

あんまり虎太くんには私の気持ち伝わらなかったみたい。
まあいいや。クッキーの贈り主が私だってことに気付いてくれただけで、とても幸運なことだもの。

「ありがと、虎太くん」
「ん?何が」


私に気付いてくれて。


「……傘に、いれてくれて」


今日はツイテるなあ。



(2013.05.23)

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