腑に落ちない。

「おや、お帰りなさい、夢子さん。凰壮くん、喜んでいました?」
「……いいえ、全く」

凰壮にお弁当を届けてから真っ直ぐ降矢家に戻った。玄関を開けた竜持は愉快そうな笑みを見せてそう尋ねたけれど、対する私は酷いふくれっ面だったと思う。今朝の元気とは打って変わって、消え入りそうな「お邪魔します」と共に力なく脱いだ靴が足の指に引っかかって裏側にひっくり返った。
決して軽くない足取りで、行き慣れたリビングに足を進める。もはや定位置のようになっていたソファーの真ん中に、静かに腰を下ろした。傍にあった、ソファーとお揃いの色をした真っ白いクッションを無造作に抱きしめて、顔を埋める。そのまま、重力に引っ張られるように、上半身を横に倒して寝転んだ。

「おやおや、随分構ってちゃんになって帰ってきましたねえ」

片方の口の端を吊り上げて、意地の悪い顔で笑う竜持が、私の横に座った。

「竜持がお弁当届けろなんて言うから……」
「なにふて腐れてるんですか。また喧嘩したんですか?僕はお弁当を届けてくれと頼んだだけで、喧嘩しろとまでは頼んでませんよ」
「喧嘩なんてしてないもん」

竜持を睨むように視線を送ってから、気怠い動作で起き上がった。改めて、目線の高さが一緒になった竜持を一睨みする。竜持は一瞬キョトンとした顔をしたが、すぐにまた笑みを作って「なら僕が相談されることなんて何一つないですね」と立ち上がってどこかに行こうとする。「え、ちょっと待って」と慌てて竜持の袖を掴むと「人にものを頼むときは?」と上から見下すような竜持の視線が降ってきて、思わずたじろいだ。

「愚痴を……聞いてください」
「しょうがないですねえ。僕本当は忙しいんですけど、特別に、聞いてあげないこともないですよ」
「(また恩着せがましく……)」

フフン、と得意気に鼻を鳴らす竜持に、心の中で毒づいた。内心腹立たしく思いながらも、私の話を聞いてくれて私も遠慮なんていらない相手は、竜持くらいしか思いつかないのだから仕方がない。凹まされたりからかわれたりすることばかりだけれど。

「凰壮くんには……ファンがいるらしいです」
「距離ができた呼び方ですねえ。それにしても……へえ、凰壮くんファンがいるんですか。それは面白……面白い話ですね」

ニヤニヤと笑う竜持が、顎に手を添える。
というか、わざわざ言い直した意味はなんだったのか。ツッコもうとしたけれど、そんな気分でもなかった。

「あとね、可愛いマネージャーと仲良くしてた」
「マネージャー?」
「うん。そのくせ、私には冷たくって……折角お弁当届けてあげたのに」
「まあ、部活中だったんでしょう?練習そっちのけでいちゃつかれても困りものだと思いますがね」
「わ、分かってるよ!」

ムキになる様に顔を思い切り上げて、竜持を見る。抱きしめていたクッションを、更にきつく抱きしめた。

「分かってるけど……あんまり……気分のいいものじゃない」

私のことは無碍に扱うのに、他の子には優しくするのは。
夏に見た、二人を思い出す。街中を並んで歩いていた二人。彼女の荷物を凰壮が持ってあげていた。凰壮は口も悪いし態度もでかいけど、誰にだって分け隔てなく接する性格だっていうのは知っている。マネージャーの荷物を持ってあげるのだって、凰壮にとっては大した意味はないのだろうし、そういうさり気なく優しい凰壮だから好きになったのだと、理屈ではわかっている。分かっている、けれど、理屈では説明のできない感情で、少しだけ気が落ちてしまう。他の子と親しくする凰壮が瞼の裏にチラつく。
女の子扱いなんてしてくれないし、時々冷たくあしらわれてしまうこともあるけれど、凰壮が私にどれだけ優しくしているか知っているのに、それだけじゃ物足りないというのだろうか。足りない足りない、と欲張っているのだろうか。それは、私の我儘でしかない。我慢すべきことだ。いや、我慢すること自体、おかしな話である。本来、有るべきではない感情なのだ。こんな、欲張りで自己中な感情。こんな、つまんないことで嫉妬するなんて。
前にも、こんな嫉妬をしたことがある。そうだ、小学生の時のバレンタイン。あの時は、凰壮だけじゃなくて、竜持と虎太にもだったけど。今回は、幼馴染として妬いたあの時とはまた違う種類の嫉妬だ。そうだとしても、成長しないなあと一人溜息を吐いた。あと何回こんな利己的な嫉妬を繰り返せばいいのだろう。
恋人になったといっても、まだ手しか握ったことのない私たちの仲は、ほとんど進展していない。それが不安となって私に迫ってくる。それが、つまらない嫉妬も引き起こしてしまうのだろう。余裕が、ないから。

私たちはまだ、恋人という称号を得ただけで、実質、幼馴染という立場から何も変わってなどいないのだ。

「ま、お互い様だとは思いますがね」

竜持が、呆れたように溜息を吐いた。
思わず眉を顰めて竜持を見る。お互いさまって?と尋ねると「虎太くんのことですよ」と、どこか冷たい視線で私を見下げる竜持と目が合った。

「虎太?」
「あんまり仲良くすると、凰壮くんも気分よくないんじゃないですか?」
「でも、虎太は幼馴染だし……それに凰壮は……あんまりそういうの気にしないと思うけど……」

虎太に対する態度は昔から変わらない。十年間ずっと。それを今更どうこう思ったりすることもないだろう。それに、凰壮はあんまりヤキモチ妬くタイプでもないと思う。あんな飄々とした人間が。嫉妬とは、縁遠い性格だろう。

「ま、夢子さんがそう思ってるならそれでいいですけどね」

竜持は立ち上がってキッチンへ向かう。冷蔵庫を開けてペットボトルを取り出した。コップに緑茶を注ぎながら「でも、今凰壮くん本調子じゃないみたいですから、あまり波立てるようなことしない方がいいですよ」と言った。

「え?どういうこと」
「さあ。詳しくは知らないですけど、柔道の方で伸び悩んでるみたいですよ。この前の喧嘩も、まあそのことが絡んでましてね」
「そうなの……」

凰壮、そんなこと一言も言わなかったのに。時々、部活の話はするけれど、疲れたとか休みが欲しいよなあとかそんなんばっかりだった。普段と変わらないように見えていたのに。彼女のくせに、凰壮が悩んでいることにも気づかなかったなんて。凰壮なら、私のそういうの、すぐに見抜いちゃうんだろうになあ。
情けない。

「おはよ」
「あ」
「ああ、虎太くん。お早うございます。どうですか、時差ボケは?」
「ん、身体動かしたら直るだろ」

虎太が竜持の傍に歩いて行ったかと思えば、冷蔵庫を開けて、中を漁った。一通り物色した後、切られていないハムを取り出して、丸齧る。なんとも豪快だ。今度は、カウンターに置いてあった食パンを袋ごと掴んで竜持に渡し、「トーストつくってくれ」と言った。全部食べるのかな?多い。

「虎太くん、料理しないんですか?」
「する。時々。でもお前今暇だろ」
「はいはい」

仕方がない、というように溜息を吐いた。卵乗せます?と竜持が尋ねると、虎太が軽く頷く。時々、長男が誰だかわからなくなる時があるけど、三人の間では特に誰が長男とかいう意識がないみたいだ。何より、いざという時、私たちの先頭に立つのは、決まって虎太だった。自信があってひたむきで。そんな虎太の背中を、いつだって追いかけていた。私たちを引っ張ってくれる。私にとって、虎太はそんな存在だった。
やり取りを終えた虎太が、私に気付いて、こちらに歩み寄ってきた。「おはよ」と声をかけると「ああ」と相槌を打って、ハムを齧る。

「ご飯食べたら、出掛けるの?」
「ああ。ランニングして、ボール蹴ってくる」
「美咲公園?一緒に行ってもいい?」
「いいけど……ついてきても相手できないぜ?」
「いい」

虎太がボール蹴ってるところが見たいの。それだけでいいの。

そう言うと、虎太はフーンと声を漏らしながら、やはりハムを齧った。




ランニングをする虎太に自転車でついて行き、美咲公園のベンチに腰かけて、ボールを蹴る虎太を眺めた。傍に私がいるのに、私なんか見えていないみたい。虎太はボールにばっかり夢中だった。ドリブル練習とか、基礎的なものばかり。虎太って、相変わらず努力家だよなあ。凰壮に、虎太の爪の垢でも煎じて飲ませてやりたい。
そこまで考えて、そんなことないよなあ、と思う。
確かに、凰壮は面倒くさがりだしどこか不真面目な節もあるけれど、柔道は真面目にやっていた。それは一重に、お母さんの影響もあるんだろうけど、自分より先に柔道を始めていた人たちに追いつこうと必死だったんだと思う。サッカーをやっていた頃から、既に柔道をやっていたけれど、それでも柔道一本でやってきた子たちに比べれば劣ってしまうのは仕方がない話だった。それに、柔道を本格的に始めてすぐ、スランプに陥ったこともあって、負けず嫌いな凰壮は結構歯がゆい思いをしたことだろう。どこか、落ち込んでいた時期が、凰壮には確かにあった。
今も、その時みたいに、落ち込んでいるんだろうか。悩んでいるのだろうか。私には相談せずに。一人で?それとも、あのマネージャーは知っているんだろうか。
部活での姿を見ていたら、当然知っているだろう。私の知らなかったことを知っていたのかと思うと、やはり、どこか面白くない気分にさせられる。
凰壮の力になりたいのに、一番に頼られたいのに、私よりも他に頼る人がいるんじゃないか。そんな卑屈なことばかり、考えてしまう。


「夢子」

いつの間にか、目の前に私を見下ろすように虎太が立っていた。

「どうしたの?」
「休憩」
「そか」

虎太は私の隣に腰掛けて、リュックの中からドリンクとタオルを取り出した。

「お前」
「え?」
「なんかあったのか?」

汗をタオルで拭いながら、虎太が尋ねる。「なんかって?」と反射的に問い返すと「元気ないから」と、短く答えた。

「そう見える?」
「見える。お前はわかりやすい」

虎太が喉を鳴らして、ドリンクを飲み、タオルで口を拭いた。そうして今度はジッと私を見つめる。まるで、続きを促しているようだった。

「ええ、と、凰壮がね」
「凰壮?また喧嘩したのか?」
「そうじゃ……ないんだけど」

そうじゃない。そうじゃなくて、勝手に私が不安になって、勝手にヤキモチ妬いているだけ。そして、悩んでいる凰壮の力になりたいと思いつつ、相談されないことに対する寂しさと、大した力になれないだろうという悲嘆も感じていた。嫉妬と、凰壮への憂慮と、それからどうしようもない不安があった。

「夢子」

虎太が真剣なまなざしでこちらを見てくる。

「……え?」
「……お前」


「お前ら、何してんの?」


ん?
突然上から降ってきた声に、顔を上げた。

「え、凰壮?」

いつの間にか、まるで先ほどの虎太のように、私たちを見下ろすように凰壮が目の前に立っていた。

「凰壮、なんでいるの?部活は?」
「今日は早く終わった。明日練習試合だから。通りがかったら、お前らが見えたから」

ふうん、と相槌を打つと、虎太が「凰壮、サッカーやってかないか?」と声をかけた。
凰壮は一度「ええ」と不満げな声を漏らし「俺、部活で疲れてんだけど」と言った。けれども、タオルとドリンクをベンチに置き、ボールを蹴りだす虎太を見たら、渋々というように溜息を吐きながら荷物を下ろした凰壮が、虎太について行った。

虎太と凰壮が、ボールを蹴りだす。二人とも、竜持よりは体が大きいけれど、虎太に比べると凰壮の方が大きく感じた。やっているスポーツの差だろうけど、昔は髪形以外はコピーしたかのような身体だったことを思うと、皆成長したんだなあとどこか他人事のように感心してしまった。

「(練習試合かあ……)」

私も、成長しないといけないよなあ、と足元にあった小石を軽く蹴る。
いつまでも、子供じみた嫉妬で気落ちして竜持に愚痴ったり虎太に心配かけてる場合じゃない。凰壮に頼られるような人間になりたい。

「凰壮」
「んー?」

叫ぶように、虎太と競り合っていた凰壮に呼びかけた。足を止めて、凰壮がこちらに振り向く。

「明日の練習試合、見に行ってもいい?」
「はあ?」

なんで、というように凰壮は眉を顰めた。「練習試合なんて、観戦にくるようなもんじゃねえぞ」ぶっきらぼうに言う。

「でも、凰壮が柔道するところ見たい」
「俺も」
「虎太まで何言ってんだよ」

凰壮が呆れたように溜息を吐いた。

「まあ、どうせギャラリーいるだろうし、勝手にすれば」

ギャラリー、とは、マネージャーの言っていた、凰壮のファンだろうか。それを目の当たりにしないといけないのだろうか、と一瞬モヤモヤしたが、振り払うように頭を左右に振った。

「うん、頑張ってね」

凰壮の力になりたい。
相談されないなら、せめて、一番近くで凰壮を見て、応援したいなあって、そう思った。

行かなければよかった、だなんて、この時には思いもしていなかったから。



(2013.04.22)

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