齢十二にして慇懃無礼が服を着て歩いていると巷で評判の竜持がここ数日、ただひらすらに優しくて気味が悪い。どのくらい気味が悪いかって言うと、集合写真に見覚えのない女の人が写っているだとか、空から蛙が雨のように降ってくるだとか、そういった怪奇現象並に気味が悪い。冬の気候も手伝って、薄ら寒い。普段だったら、四つも年上の私を敬うことなど決してなく無遠慮に罵ってくる場面でも、嫌味も皮肉も持たない純粋な言葉しか使わないし最大限に私に気を遣ってくる。
例えばこれは三日前の水曜日の話だけれど、夕方に突然竜持が家にやって来た。珍しいなどうしたんだろう、なんて思っていたら、冬限定商品である私のお気に入りのお菓子をコンビニ袋いっぱいに持ってきて「もう発売されていたので買ってきちゃいました」なんて言うから、戸惑って「あ、うん、ありがとう」くらいしか言えなかった。例えばこれは二日前の木曜日の話だけれど、登校中に偶然会った時、私がコホコホと咳をしたのを見て「どうしたんですか、風邪ですか?」と聞いた。「うーん、そうかも」と自分の症状を正しく理解していない私が曖昧に返すと「今日は早めに家に帰って暖かくして寝てくださいね。無理なんてしちゃダメですよ」とホッカイロをくれた。これまた戸惑って「あ、うん、ありがとう」くらいしか言えなかった。例えばこれは昨日の金曜日の話だけれど、下校中に偶然会った時、友達に塗ってもらったピンク色の指先に気付いて「爪塗ったんですか?可愛いですね」って柔らかく笑った。やっぱり私は戸惑って「あ、うん、ありがとう」くらいしか言えなかった。
普段の竜持なら、わざわざ私のためにお菓子なんて買って来ないし、風邪気味だとわかれば「馬鹿は風邪ひかないんですけどねえ」とか「近づかないでください、うつされたら堪りませんから」とか言ってホッカイロなんか絶対に譲ってくれないし、綺麗に塗った可愛い色の指先に気付いても「何色気づいてるんですか?爪より工事しないといけないところ、他に幾らでもあるんじゃないですか?」って見下したように笑うはずだ。全く、竜持らしくない。
初めは何か企んでいるんじゃないかって身構えたし、何か怒っているのかもしれないと不安になったりもしたが、本当にただただ好意的なものしか感じることができず、ますます竜持が何を考えているかわからない。竜持と幼馴染を始めてもう随分経つけれど、こんな風に無意味に甘やかされるのは初めての経験で、嬉しいとかそういう感情の前に、やっぱり気味が悪い。

一人で考えても埒が明かないと、私はもう二人いる幼馴染の内の一人を召喚することにした。竜持の同い年の弟、凰壮だ。最近本格的に柔道を始めた凰壮はなかなか忙しいらしく、毎日のように顔を合わせている竜持に比べ、会うのは実に一週間ぶりだった。虎太も着々とスペインに行く準備を進めていて、三人とも今年は小学校を卒業してしまう。みんなそうやってどんどん変わっていくんだなあと思うと、なんとなく女子高生をやっている自分を情けなく感じたけれど、今はそういう話をしているのではない。竜持の変化は明らかにそういう環境の変化とは別の、怪奇的なものなのだ。
私の部屋に通された凰壮は練習帰りで疲れているのだろうか、ドカっと人様のベッドに偉そうに腰かけて「早く済ませよ」とぶっきらぼうに言った。四つも年上の女性に対して口のきき方を知らないのは竜持に限った話ではないのだが、今はこの冷たい言葉が心地良い。これでこそ凰壮だし、私の知っている幼馴染なのだ。今の竜持はまるで知らない人。もしかしたら竜持の着ぐるみを着た、別の人なのかもしれない。竜持の背中を見れば、そこにはチャックがついているかもしれない。などとくだらないことを考えていたら「おい、何固まってんだよ」と催促するような凰壮の声が聞こえて我に返った。
窓際のベッドに腰掛ける凰壮を見上げるように、床に敷いたカーペットの上に正座して、目の前の折り畳みテーブルで手を組み「今回君を呼んだのは他でもない……」と物々しく口を開くと「そういう茶番はいいから早くしろよ、うぜえな」といつもより不機嫌な声が聞こえたので「え、あ、ごめんなさい」と即座に謝罪する羽目になった。

「いや、あの、竜持の様子が最近おかしいんだけど」
「は?竜持?」
「うん、なんか無駄に優しくてさ。凰壮、何か知らない?」

私が尋ねると凰壮はしばらく考えるように目を伏せたけれど、「別に、家では普通だぜ」と答えた。期待していたものとは違う返答に少しばかり落胆したが、凰壮が言うのなら間違いないだろう。では私に無駄に優しくしてくる竜持は一体何なのだろうか?
私はさながらパイポを銜えたどこぞの探偵のように顎に手を当てて考えるポーズをとった。じっと私が黙って考えていると、シャカシャカとビニールがこすれる音がしたので「何だ」と顔を上げたら、三日前に竜持が持ってきてくれた袋を凰壮が漁っていた。「何してるの?」と尋ねると「これ食べていい?」とか聞いてくるから、こいつ本当に自由だな遠慮ないのか、と真冬の水道水程度には冷たい視線で凰壮を一瞥し、相談に乗ってくれている報酬の意味も込めて「どうぞ」と短く答えた。凰壮は箱から冬使用のココア味ポッキーを取り出して、ポキと折って食べる。ポッキーがポッキーたる所以はこの細長い棒が儚く折れる音が関係しているのだろうか。便利な携帯の検索機能を使えばおそらく簡単にわかる話だろうけど、別にそこまで気になっているわけでもないし、正直どうでもいいので、ポッキーについてそれ以上考えることはしなかった。それよりも重要な、竜持に想いを馳せる。竜持が竜持たる所以はきっと慇懃無礼を体現したような人間性だったり、尊大な性格だったり、冷めているようでたまに見せる素直さや優しさだったりすると思うのだけれど、これは便利な携帯の検索機能を使ったところでわかるはずもない。けれども彼は今、その竜持たる所以、つまりはアイデンティティーを失っていて、これは由々しき事態なのである。優しくされておいて「竜持らしくない!」などと騒ぎ立てるのは、食事の席でくちゃくちゃと音を立てて食べるくらい、否それ以上に失礼なことかもしれないが、私はそのままの竜持でも好きだし、というかそのままの竜持が好きだし、だから竜持が竜持らしくないのは寂しいし何より心配になってしまうのだ。好きな人の様子がおかしかったら気になるのは、当たり前の話だ。いつもみたいに、年上だろうが年下だろうがお構いなく失礼なことばっかり言って私を怒らして楽しむ竜持が、私はやっぱり好きだなあ。それに理由も分からず優しくされるのは、やっぱり、気味が悪い。
しかし、三つ子である凰壮にも分からないのではお手上げだ。
はあ、と深く溜息を吐く私に、つまらなそうにポッキーをポキポキ食べていた凰壮が「お前さあ」と気怠そうに呟いた。なに、と顔を上げるとじっと私の顔を見つめた凰壮が「ずっと思ってたんだけど」って言うから、まさかやっぱり竜持のことに心当たりでもあるのかと思って、身を乗り出したのだけど、それに反して凰壮はやっぱりつまらなそうな顔をしながら「お前それどうしたの?」と尋ねてきた。

「それ?」
「それ。その前髪。何それ、可愛いとでも思ってんの?猿みたいだぜ」

そう言って凰壮が口の端を上げるだけの、馬鹿にしたような笑いをしたので、私は真っ赤になって前髪を両手で隠し「う、うるさい、失敗したの!」と声を荒げた。
これは四日前の火曜日の話だけど、雑誌に載っていた髪形アレンジ特集に感化され、学校に行く直前に思い立って、前髪を切った。短いのが流行なのだろうか、雑誌の中の可愛い女の子たちの前髪はことごとく短く、どこか幼さを強調させて、それがひどく魅力的に見えた。「いいなあ」そう思って早速洗面台に向かい前髪にはさみを入れたところ、まあ、やってしまった。ざっくりと。眉毛の遥か上で不揃いに切り揃えられた前髪はどこか滑稽で、晒された眉毛が情けなく下がったのが鏡に映って見えた。雑誌の中であどけなく笑うモデルの女の子たちはこんなに可愛いのに。モデルが可愛いからって、同じ髪形にすれば自分も可愛くなるわけではないって、美容院に行くたびに思い知らされているのに、私は全く懲りないみたいだ。だから年下の竜持にも凰壮にも、時々虎太にも、馬鹿にされてしまうのだ。そういえば絶望した火曜日に竜持に会った時も、このどうしようもからかわずにはいられないような前髪を前にしても、竜持は特に何か言って来なかった。この時既に竜持はおかしかったようだ。

「お前、前髪くらい慎重に切れよ。残念な顔がますます残念になるだろ」

竜持の代わりと言わんばかりか、凰壮が好き放題に言ってくる。竜持もこれくらい言ってもいいのになあ、とぼんやりと思った。どうして竜持はあんなに優しくしてくるんだろう。
結局、凰壮を召喚した甲斐なく、竜持の気味悪い優しさの理由は、わからなかった。





翌日。日曜日だと言うのに、六時半に目覚ましが鳴った。来週行われる学園祭のため、休日出勤で準備をしに学校に行かなければならない。私のクラスはベタにメイド喫茶をやるのだけれど、まだ内装準備に手間取っていた。
睡魔に負けそうになる瞼を叱咤しながらベッドから抜け出して、洗面台に向かう。鏡の中では短くなったことで跳ねやすくなった前髪が、重力に逆らってうねっていて、朝からそんなに頑張らなくていいよ、とうんざりした。適当にかつ根気よく前髪を直し、身支度をしてから食卓についてお母さんが用意してくれた朝ごはんを食べる。点いていたテレビはニュースにチャンネルが合わせられていたけれど、日曜日なので平日に見ている番組と違って違和感を覚えると同時に、休日に学校に行くんだなあって実感して、またまたげんなりした。ニュースではいつもの美人アナウンサーではなく人気のタレントが司会をしていて、政治家の汚職事件とか人気歌手の結婚とか今日明日くる流星群とか一生懸命伝えていて、内容は対していつもと変わり映えしないなあとぼんやり思った。今日もいつもと変わり映えしない日になるのだろう。日曜日に登校することさえ除けば。竜持が優しいことさえ除けば。
のろのろ朝食を片づけていると、いつの間にか家を出るはずの時間を大幅に過ぎていて、急いで家を出た。

走った甲斐があり、なんとか遅刻は免れた。別にいつもみたいに先生が出席を取っているわけではないので、遅刻したところでなんら問題はないのだが、みんなが一丸となって学園祭準備に勤しんでいるのに遅刻するのは心象が悪いし何より肩身が狭い。
けれども走って風の抵抗を真正面から受けた前髪が、朝起きた時みたいに跳ね上がってて、気分が落ちた。私を見た友達が噴出したように笑って、ますます気が沈んでいく。休日に学校があるだけでも結構落ちるのに、今日一日が既に憂鬱だ。
私たちのクラス以外にも結構な数のクラスが、準備が間に合っていないのか、いて、学校は休日だと言うのに大変賑わっていた。普段は部活の声が響くグラウンドも、今日は学祭前ということで、部活動全体が休止期間なのだ。

「よし、じゃあ班をつくって、班別に行動しよう」

全員が揃ったところで、学級委員が指示を出す。私は二班で、テーブルに置く小物の制作を担当することになった。
教室の端っこに机を固めて、そこで机に置く用のメニューを作成する。チマチマした作業だからか、二班には女子が六人集まっていて、必然的に女子トーク、つまりは恋バナというやつに花を咲かせることになった。

「昨日彼氏と喧嘩しちゃったあ」
「えー、なんでなんで?」
「だってさ、酷いんだよ、私が他の男の子と話してただけで怒るんだもん」
「うっわー束縛じゃん」
「そうそう、好きなんだけどさあ、そういうのめんどくさいんだよねえ」

面倒くさいよねえ、とその場にいた女子が同意するように頷いた。彼氏のいたことがない私からすると、束縛がどれほど面倒くさいことなのかは想像するしかないのだけれど、やっぱりきっと面倒くさいんだろうなあと思うので「大変そうだね」とあたりさわりのないコメントをしておいた。

「っていうかさ、夢子はどうなの?」
「え、私?」

突然話を振られたので驚いた。みんな私に彼氏がいないことなんて知っているだろうに、どうにもこうにもないじゃないか、などと思っていたら「彼氏できた?」と聞かれたので、「あ、そういうこと」と納得した。

「できないよー」
「もー、つくる気あるの?もう高校一年目終わっちゃうよ!」
「前髪も変だしね。そんなんじゃ彼氏できないよ、もっと気合入れなよ」

「ま、前髪は関係ないでしょ」と言いながら右手で前髪を隠した。やはりこの前髪は相当おかしいらしい。こんなんじゃ彼氏ができないなんて、どれだけ罪深いんだこの前髪は。
私が前髪に気を取られて言い淀んでいると、別の子が「夢子はさー、好きな子がいるんじゃないっけ?」と言った。好きな子、という単語に心臓がギュって苦しく鳴る。頭の中に竜持がパッと浮かんで、誰に頭を覗かれているわけでもないのに、なんか恥ずかしくなった。ええと、と目を泳がしているとその場にいた女子たちが「え、何それ聞いてないよお!」と食いつかれたのでますます焦った。

「だれ?」
「ええっと、誰って……」
「わかった、あれだ、ハラダくんだ!」

ハラダ、と言われて、浮かんでいた竜持の顔がクラスメイトのハラダくんの顔に代わる。ハラダくん?何故?
突然現れた予想だにしないクラスメイトの名前に、思わず首を傾げた。しかしながら、当人であるはずの私の反応など気にすることなく、その場にいた女子たちは「ああ〜」と納得したような声を上げてはしゃぎだした。

「ハラダくん!仲良いもんねえ、夢子」
「え、そうかな……?」
「そうだよ、よく話してるじゃん」

そう言われて、ハラダくんのことを思い出してみるけれど、ただ単に席が近くて話すことが多かったのと、サッカー部のハラダくんに竜持たちの試合の話をしたことくらいしか思い出せない。取り立ててこれといったことは、特になかった。けれども女の子たちはなんでもかんでも恋愛に結び付けることが好きな生き物で、それは私もそうだから人のことは言えないのだけれど、私を置いて盛り上がり始めてしまった。

「ハラダくんも夢子のこと好きだよお、絶対!」
「ほらほら、この前もさあ、一緒に出掛けたでしょ?二人っきりで!」
「そうだ!あの時なにかなかったの?」
「で、出掛けたって……学祭の買い出しに行っただけでしょう?」
「それでも二人っきりは二人っきりじゃん!」

囃し立てる女の子たちに、どうしたものかと困惑した。学祭の買い出しに二人で行ったのは五日前の月曜日の話だけれど、これは誰も行きたがらなかったから、日直だった私とハラダくんが駆り出されたって話で、みんなも知っているだろうに、なんとも無責任なことだ。

「なになに、俺がどうしたって?」

そこへタイミングよく、いや、タイミング悪く、ハラダくんが会話に入ってきた。一斉に女子たちが「キャー」と甲高く楽しそうな声をあげるけれど、正直私は全然楽しくない。勘違いされているハラダくんにだって申し訳ないし、女子たちの期待に応えられないと思うと盛り下げてしまうだけだし、何より、竜持のことを思うと、嫌な気分だった。好きな人を勘違いされるっていうのは、あんまりいい気分じゃない。
私たちの会話の内容を知らないハラダくんは「なになに?」って楽しそうに笑う。人懐っこい笑顔を見せるハラダくんは、同年代の男の子に比べると子供っぽくて、可愛らしい印象をもたらせる子だった。人をくったように笑う竜持と比べると、正反対みたいな人だった。

「ねえ、ハラダくん、ちょうどいいところに来たね」
「夢子のことどう思う?」
「夢山?」
「ちょっと、もうやめてよ」

私の制止する声なんて気にも留めない女子たちがかぶせてかぶせて質問してくる。こうなったら何が何でも私とハラダくんをどうにかしたいらしい。ハラダくんもハラダくんで、女子たちの期待に応えたいのか「女子の中では、仲良いよな」なんて曖昧なことを言ってくる。ますます場が盛り上がった。
どうしたものか、と頭が痛くなってきたところだった。


「夢子さん」


スッ、と通るように響いた。そんなに大きい声ではなかったのに、凛としたその声はよく響いて、本人の芯が通った性格を感じさせた。さっきまで盛り上がっていた私たちの机が静かになった。

「え、りゅ、竜持?」

振り向いた先にいたのは、竜持だった。廊下から、鋭い赤い目がじっと射抜くようにこちらを見ていた。竜持は焦げ茶のダッフルコートに緑のパンツと、足には客用のスリッパを履いていた。校舎に私服の人間がいるのはどこか見慣れなかったし、何より竜持が私の高校にいることが一番見慣れない光景だった。
私の傍でさっきまで盛り上がっていた女子たちとハラダくんが「誰?」と不思議そうな顔をしていたけれど、私だって困惑していた。

なんで竜持がここに?

とにかく立ち上がって小走りで竜持に駆け寄った。「ど、どうしたの?」思わずどもった。竜持はニコリともせず、じっと私を見上げた。背丈はそんなに変わらないし、どちらかと言えば竜持のほうが大きいくらいなのだけれど、見上げられているような気分にさせられた。

「りゅ、竜持?」

何も答えない竜持に心配になって、伺うように再度名前を呼ぶと、今度はニコっと柔らかく微笑んで「突然来てすみません。夢子さん、お弁当忘れていったから届けてっておばさんにお使いされて」といつも私が使っているランチトートを差し出してきた。

「あ、ごめん。今日遅刻しそうでさ」
「いいえ、気を付けてくださいね」

そう言ってまた竜持が笑う。いつもなら私のせいでお使いされようものなら嫌味の一つや二つ当たり前だし、何よりお使いだって体よく断るはずなのに。今日の竜持も、様子が変な竜持だった。
しかし、なんだろう。気味が悪い、というより、なにか違和感を覚えた。昨日までのただただ好意的な優しさとは違って、貼りつけたような笑みを見せる竜持は、どこか元気がなさそうに見えた。

竜持……どうしたんだろう。

「夢子、その子誰?」

いつの間にか班の女子たちが私の後ろに群がっていて、興味津々に竜持を覗いている。「えっと、幼馴染なの」と説明すると「えー、いいなあ」と場が湧いた。なにがいいんだ。

「幼馴染って、夢山がよく話してる三つ子の小学生?サッカーやってるっていう?」

ハラダくんが遅れて輪に加わった。ハラダくんの問いに頷くと、女子たちがまた驚いた声を上げた。

「え、君小学生なの?」
「……ええ、まあ」
「へええ、しっかりしてるね、一人でここまで来たの?偉いね」
「確かにちょっと声高いもんねえ、可愛いー」

そう口々に、竜持を年相応の子供として扱う女子たちに「ああ、それはまずい」と一人焦った。竜持は、子ども扱いされるのを嫌う。子供らしさを強要されることにうんざりしていたし、しかしながら自分がまだちっぽけな子供であることを自覚していて、それを不便にも感じていた。それに何より、大人から「年下」という理由だけであれこれ言われるのを、竜持はたいそう嫌っていた。

「あ、あの……」と口を挟もうとした。けれども私よりも先に竜持が口を開いた。

「いいえ、それほどでもありません。それよりも、いつも夢子さんがお世話になっています。抜けてるところもある人ですが、どうぞ仲良くしてあげてください」

大人びた笑顔で静かに微笑んだ竜持は、ペコリと小さくお辞儀した。
竜持の女の子みたいにサラサラした艶やかな髪が一緒に揺れて、それを指で耳にかけ直す。
竜持の、とても小学生とは思えない気品と仕草と言葉に、さっきまで騒ぎ立てていた女子たちも思わず戸惑ったみたいだけれど「すごい、しっかりしてるんだねえ」って誰かが言いだすとまたわいわい騒ぎだした。
顔を上げた竜持が、また、優しそうに微笑んで、すごく綺麗だった。

竜持と、竜持を囲むクラスメイトの女の子たち。見慣れない光景を、どこか一歩引いて、虚ろな気持ちで眺めた。

綺麗に微笑む竜持を、やっぱり私は、気味悪く思ってしまった。

この人は誰なんだろう。私の知ってる竜持じゃない。慇懃無礼が服を着て歩いていると巷で評判の竜持じゃない。自分の気に入らないことを言われて、黙ってやりすごすような子じゃない。人に頭を下げるような子でもない。プライドが高くて、子供であることで被る理不尽を嫌う竜持じゃない。
こんなの、竜持らしくない。

今まで散々「らしくない」と感じていたけれど、それが決定的になった気がした。
今日の竜持は、一番、らしくない。

気味が悪い。まるで竜持じゃないみたい。知らない人みたい。それは寂しい。私の好きな、竜持じゃないみたい。物わかりのいい、年相応の、ただの少年みたいで。
私の好きな人は、どこへ行ってしまったんだろうか。


「夢子さん」


竜持の声ではっとした。顔を上げると、女子たちとハラダくんはもう既に机に戻っていて、竜持がジッと私を見つめていた。

「あ、ごめん、何……?」
「今日、これが終わったらお暇でしょうか?」
「え、ああ、うん」
「じゃあ終わったら連絡ください、デートしましょう」
「デート?」

私が訝しむように眉を顰めると、竜持は「冗談ですよ」と笑った。
そんな竜持に、苦笑いするしかなかった。





準備に一段落ついて解散になった頃には既に随分日が落ちていて、辺りはすっかり暗くなっていた。教室を出た辺りで竜持に連絡すると、校門の前で待っています、というので急いでいくと、頬を赤くした竜持がいた。ずっとそこにいたの?と聞くと「いえ、散歩して時間潰していました」というけれど、外にいたことには変わりないようだった。竜持の吐いた息は真っ白で、こんな寒いところで待っていなくてもよかったのに、と思った。

「とにかく行きましょうか」
「どこに行くの?」
「そうですね、河川敷ですかね。行ったんですけど、そこが一番良く見えると思いました」

一番良く見える?
何の話?と首を傾げると、「流星群ですよ、今日ピークなんです」って小さく笑った。



竜持と並んで河川敷までの道を歩く。竜持が「学祭の準備、終わったんですか?」と尋ねてくるので「うん、まあ」と言ってから、とりとめのない話をした。
驚くほどとりとめのない話ばかりで、内心私はそわそわしていた。
竜持、何か言いたいことあるんじゃないの?だから私を誘ったんじゃないの?
竜持の大人びた横顔が真っ直ぐ前を見ている。寒さからか、瞳が揺らいで見えた。それがどこか儚さを感じさせた。

河川敷に着くころには、空はますます暗くなっていた。見上げるともう星が幾つか見えていて、写真とかで見たことある流星群みたいにたくさん見えたわけじゃないけれど、それでもいつもよりはよく見えるなあと思った。でも星が落ちるのまでは、見えなかった。
河川敷の水に誘われた冷たい風が、体を震わせる。それに気づいたのか竜持が「寒いですか?」と尋ねてきたが、ずっと外にいた竜持の方が寒いだろうと思って「大丈夫」と首を横に振った。

「寒いなら無理しないでくださいよ」

竜持がそう言って笑ったので、私は思わず眉を顰めた。

「無理してるのは、竜持じゃないの?」

ムキになったような、強い口調になってしまった。ずっと竜持に対して思っていたことが私に向けられたから。
笑っていた竜持から徐々に笑みが消えて、ゆらゆらと揺れる虚ろな瞳を見せた。

「最近、竜持、おかしいよ」

顔を伏せて呟いた。竜持の顔が見られなかった。
大人びた顔で笑う竜持を、知らない人みたいに優しい竜持を、見るのは寂しいと思った。

「竜持なんかあったの?」

シン、と二人の間が静かになった。風が吹いて、制服のスカートを揺らした。額に風があたって短くなった前髪が額を叩く。晒された額がひどく寒かったけど、寒いねなんてのんきに言える気分じゃなかった。
しばらくすると竜持が「僕じゃないです」と呟いた。
なんのことかと思って顔を上げると、竜持が寂しそうに私を見つめていた。

「僕じゃないって?」
「なにかあったのは、夢子さんのほうじゃないですか?」
「私……?」

竜持がなんの話をしているかわからなかった。私?私がなに?

訳の分からないと言うように竜持を見つめる私。竜持は私を窺うように見てから視線を逸らして、「それ。その前髪」と言った。

「え?前髪?」

突然でた、あまりに突拍子のない単語に、思わず間抜けな声を上げた。不思議そうな顔をする私を、竜持が遠慮がちに見た。

「前髪……失恋したのかと思って」
「は?」

失恋?なんで?
わからない、という顔をする私に竜持も「あの、ハラダっていう人と二人で一緒にいるの、見たから……」と付け足した。

ハラダくん?あ、月曜日?え、竜持見てたの……?

……もしかして、竜持、私が失恋したから、髪を切ったのかと思ったのだろうか。
だから私に気を遣って、あんなに優しかったのだろうか。

私が、ハラダくんのことが好きで、デートしてると思って、でも失恋して、落ち込んでるんじゃないかと思ったのだろう、か?

「あはっ」

あんまりに予想外の竜持の言葉に、思わず吹き出してしまった。

なんだ、竜持、そんなこと考えてたんだ。

理由のわからないひたむきな優しさは、竜持の勘違いだったのか。

私を、慰めようとしてくれてたんだ。

そう思ったら笑いが止まらなくなって、ケラケラケラケラ、静かな河川敷に私の間抜けな笑い声が響いた。
最初は驚いたようにポカンとしていた竜持が、だんだん不服そうに眉を顰めて「何がそんなに面白いんですか?」とふて腐れて頬を赤くさせた。

「ご、ごめ、でも、失恋したからって髪切らないよう」
「……そうですか」
「ごめん、怒らないでよ」
「怒ってませんよ。ただ、もったいないことしたなあって思っただけです」

こんなことなら優しくなんてしなければよかったですよ、なんて言って顔を逸らした。

「今日だって、本当はなんて嫌味言ってやろうかって思ったんですけどね」

きっと女子たちやハラダくんのことを言っているのだろう。やっぱり無理してたんだなあ。悪いことしたなって思うと同時に、やっぱり竜持はいつもの竜持だった、って思うと、すごく安心した。「言えばよかったのに」と竜持に言ったら、「僕のせいで夢子さんへのハラダくんの印象が悪くなったら困るでしょう。それに生意気に言い返してやっぱり子供だななんて思われたくないですし」と言った。ストレス堪りましたよ、ってふて腐れる竜持を、愛おしく見つめた。


ああ、竜持。私が好きなのは、違う人なのにね。馬鹿だねえ、竜持。


「髪切ったのはね、竜持。前髪短いと、幼く見えるなあって思ったからだよ」

はっとしたような竜持がゆっくりと振り返って、私に視線を送った。嬉しくなって、自然と微笑む。
何か聞きたいのだろうか、キラキラと揺れる瞳が、真っ直ぐ私を捉える。
竜持の瞳がまるで星のようにキラキラ光る。竜持の大人びた仕草から見える真っ直ぐ純粋な瞳がとても不釣り合いで、美しい。

「慣れないことはするもんじゃないねえ、竜持」

慣れないことなんてするから前髪だって切りすぎちゃうし、慣れないことなんてするからストレス堪っちゃうんだよね。埋まらない歳の差を想って幼く見られたくても、子供に見られたくなくてもさ、慣れないことはするもんじゃないよ。

「ありがとう、竜持。竜持のそうやって、私を守ろうとしてくれようとするところ、好き」
そのままの竜持が、私、好きだよ。

「……そうですか」

やきもち妬いた甲斐がありませんでしたねえって、竜持が不服そうに言うけれど、照れてるんだろうなあって思ったら、やっぱり愛しい。
気味悪いだなんて思って、ごめんね。





「あ、夢子さん、いま星流れましたよ、見えました?」
「え、うそ、どこ?」
「ほら、あそこ、ほらまた流れた」
「え、見えない見えない」
「もう、夢子さん、鈍間ですねえ」

そう言って呆れたように竜持が笑う。久しぶりに聞く竜持の悪態が、耳に心地よい。

「夢子さん、何お願いしますか?」

竜持が白い息を吐きながら尋ねる。ええ、なんだろう。と頭の中で考えを巡らすけど、大した答えはでなかったので「ずっと竜持たちと仲良くしたいなあ」って言ったら、「そういうことは星じゃなくて僕にお願いしてくださいよ」って笑った。

「じゃあ、前髪が早く伸びますように?」
「そういえば、ずっと思ってたんですけど、その前髪変ですよ」

うるさいなあって不満げな声を出すと、竜持は「お猿さんみたいで可愛いですねえ」って、いつもみたいに慇懃無礼な物言いをするので、私はやっぱり安心するのだった。









う魚さま!リクエストありがとうございました!
遅くなって大変すみませんでした。
いかがでしたでしょうか……?
流星群ほとんど見てなくてすみません……;;;
タイムリーでふたご座流星群きてましたね……ということで冬のお話にしてみました。
お気に召していただけたか不安ですが、
少しでも楽しんでいただけたら嬉しく思います。
これからもどうかよろしくお願いします。
それでは、本当にリクエストありがとうございました!
それでは。(2012.12.16)
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