「夢子、今日はご機嫌だねえ」

放課後の昇降口は華やかな雰囲気と笑顔の生徒で溢れていた。
皆、弾んだ声と浮ついた足取りで、開け放たれた玄関を潜って家路につく。心なしかスキップだ。開放的な空気に満たされる。
鼻歌歌いながら上靴をローファーに履き替える私も例外ではなく、友達が可笑しそうに笑う。

「ご機嫌にもなるよ、明日から三連休だしね!」

そうなのだ。今日は金曜日。そして月曜が祝日であるがため、明日から花の三連休が待っている。
それに何よりご機嫌にならざるを得ないイベントがあるのだ。

「月曜日ね、凰壮とデートなんだあ」

へへー、と笑うと友達は「締まりのない顔」と言ってまた笑った。
指摘されて顔を両手で覆ってみるが、顔の緩みはとまらない。

無理もない。なぜなら凰壮とデートするなんて、付き合ってから初めてなのだ。
部活で毎日忙しい凰壮。休日だって柔道に精を出している。加えて面倒くさがりの凰壮はなかなか外に出たがらない。祝日は部活が休みになるけど、たまの休みぐらい、家でゆっくりしたいなんておっさんくさいことを言う。そりゃあ私だって、凰壮にゆっくりしてもらいたいなあとか思ったりしないわけでもない。でも、命短し恋せよ乙女と昔の人も歌ってるのに、私はぐうたらな彼氏に付き合って花の十代を枯らすわけにはいかない。花も乙女も、盛りの寿命は短いのだ。ぐうたらなんて歳を取ってからでも、幾らでもできる。それに、一度くらいまともな、恋人同士みたいなデートをしてみたかったのだ。
月曜のデートは、もうずっと前から約束していた。いくら凰壮がぐうたらだからと油断して直前に誘ってしまっては、この前のように別の用事をいれられる可能性もないこともない。「めんどくせえよ」となんとか断ろうとする凰壮に「一生のお願い」と食い下がった。一生のお願いなんてつかったの、小学生の時以来だ。「お前、一生のお願いって、小学生のときもつかっただろ」なんて男のくせに細かいこと覚えてる凰壮は何かブーブー言ってたけど気にしなかった。結局、しつこい私に、恐らくデートすることよりも誘いを断る方が面倒くさいと判断した凰壮が「そこまでお前が、おれと、デートしたいって言うんならまあしてやらないこともないぜ」なんて偉そうなことを言って今回のデートは実現した。
まあ、最初こそ喜んだものの、なんで頭下げてまで凰壮なんかとデートしなきゃいけないんだと後で冷静になったらすごくムカついて、次の日は喧嘩になったけれど、月曜は楽しみ。明日は買い物に行って新しい服買うんだ。もうすぐお小遣いも入るし。そんで日曜はちゃあんと睡眠とって、月曜は新しい服でおめかしして、デートリベンジするんだ。ちゃんと、恋人らしいデートするんだ。



「ああ、よかった。まだいたな、夢山」

友達が靴を履きかえるのを待って、正に校舎を出ようとしていたところ。息を切らしたようにやってきた担任に呼び止められた。
先生は「よかったよかった、面倒くさいことになるところだったよ」なんて笑いながら近寄ってきた。
なんか、嫌な予感がする。
わざわざ帰り際に呼び止めて「面倒くさいことになるところだった」なんて台詞、明らかに何かある。私は訝しげに眉を顰めて「なんでしょうか」と小さく尋ねた。

先生は陽気に笑った。
そして、至極軽く、私に、地獄を突き付けたのだった。





「赤点なんて取るやつ、本当にいるんだな」
「うるさい」
「あーあ、月曜のデート、楽しみにしてたのになあ、残念だな」
「……嘘つき」

ベッドにうつ伏せに寝転がって、枕に顔をうずめた。
電話口の凰壮の声は、落ち込む私とは対照的に、幾らか弾んでいて、私はムッとする。
酷い。凰壮、本当酷い。私はあんなに楽しみにしていたのに。なによ、本当は面倒くさいって思ってたくせに。デートなくなって嬉しいんでしょう。馬鹿、馬鹿壮。

先日行われた中間テスト。恥ずかしながら数学と物理で赤点を取ってしまった。私だって赤点取ったなんて生まれて初めてだったし、テストが返ってきたときは普通に落ち込んだ。来週行われる追試のことを思うとそれはそれは気が重かった。なんで二度もテストを受けなければならないのか。
だからこそ、三連休は思いっきり楽しんで、来週の追試のために充電しておこうと思っていたのだ。凰壮とデートして、元気をもらいたかったのだ。それなのに現実は無情にも私に突き付けられた。
来週予定していた追試が急遽、月曜に変更になったのだ。なんでも数学の先生が、来週実家に帰らなければならなくなったらしいので、早めに行うことにしたとのこと。祝日だけど、特別に学校を開けてくれるらしい。そんな特別いらない。

「まあ二度もテスト受ける馬鹿なお前が悪いんだから、しっかり勉強に励めよ」

じゃあな、とせせら笑ったような声が聞こえて、電話が切れた。

こいつ、マジさいてー。

ベッドに携帯電話を叩きつけた。





見飽きた英数字の羅列が視界に並ぶけれど、私にとって全く意味をなさないそれはただ瞳に反射するだけで、全く持って頭に入ってこない。
日曜日。もう昨日からずっと自室に籠って教科書と睨めっこしているけど、ほとんど理解していないし勉強したって感じもしない。ただただ頭が疲れていくばかりで、勉強しようとすればするほど頭の回転は鈍くなっていく。
はあ、と溜息をついて私は机にうつぶせた。

窓の外はもう真っ暗。チラリと時計を見ると、七時を示していた。
本当だったらこの時間、お風呂にゆっくり入って、明日に備えて早く寝ていたはずだったのに。
この調子では今日は眠れそうにない。

一人で勉強しようなんてもともと無茶だったんだ。だって一人でテスト勉強して結局赤点取ってるんだもん。結果はテストの時と変わらないに決まってる。しかし追試に落ちてしまっては、その後は放課後の補習が待っている。それだけは避けたい。絶対にやだ。面倒くさいし、なにより、凰壮に会える時間だって減ってしまう。
そう思ってまた教科書を睨みつけるのだけれど、やっぱり理解力が上がるわけでもない。集中力だってもうほとんどなくなって、教科書の端っこには落書きばっかりだ。瞼もどんどん重くなっていく。呪文みたいな公式は、簡単に眠気を誘う。

一人では埒が明かないと思うけれど、頼みの綱の竜持も、この連休は忙しいらしくて相手にしてもらえない。一人で頑張るしかないのだけれど、もう無理かも。大人しく補習受けろって神様が言ってるのかもしれない。

「もういいや、諦めよう」

諦めて、もう寝よう。昨日から勉強詰めで目の下に隈だってできてる。どうせ明日はデートなんてないから隈ができようが目が充血しようが顔がむくもうがどうでもいいんだけど。
でももういい加減眠いし。そういえば碌に寝てなかったなあ。だから頭も働かないし公式も頭に入ってこないんだ。やっぱり寝た方がいい。うん、そうしよう、さっさと寝よう。

そう自分に言い聞かせて、さっとベッドに潜り込む。
布団をすっぽり顔が半分まで隠れるくらいかぶる。まだ温まってない布団は冷たいけれど、ふかふかに柔らかくて微睡む。勉強机とは大違いだ。

はあ、気持ちいい。すぐにでも寝れそう。

瞳に映るのは意味の分からない英数字でもなんでもなく、夢の世界へと連れてってくれる闇で、解放感に満たされた。



「おい、お前なに寝てんだよ」

良い感じに温まってきた布団でぬくぬくとしていたら、突然冷えた空気が吹き込んだ。
何事かと思って目を開けると、布団は取り払われていた。呆れ顔の凰壮によって。

「な、なにすんのよ、ってかなんでいるの!」
「人が折角勉強の邪魔しにきてやったのに、お前余裕だな」

そう言って凰壮は手に持っていた布団をベッドに捨てて、ベッドを背もたれにして床に座った。
そうして持っていたコンビニの透明な袋からお菓子を取り出して、丸い折り畳みテーブルの上にポイポイと投げていく。
チョコレート系のお菓子ばかりで、私の好きなものばっかりだった。

「え、なにこれ」
「何って、菓子」
「ええ、なに凰壮、私にくれるの?」
「なんでだよ。俺が食うんだよ」

そう言って凰壮はポッキーの箱を開けるけれど、凰壮、あんまり自分で買ってまでお菓子食べないじゃん。本当は、差し入れしにきてくれたんでしょう?凰壮、嘘つきだなあ、と思って私はニヤニヤ笑ってしまった。そんな私を見て凰壮は「なんだその顔、間抜け」と言った。

「ねえねえ、食べていい?」
「ちゃんと勉強するならな」
「うん、する。頑張る」
「じゃあさっさとベッドから出てこいよ、鈍間」

そう言って凰壮が呆れたように笑う。私は急いでベッドから飛び出して、勉強机に広げてた教科書とかノートを折り畳みテーブルに移動させて、凰壮の隣に座り勉強に取り掛かった。

「お前、ひっつくなよ。暑いじゃん」
「だって、教えてよ。一人じゃ解けないもん」

あーめんどくせー、なんて言いながら凰壮は少し手を伸ばして近くにあった私のマンガをパラパラまくった。
憎まれ口を叩きながらも離れようとしないのは、たぶん「いいよ」って意味だろう。
凰壮に「ありがとう、よろしくね」と言うと、「さっさとやれよ」って不機嫌そうな声が聞こえた。
さっきまで諦めていた気持ちが、どんどん元気に変わっていく。凰壮のおかげ。

ようし、頑張ろう。






チュンチュンって可愛い囀りが聞こえる。鳥?
閉じた目の先にキラキラ明るいものが差し込んで、ああそうか、朝かあ、ってぼんやり理解する。

……あさ?
あ、あれ?私、さっきまで勉強してたような……。ま、まさか。

「あああっ………………って、な、え、えっ!あ、痛!」

頭を思い切りベッドの足にぶつけた。驚いて後ろに飛びのいたのだ。
何故なら、目覚めた私の目の前に、凰壮のドアップが飛び込んできたからである。すやすやと子供みたいな顔して寝息を立てる凰壮が。一体何が起きているのか一瞬分からなかったけれど、凰壮の枕にしてないほうの腕が私の脇腹の上にちょこんと乗っていて、まるで抱き寄せているようなその仕草にただでさえ何も理解してない頭が真っ白になり顔は真っ赤になった。とにかくすごく近い凰壮に恥ずかしくなって体を勢いよく離したら、すぐ後ろにあったベッドの足に頭をぶつけたのだった。
痛みを和らげるように頭を撫でて起き上がる。

朝……。
窓の外から差し込む光を見て「あー」と唸り声を上げた。

そうか、私、寝ちゃったんだ。

しかも床で。彼氏と雑魚寝。下にしていた右半身が痛い。寝たはずなのになんだか疲れているし、全く寝た気がしない。
ああ、もう最悪。

未だぼんやりする頭で昨日のことを思いだす。
結局昨日はほとんど勉強にならなかった。というのも、勉強を教えてくれるはずの凰壮がマンガを読んでる途中で早々に寝てしまったのだ。無理もない、きっと部活の後に寄ってくれたんだもん。私は凰壮に薄い掛布団をかけて、一人数学の教科書と睨み合った。けれども、もともと凰壮がくるまで寝る気満々だった私にも、眠気はどこからともなく襲ってきた。そして、気持ちよさそうに規則的な寝息を立てる凰壮につられ「少しだけならいいか」と仮眠をとることにしたのだ。机に体を預けて、体を曲げて寝れば熟睡せず途中で起きれるだろう、とわけのわからないことを思って、仮眠をとった。

それが、何がどうしてそうなったのかは覚えてないけれど、結局朝まで凰壮と床で寝てしまっていたようだ。

「どうしよう」

状況を理解すると、今度は真っ青になった。白くなったり赤くなったり青くなったりと、我ながら忙しい。
いや、でもだって、結局まだ数学にほとんど手を付けていない。物理もひどいけれど、物理は昨日わかんないなりにも勉強したからまだ望みはある。けれども数学はどうしようもないレベルだ。

「あー、体いてえな……」

不機嫌そうな声が聞こえて振り向くと、ぼうっとした顔の凰壮がこちらを見ていた。凰壮はふああ、と一度あくびをしてから起き上がって頭をかいて「お前、昨日寝てただろ」と言った。

「え、なんで知ってるの、先に寝たくせに」
「一回起きたんだよ。お前机で寝てたから、俺の布団にいれてやったんだぜ。ありがたく思えよ」
「は」

ちょっと待て、まさか。

「私を床に寝かせたの、凰壮?」
「?ああ」

あーもう!ばか!ひどい!

「凰壮の馬鹿―!あんたのせいで起きれなかったじゃん!あれ、仮眠のつもりだったのに」
「はあ?なんだよそれ」
「体寝かせちゃったら、起きれないでしょ!だから机で寝てたのに!」
「知らねえよ、なんだよそれ意味わかんねえ。そんなことしたところでどうせお前起きねえだろ、床だって同じようなもんじゃねえか」

凰壮が呆れたように言うから、私は苛々した。他人事だと思って、私が補習になったらどうするの!ただでさえ凰壮とデートなんかもできないのに追試でデート潰れるし、その上補習になって放課後まで潰れたら、凰壮の家で凰壮のこと待つことも出来ないじゃんか。

「数学まだやってないのに……どうしよう」

私が頭を抱えると凰壮は「じゃあ腕出せ」と言う。
何よ、と訝しげに睨みながらも腕を出すと、凰壮は私の筆箱から油性ペンを取り出して何かを腕に書き始めた。

わい……いこーる、えっくすの…………。

「凰壮、これ……」
「わかんなくなったらこれ見ろ」
「いや、これカンニングじゃん。ふざけんなよ」

つらつらと私の腕に公式を書き連ねる凰壮の頭を軽く叩く。夫婦漫才みたい。
凰壮はフッと馬鹿にしたように笑って「冗談だよ。カンニングが嫌なら、大人しく補習受けてこいよ」なんて言った。

「もういいよ、凰壮の馬鹿」

私は本気で悩んでるのに、凰壮はふざけてばっかりだ。
凰壮は私が補習受けて会う時間減っても全然平気なんだね。
面倒くさいデートもしなくていいし、私が補習受けた方が都合がいいんだもんね。

そう一人いじけて、不機嫌そうに目の前にあったポッキーを袋から取り出して齧った。少しチョコが溶けてて、あんまりおいしくない。

「補習になったら、あんまり会えなくなるね」

私がぶっきらぼうに言うと凰壮は「家隣で会えなくなることねえだろ」と至極当たり前のことを言った。
それはそうなんだけど、そうじゃなくて、ああなんかむかつく。

「補習頑張ったら、また菓子持ってきてやるよ」
「ああはいはい、ありがとね」

あしらうような私の頭を凰壮がガシガシと撫でる。寝起きでぼさぼさの髪の毛がさらにぼさぼさになって、もうやめてよって振り払おうとしたら、凰壮が「そしたらまた家デートだな」なんて言った。

ん?凰壮、なんて?

「は?デート」
「デートだったじゃん、これ」

ええ、何それ。凰壮くん、今日これ家デートだったのですか?凰壮デートのつもりだったの?なんてお手軽な、さすがスーパー面倒くさがり。
……そうか、デートのつもりだったのか。

「夢子、何ニヤニヤしてんだよ」

凰壮がニヤニヤしながらそう尋ねるから「凰壮もね」って精一杯憎まれ口を叩いた。





追試は惨敗でした。






物理やったことないですけど難しそうですね、私は化学で既に挫折しましたガチ文系人間です 国語も苦手ですけど(2012.11.23)

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