部活が終わってクタクタになりながら帰路につく。駅から家までの道のりを歩いていると、つい先日までこの時間にはついていなかったはずの電灯が点灯し始め、随分日が落ちるのが早くなったなあなどとぼんやりと考えるけれども、特に季節の移り変わりを嘆くわけでも堪能するわけでもなく、ただそこにある事実を自分の中で再確認しただけであった。すっかり暗くなった空を見上げると星がちらほら散らばっていて、東京は星が見えないとドラマの中で上京したての役者がよく言ったりするが、特に東京から出たことのない俺からしたらこれだけ見えれば十分だろ、といった感想しか持てない。我ながら情緒の欠片もない人間だと思うがそれは生まれつきだし、興味も持てないのだから仕方がない。そしてそれを不幸だと思ったこともなければ損だと思ったこともない。星が見えようが見なかろうが、俺の生活に影響がない以上心底どうでもよかった。
そんなことよりも、今俺の頭を支配しているのは、早く帰って寝たい、という欲望だった。
今日の部活は、疲れた。

やっとの思いで我が家に辿りつき力の抜けた声で「ただいま」と玄関を開けると、降矢家のものではないが見慣れた黒のハイカットスニーカーが竜持の緑色の靴の横に並べて置いてあったのが目についた。それと同時に中からけたたましい女の声が聞こえて、夢子のやつ来てるのか、と即座に理解することとなる。
乱雑に靴を脱いでリビングのドアを開けると、そこには予想通り、夢子と竜持が仲良く並んでソファーに座っていた。
二人は俺に気付くとほとんど同時に「おかえりなさい」と言ったが、いつも通りニコニコと否ニヤニヤと笑う竜持とは対照的に夢子はどこか焦った様子で、更に手に持っていた何かを後ろに隠すような動作をした。
なんだ?

「お前、今何隠したんだよ」
「な、なにも隠してないよ!」

そう言って目を泳がせながら立ち上がり、俺に背中を向けないように蟹歩きを始める夢子を眺めながら「嘘下手すぎだろ……」と呆れたように呟いた。
夢子は自分の鞄の置いてある窓際まで行くと素早く、後ろに隠したものを鞄の中に仕舞う。
お前は忍者か。

夢子とは六歳から幼馴染をやっている、十年来の腐れ縁だ。その腐れ縁が腐敗に腐敗を重ね、先日より付き合い始めることになってしまった。馬鹿で能天気で鈍間でブスなこの女を選ぶなんて、腐れ縁が災いして俺の脳みそまで腐敗してしまったんじゃないかって疑うレベルだが、俺が相手をしてやらなければなんの取り柄もない夢子を相手にする男なんてこの世にはいるはずもないのだから仕方がない。これは、心優しい俺がこの馬鹿で能天気で鈍間なブスを面倒見てやるという、鬼の目にも涙な美談なのだ。

「どうでもいいけどよ、そんなに見られたくねえならもっと上手く隠せよな。本当とろいな、てめえは」
「う、うるさい!凰壮がいきなり帰ってくるから悪いんでしょ!誰に許可取って帰ってきたのよ!」
「……ここ、俺ん家なんだけど」

あんまり理不尽なことを言う夢子に呆れて溜息を吐いた。こいつの言うことにはいちいち的を得ていない。だからお前はいつまでも馬鹿で能天気で鈍間でブスなんだ。
俺たちが罵詈雑言の応酬を重ねていると、間に挟まれていた竜持が「いちゃつくなら余所でやってくれます?」とニヤついた顔で言った。
俺は思わず眉を顰める。
誰がいついちゃついた?いつも通りのくだらない口喧嘩じゃないか。これがいちゃついているのなら、世の男女は年がら年中いちゃついているということになる。大体俺からしたら、仲良くソファーに並んで座ったり夜中でも長電話したりベタベタくっついたりと、お前と夢子のほうがいちゃついてるように見えるけどな。
不服そうに竜持を見ていると、俺が何を考えているか察しがついたのだろうか、竜持は「夫婦喧嘩は犬も食べませんよ」と付け足した。そんな竜持に夢子が「ふ、夫婦じゃないもん、まだ!」と顔を赤くして反論するが、つっこむとこそこじゃないだろ、アホが。それにまた竜持の面白がるようなこと増やしやがって、本当手に負えない馬鹿だなこいつ。
「へえ〜、まだ、ですか?もうそんな予定あるんですか?お盛んですねえ」などと楽しそうに笑う竜持に、驚いたように顔をさらに真っ赤にさせた夢子はほとんど怒ったように「帰る!」と喚いて、傍に置いてあった自分の荷物をひったくるように掴んでリビングを出ていった。

慌ただしいやつ、と溜息を吐いて、夢子の後を追って玄関に向かう。
乱暴に靴を履いた夢子はちゃんと履いてなくて、かかとを踏んでいた。俺が竜持なら「靴ぐらいちゃんと履きなさい」と注意するのだろうけど生憎俺は竜持ではないので、こいつのお気に入りの靴が傷んでしまおうがどうでもよく、特に何も言わなかった。どうせ家も隣だし、そんな傷まないだろ。
玄関にあったサンダルを無造作に履いて夢子後ろをついて歩くと、家の門を出た辺りで夢子が不機嫌そうにこちらに向き直り半ば怒鳴るように「なに?」と言った。

「なんだよ、送ってやろうと思ったのに。可愛くねえ女だな、さすがブス」
「別に送る必要ないでしょ、隣なんだから」
「一応、だよ、いちおう。ブスでも一応女だからな」
「……あ、そ」

夢子はそう小さく呟いてから顔を逸らし、俯く。拗ねたように唇を尖がらせているくせに顔は心なしか赤くなっていて、何照れてんだこいつ、と思った。夢子はもともと感情が表情に出やすい性質で、だからこそ嘘も下手だし竜持にもいいように遊ばれるのだが、こういう顔を見せるようになったのは付き合うようになってからだ。
顔を赤くして時々はにかむように笑う夢子の姿は、まあ、そう悪いもんじゃない。

そんな柄にもないことを考えていたら、しばらく俯いていた夢子が突然こちらを向いて「凰壮!」と俺の名前を勢いよく呼んだ。少したじろぎながらも「なんだよ」と返すと、先ほどの勢いはどこへやら、また困ったように視線を泳がしてモジモジと身じろいでしまった。
夢子の悪い癖だ。どんな言いにくいこと言いたいか知らないが、言いたいことがあるならはっきり言えばいいというのに、普段のけたたましさはどこへ置いてきてしまったんだと思うくらい肝心なところで怖気づいてしまう。
それでも一生懸命続きを喋ろうとする夢子に俺は口を挟んだりすることはなく、ただ黙って言葉を待った。

「…………あ、あの」
「……」
「あ、明後日!」
「明後日?日曜?」
「う、うん、えっと……凰壮が、暇なら、で、デート、したい、なあ、と」
「……」
「だ、だめ、かなあ?」

こいつ、こんなこと言うために、あんな必死だったのか。
なんつーか、ほんと、馬鹿なやつ。

今にも不安で泣き出しそうな顔をする夢子の頭を乱暴に撫でると、「ぎゃあ」と可愛らしくもない声が聞こえた。お前、本当女子力足りてない。なんだその奇声は。
こんな女が彼女だなんて、相当俺は不憫だ。

「いきなり何するの!」と怒ったような声をあげる夢子が面白くて、思わず頬が緩んでしまう。あくまで、面白いからだ。

「悪いけど、日曜は無理。先約があるからな」
「え!」

予想外だったのか、思いのほか夢子は目をカッと開き口をあんぐり開けて驚いた顔をした。
何故そんなに驚く。
俺が訝しげに夢子を眺めると、夢子は眉間に皺を寄せながらほとんど口の中で「竜持め……」と呟いた。
なんだ、竜持に唆されたのか。だったらこいつは一杯食わされてる。どういうことかと言うと、竜持は俺が日曜に用事があることを知っている。なぜなら日曜の用事というのは、竜持も一緒だからだ。たぶん先ほどみたいに百面相している夢子を面白がり「凰壮くん、日曜暇みたいですからデートにでも誘ってみたらどうですか?」などと唆したのだろう。竜持も案外暇なやつだ。

「サッカーするんだ、翔に誘われて。俺も竜持もな」
「そ、そう。それはよかった……楽しんできてね」

夢子は明らかに落胆したようで、覇気のない声で答えた。
その落胆ぶりがやはり面白くて、口の端を吊り上げて笑った。

「なに落ち込んでんだよ」
「お、落ち込んでなんかないよ!凰壮、目悪いんじゃないの?眼科行け!眼鏡しろ!竜持とおそろいの!」
「あーはいはい、そんなに俺と一緒にいたいならお前も日曜くればいいじゃん」
「え……?」

きょとん、とした顔で俺を見上げる夢子に「嫌ならいいけど?」と言うと、少し考えるように黙ってから「行く」と短く答えた。

「ん。じゃあまた詳しいこと連絡するわ」
「……うん、よろしく」

急にしおらしくなった夢子の頭をもう一度、今度は極力軽い動作で撫でると夢子は奇声をあげることなく静かに「凰壮、ありがと」と言った。なにがだ。

たった数十メートル離れた夢子の家まで送っていき、家に帰ると、リビングで待ち構えていた竜持が「お隣さんに送りに行くにしては随分長かったですねえ」と二ヤついた顔で茶化してきた。

「別に、ちょっと話してただけだよ。それより竜持、お前あんまり夢子のことからかうなよ」
「いやあ、夢子さん面白くてつい。で?日曜はデートするんですか?」
「しねえよ、先約あるんだし。ただ、夢子も来るけどな」
「ああ、まあいい折衷案ですね。さすが凰壮くん」
「……どーも」

竜持をさらりと流してリビングを出ようとしたところで、そういえば、と思い出し、竜持に向き直る。
竜持はどうした?とでも言いたげに、不思議そうな顔で俺を見た。

「さっき、夢子のやつ何隠したんだ?」
「ああ。気になるんですか?」

俺の問いに、竜持が問い返してきた。

そりゃあ、あんな風に隠されれば気になるだろ。
俺がそう返すと、竜持はそうですか、と楽しそうに笑ってから「でも言えませんねえ。口止めされてるので、一応」と答えた。

「あっそ。まあいいけど」
「おや、追及しないんですね?」
「したって仕方ないだろ。第一、隠したいことを無理に他人から聞き出しても仕方ねえし」
「そうですか、じゃあさっきのことは、僕と夢子さんの秘密ですね」

そう煽るように笑う竜持を横目で見送って俺は風呂場に向かった。
忘れていたが、今日は部活で疲れていて、早く寝たかったんだ。
夢子のおかげで随分時間をくってしまった。


「……やっぱりいちゃついてるのは、俺より竜持だと思う」


そう独り言のように呟いて、俺は風呂場の戸を閉めた。















つづく(2012.9.30)

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