目が覚めると、飛び込んできたのは見慣れたものではなく、一点の曇りもない真っ白な天井だった。一瞬、いつもとは違った景色に驚いたけれど、すぐにここが住み慣れた我が家ではなく東京の降矢家であることを思いだした。

布団から起き上がり、ぐぐ、と伸びをする。カーテン越しに朝日が差し込んでいて、天井と同じ白いレースのカーテンがキラキラと反射した。その光景に、まだ寝ぼけた目を細める。少しばかり寝汗をかいているものの、暑さに苛まれて目が覚めたわけではない。村ほど涼しかったわけではないけれど、そこまで熱帯的でもなかった。自然と目が覚めたのだ。
時計に目をやるとまだ六時で、夏休みにしては早く起きてしまった、と思った。
もしかしたら、人の家、ということに緊張して、熟睡できなかったのもしれない。人の家で緊張するなんて初めてのことだけれど、それは村人全員家族のようなアットホームな村で育ったからであって、降矢家は村の人間ではない、言ってしまえば他人なので仕方がない。もちろん、竜持くんたちのことは大切に思っているけれど、竜持くんたちのお父さんとお母さんに会うのは、昨日が初めてのことだった。二人とも優しそうな人で、自分の家だと思ってくつろいでいいと言われたが、むしろ粗相のないようにと思うと余計に緊張してしまった。
何より、初めての都会、という環境こそが、一番緊張してしまっていたのかもしれない。




「あ、凰壮くん」
「ああ、夢子か。おはよ」

着替えをすませ洗面台を借りようとお風呂場に向かうと、歯を磨いている凰壮くんと出くわした。
凰壮くんとは昨晩既に再会していた。実に四年振りだったけれど、凰壮くんに関しては成長過程を竜持くんが同封してくれる写真で逐一確認していたので、久しぶりという感じはさほどしなかった。けれども柔道を始めたからか、竜持くんと比べると体も少し大きくなっていて、最後に会った時は三人ともコピーしたかのようにそっくりだったことを思うと月日が経ったことを感じさせた。

「お前早いな、眠れなかったのか?」
「うーん、まあ昨日寝るの早かったし、折角遊びに来たのにずっと寝てるのももったいないしね。凰壮くんも早いんだね」
「ああ、今日部活だからな」

凰壮くんは洗面台に向き直って、口を濯いだ。

「そっか、折角久しぶりに会えたのに、やっぱり忙しいんだね」

昔のようにはいかないか、と私が溜息をつくと凰壮くんはタオルで口を拭きながら「まあ最終日なら俺も相手できるから、それまで竜持で我慢しろよ」と言った。

「最終日なんて、ほとんど遊べないじゃんか」
「しょうがねえだろ、急な話だったし。大体この歳で遊ぶことなんてそんなねえだろ、同じ家にいるだけで充分だって。夕方には帰るからさ」

私が不服そうに口をへの字に曲げると、凰壮くんは「それにお前、竜持と二人で遊ぶの得意だろ」と付け足した。




身支度が整うと、凰壮くんと一緒にリビングで朝食を頂いた。しばらくすると竜持くんも起きてきて、少し遅れて一緒に席に着いた。

「夢子さん、今日は何をしましょうか?」

降矢くんたちのお母さんが用意してくれた朝食に箸を付けながら、竜持くんが尋ねてきた。
黙々と箸を進める凰壮くんの朝食と比べると、竜持くんの朝食は量が少ない。

「うーん、考えてないなあ」
「そうですか、じゃあお昼までに考えておいてくださいね」

竜持くんはそう言って笑ってから、味噌汁に口を付けた。
考えておいて、と言われたところで、なにがあるかも分からないので考えようがない。観光するにしても、何が東京の名所なのかもよく知らない。私の知識ではせいぜい東京タワーくらいだ。(あれ?スカイツリーだっけ?)それに凰壮くんも言っていたように、この歳になって走り回って遊ぶことなんてないだろうし。いや、私は未だに走り回って遊んでいたのだけれど、都会の人はそうではないらしい。
四年間のブランクが、私たちがどう過ごすべきかも、分からなくさせた。

「(何をしたいか、かあ)」

四年間ずっと会いたかったけれど、何かをしたかったわけではない。
ただ、傍にいたかっただけなんだろうなって、思った。





「決まりました?」

お昼をすませてからリビングで一段落していると、竜持くんがコーヒーを淹れてくれた。それをありがとう、と受け取って二人で飲んでいると、伺うように竜持くんが尋ねてきた。

思いついたには思いつたのだけれど、竜持くんにとってはつまらないことかもしれない。
そう思ってはっきりとは言えず、言い淀んでいると、竜持くんは「なんでもいいですよ。夢子さんのしたいことが、したいです」と優しく言ってくれた。
竜持くんの気遣いが嬉しくて、自然と笑みが零れる。

「うん、あのね、この辺を散歩したいなあって」
「この辺?観光しなくてもいいんですか?」

竜持くんはクスっと笑いながら首を傾げる。そんな竜持くんに「変かな?」と尋ねると「いいえ、夢子さんらしいな、と」と言った。

「観光は、明日でもいいと思って。それよりも先に、竜持くんたちが育った街が見てみたいなって」

竜持くんたちと会えなかった四年間に、竜持くんたちが過ごした街を見てみたかった。
手紙や写真で知らされる遠い出来事を、直に感じたいと思ったのだ。

私の提案に、竜持くんは「いいですね、それ」と言って笑った。





そうして、竜持くんは、色んな所に案内してくれた。
始めは、竜持くんたちがつかった通学路を歩いて小学校に連れて行ってくれた。それから今通っている中学校、商店街、よく使う本屋、サッカーをしていた頃に通っていたスポーツ店、チームメイトの家、土手沿いのグラウンド、早朝のランニングコース、テニスコート、そしてよく兄弟で練習に使ったという広い公園。歩いて行ける程度の距離に、本当に色んなところがあるなあ、と驚いた。私の村なんて、これだけ自然しかない。
竜持くんは、連れて行ってくれる度、ここではこういうことがあった、と細かく教えてくれた。

「この公園で、翔くん……ああ、プレデターのキャプテンなんですけど、翔くんに『もう一度サッカーやろう』って誘われたんですよ。虎太くんなんてほとんど二つ返事で、やっぱりサッカーやりたかったんだなって思いました」
「虎太くん、サッカー好きなんだね」
「ええ、そりゃあもう。なんたって、サッカーするためにスペインに行くくらいですからね」

そう、竜持くんはクスクスと笑った。

虎太くんにも会いたかったなあ、と私はぼんやり思った。虎太くんも、竜持くんが帰省した際の写真を撮って送ってくれていたので、凰壮くんほどではないが、たまに顔が見れた。しかしながら、竜持くんたちだってそんなに会っていないようだったので、手紙に虎太くんのことが書いてあるのは本当に稀なことだった。
私は村の外に出るのだってこの歳で初めてだっていうのに、虎太くんは中学上がってすぐ海外にまで行っているのだから、すごいなあと思っていた。

座りましょうか、と竜持くんが公園のベンチを指差した。思えばこの炎天下の中、ニ時間は散歩をしていたと気付く。
二人で並んで、ベンチに腰かけた。

「虎太くんはサッカー選手になるの?」

私はさっきの会話の続きを始めた。

「さあ、どうでしょう。そんな甘い世界でもないですからね。まあ、本人はそのつもりだと思いますよ」
「そっかー……。虎太くんって自由だね、長男なのに」
「…………と、言いますと?」
「だってさあ、長男ならお家継ぐものじゃない?なのに海外行っちゃって」
「……まあ、うちは長男とか特にありませんから」

へえ、と私は相槌を打ちながら、昨日竜持くんが言っていたことを思いだした。
竜持くんのお父さんは、数学者と言った。そして竜持くんは、数学に勤しんでいると手紙に再三書いていた。ならば。

「もしかして、お家継ぐのは竜持くんなの?」

私のふと湧いた問いかけに、何故か竜持くんは目を見開いた。
そして少し目を伏せ黙ってから、苦笑いをした。

「継ぐ継がないって話は別として、父の期待に応えようとは、思ってますね」
「へえ、そうなんだ」

竜持くんが会わなくなってから数学にのめりこんでいた理由が、やっとわかった。手紙には、数学をやっている、とは書いていたけれど、何故かは一切書いていなかったのだ。
肝心なことの理由をいつも省く、竜持くんらしいと思っていた。

「(竜持くんて、お父さんっ子なのかな?)」

期待に応えたいと言った竜持くんの言葉からそう推測し、そうかもしれないと考えると自然と笑みが零れた。今まで知らなかった竜持くんが知れて、嬉しかったのだ。

しかしながら、ニコニコしている私とは対照的に、竜持くんはじっと黙って、何かを考えるように足元に視線を落としていた。どこか元気がないように見えた。
不思議に思った私が「竜持くん?」と声をかけようとすると、私が呼ぶより先に竜持くんが「夢子さん」と私を呼んだ。

「なあに?」
「……僕も、聞きたいことが、あるんです。ずっと、聞こうと思っていたことです」

ゆっくりとそう言った竜持くんが、真剣な目で私をジッと見つめた。
いきなり、どうしたんだろう?
私は突然のかしこまった雰囲気に、少したじろいでしまった。

「(私、何か変なこと言ったっけ……?)」

しかしながら、先ほどの会話を思い返すように脳内再生を繰り返しても、心当たりは一向に見つからない。
他愛もない、話だったと思う。
じゃあ、竜持くんの聞きたいことってなんだろう。ずっと、聞こうと思ってたこと……?

「(も、もしかして……)」

私は、一つの仮定に辿りついた。


もしかして、あの、キスの話だろうか。


私が四年間ずっと聞きたいと思っていたように、竜持くんもあのことについて聞きたいことがあったのかもしれない。
そう思うと、一気に心臓がバクバクとうるさくなった気がした。手が痺れるようにびりびりして、掌がジワっと汗をかいた。

「(でも、私は、まだ、答えが出てない)」

あの時の出来事を、話題にするのは怖い。
竜持くんの気持ちを知るのが、怖い。

「夢子さん、て……」

竜持くんが真っ直ぐ私を見つめる。
あの日、キスされた時も、こんな風に見つめられたなあって緊張する頭の中で考えた。
しかしながら、あの日とはどこか違っていた。ジリジリと蝉がうるさいのも、バクバクと心臓がうるさいのも、夏の日差しが暑いのも、全部全部一緒なのに、何かが違っていた。
なんだろう、何か分からないけど。

私がゴクンと唾を飲み込むと、それを合図にしたように竜持くんが再び口を開いた。


「夢子さんて…………あの家の畑は継ぐんですか?」
「……え?」

あまりに予想外の質問に、思わず聞き返してしまった。
家?畑?そんなこと聞きたかったの?

「うん……たぶんね。私一人っ子だし」
「……そうですか」

訝しげつつも私が答えると、竜持くんはニコリと笑った。

どこか貼り付けたような、取り繕った笑顔に「はぐらかしたのかな?」と思った。

本当に聞こうと思ったことが、別にあったのかもしれない。
けれど、何故かはわからないけれど、聞くことができずに「家を継ぐ継がない」の話に戻したのかもしれない。
肝心なことをいつもはぐらかす竜持くんなら、有り得ると思った。


「そろそろ行きましょうか」

竜持くんが突然立ち上がり歩き出してしまったので、私も急いで立ち上がった。
けれども、いつもは私を気遣って私のペースに合わせてくれる竜持くんが、どんどん先に歩いて行ってしまうので「どうしたのだろう」と不思議に思った。
小走りについて行ってもついて行くのがやっとで、竜持くんは私に待つ素振りなど全く見せなかった。

「竜持くん!」

抗議するように声を上げると、こちらに振り向いた竜持くんが「どうしたんですか?」と言って笑った。
その笑顔はどこかやっぱり先ほどのように取り繕った感じで、私の好きな竜持くんの綺麗で儚い笑顔なんかじゃなかった。

その笑顔が、少し、怖かった。

「(……怒ってるの?)」

そう思うけれど、怒らせるようなこと、言った憶えない。
竜持くんの質問に答えただけだ。

笑顔を絶やさない竜持くんに見つめられて、怖くなった。
何考えているか、全然わかんない。
どうして、いきなり冷たくなるの。
どうして、そんな風に笑うの?


やっぱり竜持くんは、よくわからない。



「あれえ?竜持くんやん」

後ろから声がして、思わず振り向いた。
そこには長い髪をポニーテールにした、同じ歳くらいの可愛らしい女の子がいた。

「(可愛い子だ……)」

その子に見惚れていると、竜持くんは「ああ、エリカさん久しぶりですね」と言って私の横を横切って、エリカと呼ばれたその子の傍まで行った。

楽しそうに談笑を始めた二人を目の前にし、釈然としない気持ちにさせられた。

さっきまで私にはあんなに冷たかったのに、どうしていきなり機嫌よくなるの。

納得いかない状況に、私がジッと二人を睨むように見ていると、私に気付いたエリカちゃんが「竜持くん、あの子彼女?デートの邪魔して悪かったなあ」って言って茶化すように笑った。

彼女、という単語に、私は思わず顔を赤らめてしまった。
ほとんど家族みたいな村の幼馴染たちの間では、そういう関係に至る友達はほとんどおらず、聞き慣れないその単語に照れてしまったのだ。

ましてや、そう勘違いされた相手が、竜持くんであらば、私が照れてしまうのも当然だ。


だって、私は竜持くんが、好き。


しかしながら、私の想いとは裏腹に、竜持くんは冷たくしかしきっぱりと言い放った。


「いいえ、夢子さんとは、そういう関係ではありませんよ。これからも、ね」


ねえ、夢子さん?
竜持くんが私に向き直って、ニコリ、と笑った。


竜持くんの笑顔に、心臓が抉られる気がした。


「(今、はっきりと、線引かれた)」

どうしてだろう、竜持くん。
どうしていきなり、冷たくなったの?
私、何かした?


竜持くんのことは何もわからない、けど。
一つだけわかることはあった。



「(ああ、ほら。竜持くんの気持ちを知るのは、やっぱり怖い)」















(2012.10.07)

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