※短い
※暗いので注意



君が、君がいつか、君のつくった涙の海で溺れ死んでしまわないか、それが心配。泳げない私は、助けてあげることができないから。

何をくだらないことを言っているんですか。そう、返事をした君の頬は愛しい桃色に染まり、嬉しい私の指先がまるでシャボン玉に触れるかのように柔く、その頬を撫ぜた。くすぐったいと、猫のように目を細める君はやはり愛しく、もっと、もっと君を、力の限り滅茶苦茶に抱きしめたい衝動に駆られるけれど、そうしたら君がシャボン玉のように儚く、簡単に割れてしまうことを、私は知っている。
叶わない。そう、眉を下げて微笑むと、君はそのビー玉のように大きく眩い瞳で私を見上げて、泳げなくても助けに来てくださいね。と言う。
「そうしたら今度は僕が溺れたあなたを助けますから。陸まで行ったら、人工呼吸してあげますね。運命の人のキスで目覚めると、相場は決まってるので」
得意気に笑う君を、どうして私は拒むことができるのだろうか。いいえ、それほど私は愚かでも、勇敢でもない。私にできるのは、そっと、曖昧に微笑み返すだけ。そうすると、曖昧を愛する君が、本当に幸せそうに笑うから、私はまた罪悪に溺れていく。君を抱きしめられない罪悪、が。
君の中にある、自尊心という名の栓を、私が抜いてあげられたら、君が溺れることもないのだろうに。憤りが海をつくるまえに、そのビー玉のように大きく眩い瞳から、格好悪くても、全部外に溢れ出してしまえばいいのに。でもそんなこと、君は望んでない。そんな姿を見られるくらいなら君は、溺れ死ぬことを選ぶって、わかっているのに。

私に向かいあって小さく体育座りをする君が、眉を下げて優しく笑い、ジッと私を見つめる。何も言わない。ただ黙る唇の代わりに、そのビー玉のように大きく眩い瞳が語らう。
愛おしいと、そう。
言わない。触れない。抱きしめない。けれども、この瞳だけで充分に伝わるのは、幸せか不幸せか。
決して近づかないくせに、傍を離れない君は、何かに似ている。なんだったろう、と考えて、ああそうだ、小さい頃に飼っていた猫のタマに似ている、と一人納得する。そういえばこの勝気な目も、どこか猫を彷彿とさせるなあと思って、笑ってしまった。
何を笑ってるんですか?首を傾げて、穏やかに尋ねる君に思ったことを伝えると、僕はどちらかというと犬です、こんなに忠実でしょう?と言った。あなただけなのに、とも君は言った。
「タマは今どうしてるんですか?」
問いかけられて、死んでしまった、歳だったの。と素直に答える。死んでしまった。あれから猫は飼っていない。私にとって、猫はタマだけ。君は、人間だから、いいのだけど。
気付いたらいなかった。どこに行ったのかと捜した。一日捜して、軒下から冷たくなったタマを見つけた。猫は死に際一人になりたがる、というのは本当の話だった。誰にも看取られることもなく、ひっそりと死んでいく。
もしも君もそうなったら、私はすごく寂しい。いなくなってしまっては、君を助けられない。
「それでも助けにきてくださいね。僕を見つけて。僕があなたから逃げても、追いかけてね。抱きしめなくていい、言葉がなくてもいい。ただ僕は、あなたがこうして傍にいてくれるだけで、それで。僕はきっと、あなたがいなければ、溺れて死んでしまうから。僕を助けるために溺れてしまう愚かなあなたを助けるために、僕は生まれてきたのでしょう」
膝を抱えて丸くなってしまう君は、そのまま小さくなっていつか消えてしまうんじゃないかって、不安になる。



好きだよ。



いっそ、そう言ってしまいたい。自尊心が邪魔をして、そう素直に私にぶちまけられない君に。私に否定されるのを、怖がる君に。でもそう告げてしまえば、君は、私を軽蔑してしまうでしょう。君は潔癖だから。他の男性のものである私が、君を好きだなんて言ったら、君はきっと私を見損なうでしょう。君はそんなこと望んでいない。ただただ、子供の我儘で私をたぶらかして、縋って、幸せに笑って、そうして私の夫に嫉妬して、憤って、一人涙の海をつくるのだ。矛盾している。私を独り占めしたい気持ちと、私に受け入れられたくない気持ちがぐちゃぐちゃになって。君の心は、シャボン玉のように繊細だから。私が感情のままに触れたら、色んな感情が混ざり合って、弾けてしまう。難しい。君のことが、私は愛しいのだけど、それがつらいなんて、私だってひどく矛盾している。

「竜持くん」
「……はい?」
「モンブラン食べる?買ってきたのよ」
「ええ、是非」

屈託なく笑う君に、私も泣いてしまいたい。

私が君に触れられるのはきっと、君が溺れてしまう、その時だけ。
その時がきたら、罪悪も何もかも捨てて、君と溺れるから、その最期の時だけは、私のこと軽蔑しないで、受け入れてね。
それが最期なら、死にゆく君と抱きしめあいたいの。







(2012.11.13)

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