ピンポンパンポーン。
「迷子のお知らせです。黒の甚平をお召しになられた、十二歳、降矢虎太くんが迷子になっております。お連れ様がお待ちですので、お見かけしましたら、至急迷子センターまでお知らせください」
ピンポンパンポン。

「ブッ!!!!」

カキ氷噴いた。





本日はここ、桃山町の神社で年に一度の夏祭りが行われていた。
普段は閑散として薄暗い灯りしか灯さない境内には、夜の暗闇を負けぬようにと大量の提灯がサンサンと華やかに輝き、浮かれきった人々で溢れかえって人々を誘惑するように様々な種類の屋台が所狭しとひしめき合っている。
カキ氷リンゴ飴チョコバナナ綿飴金魚すくいお面水風船。
夢のような世界に目移りしながらも、限られたお小遣いの中でいかにやりくりして楽しむかということに、私は余念がなかった。


桃山町は決して大きな町ではない。近所でイベントがあらば、大体の人間がその存在を知っていたし、皆こぞってそれに参加した。この夏祭りも例外ではなく、行き交う人々の中は右も左も上も下もどこもかしこも、知った顔ばかりだった。
レトロモダンな黒と白のチェック柄の浴衣と薄紅色の帯に趣き深い音を鳴らす下駄、薄い黄色の花の髪飾り。いつもより数段めかしこんで友人と祭りを堪能していた私は、キョロキョロと忙しそうに辺りを見回して、通り過ぎる人ごみの中に知り合いを捜し見つけては談笑を繰り広げ、女子特有の褒め合い合戦(今日のテーマは浴衣)に華を咲かせていた。

その時だ。
あのアナウンスが聞こえたのは。

祭りの弾けた雰囲気や、浴衣を褒められ高揚気分だった女子たちの輪は、ものの一瞬で氷河期のように凍りつき、噴き出してしまったカキ氷が寸前まで詰まっていた私の口内なんてもはや凍死寸前だった。
女子たちは互いの褒めあい合戦を即座に中止し、「今のって降矢くんのことだよね……」と迷子アナウンスされた確かに聞き覚えのある名前が、クラスメイトである人物と同一であることを確認し、誰に秘密にするわけでもなく潜めた声で囁きあった。

買ったばかりのカキ氷を盛大に噴き出した上に衝撃のあまり思わずソレを地面に落としてしまったにも関わらず、それを「もったいない」などと思う間もなく私は皆に短く「ごめん」とだけ謝り、その場を後にして迷子センターに向かった。この際カキ氷は蟻たちにくれてやる。
いつもなら最大限に開脚して走ろうとする足は、溢れ返るような人ごみや広がりにくい浴衣の裾に動きを制限され、必然的に小走りになってしまう。履きなれない下駄の鼻緒が親指と人差し指の間にまるで喰い千切るように食い込んで、きっと見るも無残に赤くズル剥けているだろうが、そんなことを気にする余裕など今はない。




「竜持!凰壮!」
「お」
「なんだ、夢子さんですか」

迷子センターに辿り着くと、おそらく『迷子のお連れ様』であろう竜持と凰壮が、暇そうに迷子センターのテント内に設置された簡易ベンチに腰掛けていた。二人とも、お揃いの黒い甚平を着ていて、今日は履いてるサンダルが色違いであった。
二人は名前を呼んだ人間が待ち人でないと分かると、落胆した声をあげた。
なんだとはなんだ。

「なんだ、じゃないよ!何?あのアナウンス!」
「そのままの意味ですが?」
「虎太とはぐれちまったんだよ」

息巻く私とは対照的に、竜持と凰壮はあっけらかんと答える。

「だからって迷子のアナウンスすることないでしょ!六年生にもなって迷子扱いされる身にもなってみなさいよ!」

十二にもなる人間が迷子だなんてレッテルを貼られては、いい恥晒しではないか。
来年には中学生になるというのに、このままでは虎太の沽券に関わってしまう。

「だってこの方が確実じゃん。あいつ、今充電切れてて携帯繋がんねえし」
「それに虎太くんも、迷子アナウンスされたところで別に何も気にしないと思いますよ」

そう言われて、確かに虎太は気にしなさそうだ、と思った。
虎太は常にどんなことにも我関せずなところがある。他人への興味や他人からの評価にいまいち関心がない。もちろん褒められれば得意そうな顔を見せたりもするし認めた相手に対してライバル心を燃やすこともあるが、基本的には他人よりも自分自身と闘う、ストイックで負けん気の強いまるで虎のような男なのだ。

別に迷子アナウンスされたことでクラスメイトにどう思われようとも、虎太自身は特に気にも留めないだろう。
そりゃあ面と向かって馬鹿にされれば殴りかかる勢いで怒り出すだろうが、問題児として有名な降矢三兄弟に喧嘩を売るような怖いもの知らずは、私たちの学校には誰一人としていなかった。


ベンチに座る二人の横に腰を下ろすと、二人は不思議そうに眉を顰めた。

「何してんだよ」
「私も一緒に待つ」
「お友達が待ってるんじゃないですか?」
「……だって心配だもん」
「大丈夫ですよ、虎太くんだって子供じゃないんですから」

じゃあ迷子アナウンスなんて流すなよ。

私がそれ以上何も言わずに黙っていると、凰壮が呆れたように「勝手にしろよ……」と言った。






「来ませんねえ」
「来ないねえ」
「来ねえな」

かれこれ三十分ほど経っただろうか。
待てど暮らせど、虎太が迷子センターに現れることはなかった。
もしかしたらアナウンスを聞いてないのかもしれない。
虎太のことだ。ボーっとして聞き逃したということがあっても不思議ではないだろう。

「もしかして帰っちまったんじゃねえか?」
足を組んで頬杖をついた凰壮が、少し苛ついたように言った。

「それはないでしょう。虎太くん、お祭り楽しみにしてましたから。一人になっても楽しむでしょう」
むしろ僕たちのことも捜してないと思いますよ。

竜持のため息交じりの言葉に、私と凰壮は妙に納得してしまった。
綿飴食べて頭にお面つけた虎太が射的をやってる姿が光の速さで想像できてしまう。

「おい夢子、お前虎太のこと捜して来いよ」
「え、なんで私!」
「僕たちが行って、行き違いになったら困るでしょう?」

凰壮と竜持がジィっと私を見る。
有無を言わせぬような視線に、私はたじろいだ。

「でも」
「夢子、虎太が心配なんだろ?」
「そ、そりゃあ……」
「それに、夢子さんは虎太くんを見つけるのが得意みたいですからね。伊達にいつも密かに遠くから見つめてるわけじゃないでしょう?」
「な、なぜそれを……!」

身に覚えのある行為が恥ずかしくて、一気に顔が熱くなる。

「折角めかしこんできたんですから、早く虎太くんに浴衣姿見せたいんじゃないんですかあ?」

図星。
からかうようにニヤつく竜持の視線から逃げるように、そそくさと私は腰をあげた。





そこまで広くない境内を往復する。既に三往復はしただろうか、しかしながら虎太の姿を発見することはできなかった。
たまにすれ違う友達に尋ねて見るが、誰も虎太を見ていないと言う。

夜とはいえ、夏の温く暑い気温に加えて締め付けられた浴衣が身体を蒸すようで、額に汗が伝った。
ドライヤーやアイロン、ワックスなどを駆使して整えてきた髪の毛も、焦って虎太を捜している内に乱れてしまっていて、せめて前髪だけでもと何度も手櫛で整えた。
更に鼻緒がのこぎりのように上下して私の皮膚をギリギリと裂いていく。このままでは親指と人差し指だけが不自然に裂けてしまって、いつしか身体ごと裂けて分裂してしまうんじゃないかと危惧してしまう。そんな馬鹿げたことを考える程度には痛かった。
痛いのを我慢しながら歩き進むが、いくら目を凝らしても虎太の姿を捉えることはできない。
往復する度に色んな友人を見つけるのに、捜しているはずの虎太にだけは、ちっとも会うことができない。いつもはどんな雑踏の中にいても、忙しなくプレイヤーが動きまくるピッチの中にいても、容易く虎太を見つけることが出来るというのに。
周りは留まることない人の群れが流れていくのに、たった一人の人に会えないだけでひどく寂しく感じた。

携帯を見るが竜持や凰壮からは、特に連絡などない。


「(もしかして、変な人にさらわれちゃったんじゃ……?)」

いくら皆が恐れる問題児だと言っても、一介の小学生なのだ。大人に押さえられたら、虎太といえど一溜まりもないだろう。
よぎった核心のない不安が次第に際限なく膨らんでいき、自分で生み出した想像で泣きそうになった。ある筈無いと言い聞かせれば言い聞かせるほど、それを糧とするかの如く杞憂と言う名の感情はムクムクと逞しく育っていき、これが植物ならばもう花を咲かせる寸前だ。

とにかく早く見つけないと、と頼りなくも意気込むが、このまま境内を往復するだけでは埒が明かない。既に屋台が並ぶ通りは捜し尽くしてしまったし、偶然会ったクラスメイトの男の子に頼んで男子トイレも捜してもらったが見つからなかった。

他に捜してない場所と思って、連なる屋台の奥に広がる、騒がしい境内とは裏腹な鬱蒼とする林を見つめた。いつの間に分泌されたか分からない唾の塊が無意識にゴクンと音を立てて喉を通る。蒸し暑さからかいた汗とは違う種類の汗も額から伝った。
もし変な人にさらわれたのならば人気のないところに連れて行かれるのは必至。
さらわれたというのは限りなく低い可能性であるけれども、境内にはいない以上、虎太が林の中にいるかもしれない可能性は限りなく高いのだ。

私は怯えながらも、震える足を奮い立たせて林の中に踏み込んでいった。





灯りも人気もない不気味な林に360度を囲まれる。
祭りの賑やかな音がひどく遠くに聞こえた。時々、何の前触れもなく突然鳴きだす虫に驚き、その度に心臓が皮膚を突き破ってしまうんじゃないかと思うほど跳び上がる。雨粒が石を窪ますこともあるくらいだ。跳ねる心臓がいつか身体を突き破っても、不思議でない。

「虎太あ……」

頼りない声は震えるが、虫の声以外何もない静寂が包む林の中では、思った以上に響いた。エコーがかかるように空気は振るえて私の声を乗せていく。それが不気味さを増長させた。
怖い。すごく怖い。


このまま虎太が見つからなかったらどうしよう。
あの澄ました竜持や凰壮も心配するだろうか。私も虎太を見つけるまでは家へ帰れまい。
だがいつまでも家に帰らなければ、親の保護下に置かれる未成年の私はきっと心配され、親は警察に通報するだろう。そんなことになればこんな近所の特に広大でもない神社なんかで迷子扱いされた私は捜索されてあっという間に発見され警察に連れてかれてしまう。虎太も見つからないまま。しかしながら警察という国家権力を駆使すれば、神隠しの如く行方をくらました虎太も見つかるかもしれない。虎太をさらった悪い人も捕まるかもしれない。虎太が見つかった愛しさと自分で見つけられなった切なさと警察に対する心強さとで、某篠原なんとかさんのような曲が作れるかもしれないが、私の心は歌なんか歌っている場合ではない。
警察の厄介になってしまった非行娘に家庭は崩壊、母が泣き父は怒り私はグレて本物の親不孝者になってしまう。学校では六年生にして迷子のレッテルを貼られ、クラスの男子にからかわれ嘲笑われ後ろ指を指される。庇うように女子が「ちょっと男子ーやめなさいよ可哀想じゃない」と注意する。情けなくって毎日泣いていたら、いつしか私の目はただれて跡形もなく無くなって、仕方がないからムスカごっこをして遊ぶ毎日。「目がああああ目があああああああああ」でもすぐ飽きる。
節穴な目では虎太も見つけられなければ、幸せも希望も見つからない。
私の小学校最後の年の思い出は、絶望と嘲笑と哀れみでアルバムが埋まることになる。私は虎太と違って、他人の目を気にせずには生きれないのだ。


くだらない想像で気を紛らわそうと試みるが、余計に悲しくなった。
加えて、先ほどから襲う鼻緒のこぎりの傷がそろそろ本格的に悲鳴をあげている。暗がりではあるが伺うように指の合間を覗くと、想像通り皮膚が剥けていて見るだけで痛い。本当に刃でもついているのではないかと疑い鼻緒も確認するが、当然そんなものはなかった。
痛みを和らげようと足を止め木にもたれたら、震えていた足がごく自然にカクンと折れ曲がり、舗装などされているはずもない土いっぱいの地面に膝をついて座ってしまった。
今日のためにおねだりして買ってもらったばかりの浴衣が泥だらけになるのは許しがたく立ち上がろうとするが、知ったことかと足は聞く耳持たない。
足がすくむ、という体験をはじめてした。

どうして虎太はいないの。どうして虎太を見つけられないの。

一人で林の中にいて、心が滅入る。

どうしてこんな怖い思いをしているの。
つい数十分まえまではただ祭りを楽しんでいただけなのに。それにまだ充分に楽しんだわけではない。
私、まだカキ氷、一口しか食べてない。リンゴ飴もチョコバナナも綿飴も食べてない。金魚すくいも水風船も射的もやってない。花火も見てないし、盆踊りも参加してない。

まだ、虎太に、浴衣姿を見てもらってない、のに。

弱音を吐く心と同調するように自然と溢れてしまいそうになった涙を阻止するようにギュウっと瞑る。目なんか瞑ったらそれこそ虎太を見つけることなんてできなくなってしまうが、目を開けたところで虎太に会えるわけじゃないという後ろ向きの考えが、雀の涙ほどの少ない私の勇気を奪っていく。

虎太、どこ行っちゃったの?





「何してんだ?」

聞き覚えのありすぎる声がして、顔を上げると、いた。
虎太がいた。
いつも通りの元気そうな虎太がいた。変な人とも一緒にいなかった。

「なんで地面に座ってんだ?」
「え、あ、足が、すくんで」

虎太はぶっきらぼうに「ホラ」と言って手を差し出してきた。私が掴むと、引っ張るような力が加えられ、すんなりと立てた。

「お前、何でこんなところにいたんだ?」

訝しげに眉を顰める虎太に、私は唖然とし、次第に腸が煮えくりかえる気持ちにさせられた。

「何じゃないよ!どうしてこんな林の中にいたの!捜したんだよ!」
「探検してた」

怒り狂う私とは対照的に悪びれもなくあっけらかんとした態度の虎太に、あの二人の姿がデジャヴュし脱力した。

「……帰ろうか」
「ああ」

私と虎太は賑やかに栄えるほうへ歩いていく。私の前をズンズン歩いていく虎太の背中を眺めながら、私は折角捜していた人に会えたというのにどうにも虚しい気持ちでいっぱいだった。

虎太は他人を気にしない。
迷子アナウンスされてもなんとも思わないみたいに、他人を気にしない。
他人への興味や他人からの評価に関心なんてないから、私たちがどれだけ心配したかなんて、気にしない。私がどれだけ痛い思いしたかも、怖い思いしたかも、気にしない。
私が虎太に会いたかったことも、浴衣姿を見てほしかったことも、褒めてもらいたくてめかしこんできたことも、可愛いとか思ってほしかったことも、絶対気づかない。いつだって、他人の気持ちなんて、気にしないんだ。

いつも見つめている私の気持ちなんて、虎太は……。

虎太に気づかれないように、滲む涙を拭うと、虎太がふと私に振り返った。「な、なに?」と平静を装って尋ねると「お前、泥だらけだぞ」と虎太が言う。

「誰のせいだ!誰の!」
「……?何怒ってんだよ」

不服そうに顔を歪める虎太に、私の怒りはまたもふつふつと湧き上がる。

もういいよ!と言って拗ねるようにズカズカ歩いて虎太の前を横切ると、虎太が「あ」と声を上げた。

「……今度はなに?」
「それ」

そう言って虎太は私の薄黄色の花飾りを指した。

「これ?」
「俺の好きな色だ」

そう言って得意げにニッと笑う虎太を見て、さっきまでの嫌なことが全部帳消しになった私は簡単な女だ。



ああ、もう、これだから。



虎太は、他人なんか気にしない、のに。

褒められたわけでも可愛いと言われたわけでもないのに、嬉しかった。
虎太の目にとまっただけで、嬉しかった。

いつもは一方的に見つめる私を、虎太が見てくれたことが、どうしようもなく嬉しかった。


ヒュー。ドンドンドン。
私の気持ちを盛り上げるように、花火があがった。

「あ、花火」
「行こうぜ。まだ全然屋台まわってない」
「う、うん、私も」
「どこからまわる?」
「え!一緒にまわるの?」
「?駄目か?」
「い、いえ!」
「……?何笑ってんだ?」
「いえ、別に……」

思いがけない展開に、幸せで胸が満たされていく。

ああ、本当に私って現金だ。


足も痛いし、浴衣も汚れたし、疲れたし怖い思いもしたけど、今までで一番幸せだなあとまどろむ頭で考える。

幸福で、まるで夢の世界にいるみたいに、目の前がキラキラと華やいだ。






ピンポンパンポーン。
「迷子のお知らせです。黒と白色の浴衣をお召しになられた、十二歳、夢山夢子ちゃんが迷子になっております。お連れ様がお待ちですので、お見かけしましたら、至急迷子センターまでお知らせください」
ピンポンパンポン。



竜持と凰壮、後で殴る。


















(2012.8.18)


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