虎太が怪我をした。どうやら自転車に乗ってる時に転んだらしい。
反射神経のいい虎太にしては珍しいと竜持に言うと、「虎太くん案外ぼんやりしてますからね」と言った。それもそうだ。

虎太は足をぽっきり折ってしまったようだが命に別状はないらしい。一か月もすれば完治すると医者は言って虎太に入院を宣告した。
とは言うものの、俺たち子供にとって一か月という時間は果てしなく長い。どのくらい長いかっていうと、無邪気な外人子役がゴツゴツのマッチョマンに成長してしまったり開発計画が持ち出された衛星探査機が完成し発射されてしまったり次のオリンピックが開催されてしまったりと、これほどの時間を要する変化を一か月の体感時間は充分に可能にしてしまうのではないかと錯覚してしまうほどに長い。そんな長い間虎太がサッカーをできないのは同情したし(俺は練習休めてラッキーだなと思うけど)、なにより無茶して悪化させるんじゃないかと俺と竜持は心配した。

虎太が怪我して入院を余儀なくされた翌日。
学校が終わると、俺と竜持は虎太の見舞いに向かった。
虎太が暇を持て余してサッカーなどしないように、俺と竜持は金を出し合って見舞いの品のサッカー雑誌を買って持って行った。



七月中旬の気温は暑く、これから夏にかけてどんどん気温が上がっていくのかと怠く思えたが、程よく保たれた病院の空調に癒され、暑かろうが文明の利器をフル活用すればいいのだと実感した。

小児病棟は病院の割には騒がしかった。無理もない、元気を持て余した子供たちが収容されているのだ。ましてや虎太が入院しているのは外科で、怪我してなければ至って元気なやつらばかりだ。
虎太の病室は大部屋だった。同年代くらいの少年少女たちが四人ほど割り当てられていて、虎太のベッドは一番窓際だった。
俺と竜持が病室に入ると、同室の奴らは「うおっ!」と各々驚きの声を上げた。「同じ顔が三つもある」「見分けつかねー」「ドッペルゲンガーだ」とのヒソヒソ声も聞こえて、やっぱり双子に比べて三つ子は珍しいんだな、と実感した。

「よう虎太、元気かよ」
俺がからかうように声をかけると虎太はムッとした顔をしたが、竜持も「元気そうでなによりです」続いたので「お前ら何しに来たんだよ」と拗ねたように顔を顰められた。

虎太の右足はギプスでガチガチに固定された上に太ももの三倍くらいの大きさになっていて、まるで象の足のようになりながら宙にぶら下げられていた。こんなのに足を覆われて、これから夏本番だと言うのに、虎太の足が蒸し焼きにされて腐ってしまうんじゃないかと思った。
固定された右足以外はいつも通りの虎太だったので、当初の予想通り元気ではあるが元気を持て余して元気がない状態であるようだった。
ほらよ、とお見舞いのサッカー雑誌を手渡すと虎太はぶっきらぼうに「サンキュウ」と言ったが、すぐにそれを開いて読みだしたので、喜んでいるんだなとわかった。

「虎太、退院したら貸せよ。俺たちの金で買ったんだからな」
「凰壮くんは本当に節操ないですねえ。こういうのは年功序列ですよ、僕が先です」
「……歳一緒だろうが」
「あと、僕の方が十円多く出しましたよね。忘れちゃいましたあ?」
「節操ねえのはどっちだよ……がめついな」
「がっついてるんじゃありません。けじめです」

俺と竜持の会話には目もくれず、虎太は黙々とサッカー雑誌を読み進めていた。
しばらくすると虎太はパタンと音を立てて雑誌を閉じ、その音に反応して俺と竜持は会話をやめて虎太のほうにゆっくりと振り返った。
虎太は黙って真っ直ぐ前を睨むように見ている。
俺と竜持は嫌な予感がして思わず顔を見合わせた。はたから見るとシンメトリーな動作だったろう。そうしてまたすぐ同じような動きで虎太に視線を合わせておそるおそる「虎太……?」「虎太くん?」とほぼ同時に呼びかけると虎太は「サッカーやる」と言いだし、松葉杖を取ってベッドを降りようとした。

どうやらサッカー雑誌は逆効果だったようだ。





俺は病院一階の売店に向かっていた。えらく体力というか気力を消費してしまったので飲み物でも買おうと思い、エレベーターで下に降っていた。

あの後どうにか二人で虎太を宥めて安静でいるよう説得したが、この調子ではいつまでもつかわからない。いつまでも怪我していては虎太のためにもならないしチームの皆にも迷惑がかかるので、俺と竜持は毎日見舞いと言う名の見張りに来なければならないという妙な使命感に支配されていた。

桃山町でも割と最近新設されたこの病院の一階には、受付のほかに喫茶店みたいな施設があるようで、珈琲だとかデザートなど様々な食欲を誘う匂いを漂わせていた。お見舞いに来た人間用であるようだったが、食事制限されている人間も多く入院しているだろうに、なんと鬼畜なことをするのかと病院の設備に首をひねった。

喫茶店の前を抜けて売店に行こうとした時だった。
「降矢くん」と聞きなれないソプラノの声が俺のことと思われる名前を呼んだ。

振り向くとそこにいたのは、やはり知らない女だった。
足の先から頭のてっぺんまでジロジロと観察したが記憶の中にこの女の情報はなく、もしかしたら声をかけてきたのはこいつじゃなく別のやつかと疑った。
しかしながらきょろきょろ周りを見渡すが別段ほかに知り合いと思われる人物はおらず、なによりその女は嬉しそうに俺を見ていたので、俺を呼んだのはこの女らしいという推測は確信に変わっていった。
背丈は俺より少し低く、幼くは見えなかったので同じ歳くらいに見えた。水玉模様のパジャマを着ていたので、ここで入院している奴だろうな、と推理した。

そこで俺は、入院している人間ならば虎太のことを呼んだんじゃなかろうか?と一番ありえそうな可能性を閃いた。「降矢くん」と呼んだわけだし、俺たちが三つ子という情報を持っていなければ俺と虎太を間違えてしまっても仕方ない。
しかしあの虎太が入院して翌日に病院で友達(と呼べるかは未だ謎だが)をつくるとは、考えにくかった。サッカーしか頭にないような奴だ。俺や竜持同様、学校にもそれほど親しい友達などいない。ましてや女だし。それに病室も違う。虎太の四人部屋の病室には患者は全員病室にいた。しかもこいつは外科病棟の人間ではなく内科病棟の人間だろう。虎太みたいなギプスは見当たらないし、松葉杖もつかず普通に二足歩行である。頭に包帯を巻いているわけでもなければ至るところにガーゼが張り付いているわけでもない。パジャマさえ着ていなければ、お見舞いに来た人間と見間違えてしまうだろう。虎太と顔を合わせることすら可能性としては低いはずだ。

しかしあの朴念仁虎太も、つまらない入院生活(といってもまだ二日目だが)に華を咲かせようとしたのかもしれない。ひと夏のアバンチュールの如く、入院中の小さな恋のメロディでも始めたのかもしれない。サッカー馬鹿な虎太もなんだかんだいって男なのだ。

俺は声をかけてきた女に向き直ってから「お前、間違えてねえ?」と確信をもって尋ねた。
しかしながら返ってきたのは予想外の言葉だった。

「……?えっと、間違えてない、と思う。降矢くんでしょ?降矢凰壮くん」

「降矢くん」とは、俺のことだった。
じゃあこいつ誰だ?

俺が眉間に皺を寄せているとその女は「私、夢山夢子っていうの。降矢くんと同じクラスだよ」と言った。
こんな奴、クラスにいたか?と思っていると「今年度から転校してきたんだけどね、持病で始業式の次の日から入院してるの。始業式でた後に体調悪くなっちゃってその日はずっと保健室にいたから新しいクラスにはまだ一回も行けてないんだあ」と補足するように続けた。

俺は頭の中で自分の教室を描いてぐるりと見回すと、そういえば窓際一番後ろの席がずっと空席だった、と思い出した。興味がないから放置していたが、そうかあの席はこの転校生のものだったのか。ん?転校生?
「そんな奴がなんで俺のこと知ってんだよ?」
俺は至極当然の疑問を投げかけた。
始業式にしか行けてない転校生がなんで話したこともないクラスメイトのことを知っているのだ。

俺の質問に夢山は「あー」と力の抜けた声を出した後、困ったように眉を下げて笑って「降矢くん、目立つから」と言った。
「目立つ」と言われ俺はさっき病室に入ったときに囁かれたことを思い出した。そういえば三つ子は世間一般的に珍しいものだった。

「降矢くんはどうして病院にいるの?」
今度は俺が質問された。

「兄弟が入院してんだよ」
「ふーん、じゃあ降矢くんの具合が悪いわけじゃないんだね」
よかったあ、と言って夢山はほっとしたように笑った。

なんでこいつは会ったばかりの俺の健康まで気にしてんだ?

「別によくはねえけど」
俺が嫌味っぽく言うと「あ、そうだよね、兄弟が入院してるんだもんね。ごめん……」と今度は悲しそうに眉を下げた。笑ったり悲しんだり忙しいやつだ、と思った。

「まあ大した怪我じゃねえけど。一か月くらいで退院できるらしいし」
そう言うと「一か月かあ、もうすぐ夏休みなのに残念だねえ」とまるで自分のことのように落胆した。百面相を見ているようだった。

「お前は退院いつなんだよ」と軽い気持ちで聞くと「うーん、わかんない」とへらっと笑われた。
他人の一か月先の退院を嘆くくせに、自分のいつ来るかわからない退院をへらへらと語るのは、なんだか不思議だった。

「じゃあ俺行くわ」
売店に行くんだった、と当初の目的を思い出したので、俺は半分背を向けながら夢山に別れの挨拶を告げた。夢山も「私も病室に戻るね」と言って笑った。

「お前病室どこなの?」
俺が何の気なしに聞くと「お見舞いに来てくれるの?」と言って夢山は嬉しそうにビー玉みたいに真ん丸な目を爛々と輝かせた。「気になっただけ」と返すと「なあんだ、残念」とさほど残念ではなさそうに、へらっと笑った。
この、気の抜けた笑い方はこいつの特徴なのだろうか?

俺が「またな」と言って踵を返すと夢山は「うん、また、ね!」と言って声を弾ませた。
別に今の「また」はまた病院ですれ違ったりだとか退院して学校であったりだとか、そういう未来を考慮した上での「また」だったわけだが。あまりにも嬉しそうに声を弾ませる夢山を想って、少し後ろめたく思った。
「(まあいいか、勘違いしたのは向こうの勝手だし)」





「なあ、お前、夢山って知ってるか?」
病院からの帰り道、俺が尋ねると竜持は「知ってますよ」と当然の様に答えた。
「といっても見たことはありませんがね。いつもクラスに空席になってる席があるでしょう、あそこの席の子です」
「名前までよく知ってんな」
「名簿に書いてありますよ」
クラス名簿なんていちいち把握してないだろ。竜持は情報バンクだな、と思った。

「で?夢山さんがどうかしたんですか?」
「さっき会ったんだよ。入院してんだってさ」
「へえ、凰壮くんよく知ってましたね?」
「俺は知らなかったけど、声かけられたんだよ」
「え?転校生でまだ学校に来たことがない人にですか?」

保健室には来ていたらしいから来たことがないわけではないだろうが、いちいち訂正するのは面倒くさかったので流した。

「俺たち、目立つらしいからな」
俺が言うと「ああそういうことですか」と竜持は笑った。


俺は夢山のことをぼんやり思い出した。持病と言っていたが、わりかし元気そうに見えた。しかし始業式の次の日から今日まで三か月も入院して退院の目途が立っていないのは、意外と重い病気なのだろうか、と考えたが竜持の「そんなことより明日のお見舞い何持って行きます?」の言葉で夢山のことはほとんど思考から追い出された。

「虎太を刺激しない見舞いじゃねえとな」と答えて、帰り道はいかに虎太を入院中大人しくさせるか二人で検討し合った。





次の日も俺たちは学校帰り、虎太の見舞いに出かけた。今日はチームの練習があったので、顔だけ出してさっさと帰ろうとした。虎太は三日目にして既にイライラが爆発寸前のようだったが竜持がトクトクと無茶から起こる弊害を説いたおかげで、拗ねた顔はしていたが青ざめつつ少し納得したようだった。

虎太の病室を後にして俺たちは練習に向かおうとしたが、俺は練習用のドリンクを買おうと竜持を外に待たせて売店に寄った。
売店に行くと、雑誌を立ち読みしている数人の中に夢山がいるのが見えたので声をかけた。

「よお、何してんだよ」

俺が声をかけると夢山は振り返った。目が合うと夢山は嬉しそうに笑って「降矢くんだあ」と言った。
何がそんなに嬉しいんだ。

夢山は読んでいた雑誌を棚に戻した。「いいのか?」と聞くと「別に読みたかったわけじゃないから」と言われた。

「読みたくないやつわざわざ読んでたのかよ?」
「んー、暇だったし」
そう言ってあの特徴的なへらっとした笑顔で笑った。

ふーん、と俺は興味のなさそうに返事をして「じゃ俺、急いでるから」と足早にドリンクを買って去った。
夢山は「またね」と言って手を振って俺が見えなくなるまで見送っていたようだった。
まるで仲の良い友達を見送るような夢山に違和感を覚えた。俺と夢山は会って二日しか会っていないし大した話もしていない。

そういえば夢山は転校生だと言っていた。しかも転校してからは一度しか学校に来ていないので、クラスメイトとも交流したこともないだろう。来たばかりの知らない土地で見舞いにくる友達もおらず、いつまで送るかわからない入院生活を強いられるのは酷なことだろう。虎太なんて三日目で爆発寸前なのだ。
俺たち子供にとっては、時間の流れは驚くほどゆっくりである。
病院に缶詰にされることがどれほど暇であるのか、俺には想像もできなかった。

「(ちょっとそっけなさ過ぎたか)」

ガラにもなく、罪悪感めいたものを感じた。





翌日は土曜で学校は休みだった。
俺は用事があるからと言って、竜持よりも先に家を出て病院に向かった。虎太のいる小児外科病棟には行かず、小児内科の病棟に行くと、外科よりも数倍静かでこれが病院としてのあるべき姿なのだと実感した。
受付で尋ねて言われた病室に向かうと、個室のベッドで点滴打ってる夢山がいた。
夢山はただ外を眺めていた。

「夢山」

病室には入らずドアの側から声をかけると、夢山はビクと反応してからゆっくりとこちらに振り向いて、人より少しだけ大きめの丸い目を更に見開いて驚いて見せたが、すぐに笑顔になって「来てくれたんだあ」と言った。

「入っていいか?」と尋ねると「是非に!」と言って夢山は、近くにあった病院の丸椅子を指差して「座って」と勧めた。

病室に入るとすぐに、窓際に飾ってあったカラフルな鶴の群に目がいった。千羽鶴だ。
俺が前の学校のやつから貰ったのか?と千羽鶴を指差すと夢山は「違うよ、今のクラスの人から」と言った。

「あ?お前友達いたのかよ?」
「ううん、担任の先生が持ってきてくれたの。クラスの皆からだって」

そう言われて、ああそういえば新学期が始まってすぐ大量に折り鶴を折らされたことがあったな、と思い出した。

担任が宿題で一人折り鶴30羽折ってこいと言った。
鶴なんて折ったことがない俺と虎太に、竜持が何度も丁寧に教えてきた。俺も虎太もチマチマした作業は得意ではなく何度も「竜持が代わりに折れよ」と強要したが、その度に竜持は「宿題くらい自分でしてくださいよ」呆れたようにため息をついた。竜持は俺たちに何度も手本を見せて折っている間に自分のノルマを終わらせてしまっていた。俺と虎太は文句をたれながらもなんとか不格好な鶴っぽいものを完成させたのだった。

なるほどこれがその時の俺たちの汗と涙の結晶となった宿題か。

「嬉しかったよ」
そう言って笑う夢山に、またも罪悪感がわいた。

俺たちは別に夢山の健康祈願で鶴を折ったわけではない。ただ宿題で出されたから、ただやらなければならないことと処理して仕方なくつくったに過ぎないのだ。ましてや俺は、それが何に使われるかも知らず気にも留めなかった。興味がなかったのだ。
それを何も知らない夢山が喜んでいるという事実は、なんとも居心地の悪いものだった。

そんな俺の心中など露にも知らず、夢山は「降矢くんの折った鶴はどの子?」と聞いてきた。

「そんなこと覚えてねえよ。すげー不格好だったってことは覚えてるけど」
「そっかあ」
夢山は残念そうにした。

「今日はずっとベッドなのか?」
「そうなの。むしろ不健康だよね、こんなに元気なのに。体が腐っちゃうよ」

夢山は拗ねたように頬膨らませてから「でも今日はいい日。降矢くんが来てくれたし」と言ってにっこり笑った。
「別にただ暇つぶしだ」と嫌味っぽく口の端を吊り上げて言うが「じゃあ暇がつぶれるようにおもてなししなくちゃ!」と意気込むよう両手でこぶしをつくって言われた。調子狂うな。

「いちいち張り切るなよ、めんどくせえな」
「張り切るよ、初めてのお客様だもの」
どこか気の抜けた俺とは対照的に、夢山は満面の笑みを見せた。





それから俺は虎太のお見舞いに行くときは必ず夢山の病室にも顔を出した。
罪悪感とか同情といった感情からではなく、ただの「ついで」だった。

ただなんとなく虎太や竜持には言うタイミングがなく、結果的に夢山へのお見舞いは秘密裏に行われることとなった。
とは言うものの、毎回理由をつけて竜持には先に帰ってもらっていたので、竜持はなにか感づいているようだった。
二ヤついた顔で「春ですねえ」と言う竜持に虎太が「まだ夏だろ」とツッコむと「凰壮くんは春なんですよ、ねえ?」と意地悪い顔で笑った。「そんなんじゃねえよ」と返すと虎太は頭に疑問符を浮かべまくっていた。





日が経つにつれ、俺の財布はスカスカになって随分風通しがよくなっていった。虎太の見舞い品だけではなく夢山にも見舞いの品を買っていたからだ。
毎度ではなかったが気が向いたときになんとなく目に付いたものを買って持っていった。夢山の趣味なんて知らなかったからほとんど俺が欲しいものを買っていくと、夢山は少しも嫌な顔などせず「降矢くんはこういうのが好きなんだね」と嬉しそうに言うので、俺も多少開き直っていた。

そうは言っても興味のないものばかりはなんだか悪い気がして、一度だけちゃんと選んで買って行った。
クラスの女子の間で流行っているカラフルなペンセットだ。消しゴムでこすると文字が浮かんで見えるようになる透明インクのペンとか果物の匂いがするペンとかが詰まっているもので、まさか俺がこんなファンシー且つくだらないものを買う日が来るとは思わず、レジに持って行った際はひっそりと鳥肌が立った。クラスの女子はなんだってこんなの集めてやがるんだ、と必要最低限の文房具しか筆箱に収納されていない俺は心の中で悪態をついた。

夢山に持って行くと最初きょとんとした顔で「降矢くんこういうの好きなの?意外だなあ」と言ったがクラスの女子の間で流行ってるものだと説明すると、まるでクリスマスにサンタクロースからプレゼントでももらった子供みたいにはしゃいで喜んだ。(子供だけど)
「学校行けるようになったら使うね」
楽しみ!と言って鼻歌まで歌いだす夢山を見て、鳥肌分くらいの買った価値はあったかと思い気付かれないように安堵した。





長い長い一か月が過ぎて虎太が退院した。
虎太の退院を報告すると夢山は自分のことの様に喜んだが、すぐに「じゃあもう会えなくなるね」と少し小さくなった声で言った。

その声がやけに寂しそうだったので「まあ暇があったらまた来てやるよ」となんとも偉そうに言うと「約束だよ」と言ってまたあのへらへらした顔で笑った。この笑い方を見るのは久しぶりだった。
「降矢くんが来ないと、私の身体腐っちゃうよ」
と言う夢山に、夏場ギプスで固められてもなお腐らなかった虎太の足を思い、「大丈夫だろ」と返答した。



それからも俺は病院に通った。チームでの練習もあったので、虎太が入院していたころのように毎日のようには行けなかったが、それでも休日や練習がない日はできるだけ通っていた。
俺が顔を出すだけで夢山は嬉しそうに顔を綻ばせるので、役得だなあと感じる程度には夢山に情もわいてきていた。
いつしか夢山の母親や内科の看護婦にすら顔を覚えられていた。



長かったはずの夏休みもあけて、十月になってからしばらく経ったころ。退院が決まったと夢山が嬉しそうに報告した。来週の月曜からは学校に来れるらしい。
「よかったじゃん」と言うと夢山は本当に嬉しそうに笑って、枕に顔をうずめながらベッドの上でジタバタと暴れた。清潔そうに伸ばされた白のシーツがどんどんぐちゃぐちゃになっていく。「落ち着け」と言うと夢山は勢いよく枕から顔をあげた。

「降矢くんと学校行けるね!」
「あーまあそうだな」
「席は隣かなあ?」
「いや、お前の席窓際の一番後ろだぞ。俺は廊下側」
「なあんだ」
「それよりお前いつまで俺のこと『降矢』って呼ぶんだよ」
「え?」

夢山はきょとんとした顔で首を傾げた。
俺と虎太と竜持は同じクラスだ。いつまでも名字で呼ばれてしまっては誰の事だかわからない。今まではよかったが、学校にくるとなれば紛らわしいことこの上ない。

「名前で呼べよ」
「え?えと、お、おうぞう、くん?」
「おう」

返事をすると夢山は顔を赤くして俯いてしまった。
俺は少しばかり驚いた。こんな風に照れたような顔をする夢山は初めてだったからだ。

「……何照れてんだよ」
「だ、だって……」

そう弱弱しく言うと再び枕に顔をうずめてしまった。
なんだこいつ。
なんだか居心地が悪くなって互いに黙っていると、看護婦がきて「あら?何二人して赤い顔してるの?」と言った。

右手を自分の顔に当てると、確かに熱かった。





月曜になり、夢山が学校に登校してきた。
俺が登校するより先に着いたらしい夢山は、端っこの席に座っていた。そこを数人の女子が囲んでいる。
ずっと空席だった席が埋まったのだ。好奇心旺盛な小学生は興味津々に初めて会うクラスメイトを囲っていた。
四方八方から投げつけられる質問に、夢山は一生懸命楽しそうに答えているようだった。
同年代の人間に囲まれている夢山を見るのは初めてで、なんか不思議な感じだった。

「寂しいですね、凰壮くん」
一緒にいた竜持がからかうように声をかけてきた。
「別に」と俺は短く答える。
すると虎太が「ん?」と首を傾げたので「どうしたんですか、虎太くん」と竜持が聞いた。
「あいつ、見たことある」と言って夢山を指す虎太に「ああ、虎太くんと同じ病院にいたみたいですからね。見覚えがあっても不思議ではないでしょう、ね、凰壮くん」と竜持が言う。
こいつほんとうるさい。
俺が竜持を睨むと、「あーこわいですねえ」とからかうように言って竜持は自分の席についた。



「凰壮くん」
放課後、一日中女子に囲まれていた夢山に靴箱で声をかけられた。
「よう、人気者だったな」と言うと「凰壮くんのおかげだよ」と言われた。
「俺?なんで?」
「凰壮くんのくれたペン見てね、女の子たちが話しかけてくれたんだよ」
「ふーん、よかったじゃん」
「うん、ありがとう」

それだけ言うと夢山は「また明日ね」と言って女子の群の中に戻っていき、下校していった。
いつも夢山には見送られているので、あいつを見送るのは不思議な感じがした。
俺以外の人間に笑いかけてるあいつを見るのも、初めてだった。
何故かそれを、面白くないと思った。





夢山がクラスに馴染むにつれ、俺は夢山とはどんどん話さなくなっていった。俺たち三人はもともとクラスに馴染んでいたというわけでもなかったので、登校し始めて十数日そこらの夢山のほうがクラスに馴染めているようだった。

夢山は頻繁に俺に話しかけていたが、その度に俺は冷たくあしらってしまった。
何故そうしたかは自分にも分らないが、夢山が登校してきてから俺は終始イライラしていたのだ。クラスメイトと楽しげに話す夢山を見るたびわけもわからない気持ちにさせられた。
俺に冷たくされても夢山はへらへら笑ってはいたが、次第に俺に話しかけなくなっていった。

あの病院での俺たちなんて、最初からいなかったみたいだった。





夢山が学校に来てから一か月ほどたったある日の下校時、靴箱を見ると花柄の小さな封筒が入っていた。
たまに俺の靴箱にはいわゆるラブレターと呼ばれるものが入っていたので、今回もその類かと思い、うんざりしたようにため息をつきながらその封筒の中を見た。

しかしながらそこには何も書いて無く、白紙だった。
悪戯か?と思っていると、竜持と虎太に早くしろと急かされたのでその紙は無意識にポケットに突っ込んでおいて下校した。





次の日。夢山がまた入院した、と担任が言った。
昨日までいつもと変わりなく元気そうに見えたので驚いたが、そういえばあいつが元気じゃなかったことなどなかったと思った。あいつは傍から見るといつだって健康体に見えた。初めて会った時だってそうだったのだ。

クラスの女子は「みんなでお見舞いに行こうよ」と騒ぎ立てた。
竜持が「凰壮くんは行かないんですか?」と聞いてきたので、「俺が行かなくても別にいいだろ」と返した。
そうだ、俺が行かなくても見舞いに行ってくれる人間なんか腐るほどいる。
今までは、一人ぼっちのあいつが、哀れだっただけだ。行きたくて行っていたわけではない。
竜持は「素直じゃないですね」と呆れたように言った。



学校も練習も終わって家に帰る。リビングで竜持と虎太の三人でテレビを見ていると、母さんが「凰壮」と呼んだ。「何?」とテレビから目を離さず答えると「はい」と言って何かを差し出した。母さんに視線を向けると、母さんの手にはポケットに突っ込んだはずの昨日の封筒が握られていた。

「洗濯しちゃうところだったわよ」

俺は「あー」と適当な返事をしてそれを受け取った。
「ラブレターでしょ?返事くらいちゃんとしてあげなさいよ」と言う母さんに「だめですよ、凰壮くんには好きな女の子がいるんですから」と竜持がちゃかしてきた。
「なになに?詳しく聞かせてよ凰壮」と詰め寄ってくる母さんを「そんなんじゃねえよ。うるせえなあ」と一蹴した。母さんは拗ねたようにリビングを出て行った。その姿を見て竜持は楽しそうに笑う。

「で、誰なんだよ?」

母さんの代わりに尋ねてきたのは虎太だった。
俺が何か言う前に竜持が「夢山さんですよ」と言った。

「夢山?」
虎太が眉を顰めた。
竜持が「ほら、クラスの子ですよ。虎太くんと同じ病院にいた」と説明した。
「勝手に話進めんなよ……」と呆れ気味に言う俺の言葉など二人は聞いていなかった。

「ああ、あいつ……。どっかで見た気がしてたけど、そういえば病院にいる時声かけられた」
虎太が興味のなさそうに言った。

「へえ、それは初耳ですねえ」と竜持が驚きの声をあげる。俺も虎太を見た。そんな話、虎太からも夢山からも聞いたことがなかった。

「いつの話ですか?」
「んー、入院して二、三日してから。売店行ったら『降矢くん』て声かけられたから『誰だよ』って言ったら困ってた。凰壮と間違えたって」
「は?俺?」

突然出た自分の名前に驚いた。
「なんで俺と虎太間違えんだよ」と言うと「同じ顔だからでしょう」と竜持が言った。

そんなはずあるか。俺は兄弟の見舞いに来てるってあいつに説明してた。同じ顔してたところで、松葉杖ついてたら俺じゃなくて虎太だとわかるだろう。普通。

「三つ子って知らなかったら間違えても不思議じゃないだろ」
凰壮が怪我して入院してきたと思ったんじゃないか、と虎太が言った。

「いや、あいつ俺たちが三つ子って最初から知ってたぜ。だから俺のことも知ってたんだし」
なんで俺のこと知っているのか聞いたとき、あいつは「降矢くん、目立つから」と言った。あれは三つ子と知っていなければ出ない言葉だ。

「じゃあ、凰壮くんのことだけ知っていた、ということになりますねえ。目立つという言葉がどういう意味かはわかりませんが」
竜持が上手くまとめてくれた。つまりそういうことだ。……どういうことだ?



「で、凰壮くん。そのラブレターはどなたからですか?」

竜持が興味深そうに聞いてきた。おそらくからかいたくて、ずっと気になっていたのだろう。竜持の顔はいつも以上にニヤニヤしていた。

「知らね。名前書いてねえし」
「ほう。内容はなんと書いてあったんですか」
「それも知らん。白紙だった」
「白紙?」
竜持が疑うように眉を顰めたので、「ホラ」と先ほど母さんから渡された封筒を竜持に渡した。

竜持は封筒を開いて中を見る。
真っ白い紙を訝しげに眺めて裏表探るように見た後、透かすように上に持って見せて「何か書いてありますよ」と言った。

「え?まじ?」
俺が聞くと竜持は紙を封筒に入れて返してきた。

「最近女子の間で流行ってるペンがあるでしょう。消しゴムでこすると文字が出てくるとかいう。あれじゃないですか?」


そのペンには覚えがあった。





部屋に戻ってから消しゴムで紙をこすった。
すぐにピンク色の文字が見えてきた。初めて見る字だった。




『降矢凰壮くんへ

初めて手紙を書きます。

始業式の日、初めて凰壮くんに会いました。
凰壮くんは覚えていないと思います。
内緒にしててごめんなさい。
覚えていない、と決定的に言われるのが怖かったのです。

私は始業式が終わったあと調子が悪くなってしまいました。
気持ちが悪くて、汚い話ですが、吐きそうになりました。
歩けなくなって廊下でうずくまっていると、凰壮くんが声をかけてくれたのです。

転校してきたばかりで知らない人の中で心細かったので、
優しくしてくれたのはすごくうれしかったです。

凰壮くんは私をおぶって保健室まで連れて行ってくれました。
すごく乱暴な口ぶりでしたが、照れ隠しの様にしか聞こえませんでした。

凰壮くんのことは保健室の先生に名前を聞きました。
名前とクラスしかわからなかったので、凰壮くんがどんな人か毎日想像しました。

そうしたらいつの間にか凰壮くんのことが好きになっていたのです。

話してみたら想像通り優しい人だったので、ますます好きになってしまいました。

凰壮くんにとっては迷惑な話かもしれませんが、
私はまた明日から学校に来れなくなってしまうので安心してください。

優しくしてくれて、ありがとうございました。』




正直、そんなこと今の今まで忘れていた。
その時の女子の顔なんて、覚えてもいない。
しかしながら、差出人の名前は書いていなくとも誰からきたかは一目瞭然だった。
その日俺は、その手紙を何度も何度も読み返した。





次の日、俺は学校が終わってから病院に向かった。
つい一か月前までは毎日のように通っていた道が、ひどく懐かしく思えた。

受付で病室を聞こうとすると、受付にいた看護婦が「あら、降矢くん久しぶりね」と言った。俺が聞かずとも、夢山の病室を教えてくれた。



看護婦から聞いた病室に向かう。
プレートには「夢山夢子」の名前があった。
ドアが開いていたので外からうかがうように中を覗き見る。

見えたのはベッドに座って外を眺めている夢山だった。
夢山は初めて会った時と同じ柄の水玉のパジャマに、紺色のカーディガンを羽織っていた。
丸まった夢山の背中が、ひどく寂しく感じた。

「夢山」

俺が病室の外から声をかけると、夢山はゆっくりとこちらに振り向いて、初めて病室を訪ねた日と同じように笑って「来てくれたんだあ」と言った。

「嬉しいな、凰壮くん来てくれると思ってたよ」
凰壮くん、優しいんだもん。

「手紙、読んだ」

俺がそういうと夢山は驚いた顔をしたあと目を泳がしてから「そっか」といって笑った。

俺は、夢山に申し訳なくなった。
思えば夢山に冷たく接するようになったのも、つまらない独占欲みたいなものだ。
この病院に入院しているクラスメイトを知っているのは俺だけで、俺だけしかいない夢山を特別に感じていた。
学校に行ける、と喜んでいた夢山がクラスに馴染んでいくたび嫌な気持ちになって、突き放すように扱った。
俺以外に笑いかける夢山を、見たくなかったのだ。

「夢山、悪かったな」

夢山の目を見れず、そっぽを向いて謝ると、夢山は「なんのこと?」と言ってへらっとあの間抜けな笑い方をした。
今思うとこの笑い方をするときはいつも、退院の目途が立っていないだとか俺が病院に通わなくなるだとか、嫌な気持ちを隠して無理している時だった、と思った。

もう一度俺が謝ると、夢山は「本当に謝らなくていいよ」と言った。


「ここにいる時だけは、私しか知らない、私だけの凰壮くんだもんね」
他の人より特別みたいで、なんか嬉しいんだあと夢山は笑った。


入院しといてなに言ってんだか。こいつ、ばかだなあ。


「夢山」
「なあに?」
「手紙、ありがとな。嬉しかった」


俺がそう言うと、夢山は驚いた顔を真っ赤に染めて、笑った。
















(2012.8.14)
修正(2012.8.22)

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