陰口を言われたことがない人なんて、この世にいるのだろうか。

「夢山ってさ、調子乗ってね?」
「わかるー!降矢たちの幼馴染だかなんだか知らないけどさ、これ見よがしに見せ付けてるよね」
「降矢たちって女子にそっけないくせに、何気に人気あるもんね。優越感に浸ってんじゃない?ウザァ」

少なくとも、私は言われている。今。

「(どうしよう、完全に出るタイミング失った……)」

トイレの個室で息をひそめる私は、衣擦れ一つ立てぬよう神経を使っていた。
トイレが用を足す場であることは万国共通の常識であるが、こと中学校の女子トイレに至ってはその限りではない。十代の女子といえば、意味もなくトイレに連れ立っては、用を足すわけでもなく、教室で話せないようなことを友達とあれこれ語り合うものだ。おそらくトイレという密室的な空間が、人目を気にしなくて良いという意識を女子達に働かせるのであろうが、それは大きな間違いである。
今がまさにそう。
陰口に夢中な彼女達は気付かない。彼女達が背を向けている個室の扉が、閉まっていることに。彼女達からは姿が見えないから、一見自分達だけしかいないような錯覚をしてしまっているのだろう。陰口の標的が、こんなそばで一部始終聞いているだなんて、夢にも思うまい。

「(気付きませんように……個室に人がいることに気付きませんように……)」

なぜこんな惨めなお祈りをしなければならないのか。己のチキンさに情けなくなったが、今見つかったらどうなるかわかったもんじゃない。

声から判断して、おそらく隣のクラスのギャル軍団に違いない。話したことはないけど、目立つ人達だからなんとなくわかる。
第三者に陰口を聞かれていたと彼女達が知ったら、個室の主が誰なのか、躍起になって突き止めようとするだろう。最悪、このドアを無理やり開けられるかもしれない。加えて陰口を聞いていた人物が、陰口の標的だったとわかればなおさら、開き直って軽いリンチ的なものをはじめるかもしれない……。
あまりの恐怖に指先が震えた。最悪の状況を想像すればするほど、気分は最悪になる。
どうしてこんなことになったんだろう。私はただ、授業の合間の五分休みに、トイレに来ただけなのに……。
個室に入ってたら、後からやってきた女子達が大声で私の陰口を叩き出したから、完全に出るタイミングを失った。彼女達が入ってきた時点でさっさと出てれば、こんなことにはならなかったかもしれない。

「っていうかさ、とくに降矢弟の前ではテンション高くない?つかうるさい」
「あ、私もそれ思った」
「好きなんじゃね?顔面偏差値に差ありすぎなのに身の程知らずっつーか」

きつい、これはきつい……凰壮といるときの私って、他人から見るとそうなんだ。恥ずかしいやら、悔しいやら、悲しいやらで顔が熱くなるのがわかった。
っていうか、顔面偏差値に差があることなんて知ってるよ。そんなの、自分が一番わかってるよ。
顔だけじゃない。凰壮は昔っから、何をやってもそつなくこなしてた。勉強だってサッカーだってテニスだって柔道だってなんだって。自転車の補助輪はずすのも私たちの中で一番早かったし、クラス対抗リレーなんていつもアンカー任されてる。
私はといえば要領も頭も悪くて、宿題だっていつも凰壮の倍の時間かかるし、サッカーも下手だからって理由で三人の練習に混ぜてもらえなくて、自転車だって五年生になるまで乗れなくて、クラス対抗リレーなんて毎度お荷物扱いだ。
凰壮と自分が釣り合ってないことなんて、自分が一番よくわかってる。いつも近くにいる分、嫌というほど感じてる。
言われなくても知ってるよ。知ってるけど、好きなんだからしょうがないじゃん……。

「つーか勝手に優越感かんじてるみたいだけどさ、それ勘違いだっつーの。降矢弟、すげーうざがってんじゃん」
「ねー!めんどくさいって言われてんの私も見たわ」
「あは、嫌われてんだ?ウケるんですけど。イタイわぁ」

熱くなった顔が一気に冷めて、代わりに心臓がバクンバクン脈を打った。あまりの大きさに、音が聞こえてしまうんじゃないかと思った。

「(嫌われてる?私、凰壮に……)」

今まで、そんなこと、思いもしなかった。だって、幼馴染だし。うざいとか、ぶすとか、めんどくさいとか、ついてくんなとか、何度も何度も言われたことはあったけど、嫌われてるなんて考えたことなかった。考えたく、なかっただけかもしれない。だって私は、凰壮が好きだから。
でも、なんの色眼鏡もない他人から見たら、そうなのかな。私、凰壮に嫌われてるのかな。嫌われてるくせに、なんにも気づかないで、凰壮につきまとう、イタイ奴?

「つーかあの女、たまたま幼馴染だったから相手にしてもらえてるだけじゃん。幼馴染でもなかったら、見向きもされないくらいパッとしないくせに」

あまりにも的確な一言に、目の前が真っ暗になった。
今日聞かされたどんな陰口よりも、他人から見た私たちの関係が、ずっと苦しかった。



その後、彼女たちは予鈴の鐘と共にトイレから出て行き、私もしばらくしてから教室へ戻った。次の授業は体育で、クラスメイトは既に着替えて校庭へと向かっていたようだった。私も急いで着替えて、校庭へ走っていく。

「夢子、あんた何してたの」

走ってきた私を見つけ、友達が声をかけてきた。

「あは、トイレで考え事してたら遅れちゃった」
「もーほんと鈍臭いんだから」

呆れ顔の友達に、ヘラヘラ笑って見せる。友達はなにか言いかけたが、すぐに何かに気づいたように目を見開いて「あ」と言った。

「どうしたの?」
「よっ」
「ひゃっ!!」

突然、勢いよく膝の力が抜けた。俗にいう膝カックンを食らったと気づいたのは、地面に手をついた直後。後ろを振り返ると、無礼にも乙女に膝カックンを食らわした張本人がケラケラ笑ってた。

「お、ぞ……」
「お前スキありすぎ。すげー勢いよく倒れたな」

時々こういう子供っぽいところがある凰壮は、膝カックンがうまく決まったのがそんなに嬉しいのか、口の端を吊り上げるのを抑えきれないといった風だった。うらめしそうに睨みつける私に「悪かったって」と口だけの謝罪を述べ、なおも楽しそうに笑いながら、つかまれと言わんばかりに手を差し出してきた。
一瞬、差し出された手にドキッとしたけれど、「うるさい」とか「身の程知らず」とか「嫌われてる」とか、ギャル達の言葉が頭をよぎって、現実に引き戻された気がした。嫌な汗が出る。
私は凰壮の手を一瞥し、自分の力のみで立ち上がった。無言で手に付いた土をパンパンと払っていると、凰壮は「なに、お前機嫌悪いの?」と尋ねてきた。

「……別に」
「そー見えないけど」

私が目を合わせないからか、いつもみたいに喚き散らして怒らないからか、凰壮は訝しむように私を見た。
凰壮は勘がいいから、私の考えてることが見透かされてしまうんじゃないか。そう思ったら居心地が悪くて、思わず顔を背けてしまった。

「……気のせいだよ」
「でも」
「はーい!整列!」

体育教師の掛け声で、生徒たちが一斉に中央へ集まっていく。私も凰壮に背を向けて、小走りにその場を離れた。



今日の体育は、隣のクラスと合同でサッカーの試合が行われた。
グラウンドの片面を男子、もう片面を女子がつかい、前半と後半に分かれ、十五分ずつの試合を男女それぞれ行うこととなった。一試合目は男子Aチーム対Bチーム、女子Aチーム対Bチーム。二試合目は男子Cチーム対Dチーム、女子Cチーム対Dチームで行われる。
私は女子Cチームだったため、前半はAチーム対Bチームの試合の見学だった。

ホイッスルが鳴り、男女それぞれが試合を始める。
女子たちは、わっと一斉にたったひとつしかないボールに飛びつき、さながらセール品を貪る主婦たちのようだった。もはやポジションもなにもあったものじゃないが、素人の、ましてや中学生の試合なら、こんなものだろう。
ぼんやりと眺めていると、すぐ隣でキャーと黄色い声があがった。
驚いて振り向くと、先ほどのギャル達が、男子たちの試合を見ながら「降矢弟めっちゃサッカーうまい」と興奮気味に言ったのが聞こえた。

「(凰壮?)」

視線を男子の試合に移すと、ちょうど凰壮が巧みなドリブルさばきで男子達を抜き去ったところだった。

「(か、っこ、いい……)」

小学生のとき、サッカーで世界まで行った凰壮からしたら、サッカー部でもない男子達の相手は準備運動にすらならないものだろう。
私が見とれている間に、颯爽と一人でゴールを決めてしまった凰壮は、大喜びするわけでもなく、当然とでも言うようにニタりと笑って見せた。
その様子を見た他の女子達から、「降矢くんかっこいいー」と囁き合うのが聞こえた。

「(凰壮、モテんだなぁ……)」

凰壮にときめくのは、私一人じゃない。凰壮をかっこいいと思う女子は、他にもいる。凰壮に好かれたいと思う女子もたくさんいるんだろう。
私は、その子達となにひとつ変わらない。ただひとつ違うのは、幼馴染という関係性だけ。
でもそれは、自分の力じゃない。私が生まれる前から、勝手に決まってた。偶然、たまたま、幼馴染だっただけ。ラッキーだっただけ。

『つーかあの女、たまたま幼馴染だったから相手にしてもらえてるだけじゃん。幼馴染でもなかったら、見向きもされないくらいパッとしないくせに』

トイレで言われたセリフを、頭の中で繰り返す。
そうだ。私は、何か努力をしたわけじゃない。好かれる努力をしたわけじゃないのに、当然のように凰壮に話しかけてもらえる。それは、幼馴染だから。
もし幼馴染じゃなかったら、私もああやって遠巻きに凰壮を眺めていただろう。そしてきっと、凰壮は私の存在には気づかない。だって私と凰壮じゃ違いすぎるし、接点だってない。ましてや私は、十人が見て十人が可愛いと感じる容姿をしているわけでもない。幼馴染でない私は、凰壮の目に止まるはずない。

「(もし……)」

もし私が幼馴染じゃなかったら、私は凰壮とどんな関係だったんだろう。
もし私以外の誰かが幼馴染だったら、私はその子のこと、どう思ったんだろう。

ちょっと想像してみただけで、お腹の中がぐるぐるとした。
苦しくて、悲しくて、お腹がぎゅっとなる。

「(きっと一緒なんだ、私も、トイレの彼女達も……)」
「夢子、危ない!」
「え?」

ばんっ!

鈍い音ともに走った衝撃と痛みに圧倒されて、私はその場で意識を手放した。



「夢子、大丈夫か?」
「んん……おうぞ?」

ふかふかのベッドの感覚が心地よくて目をさますと、白い天井と、私を覗き込む凰壮の顔が見えた。一瞬頭がついてこなくて、あたりを見回すと、白いベッドが並んでいる。どうやら保健室のようだ。ここがどこか理解して、やっと自分の身に何が起こったか理解する。

「お前、飛んできたボールを顔面で受け止めたんだよ。覚えてるか?」
「……なんとなく」
「ったく、ボーッとしてんじゃねえよ」

凰壮がこれでもかというくらい、呆れた様子でため息を吐いた。

『あは、嫌われてんだ?ウケるんですけど。イタイわぁ』

凰壮の様子に、あの言葉が頭をよぎる。

「ごめん……」
「ん、しおらしいな?もう機嫌なおったのかよ」
「……」

ふいっと寝返りをうって凰壮に背を向けると「……そうでもねぇな」と凰壮がつぶやいたのが聞こえた。

「なぁ、俺なにかした?」
「……別に」
「じゃあその態度やめろよ」
「……凰壮はさ」
「ん?」

もう一度寝返りを打って、凰壮に向き直った。見上げると、凰壮は訝しげに眉をひそめる。

「わ、たしの、こと……」
「……」
「……やっぱりいい」
「なんだよ、そこまで言ったら言えよ」
「……」

怖気づく。だって、嫌いだって聞いて、そうだって言われたら、どうしたらいいかわからない。
もう凰壮の幼馴染でいられない。幼馴染でいられなかったら、私は何になるんだろう。凰壮のこと遠巻きに眺めて、眺めるだけで、目も合わせてもらえなくて、そんな関係になるのだろうか。
自分の力じゃなくてもいい、ズルくてもなんでも、私はこの関係を手放したくなかった。
嫌われてても、なんでも、すがりついていたかったの。

「夢子」

凰壮が、つぶやくように、小さく私の名前を呼んだ。

返事はせず、代わりに視線を向けた。
凰壮の目の色が、濃くなった気がした。

「痛かった?」

凰壮が、私の額にそっと触れた。前髪をかき分ける指先がくすぐったくって、冷たくて、気持ちがよかった。

「わからない、すぐ気絶しちゃったし」
「ふ……ほんと間抜けだよなあ」

凰壮が、なんとも言えない顔で、笑った。
その顔が、なんだかとっても切なくて、胸が締め付けられて、つられて私もへらっと笑ってしまった。

「おーぞー」
「ん?」
「もし私がさ」
「うん」

なんでだろう、今なら素直に聞ける気がする。
だって凰壮が、笑うから。

「もし私がさ、凰壮の幼馴染じゃなくても、さ」

凰壮が、大事そうな顔で、私を見るから。

「それでも、私と友達になってくれたかなあ?」
「……はぁ?」

凰壮は、きっと予想外の質問だったのだろう、眉を思いっきりひそめて、訝しげに私を見た。
私はこんな質問をしたのが、ちょっとだけ恥ずかしくなって、布団の中に隠れてしまった。

「なんでそんなこと聞くんだよ」
「い、いいから!」
「……知らねーよ、友達じゃなかったんじゃね」
「え!ひどい!」
「だって接点ねーじゃん」

あまりにも無慈悲な回答に、ショックを受ける。
もういい!知らない!とわめいて寝返りを打てば、「おいこっち向けよ」と凰壮が不機嫌そうに言った。

「何キレてんだよ」
「いいよ、どうせ私なんて幼馴染じゃなかったら凰壮の視界にも入らない存在だろうし」
「はぁ?そんなこと言ってねぇだろ」
「でもそういうことじゃん!」
「……つーかそれはお前の方だろ」
「え?」

振り向くと、凰壮は声色から察したように、不機嫌そうな顔をしていた。

「お前人見知りだし。幼馴染でもなかったら、俺みたいな初対面でもなんでもずけずけ言うタイプ苦手だろ」
「そ、そんなことないもん。確かに凰壮はちょっとっていうか結構デリカシーないことあるけど、でも困った時ぜったい助けてくれるし、優しいって知ってるし、だから」
「……デリカシーない発言はこの際置いておいて、それだって、幼馴染じゃなかったら全部わからなかったことじゃん」
「それ、は……」

凰壮に論破されて、言葉を失う。言い返せないけど、でも、絶対私は凰壮のこと好きになってた、と思う。幼馴染なんかじゃなくたって、きっと凰壮のこと見つけて、勝手に好きになってたと思う。
なぜかはわからないけど、根拠もない自信がそこにはあった。
どう言えば伝わるのか、全然わからないけど。

「俺はさ」

私が黙っていると、凰壮がポツリと言った。

「俺は、幼馴染だからお前と一緒にいるんじゃねえよ。幼馴染だろうがなかろうが、合わないと思ったら一緒になんていたくねーし。幼馴染がお前だから、一緒にいてもいいって思ってんじゃん」
「……」
「幼馴染はさ、ただのきっかけだろ。お前のこと知るきっかけ」
「きっかけ?」
「確かに幼馴染じゃなかったらお前がどんな奴か知る機会もないだろうから、お前と仲良くなることなんてないかもな。でも、お前がどんな奴か知る機会さえあれば、幼馴染なんかじゃなくても、俺はたぶん今みたいに、お前のことからかったりなんだりして、ちょっかいかけてるんだと思う」
「……うん」
「俺……結構、かなり、お前のこと気に入ってるんだよな」

凰壮が、私の好きな顔で、にやりと笑った。

私だから、一緒にいたい、と。それは「偶然幼馴染だったから」でも「ラッキーだったから」でもなくて。
それは、私の力だと、思ってもいいの、かな。

あたたかくて、やわらかい布団に包まれて、安心したら、なんだか体が軽くなるような気がした。
すごく気持ちよくって、目を閉じると頭がぼうっとしてくる。
あぁ、凰壮、私、凰壮のこと、すごくすごく好き。

今なら、すごく素直に、言える気がするんだ。

「おーぞー」
「ん?」
「私もね……凰壮のことがね……」
「夢子……?」
「……スースー」
「……おい……寝てんじゃねーよ……最後まで言えよ……ハァ」





「夢子さん」
「お、竜持」
「なんだか機嫌がいいですね」
「え、そう?」
「やっぱりあれですか、あれのせいですか?」
「……あれって?」
「聞きましたよ、体育の時間、たおれた夢子さんを凰壮くんが背負って保健室に連れてったって」
「……え?」
「おや、知らなかったんですか?」
「う、うん……」
「なーんか噂になってますよ、二人の関係あやしーって」
「え!?や!な、え……!?」
「あはは、明日から学校、楽しみですね」

ぜんぜん楽しみじゃない!





中学校入学してわりとすぐくらいの話。
誕生日夢にしようと思ったら中一の誕生日夢もうやってた……。(20170529)
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -