※成人済みくらい。付き合っている。
「夢子」
名前を呼ばれたのと、ほぼ同時だった。気配もなく、後ろからぬっと伸びてきた凰壮の腕に、返事をする間もなく抱き寄せられた。
それまで鼻歌まじりに食器を洗っていた私は凰壮が背後にいたことさえ全く気づいていなかったので、突然お腹に巻き付いてきた腕の力に心底驚いて、体をビクリと飛び上がらせてしまった。
「ひっ」
思わず持っていた茶碗を落としそうになり、泥鰌の如く滑る泡まみれのそれを、なんとか両の手で支える。ホッと安堵の息を吐いていると、こちらのことなどお構いなしな凰壮が、「こっちに構え」と言わんばかりに私の肩へ顔を埋めてきた。
首筋に凰壮の気配を感じて、ちょっとだけドキドキする。
「お、凰壮?」
どうしたの?
らしくない様子を不思議に思って問いかけると、凰壮は「んー」と気怠げに返事をして、お腹に巻き付けた腕にグッと力を入れてきた。
「(体調悪いのかな?)」
茶碗をシンクに置いて軽く手をゆすいでから、お腹に巻き付いていた凰壮の腕に触れた。
じんわりと濡れた指で、その肌をなぞる。程なく先端にたどり着いて、凰壮の指先を柔く掴めば、逆にこちらの指を荒々しく絡めとられてしまった。
交差する指にわざと力を込めると、あちらも応えるように力をいれてくる。まるで会話しているみたいで、ちょっと楽しい。
「夢子」
凰壮が小さく顔を上げて、耳元で名前を呼ぶ。
声がダイレクトに響くから、耳が熱を帯びた。
「なに?」
「なんか、元気の出る話して」
「え、えー?」
んな、無茶振りな。
非難めいた声をあげたが、凰壮は取りあう素振りも見せず、代わりに指にぎゅっと力を込めてきた。
いつもであれば、ここで一つ、煽ってくるようなものなのに。どうも様子がおかしい。
もしかして凰壮、元気ない?
「うーんと」
「はやく」
急かされると、焦る。
元気の出る話、元気の出る話、げんきの……あ!
「あのね、凰壮のこと好きだよ」
「…………」
なんちゃってーえへへ、と照れ隠しにケラケラ笑ってみたが、思いの外、凰壮からのツッコミは一切なく、一人ぼっちのカラ笑いは虚しく響いて、そして宙で散った。
あまりの反応の薄さに、外したかな、と思わず不安になってしまう。
「えと、凰壮?」
「え……?あ、お、おう」
空いている方の手でとんとん、と凰壮の腕を叩くと、凰壮はハッとしたように密着していた体をこわばらせた。
「えっと……元気出た?」
おずおずと尋ねると、凰壮は一度「あー」とやはり気怠げな声を漏らして、また肩に顔を埋めてしまった。うなじに凰壮の額が触れて、先ほどよりもずっと、熱く感じた。
「……元気出た」
凰壮がポツリと、でも確かにそう呟いた。
「そっか。よかった」
今日は少しだけ、大柄の凰壮が可愛く見える。
思わずふふっと笑いを漏らせば、絡み合った指先に、どちらからともなく力が込められたのだった。
リハビリりはびり…(20160323)