凰壮のことを考えると、時々泣きそうになるのはどうしてなんだろう。全然悲しくないのに心臓の中身が鍋で煮詰めたリンゴジャムみたいにドロドロのグチャグチャに溶けて、どうしようもなく変な気持ちになる。子供の頃は、ただ凰壮と話せて嬉しいなとか、喧嘩して悲しいなとか、そんな単純なことしか思わなかったのに。凰壮が隣に座るだけでドキドキするようになったのは、いつからだろう。目が合うだけで息苦しくなるようになったのは。名前を呼ばれるだけで、その音が特別に想えたのは。

心臓がジャムになっちゃうのと連動して瞳が熱くなるようになった、のは。



桃山町駅前のビル二階に入っている全国チェーンのファミレスは主にママ友軍団と高校生の溜まり場としてお昼、休日を中心に栄えている。
今日は火曜日、時は夕方。カランカラン。一月の空はどっぷりと暗くなり、家路に着く人が駅に溢れる時間帯。入り口の鈴が鳴って客の来店を知らせた。緑色のストライプ模様の制服に身を包み、空いたテーブルを片づけていた私は早足で入口に向かった。すると、レジ前で案内を待っていた、いかにも「クレームしてやるぞ」と意気揚揚な顔でニタニタと笑う有名私立高の制服を着たおかっぱ男子と視線が合ったので「ゲッ!」と声が漏れかけた。が、そこはグッと堪え、マニュアル通りのゼロ円スマイルとウグイス嬢声色でご案内を始めた。

「いらっしゃいませえ。お客様、何名様でしょうか」
「ははっ、ウケますねえ。お一人様ですよお。見てわかりませんか?」
「……大変失礼致しました。おタバコはお吸いになられますか?」
「ちょっと店員さぁん、高校生に聞きます?制服見えませんかあ?」
「……何しに来たの竜持」

一連の茶番を繰り広げたのち、睨むように目の前の男子高校生、もとい幼馴染を見ると、彼はフッと鼻もちならない声で笑い、上から下まで舐めるように私を見た。

「いやね、ちゃあんと夢子さんが働いているか心配になって」

そう言って私の幼馴染、もとい降矢竜持は口許に手を当てて、クスっと上品に笑った。
思わず、ムッとするよりも先に溜息が漏れる。クラスメイトの男子と同じ歳とは感じさせないその仕草はもう随分見慣れてしまっているけれど、一歩引いてみるとずっと独特だ。言葉も表情も仕草も丁寧なのに言動は案外子供っぽいから、なんやかや、憎めない奴なのである。それが竜持の長所であり個性なのだ。

「嘘つき。茶化しに来たくせに」
「いや、ちゃあんと夢子さんが働いているか心配になった凰壮くんに、様子見てくるように頼まれたんですよ」
「え、嘘!」
「ええ、嘘です」

竜持が右手で口許を隠したが、隠し切れない笑い声が喉元からクツクツと聞こえるので、前言撤回、私の苛立ちは軽く脳天を突き抜けたが、お客様は神様であると日本全国津々浦々に蔓延している殊勝なサービス精神で理性を保ち、「お席にご案内しまぁす」と笑顔で誘導した。

「それにしても、夢子さんが働いているとか、ウケますねえ」
「いや、ウケないから」
「ウケるでしょ。で?バイト初めて一週間経ちますけど、今日はどんな失敗をしたんですか?」
「失敗前提で話を進めないでくれる」

平日ということもあり、店内はさほど混んでいなかったため、四人掛けのテーブルに竜持を通した。荷物をと上着を置いてソファに座り、メニューを広げて「あはは」と愉快に笑う竜持を一瞥した後、「……凰壮、元気?」と控えめに尋ねた。

「ええ、普段と変わりなく元気ですよ」
「……そか」

竜持の声から意地悪が消え、幾分か穏やかになった気がした。
私の相槌を聞くと、竜持はメニューに視線を落として静かに苦笑した。

「会いたいなら会いにくればいいのに」

特に何かを相談したわけではない。ただ質問をしただけなのに、竜持は私の意図を見透かしたようなことを言った。虚を衝かれて、思わず口ごもってしまった。

「……だって」
「凰壮くん、面倒事は嫌いでしょうけど、夢子さんがうじうじしているのも同じくらい好きじゃないですからね。凹んでいるくらいだったら、潔く甘えればいいんじゃないですか」
「……水持ってくるね」

竜持のお節介を無碍にする私の情けない話題転換に、竜持は呆れたように溜息を吐いた。そうして、ペラペラのラミネート加工されたメニュー表と睨めっこしだしたので、竜持を尻目に私は水を汲みに厨房に戻った。



バイトを始めて一週間。凰壮と一度も顔を合わせていない。喧嘩をしたわけではないが、理由は私にあった。

そもそも何故私がファミレスでバイトを始めたのかと言うと、事の始まりは先日の大晦日まで遡る。
虎太や竜持とはぐれた時にうっかり落としたスマートフォン。液晶が割れるという災難に見舞われたわけだが、数日後、アプリが閉じられなくなったりホームボタンが反応しなくなったりという不具合が起き、急遽買い替えることにした。修理代は思ったよりかさみ、新年早々金欠となってしまった。
普段なら「少しお小遣いを節約すればいいか」で済むのだけれど、今回そういかなかったのには事情がある。

というのも、あの出不精の凰壮に「春休み、どっか行く?」と誘われたのだ。
「え、どうしたの凰壮?」「どういう意味だよ……嫌ならいいけど」「い、嫌なんて言ってないでしょ!」「……春休み、大会があるから、それまであんまり構ってやれないし。どっか行くのも、大会終わってからだけど」「ぜんぜん大丈夫!寧ろ嬉しい!」「あ、そ」
とまあ、凰壮と春休み気兼ねなく遊ぶための資金が必要になったわけである。春休みまで大分先だけれど、折角の春休みだし、凰壮の予定次第では小旅行もできるかもしれない。そう考えると、なるべく資金は多い方がいい。
それに、凰壮が大会でいい結果を出せれば、お祝いもしたい、し。

そうして困っていたところに、友達から「バイト先で人手が足りなくて困っているんだけど、夢子どう?」と見計らったかのような誘いがあり、是非乗ることにしたのだ。

しかしながらやはり慣れないことはするものじゃない。
初日から食器は割るしレジも打ち間違えるしメニューも全く覚えられないしお客さんにも怒られた。「新人なんて失敗するのが仕事だから」「何事も経験だよお」と友達は慰めてくれたけれど、紹介という手前、失敗ばかりでは友達の顔が立たず、申し訳なかった。
落ち込む。学校とバイト先の往復ばかりで気は滅入る一方だ。
帰宅後、ベッドに倒れこみいつも一つの願望が生まれる。

――凰壮に、慰めてもらいたい。

けれどもそれは避けたかった。
と言うのも、初めにバイトのことを凰壮に話したとき「お前ちゃんと働けるのかよ」と不安そうに見られた。明らかに子供扱いされたことで思わず「いいじゃん凰壮に迷惑かけるわけじゃないんだから」と啖呵を切ってしまった。
凰壮はもうすぐ春の大会を控えている。ここのところは試合に向けて、一層練習量が増えたようだ。この間までスランプだったようだけれど、おばさんの話によると、最近は徐々に調子も戻っているらしい。そんな大事な時期の凰壮に、ふがいない私のために余計な気を遣わせたくもない。けれども会ってしまえば、確実に凰壮には勘付かれるし、そうなれば意志薄弱の私のことだから、きっと愚痴ってしまうだろう。
そんな思いもあって、この一週間、凰壮に会えずにいたのだ。
凰壮に「元気出せよ」と一言言ってもらえれば簡単に回復できるのに。
気持ちはただただ凹んでいくばかりだった。



「夢子さんのウエイトレス姿、面白いから写真に撮ってもいいですか?」

荒々しく水をテーブルに置くと「ご苦労」と竜持が鼻で笑った。「もういいや」と自分の中の怒りをおさめて注文を取ろうとする。仕事中だし、竜持の相手ばっかりしていられないし。

「盗撮は困りますお客様」
「たった今許可申請をしたというのにあなたの耳は飾りですか?」
「ああいえばこういう……」
「それほどでも」
「褒めてない」

「ご注文はお決まりですか?」とお決まりの文句で尋ねようとすると、メニュー表に視線を落とす竜持がボソリ。「凰壮くんが見たがっていたから、写真撮ってきてあげようと思ったのに」と言った。

「また嘘ですかお客様」
「信じるかどうかは夢子さん次第ですけど」
「……マジですかお客様」
「さあ?本人に聞いたらどうですか?凰壮くーん、こっちです!」
「……え?」

竜持が私よりも奥に視線を投げて控えめに手を振った。驚いて振り返ると、学校帰りと思しき制服姿の、見慣れた男子が入口にいた。
竜持に呼ばれた男子、即ち凰壮が、こちらに気付き視線を向けた。
一週間ぶりに目が合って、思わずドキっと、心臓が驚いた。
凰壮はフッと口の端を悪戯に吊り上げて笑うと、ゆっくりした足取りでこちらにやって来た。

「よ、意外と似合ってんじゃん。馬子にも衣装?」
「え、お、凰壮?あれ?なんで?」
「今日は父さんも母さんも遅いので、二人で外食しようってなったんです。ついでだから、夢子さんの働きっぷりも見ようってことで」
「え、ちょ、竜持の馬鹿!最初に言ってよ!」

まさか凰壮が来るなんて思ってもみなかったので、急な展開に混乱と羞恥で顔が熱くなった。来るって知っていたら、心の準備の一つもできたのに。久しぶりだから、なんか緊張、する。
大体、何故私が会うことを我慢していたか、竜持は気付いているはずなのに、どうしてこんなことするんだ。竜持のやることは、合理的に思わせておいて、いつも突飛で強引なのだ。そんな竜持に、いつだって振り回される。憎たらしい。
……憎たらしい、けど。

「(でも、やっぱり、会えて嬉しかったり……)」

慰めてもらいたいとか、愚痴ってしまいたいとか、甘えたいとか、迷惑かけたくないとか、気を遣わせたくないとか、そういった我儘な願望やいい子ちゃんな感情なんてすっ飛ばして、真っ先に「嬉しい」と思った。

「(これじゃあ、会うの我慢してたの、馬鹿みたいだ)」

自分のひどく短絡的で浅ましい思考回路に呆れつつ、そっと竜持を盗み見ると、いつから見ていたのだろうか、同じように私を見ていた竜持とばっちりと視線がぶつかる。たじろぐと、竜持はニンマリと唇を歪めた。そんな竜持の表情に、「敵わない」と眉間に皺を寄せる。
きっと頭のいい竜持は、馬鹿な私よりも私の感情を把握しているに違いない。
だから竜持は、なんやかや、憎めない奴なのだ。

「店員さーん。突っ立ってないで、ちゃんと働いてくださーい」

竜持と向かいの席に座った凰壮が、ニヤニヤしながら頬杖をつく。からかう気満々というように、心底楽しそうに頬を緩ませている。
……前言撤回。馬鹿にして、ムカつく。

「はいはい、お冷持ってくるよ」
「おいおい、お客様にその愛想はないんじゃねえの?店長さーん」
「もう!からかうなら帰ってよね」

踵を返し、ケラケラと笑う凰壮を尻目に、水を汲みに再度厨房に戻った。
トレイに乗せたコップに水を汲んでいると、食器を下げてきた友達も厨房に戻ってきた。擦れ違い様に目が合った彼女は私を見て首を傾げるので、私も思わず首を傾げた。

「夢子、何笑ってんの?」
「え?」

友達が不思議そうに私の顔を覗き込んだ。

「え、私、笑ってた?」
「うん、めっちゃヘラヘラしてた。なんかいいことあったの?」
「う、うん、まあ……」
「そか。最近凹んでたみたいだから、よかったあ」
「あ、ありがと」

微笑む友人を見送ってから、そっと思わず自分の頬を抓った。表情筋が引っ張られる。
痛い。
耐えかねて離すと、引きのばそうとする力から解放された口の端が自然と吊り上るのを感じて、いかんいかん、と慌てて両手で隠す。

だって、馬鹿にされても、ムカついても、どうしたって嬉しいことには変わりないのだから、仕方がない。

「(……なんか)」

会いに来てもらえただけで元気になっちゃうって、凰壮って、すごいなあ。



食事を済ませた凰壮と竜持がファミレスを後にしてしばらく経ち、そろそろ私も上がる時間になるというところ。

彼と出会ったのだ。

「……ねえ」
「はい?」

空いたテーブルを拭いていたところ、後ろから声をかけられた。低い声だった。
動かしていた手を止めてゆっくりと振り返ると、同い年だろうか、はたまた若干年上に感じる背の高い男子が、私の真後ろに仁王立ち、上から見下ろすように視線を送っていた。
得体の知れない威圧感もさることながら、思っていたよりも距離が近いことに驚いて身体を強張らせると、そんな私の反応には興味がないとでも言うように、彼は「君、いつからここで働いているの?」と尋ねた。ニコリともしない。一切媚を売らない彼の表情に、人見知りの私は一層萎縮した。
一介のファミレス店員に話しかけるにはやけに砕けた口調で、加えて質問も、やはりただの店員に尋ねるには個人的と言える内容だった。
どうしてこんなことを聞かれているのだろう。何か、気付かぬ間に気に障る対応でもしてしまったのだろうか。しかしながら、彼のことは案内した記憶がなかった。
よくよく彼を観察してみると、有名私立校の校章が入ったジャージを着ていて、エナメルバッグを肩から下げていた。髪はいかにもスポーツマンとでも言うように短く、背が高いだけでなくガタイも良い。高校生?運動部?堂々と身元を晒しているのだから、怪しい人ではないだろう、と不安に思う自分に言い聞かせて「……一週間前からです」と小さく答えた。

「ふうん」
「……あの、何か」
「いや、別に。また来るよ」
「は……」

そう言葉短く答えると、彼は踵を返し、入り口に向かって行った。

「……な」

なに、あれ。



「(また来るって、言ったよなあ)」

仕事が終わり、女子更衣室でファミレスの制服から高校の制服に着替えていた。が、先程の彼のことが忘れられなくて、どうしても考えてしまっていた。

何故、そのような申告をされなければならないのだろうか。
このファミレスは確かに高校生がよく利用するし、来ることは一向に構わないのだけれど、わざわざ私に言う必要はあったのだろうか。常連さんなのかも。ああやって気さくに話しかけてくるお客さんって、結構いるもんなのかなあ。
それとも、もしかして、知り合い?
しかしながら、彼のジャージの校章を思い出して首を振る。あの高校に知り合いなど、ただの一人もいないのだ。

「(なんか、怖いな)」

知り合いなのだろうか、知り合いではないのだろうか。
それすらもわからないこの状況が、なんとなく不安感を煽った。窓の外を見れば、陽はしっかりと沈み、どっぷりと夜になっていた。この夜道を一人で帰るのか。毎日のことではあったが、改めて不安が募った。

お先に失礼します、とバイト先の人に挨拶をして、裏口から店を後にした。
大通りと反対に面している裏道は、少し奥に進むと住宅街に入り、人通りも少なく静かである。数メートルおきに街頭が置かれているとはいえ、夜道となると怖さを感じずにはいられなかった。
ひたひた。ローファーでアスファルトを叩く音が冬のツンとした空気に響く。一挙一動が、見張られているみたいな気分になって、寒さのせいか分からない鳥肌がたった。

ひたひた。ひたひた。ひたひた。ひた。

ふと、音が重なっていることに気付く。
自分の足音よりも、速い足音だった。遠かった音が、どんどん近づいてくるのが分かる。訳もなく、心臓がバクバクと鳴った。

「(いやいや、そんなことないって、ないない)」

懸命に自分に言い聞かせる。だってほら、変な人だったら、こんなに距離詰めてこない、でしょ?
そうは言っても、音が大きくなるにつれて、心臓もどんどん大きく鳴っていく。

「(早く、追い越してくれないかな)」

思わず、肩にかけたスクール鞄を両手で抱え、力を入れた。
――また来るよ。
何故か、ファミレスで会った彼の言葉を思い出した。

音が、どんどん近くなる。どうも、私の真後ろを歩いているようだと気付いて、嫌な汗が額を伝った。
普通、追い越すなら、真後ろは、歩かないんじゃない、かな。

ひたひた。ひたひた。
ひたひたひた。ひたひたひた。
ひたひたひたひた。ひたひたひたひた。
……ひたひた。ひたひたひたひたひたひた。
……。ひたひた。
……。……。

足音が、止まっ、た。


「夢子」
「きゃああああ!」

突然肩を叩かれ、思わず悲鳴を上げた。逃げようとした足がすくんで、前のめりに転びかける。
すると腕を掴まれ、転ぶ身体を支えられた。腕が痛い、と思ったのも束の間、「馬鹿、何叫んでんだよ」とそれが聞き慣れた声だということに気付いた。

「え、あ、おう、ぞ」
「お前、携帯見てないのかよ」
「え、携帯?」

私の腕を掴んでいたのは、凰壮だった。
思わず拍子抜けて、鞄を落とした。凰壮は腕から手を離すと、鞄を拾ってくれた。
私は急いで、ブレザーのポケットから携帯を取り出す。少し手が震えた。
見ると、液晶には凰壮からのプッシュ通知があった。

『終わるの待ってるから、帰る前に連絡して』

「時間になっても出てこねえから聞いてみれば、もう出たって言われるし」
「あ、ご、ごめ」
「別にいいけど……脅かして悪かったよ」

凰壮が、私の頭をくしゃくしゃと乱暴に撫でた。髪の毛が絡まる感覚がして、でもその行為に、酷く安堵した。

「わ、私こそ、ごめん、叫んじゃって」

そう言って、凰壮の制服の裾を掴んだ。いつもだったら、理性が働いて触れないのに、触れずにはいられなかった。
傍にいるのが凰壮でよかった。
改めて凰壮の顔を見ると、泣きそうになった。

「……なんかあったのかよ?」
「え?」
「いや、こんなにビビること今までなかったじゃん」
「え、と……それは」

目が泳ぐ。
何かあったのかと言われれば、何もない。私の取り越し苦労だし、被害妄想だし、自意識過剰でしかないのだ。

「……な、なんにも」
「……」
「……言う程のことじゃないよ」
「で?」
「……いや、バイト中に知らない人に声かけられて、それでちょっと怖くなったというか」

凰壮のプレッシャーに負け、おずおずと言うと、「知らない奴?」と凰壮が訝しげに聞き返した。

「う、うん、ほら、あの、金色の王冠の校章の学校あるじゃん。あそこのジャージ着ててね」
「……」
「ご、ごめん、大したことじゃなくて」
「何謝ってんの?」

声を低くした凰壮が、デコピンをした。冷たくなった額が、突然の衝撃にツンとした鈍い痛みを走らせる。手袋越しとは言え結構な痛さに思わず「痛っ!」と漏らし咄嗟にガードしようと手を振りあげると、今度はその手を取られ、繋がれた。

「わっ」
「……怖かったら、俺か竜持呼べよ」

そう言って、凰壮が腕を引いて歩き出す。
引っ張られるように凰壮について行くと、繋いだ手が一瞬解かれ、指を絡まらされた。

「(わ、わ)」

所謂「恋人繋ぎ」に感動して、思わず凝視すると、前を歩く凰壮がポツリと呟くのが聞こえた。

「あんまり、遅くなるのも心配だし。っていうか、時間変えてもらえば?俺たちだって、いつも迎えに来れるわけじゃねえし」
「……う、うん」
「あと」
「うん?」
「なんかあったら、嘘つかないでちゃんと言えよ。お前隠し事向いてねえんだし」
「……うん」

凰壮が心配してくれている。余計な心配させちゃったなあ、でも、嬉しい……と思いつつ、正直、それどころじゃないというか。
先程まで怖かったのが嘘みたいに、緊張する。繋いだ手が。なんだか、好かれている、感じがして。

「……凰壮」
「なんだよ」
「待っててくれて、ありがとうね」
「……ん」

繋いだ手に力を込めると、同じように握り返された。



次の日も同じ時間帯でシフトに入っていた。
また昨日の彼と会うのではないかと少し不安があったが、店が混んでくると不安に思っている暇もなくなった。また、幸いにも、彼と思しき姿を見かけることはなかった。そもそも、高校生が毎日平日、ファミレスに通うこともないだろう。
そうして今日も、上がりの時間になるという頃。
彼はやってきた。

「やあ」
「ひっ……!」

レジ点検をしていたところ、頭上から降り注いだ声に、思わず肩を揺らした。見上げると、昨日の彼が、やはり校章の入ったジャージを身に纏い、私を見下ろしていた。おずおずと、引きつりつつも精一杯の営業スマイルで応対したけれど、彼は相変わらず表情一つどころか眉一つ動かさずに私を見た。背の高い彼が私を見下ろすのは昨日と同じ構図だけれど、今日はレジカウンターを挟んでいたため、適当な距離に少しだけ安堵した。

「い、いらっしゃい、ませえ」
「ああ、今日はお客じゃないよ。君に会いにきたんだ」
「へ、え」

なん、で?
聞き返すようや余裕は微塵もなく、気の抜けた情けない声で返事をするので、精一杯だった。
明らかに店員と客という関係性を逸脱した言葉に、頭の中が真っ白になる。
私?何故、私?わざわざバイト先に、何の用で?私、何か悪いことした?
今すぐ逃げ出したいのに逃げられない状況に、変な汗をかいた。
どうしよう、だ、誰か……。

「夢子」
「ひゃっ」

カランカラン、と入り口の鈴が鳴った。同時呼ばれた自分の名前に、反射的に視線を走らせると、そこには凰壮がいた。なんでここに?という疑問より先に、縋るような声で「凰壮!」と、助けを求めた。

すると……。

「手間が省けたな」

ボソリと、正体不明な彼が呟いた。
フッと口許を緩める。初めて、表情が変わるのを見た。

え?と疑問符を浮かべるのもつかの間、彼は私に背を向け、凰壮の方に向き直った。

「あ、おま……」
「久しぶり、降矢くん」
「え、し、知り合い?」

目の前の彼は、確かに凰壮の名前を呼んだ。
凰壮は、彼の顔を見ると、うんざりしたような、はたまた呆れたような顔で、大きな溜息をついた。
よく、私が我儘を言う時にする顔と、同じだった。

「何してんだよ。景浦」

かげ、うら……?

「って、誰」



(20150104)

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