最悪なことに、凰壮と喧嘩してしまった。
別に喧嘩することなんて日常茶飯事だけれど、なにもこのタイミングで喧嘩することもなかっただろうに、何て間の悪いこと。凰壮と口をきかなくなってから十二時間。仲直りしたいのは山々だけれど、とてもじゃないけど凰壮と顔なんて合わせられない。
だって……。

「まだ喧嘩してるんですか?」

爽やかな五月の朝。
晴れ渡る空とは相反する、モンモンとした思考を携えながら登校すると、教室に向かう途中の廊下で竜持に捕まった。驚いて首を左右に振り回して辺りを見回すと視界に映るは同じ制服を身につけた女子生徒男子生徒女子生徒女子生徒……。目的の人を捜して目をグルグル回しているといつの間にか私を追い越した竜持が背中から「凰壮くんは朝練ですよ」とご丁寧にも教えてくれた。

「あ、あそ、なんだ……よかった」
「……そんなに凰壮くんに会いたくないんですか?」

わざわざ振り返って呆れたように細めた目で私を蔑む竜持の視線にウッとたじろぎ気味に喉を鳴らす。
竜持は喧嘩の原因を知っている。だからこそ、こんな目をするのだ。
周りにいる生徒に聞かれないように、小走りで竜持の傍に駆け寄ると、耳元に口を寄せる。廊下の端々から聞こえる朝の挨拶に掻き消されてしまうほど顰めた声で、竜持に囁いた。

「だって、だってさあ……あんなことになって……どんな顔して会えばいいのよ……」
「くっだらない。パンツ如きでなんですか」
「馬鹿!声大きい!」

先程よりも一層目で見下してみせた竜持の余りにデリカシーを欠いた声量に、思い切り声を上げて背中を殴ったが、反対に突然耳元で怒鳴られてしまった竜持は私から二三歩遠のいて、耳を塞いだ。私の声は音速で竜持の鼓膜を揺らしたから今更耳を塞いでも遅いだろうに、あてつけがましい竜持の行為には恐れ入る。竜持は細めた目に怒気を含めてこちらを睨むので後ずさりながら「ご、ごめんね」と謝ると、これ見よがしに溜息を吐かれた。
確かに、耳元で叫んだ私も悪いけれど、竜持だって酷いじゃないか。

「謝るなら凰壮くんに謝ってくださいよ。見たくもないパンツ見せられて、凰壮くんカワイソー」
「そ、そこまで言いますか……」
「言いますよ。必要ならば、訴訟も起こす構えです」

竜持はフンと鼻を鳴らして嘲笑った。
竜持のブラザーコンプレックスを遺憾なく発揮されては、私もたじろがずにはいられない。凰壮や虎太に比べると、竜持は他人を寄せ付けない分、身内に依存する傾向にある。

「でもさ、見られた私の気持ちにもなってよ」
「あんなの夢子さんの不注意でしょ。人の家のソファーで寝転がってるから悪いんですよ。凰壮くんは親切にも注意してあげただけなのに、本当に自分勝手な人ですね。大体、見られて嫌ならちゃんとハーフパンツ履いておいてくださいよ」
「昨日はさあ、忘れちゃったの!今日はちゃんと履いてるから!」
「別にそんなこと言わなくていいです。知りたくもない。それよりいいんですか?今日僕たちの誕生日なのに」
「ウッ……」

思わず口ごもってしまったのは、竜持に痛い所を突かれたからだ。
竜持は「僕は別にいいんですけどねえ」と嫌味に語尾を伸ばしながら、教室に入ってしまう。竜持の背中を眺めながら、ハアと重苦しい溜息を吐いた。
そうだ。私が頭を悩ませているのはまさにそのこと。三人の誕生日なのに、凰壮と喧嘩してしまったことだ。
何もこのタイミングで喧嘩しなくてもよかったのに。あんなくだらないことで……。

いや、くだらなくなんてないけど。超重要事案だけど。

毎年四人でお祝いしていた誕生日。折角今年は降矢のおじさんにも協力してもらって、二人が帰ってくる前にパーティーの準備でもしようと思っていたのに。スペインにいる虎太にもちゃんと連絡をとって、皆でスカイプしようねって約束してたのに。(ただ、虎太がこの約束を覚えているか定かではない) そうして、虎太には一ヵ月前に選んだ誕生日プレゼントを郵送して、スカイプする前に届く算段だったし、二人のためには、慣れないなりにもケーキだって作ろうとした。竜持用に甘さ控えめのやつと、凰壮用。ホールケーキ二つ。昔、凰壮が「三つ子でよかったことなんてない」と淡泊に言っていたことを思い出したからだ。「なんでそんなこと思ったの?」と尋ねたら「誕生日のケーキだって、三等分じゃん」と言った。実際それが本当の理由だったのかは定かではない。凰壮は、本当に思っていることはあまり語りたがらないのだ。けれどもその時の私はその言葉を真に受けて「それは由々しき事態だ」と顔面蒼白になったのを覚えている。そして今年もそれを真に受けた私は一週間毎日ケーキ作りの練習した。家では四六時中甘い匂いがしているし、お母さんは三キロも太った。感想を求めて家で食べきれない分を友達に差し入れをすると、初めは皆喜んだが、次第にケーキの批評が雑になった。それでも昨日は「今までで一番美味しいじゃん」と言ってもらえて、二人に喜んでもらえるケーキが作れそうだと思ったのに。

そんな私の計画も、スカートの中身一つで敢え無くご破算になりかけてる。

別に、怒っているわけじゃない。いや、確かに昨日凰壮に「お前さあ、もうちょっと女らしく出来ねえのかよ。スカートめくれてんぞ。気ィつけろよ」と言われて、竜持みたいなデリカシーの欠いた発言に思わず怒ってしまったのは事実だし、それが原因で喧嘩もしてしまった。
しかしながらよくよく冷静になってみれば、腹立たしい感情よりもパンツを見られた羞恥心の方が問題なんじゃないかと思い始め、昨日の夜ベッドの中で天井を眺めていたら次第に恥ずかしさで目も瞑れなくなって布団の中で頭を抱える羽目になった。そのせいで今日の目は充血気味である。ウサギみたい。

恥ずかしくて恥ずかしくて、凰壮と顔を合わせるどころじゃない。どんな顔して会えばいいのか。今日だって、朝練に行くため早起きな凰壮から朝早くに「教科書忘れたからかして」とメールが送られてきていたけれど、それすらも返せないくらいだった。

本当は、誰よりも一番に凰壮に「誕生日おめでとう」って言いたかったのに。




「夢子いる?」

お昼休み。ざわつく教室の中、友達が持ってきた雑誌を机で広げて雑談に華を咲かせていたら、入り口の方から聞き慣れた声がして恐る恐る視線を向けると、十七時間振りに見る人が立っていた。

凰壮だ。

教科書でも借りにきたのだろうか。凰壮に声をかけられたクラスメイトの女子がこちらに視線を向けると、追いかけるように視線を送った凰壮と目がばっちり合ってしまった。
途端に、昨日のことを思い出して顔が沸騰するように熱くなるし、同時に青くもなる。熱いのに青いだなんて自分でも器用だとは思うけれど、心情的には間違っていないのだ。

そう、一人狼狽していると、他クラスの教室の癖に遠慮も物怖じもせずズカズカと入ってくる凰壮に思わず驚いて、その場で勢いよく立ち上がった。
私が立ち上がると、突然どうしたとでも言うように周りの友達が雑誌から顔を上げて私を見る。私はと言えば、こちらに歩いてくる凰壮から顔を逸らし、舌に増えた唾液をゴクリと音を立てて飲み込んだ。

「あ、えと、トイレ!」

そう無闇に大きい声で、まるで凰壮に言い訳するように宣言すると、凰壮が入ってきた方とは反対の入り口へ逃げるように駈け出す。
「どうしたの、いきなり」「漏れそうだったんじゃん?」と、背中から聞こえる友達の茶化す声が聞こえるけれど、今は弁解する余裕も言い返す冗談もない。
ただただ凰壮と顔を合わせたくない一心で、机の合間を縫う。時々太ももに机の角が当たって、鈍い痛みが走る。
最後は盛大に左半身を扉に打ち付けて、教室から早歩きで飛び出した。


「おい、なに逃げてんだよ」

廊下が終わり、階段を下ろうと踊り場へ足を向けた丁度その時、後ろからセーラー服の後ろ襟を引っ張られ、思わず仰け反った。
足を止めて振り向くと、不満そうな凰壮の顔が見えて、速攻で顔を逸らす。
汗をかく。心臓が速い。恥ずかしい。なんでよりによって凰壮にパンツなんて見られてしまったのだろう。凰壮相手じゃなかったら、ここまで恥ずかしい想い、しなかっただろうに。あーあ、もっとお淑やかに育てばよかった。

いつも咄嗟に出てくる喧嘩腰の言葉ですら思いつかないのだから、これは相当重症だ。

「おい」
「……」
「シカトかよ」
「……」
「……はあ」

凰壮の溜息が聞こえる。
竜持の溜息と比べるとずっと「うんざり」しているように聞こえた。
だって、しょうがないじゃん。何言っていいか、わかんないんだもん。

「お前さあ……顔ぐらい向けろよ」
「……」
「まだ怒ってんのかよ」
「……」
「……おい」

こちら側の階段は反対端の階段に比べると、空き教室が固まって並んでいることも手伝って、昼休みの割に人通りが少ない。遠巻きに生徒たちの笑い声と話し声が混ざって音になったざわつきが聞こえるけれど、私と凰壮の間は幾分静かだ。それは私が沈黙を決め込んでいるからに他ならないのだが、好きで決め込んでいるわけではないので、どうしようもない。

凰壮、怒ってるかな。

竜持の言っていた言葉を思い返せば、確かに凰壮は注意してくれただけで、私に怒られる筋合いなんて皆無に等しいだろうにその上無視されて、怒っても仕方がないだろう。
どうしよう、折角の凰壮の誕生日なのに、怒らせてしまっては取り返しがつかないではないか。でも、やっぱり恥ずかしいものは恥ずかしい、し、なあ……。

などとぐるぐる考えていると、後ろ襟がもう一度、けれども決して強くない力でグン、と後ろに引っ張られた。

まるで子供が構ってほしさに母親の服の裾を引っ張るみたいだ。

「おい」
「……」
「こっち向けよ……」

凰壮の声が、不機嫌になる。
凰壮の大層珍しい反応に、単純な好奇心が湧いた。呆れることは多くあっても、不機嫌になることはそうそうない。
先ほどまであれだけ縛られていたはずの羞恥心もどこかに忘れ、ゆっくりと振り返ってみれば、眉間に皺を寄せた凰壮がいかにも不機嫌な顔をしてこちらをジッと睨みつけていた。

「あ、え、えと……」
「……」

やっぱり、凰壮怒ってる?
思わず口角をあげ、引き攣った笑みを浮かべれば「逃げてんじゃねーよ」と言った。

「に、逃げてないし」
「あからさまな嘘吐くんじゃねえよ。メールもシカトしてんじゃん」
「だ、だって……」
「悪かった」
「え」

今度は凰壮がそっぽを向いた。
への字の口がどこか愛おしいと思った。

「昨日は、悪かったよ……」

だから、俺から逃げるなよ。


なんで凰壮が謝るんだろうか。私が悪かったのに。
それに、凰壮が謝るって、なんだかすごく珍しいの。いつも、なんとなく仲直りしてしまうし、凰壮は謝る代わりに私のご機嫌とるんだ。私は凰壮のご機嫌とりにいつも簡単に喜んでしまうから、凰壮はいつも「単純な奴」って言って馬鹿にする。

だから、こんなしおらしい凰壮、珍しいにも程がある。

「なに、どうしたの?」

思わず問いかけると、そっぽを向いていた凰壮が、やはり眉間に皺を増やしてこっちを見た。

「お前、その前に言うことあるんじゃねえの?」

あ。そうだ。

凰壮から一歩離れると、身体ごと振り返って、凰壮と向かい合う。
小学生のときから私よりもずっと背の高く、最近また伸びた凰壮を見上げると、凰壮も私を見た。

先程まで、恥ずかしくて凰壮のこと見れなかったけれど、今度は別の意味で緊張する。
凰壮と目が合う時は、いつだって緊張してるの。
何年経っても、これだけは慣れないから、不思議だなあ。

「誕生日おめでとう、凰壮」
「遅えよ、鈍間」

凰壮が、私の額をペチンと子気味いい音で叩いた瞬間に、フっと笑う声が聞こえた。

もしかして凰壮、誕生日祝われなくて拗ねてた?

仲直りのきっかけだって、いつも凰壮がくれるくらい、私よりもずっと大人びている癖に、時々、子供みたいなところがあるんだよなあ。と、額を撫でながらぼんやりと思った。


よかったあ。凰壮のおかげで、私の計画もご破算にならなそうだ。

後は虎太が忘れず、スカイプを繋げてくれることを願うのみである。



お誕生日おめでとうございます!(20140523)
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