あの一本早く曲がる道に、緑の屋根の家があると教えてくれたのは竜持だった。その家の玄関では薄桃色の薔薇がアーチをつくっていて、まるでおとぎ話のような空間であった。はしゃぐ私を見て、竜持が満足げに笑ったのを覚えている。でも本当に私が嬉しかったのは、薔薇の花が好きだと言った些細な私の言葉を、竜持が覚えていてくれたことだった。



竜持に彼女ができたって知ってる?
凰壮が昨日の晩御飯のおかずを話すくらい、どうでもよさそうなテンションで問いかけた。その証拠に、重たげな欠伸を落とす。
早朝の駅のホームで、並んで電車を待っていた。学校の違う凰壮と電車を待っているのは偶然である。昨日教科書を学校に忘れ宿題ができなかったので、一番乗りで学校に行こうと普段より一時間半も早く登校すれば、柔道部の朝練に向かう凰壮と改札で出くわした。朝に弱い凰壮が毎朝こんな時間に登校しているのかと思うと、目を丸くせずにはいられなかった。
けれども、凰壮が切り出した話は、私の目を更に丸くさせることになった。
私からすると昨日の晩御飯のおかず以上に重大な話だったのだけれど、あまりに凰壮がなんてことない口調で切り出すものだから、リアクションをするタイミングを失ってしまった。凰壮はやはり落ち着いた様子で「ガム食う?」とミント味のガムを差し出してきたのだけれど、茫然自失とした私はただただ首を横に振るだけで精一杯だった。
凰壮はガムを開いて一つを口の中に放り投げる。包み紙をポケットにしまいこんでから「俺も虎太から聞いたんだけどさあ」と、先程の続きと思しき話を始めた。

「虎太は青砥から聞いて、青砥は多義から、多義は翔、翔は高遠、んで高遠は西園寺に聞いたんだと。因みになんで西園寺が発信源かっつーと、西園寺のクラスメイトらしいぜ、その彼女が」

凰壮が伝言ゲームの経路を遡る。大それたことに、一度海を渡りスペインまでその名を轟かせた噂が最終的に張本人と同じ家に住んでいる凰壮に返ってくるとは、不思議な話だ。というか、凰壮は一番近くで過ごしていて、気付かなかったのだろうか。勘のいい人だと思うのだけれど。

「そんな素振りひとつも見せねえんだもん、あいつ。茶化されるのが嫌だったんじゃね?」

まるで私の考えを察しているかのような台詞だ。やはり、勘のいい人だ。そんな凰壮が気付かないくらいだから、竜持も相当演技派である。

「凰壮、ちゃんと竜持に確かめたの?」
「いや、まだ。俺がこの話聞いたの、ここに来る途中だぜ?虎太のやつ、こっちの時間考えないで電話してくるんだ」

駅構内に電子音楽が鳴り響き、全国どこへ行っても同じトーンで話す駅員特有の声が電車の到着をアナウンスする。線路の先から小さい電車が徐々に大きくなってくるのが見えた。黄色い線の内側から更に一歩下がると、凰壮が訝しげにこちらを振り返るので、「私、次の各停に乗るの」と説明すると「ふうん」と目を細めて呟いた。

「気になるならさ、直接本人に聞けば?」

ミントの匂いが香る。急行電車のドアが空き、凰壮が気怠げ乗り込む。
座席の側面の手すりに凭れるように立つ凰壮が、私を見てフッと嘲るように笑った。ドアが閉まり、凰壮に手を振ると、凰壮は手を振り返さず、口パクで「じゃ」「あ」「な」と言った。ように見えた。
凰壮を乗せた電車が、地鳴りのような音と突風を撒き散らして、走り出す。髪と、紺のセーラー服がはためいて、プリーツスカートが舞い上がった。おさえることも忘れ、再び小さくなった電車を見送ると、顰め面を浮かべた顔を伏せ、唇を噛んだ。



「(どんな子なんだろう)」

三時間目の数学。竜持の好きな教科だからと熱心になるこの授業も、今日は頭に入らない。頬杖をついて三角形の証明について説明する先生の声をぼんやり聞きながら、教室を見渡した。クラスメイトの女子の背中を一人ずつ丹念に眺める。髪の短い子、長い子、肌の色が白い子、焼けている子、撫で肩の子、いかり肩の子、スカートの短い子、長い子、爪が色づいてる子、化粧してる子、頭のいい子、運動のできる子、静かな子、明るい子、可愛い子、派手な子……。あげたらキリがない。
玲華ちゃんのクラスメイトなのだから、お嬢様で頭もいいに違いない。きっと三角形の証明だって簡単に解けるだろう。シャープペンで、三角形の中を黒く塗りつぶす。

やな感じ。男子校と女子校で付き合うなんて、絵に描いたようで、面白くない。

気持ちが三角形のように尖って、黒く濁る。嫉妬で醜い思考が蔓延る。性格悪いなあ。学校なんて、どこに通っていたっていいじゃないの。それに、竜持とその子の恋が成就したのなら、それは幸せなことじゃないか。
それなのに。やな感じ。私。

竜持が好きになる人だから、きっと賢くて淑やかで清純で家庭的な女の子かな。竜持は注文が多いから。竜持と仲良くしてる女の子は今までだっていたけれど、どの子だって友達以上に竜持が接してるところは見たことがない。好きになるのだから、きっと、特別に想わせる何かを、その子が持っていたのだろうか。

「(いいなあ……)」

頭の中で見たこともない女の子を想像する。顔には靄がかかっているけれど、漠然と可愛い子だと思った。

いいなあ。竜持に好きになってもらえるんなんて、いいなあ。




その日も宿題を忘れたのだった。
小学四年生のちょうど今頃、夏に入る少し前の季節。今日と同じように普段よりも早く登校していると、通学路で竜持に会った。竜持も用事があって早めに登校していたらしい。
――そうだ。いいものがありますよ。
そう言って、竜持が学校へ向かうための曲がり角より、一本早い道を指さした。
――いいもの?
首を傾げる私に笑みを置いて、竜持が通学路を外れる。どうしようかと一瞬悩んだけれど、深緑のランドセルの後を追った。
目的地が決まっている通学路を、わざわざ外れて歩くことはない。一本早いその道を歩いたのは、初めてだった。いいものとは何か。初めて見る景色だったが、ただ住宅街が広がるだけのその道に、なにか目新しいものがあるとは思わなかった。しばらく歩くと、あそこですよ、と竜持が口元に笑みを浮かべて振り返った。竜持の背中から奥を覗き込むと、緑の屋根の家があった。西洋風の、童話の中で見たことがあるお城のような家だった。家に続く短い階段の入り口では、薄桃色に色づいた薔薇の花がアーチとなっていて、まるでおとぎ話のようだと思った。大きくはない庭も、色とりどりの花が敷き詰めたように咲き誇っていて、目に淡く、甘い匂いが漂っていた。気持ちが高揚した。
――わあ、きれい。私、薔薇好きなんだあ!
――知ってますよ。
――え?
振り返ると、竜持が満足げに笑っていた。
笑う竜持が、酷く淡く見えたのを覚えている。時間が止まったようだった。漂う甘い匂いを嗅いで、胸が詰まった。
その瞬間が、今だって私の中で、おどぎ話のように色づいている。



学校帰りに寄り道をした。
玲華ちゃんの通う学校だ。校門の前で中を覗き見ていると、下校していく白いセーラー服の女の子たちが、紺色のセーラー服の私を盗み見た。同じセーラー服なのに、私よりも随分清楚に感じる。私が勝手にそうやって思い込んでいるだけかもしれないのだけれど。
この中の一人が、竜持と付き合っているんだ。
いいなあ。

「夢子ちゃん?」

心臓が飛び出た。
視線を向けると、これから部活なのだろうか、体操着を着たお団子頭の玲華ちゃんがいた。

「どうしたの?こんなところで」

玲華ちゃんが私に近寄ってくる。心臓がどっどっと鳴って、目をぎょろぎょろさせた。まるで悪いことをしているところでも見つかったみたいだ。
実際、何をしているのかという問いには答えられない。まさか、竜持の恋人を見に来ただなんて。詮索だなんて、そんな下世話な真似、知り合いには恥ずかしくて言えるはずがなかった。
第一、どうしてこんなところまで来てしまったんだろう。
どの子かだなんて、見たところでわからないのに。自然と足が向かっていた。一目だけでも見たかった。どんな幸せな顔をしているのか。三角形になった気持ちが痛い。薔薇の棘に触ってしまったときのように、鋭く胸に刺さる。苦しい。黒く濁って重たい。
卑しい。自分が。好きな人の幸せも喜べないのか。
竜持は、私を喜ばせてくれたのに。

「夢子ちゃん?」

玲華ちゃんが首を傾げた。

「あ、あの、な、なんでも、ないの!近くに来ただけだから!部活、頑張ってね!ばいばい!」
「え?」

要領を得ない返事を残し、慌てて踵を返した。早歩きでその場から去る。
顔が真っ赤だった。恥ずかしい。恥ずかしい。さいてーだ。

こんな私、竜持が好きになってくれるはず、ない。



最寄駅に着くと、家には帰らず、小学校の通学路を歩いた。学校へ行くための曲がり角を、一本早く曲がる。住宅街が広がる道を真っ直ぐ歩く。
緑の屋根の家は、どこにもなかった。
その家は去年壊されてしまった。家主が引っ越して、別の人の家が建った。薔薇のアーチもなければ庭に花も咲いていない。代わりに、高そうに黒く光った車が置かれていた。
私のおとぎ話はその時に終わってしまったのだ。
緑の屋根の家があった場所に建つ家を見上げる。屋根はなく、屋上のようになっていた。
あの淡い景色も甘い匂いも、なくなってしまった。そんな世界、もともとなかったのだ。

いつかあの家のような薔薇のアーチをくぐって、竜持の隣を歩いてみたかった。
しかしそれは私じゃない。
私はヒロインじゃないのだ。



「やあ、夢子さん。どうしたんですか?」
「こんばんは」

その足で降矢家を訪ねると、竜持が迎えてくれた。帰ってきたばかりなのだろうか、まだ制服を着ていた。
どうぞ、と竜持が招き入れようとするので「ここでいいの」と控えめに首を振った。

「どうかしたんですか?」
「ううん……。なにがあったっていうわけじゃ、ないんだけど」

視線をローファーに落とす。
もじもじとしてなかなか話を切り出さない私を、竜持が急かすことはなかった。代わりに、「ちょうどよかった。いいものがありますよ」と言った。

「いいもの?」
「こっち」

竜持が玄関から庭にでる。その後を、おずおずと追った。
降矢家の庭はおばさんとおじさんが綺麗にしていて、季節ごとに花で色付いていた。こんなに広い庭を管理しているのだからまめに手入れしているのだろう。二人とも忙しいはずなのに、と改めて感心した。
花壇に沿って奥へ進む。脇にあるサッカーゴールの傍にボールが何個か転がっていて、未だに竜持や凰壮がボールを蹴ることがあるのかと窺えた。
竜持が一番庭の奥で止まる。
ほら、ここ。
竜持が指をさす。
視線を移すと、瞳に淡い色が広がった。

ポツンと置かれた鉢に、薄桃色の薔薇が咲いていた。

「苗木をもらって、僕が育てんたんですよ」
「……そう……」
「ほら、あそこの緑の屋根の家、なくなったでしょう?夢子さん、残念がってたから」

竜持が機嫌よさそうににこにこ笑う。
どうしてそんなに嬉しそうなんだろう。彼女ができたからだろうか。
私が残念がっていたから、だからなんなの。どうしてそれで、竜持が花なんて育てるの。ガーデニングなんてさ、らしくないよ。

「薔薇見に来る口実に、僕に会いに来てもいいですよ」

竜持が可笑しそうに笑った。
どうしてそんな、勘違いさせるようなこと。

「竜持、どうしてこんなことするの」
「こんなこと?」

竜持が首を傾げた。

「こんなの、嬉しくない」
「……何か怒ってます?」

三角の気持ちが、薔薇のように棘棘しい言葉を吐きだした。言ってからしまった、と考えたが、もう後には引けなかった。言ってはいけないとわかっているのに、感情が先行して言わずにはいられなかった。唇を噛む。竜持の顔が見られなくて、代わりに誇らしげに咲いた薔薇を睨んだ。
竜持の訝しんだ声が聞こえる。
身に覚えがないようで、戸惑っているようだった。身に覚えなんてなくて当たり前だ。完全なやつあたりでしかない。
やな感じ。私。

「……ごめん、忘れて」
「都合がいいですね。悪いと思ってるならちゃんと言ったらどうですか」

言いたくなんかない。
そもそも、ここに来たのは、竜持のことを祝いに来たのだった。そこで、自分の気持ちに蹴りをつける気だった。そうでないと、ヒロインになるどころか、悪い魔女にでもなってしまいそうだと思った。
醜い私なんて見られたくない。花みたいに綺麗でいたい。甘い香りに包まれて、おとぎ話のように幸福な世界だけにいたい。せめて、竜持の前でだけは。

「……おめでとうって、言いに来たの」
「……?なにがですか?」
「……彼女、できたって、いうから」
「……」
「だから、お幸せに、ね」
「なんの話です?」
「え?」

予想していなかった竜持の言葉に、目を丸くした。竜持を見ると、訝しげに眉を顰めていた。

「え、彼女、できたって……?」
「どこ情報ですか」
「お、凰壮……だけど、凰壮は虎太から聞いて、虎太は青砥くんで、青砥くんは多義くんで、多義くんは翔くんで、翔くんはエリカちゃんで、エリカちゃんは玲華ちゃんで、玲華ちゃんは本人から……?」
「伝言ゲームじゃないですか」

竜持が呆れたように溜息を吐いた。
もう一度「本当に違うの……?」と尋ねると「僕より噂を信じるんですか」と不機嫌な顔をした。

「どこでどう捻じれたかは知りませんがね。最近西園寺さんの学校の女子にメアドを聞かれたことはありましたが、それだけですよ。しかも教えてませんし」
「メアド……」

なんだ、と急に脱力して、膝が折れた。芝生の上にへたりこむと、同じ目線になる様に竜持がしゃがんだ。でも、やはり目は合わせられなくて、代わりに目に優しい芝生の緑色を一生懸命眺めた。

「それで怒ってたんですか?」
「……」
「馬鹿ですねえ」

竜持がクスリと笑った。
本当、馬鹿みたい。噂ばかり真に受けて、今日一日、すごく嫌な奴だった。
情けなくて、涙が込み上げそうになるのを、唇を噛んで耐えた。

よかった、竜持……。

「竜持……」
「はい」
「私……竜持が好きなの……」
「……」
「だから、よかったあ……」
「知ってますよ」
「え?」

顔を上げると、竜持が呆れたように笑っていた。

「な、なんで」
「馬鹿ですねえ、夢子さん。気付かないんですか、そんなこと。僕だって、夢子さんのこと好きなのに」
「え」
「好きじゃなかったら、いちいち好きな花の種類なんて覚えてませんよ」

竜持が私の目の下を親指で擦った。泣いてなんかないのに。泣いているようにでも、見えたのだろうか。そんな情けない顔を、しているのだろうか。

「す、すき?私?」
「他に誰だと思うんですか」
「なんで」
「なんで?全部あげたらキリがないですけど」
「で、でも、私、やな奴だよ。今日だって、すごく、嫌なこと、たくさん考えて」
「ヤキモチですか?嬉しいですねえ」
「ま、真面目に言ってるの!」

茶化すように笑う竜持を咎めると、「だって本当のことですし」と、至極真面目な顔を見せた。

「僕だって、夢子さんが他の男と付き合ってたら嫌ですけど」
「……」
「綺麗事だけしか持たない人なんて、それこそお断りですね。薔薇にすら、棘があるのに」


僕が好きなのは、お人形さんじゃあないですから。


私に触れていた竜持の指がゆったりと滑って、今度は手のひらを添えるようにして頬を包んだ。

「好きですよ」

真面目な竜持の声が降った。手のひらが暖かい。

まるでおとぎ話みたい。幸福で、淡くて、甘い。
醜いことも考えて、嫉妬だってする。綺麗な気持ちだけではいられない。刺々しくなることだってある。
おとぎ話のヒロインには、程遠いけど。
でも、竜持がこの目に映る、その瞬間だけは。

「明日も、薔薇、見に来ていいの……?」
「ええ、そのために育てたんですから」

竜持が満足げに笑った。
今度こそ、泣いた。



りくさま
はじめまして、ナコといいます!
この度は企画に参加していただきまして、ありがとうございました!
遅くなってしまい、大変すみませんでした…;;
いつも拝見していただいているとのことで、本当に頭があがりません。恐縮です。
少しでも楽しんでいただけたら幸いです……。竜持くん、受け取ってください…!

竜持くん、可愛いですよね^^
私も竜持くんの頭は撫でまわしたいなって思います。思い切り子ども扱いして甘やかしてあげたいです^^

メッセージも参加も本当にありがとうございました!
これからも頑張りますので、よろしくお願いいたします…!
それでは失礼します。
(20131028)

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