お気に入りの花柄ワンピース。踵に優しいペタンコのサンダル。リボンがついたチョコレート色のポーチ。誕生日に買ってもらった毛並の柔らかいウサギのぬいぐるみ。専用の猫の顔が描かれたマグカップ。友達と撮ったプリクラが入った金色のお菓子の缶。先生から貰ったピアノの楽譜。手作りしたアルバム。何度も読み込んでる絵本。遠足で拾った欠けた貝。どんぐり。

大好きをいっぱいキャリーケースに詰め込んで、浮かべるのは死相。



「そんなもの持って行ってどうするの?」

背中から顔を出して呆れたような声をだした母に、唇を尖がらせて視線を向けた。
そんなものとは酷い言い草だ。人の宝物に向かって。第一、どうして私が荷造りをしているのかわかっているのに、よくそんなことが言えたものだ。これから一人心細く肩身の狭い思いをする日々が待っているのだから、心の拠り所を持って行きたいと思うのは至極当然のことだろう。母は天然故に、時々無神経だ。

「いらないでしょう、置いていきなさい」
「いるよ」
「たった三か月もすれば戻って来るんだから。必要なものだけにしなさい」

たった、とはよく言ったものだ。大人にとっては大した時間ではないかもしれないが、子供からしたらそれは永遠と錯覚してしまうほどの長い時間である。三か月もあれば、春は夏に変わるし、洋服だって衣替えするし、髪の毛だって随分長くなるだろうし、席替えもするだろうし、テストも数えきれないくらいやるだろうし、給食で嫌いなメニューが二十回はでるだろうし……。そうやって、私という世界は劇的に変わってしまうのだ。

「私もやっぱりついて行きたい」
「学校があるでしょう」
「休む」
「もう、我儘言わないで頂戴」

我儘を言っているのは母だ、と私は膨れた。大人の都合に振り回されないといけない子供のことを、どうして我儘だと言えるのだろうか。当然の主張ではないか。自立できない子供には自身の意見を主張する権利すらないと言うのだろうか。ふと、「働かざる者食うべからず」という言葉が脳裏を過る。養ってもらっている立場という以上、親の決定には従わないといけないのだろうか。それに従わなければ、やはり我儘なのだろうか。でも、やっぱりこのような不当な扱いを受けるのはどうしたって納得いかなかった。子供でいたくて子供なのではない。子供だから、という自分ではどうにもできない理由で流されるのは歯痒かった。

「どうしておばあちゃんの家じゃダメなの?」
「だってあなた、おばあちゃんの家は秋田でしょう?学校通えないじゃない」
「でも、だからって」

ならば子供という立場を存分に武器にするべきだと、子供の特権、せがむような甘えた声を出しても、母は動じず至極まともなことを言う。確かに、学校に通えないのならば私が置いてきぼりにされる理由なんてない。
でも、だからって。

「夢子、降矢くんたちとお友達なんでしょう?きっと楽しいわよ」

その降矢くんが問題なのであった。




「どういうことだよ」

降矢邸に呼ばれたあの日。
噛みつくような虎太くんの声に思わず怯え、同じように物申したい気持ちは口の中で消えてしまった。そこまで私を目の敵にする理由とは一体何なのだろうか。身に覚えがないのにこんな露骨な態度を取られてしまっては、私だって落ち込まずにはいられないし、はっきりと向けられる敵意に震えずにはいられなかった。
虎太くんの鋭い眼光に一つも物怖じしない降矢くんたちのお母さんが腕を組んで、唸る我が子に対ししょうがないなあという顔で笑った。誰にも似ていないと思っていたはずだけれど、その表情がふと、凰壮くんに似てる、と思った。少しだけ。

「この前夢山さんが受賞した賞の特権でね、イギリスの研究室に数ヶ月招待されるんだよ」
「ああ、父さんが一昨年行ってましたね」

竜持くんが思い出すように相槌を打った。

「そ。ダーリンは一昨年行ったから辞退したんだけど」

ダーリン。
聞き慣れない単語に面食らった。さばさばした印象を受けるおばさんからこんな呼称が飛び出すとは思わなかった。

「で、夢山さん一人で海外は心配だから奥さんもついて行きたいんだけど、夢子ちゃんは学校があるし、どうしようかなって話しててね。それで、だったら家で預かりますよってなったわけ」

そこまで話すとおばさんは私に視線を向けにこりと安心させるように笑ったが、横にいた三人から感じる視線が怖くて安心などできやしなかった。背中に嫌な汗をかく。竜持くんの服なのに、と思うと更に汗をかいた気がした。

「そういうことだからあんたたち、しっかり仲良くしなさいよ。わかった?」

さっきまでの優しそうな声とは一変。喝をいれるように語気が強くなったおばさんの言葉は、三人の子供たちに向けられた。渋い顔をした降矢くんたちは何か言いた気だったけれど、先程の竜持くんのように言い返すことはなく「はあい」と揃って不満気な返事をした。
おばさんがお母さんたちの元へ戻ると、最初に声をあげたのは凰壮くんだった。

「冗談じゃねえよ」

ドスのきいた声がして、肩が揺れた。ゆっくりと振り向くと、案の定三人が、出会った時よりもずっと鋭く、鬱陶し気に睨んでいた。息を呑んだ。
一番友好的だと思っていた凰壮くんに真っ先に吐き捨てられて、心臓の音が不安にうるさく鳴る。怖いと思った。誰かの後ろに隠れてしまいたいと思ったのに、ここには私と降矢くんたちしかいなくて逃げ場はない。
遠くで談笑する両親の笑い声がして、温度差を感じた。

「ですねえ。全く、父さんも母さんも何を考えているんだか……」
「得体の知れない女と住むなんて御免だぜ。なあ、虎太」

凰壮くんが虎太くんに同意を求めると、虎太くんはお皿を置いて席を外した。何かと思って見ていると、ゴール脇に置いてあったサッカーボールをつま先で浮かせて、そのまま上に跳ねさせる。自分の上に跳んだボールをキャッチして、また歩き出した。屈まずに転がっていたボールを掴むなんて、随分器用だ。
どこ行くんだよ、と凰壮くんが尋ねる。公園、と短い言葉が返ってくると、しょうがないですねえと竜持くんがため息交じりに笑った。

「残ったお肉はどうぞご自由に。僕たち、急用ができたので」

竜持くんがクッと喉元で嘲るように笑うと、凰壮くんと二人で虎太くんについて行ってしまった。

正直、私だって不本意だし、冗談じゃない。親同士が勝手に決めたことなのに、どうして責められるのが私なのだろうか。全くもって、納得がいかない。
自分のものよりずっと大きい、借りていた竜持くんのシャツの裾をギュッと握って、泣きそうになるのを堪えた。

何より淋しかったのは、優しかった初恋の男の子はもういないのだという確信だった。




帰りがこない道を行く。もう外は夕暮れだ。車が進むのは先日と同じ道だけれど、気持ちはその時の何倍も重かった。私を後部座席に乗せ、運転席と助手席に座る両親は浮かれたように談笑する。イギリス行きを明日に控え、興奮が抑えられないらしい。子供みたいな両親を席の間から睨むように眺めた。私の気持ちなど、一切考えない。無神経にもほどがある。流れていく景色が忌々しかった。

降矢邸に到着すると、早速おじさんとおばさんが私を迎えてくれた。両親がおじさんたちに何度も頭を下げながら挨拶するのを尻目に、恐る恐る辺りを見渡した。どうも三人の姿は見えない。留守にしているのだろうか。一先ず安堵の溜息を漏らす。

「夢子、おじさんとおばさんの言うこと、ちゃんとよく聞くのよ。お手伝いもしなさいね。
失礼のないようにするのよ、わかった?」

挨拶を終えた母がにこやかに私に言い聞かせるので、不満に口でへの字を書いた。
言われなくてもわかってる。でないと、あの三人に何を言われるかわからない。ただでさえ他人の家での生活に神経を使わないといけないのに、あのように不躾な男子が三人もいるのだから、今からストレスを感じずにはいられなかった。

「それじゃあ、私たちは失礼します。夢子をよろしくお願いします」
「はい。気を付けて行ってらしてくださいね」

じゃあね、夢子。
両親が手を振って私に背中を向けた。去っていく後ろ姿を見送りながら力無く手を振ったけれど、両親が車に乗り込んだ途端、鼻がツンとした。
行かないで、行かないで、置いていかないで。
走り出したい衝動を、唇を噛んで堪える。寂しさから最後まで見送れず、ただ顔を伏せることしかできなかった。お気に入りのサンダルが涙でぼやける。本当は不安と寂しさで泣き喚きたかったけれど、おじさんとおばさんの手前、そんなことはできなかった。

「夢子ちゃん、家に入ろうか。部屋に案内するからね」

おばさんが爽やかに微笑む。私も頷いてから、ぎこちなく笑った。
私を預かってくれると快く申し出てくれた二人を前に、寂しい顔なんて見せられなかった。いい人だもの。ただでさえお世話になるんだから、気を遣わせないようにしないと。
二人に案内されて家に上がる。「お邪魔します」と呟くと「そんなこと言わなくていいから。ただいま、でいいよ」と笑われた。気さくな人だと思った。本当に、あの三人の親なのだろうか。

私に用意されたのは二階の一番奥の部屋だった。普段は空き部屋なのだろうか、家具はあまりなく、部屋の真ん中にある折り畳み式の小さな机と隅に重ねられた布団は私のために用意された物らしかった。その他には壁一面を占領する大きな本棚と古そうな一人掛けのソファーが置いてあるだけだ。本棚にはびっしりと難しそうな題名の本が並んでいる。数学関係の本らしく、家の本棚にもあるのだろう、見覚えのある色合いをした背表紙がいくつかあった。
部屋に荷物を運び終えると「お腹すいた?先にご飯にしようか?それともお風呂?」とおばさんが気を遣う。

「あ、あの、ご飯はみんなと一緒でいいです……。お風呂も最後で」
「あはは、遠慮しなくていいのに。あの子たちに気なんか遣わなくていいからね」

おばさんが可笑しそうに笑ったけれど、内心「そんなわけにはいかない」と冷や汗をかいた。

「そういえば、三人はどこに行ったんですか?」

先程から姿が見えない三人を警戒し、遠慮気味に尋ねた。
「ああ、あの子たちなら公園でテニスの練習してるよ」
「テニス?」
「最近始めたんだ」

ずっと気さくに笑っていたおばさんが、苦笑いを浮かべる。どうして苦笑い?と首を傾げたけれど、その笑みの意味は分からず仕舞いだった。

「きっともう少しで帰ってきますよ。そうしたら夕ご飯です。お腹空かせて帰ってきますからね」

おじさんが相変わらずの敬語で喋る。大人なのに、子供相手にどうしてこんなに丁寧に話すのだろうか。そういえば、竜持くんたちに対しても、こんな口調だった。癖なのだろうか。ちょっと変わってる。

「ただいまー」

前触れなく、突然玄関が開く音がして、幾つにも重なる足音が乱暴に家中に響いた。
驚きに息をとめた。

「ああ、帰ってきましたねえ」

おじさんとおばさんが立ち上がる。

「さあ、夢子ちゃんも行こう?」

行きたくない。
到底口にできるはずもない我儘をストレスの中に仕舞う。おばさんに気付かれないように手汗をスカートで拭ってから、ゆっくりと立ち上がった。

一階に降りると、リビングは大分騒がしくなっていた。テレビの音がする。それから、話し声。足音。雑音。一つ一つの音に、酷く緊張した。
おじさんが扉を開けてリビングに入る。「三人とも、お帰りなさい」と呼びかけると「ただいまあ」と、気怠げな声が重なって聞こえた。
前を歩くおばさんの背中からそっと顔を覗かせてリビングを覗くと、最初に目に飛び込んできたのは、ソファーの背凭れに肩を預けこちらに背を向けて座る虎太くんだった。視線を横に移すと、今度はエアコンにリモコンを向けている竜持くん。奥から「母さん、麦茶なくなってる」と凰壮くんの声がした。

「あんたたち、夢子ちゃんもう来てるよ。挨拶しな」
「ああ、もう来てたんですか。いらっしゃい」

一番に応えたのは竜持くんだった。
エアコンから私に視線を流し、興味がないのだろうか、蔑むように笑っている割に、抑揚のない淡々とした音色で体裁上の歓迎の弁を述べた。
エアコンが起動する音がする。緊張から瞳を泳がして「お邪魔してます」と遠慮気味に返した声は、口の中に篭ってしまった。

「お前さ、まともに喋れないわけ?」

もごもごと喋る私の上に、今度は低い割によく通る声が被る。スリッパが床を叩く音と共にこちらにやってきたのは、馬鹿にするかのような笑いを浮かべた凰壮くんだった。
「いや、あの……」と気の弱い私がやはり口篭ってしまうと「はっきり喋ろよ」と、並んだ竜持くんと凰壮くんの間から見える、背中越しに睨んだ虎太くんが怒鳴り気味に言うので、慌てて頭を下げた。

「こ、これから、お、お世話になり、ま、す……よろしく」
「別に世話するつもりねえけど。ペットじゃあるまいし」
「僕たちの生活の邪魔はしないように、ヨロシク、してくださいね」

急かされた緊張交じりの挨拶は、凰壮くんの屁理屈と竜持くんの嫌味の一蹴されてしまった。虎太くんなどなにも言わず、再び背を向けてしまった。
改めて突きつけられた、歓迎されていないという事実に気が落ち込み、目を伏せる。
見兼ねたおばさんが「あんたたち、そんな愛想ないと女の子にモテないよ」と言い聞かせる。
すかさず凰壮くんが「別にモテたくねえよ」と言ったけれど、いつもは不敵に吊り上げるその唇はど何故か不服そうに尖っていたし、言い返したというよりも独り言に近く、彼にしては威勢がない。不思議に、思わず首を傾げた。

「さあさあ皆さん、ご飯ですよお」

キッチンからエプロン姿のおじさんがおたまを振りかざす。サングラスをかけたおじさんの家庭的な格好があまりにも不釣合いで、目を白黒させた。
「はあい」とやはり揃って返事をする三人とおばさんが、ダイニングへ向かう。

先へ行く皆の背中を眺めながら、一人そっと疲労交じりの溜息を吐いた。



夕食を終え、おじさんと食器を片づけてから、部屋へ戻った。扉を開けると、図書館の匂いがした。部屋を見渡す。本棚と、ソファーと、机と布団。寂しい部屋。見慣れない、自分の部屋ではない自分の部屋に、落ち着かない。今日から三か月の毎日のことを想うと、更に落ち着かなくなった。
とりあえず荷物を整理しようとキャリーケースを開ける。お気に入りの花柄ワンピース。踵に優しいペタンコのサンダル。リボンがついたチョコレート色のポーチ。誕生日に買ってもらった毛並の柔らかいウサギのぬいぐるみ。専用の猫の顔が描かれたマグカップ。友達と撮ったプリクラが入った金色のお菓子の缶。先生から貰ったピアノの楽譜。手作りしたアルバム。何度も読み込んでる絵本。遠足で拾った欠けた貝。どんぐり。竜持くんの服。

「(あ)」

そうだ、竜持くんの服。返さないと。
思い出して手に取った。
夕食が終わると、虎太くんと竜持くんは二階へ、凰壮くんはお風呂へ直行してから出てきた気配はない。きっと竜持くんは自分の部屋にいるだろう。
正直、気が滅入る。竜持くんに嫌味を言われると、萎縮してしまう。そうして私を嘲るように笑うけれど、時々目が笑っていない。それを、怖いとさえ思っていた。

「(でも、返さないと何を言われるかわからないし)」

少し迷ったけれど、一度大きく深呼吸をしてから意を決して立ち上がり、部屋を出た。

私の部屋は、二階の突き当りにある。階段側に向かって歩くと、左手に最初にある部屋が凰壮くんの部屋で、その隣が竜持くんの部屋だ。更に進むと虎太くんの部屋へと続き、階段を挟んで、反対の突き当りがおじさんとおばさんの寝室となる。
恐らく無人であろう凰壮くんの部屋を通過し、竜持くんの部屋の前に立つ。手汗をスカートで拭い、口の中で台詞を三回繰り返してから、遠慮気味に扉を叩いた。一呼吸置いて「はい」と返事が聞こえた。

「竜持くん、あの、開けていいですか」
「……はい」

息を呑んだ。ドアノブを握ると冷たい。微かに滑る。先ほど拭ったばかりだというのに。
ゆっくりとドアを開けると、目の前に竜持くんが立っていて、驚きから思わず息が止まった。いるとは思わなかったからだ。動揺を悟られないように視線を左右に泳がせて目を合わせないようにしたけれど、寧ろ露骨だったかもしれない。最終的に、足元に落とした。

「なんです?」
「あ、あの、服、を」
「ああ、そうでしたね」

どうも、と短くお礼を言った竜持くんに服を手渡した。
折角練習した台詞は結局つっかえて、言い終わる前に竜持くんの相槌に阻まれてしまった。
まだ一度も満足な会話ができていない気がする。ただでさえ内向的な性格に加え三人の迫力に気圧されて、萎縮してしまっているからだ。会話一つ落ち着いてできない自分が情けない。漏れそうになる溜息を、グッと呑み込んだ。ごくん。

「あ、の……それじゃあ、ま」
「夢子さんって」
「え?」

またも言い終わらない内に、竜持くんの声が被る。
話しかけられるとは想定していなかったのでたじろがずにはいられなかった。

「僕たちの誰かと知り合いなんですよね?」
「え、う、うん……」
「それ、本当に僕たちなんですか?」
「え、と……それは」

それは確証がないし、第一言い出したのは母だと、初めて会った時にも言ったはずだった。どうして同じ質問を繰り返すのだろうか。いや、それよりも、何故この話を今掘り起こしたのだろうか。竜持くんの真意の方が問題だった。

「忠告しておきます」

言い淀んでいると、鋭い竜持くんの声が私の意識に割って入る。視線を合わせると、普段終始口元に笑みを浮かべている竜持くんが、冷ややかな目でこちらを睨んでいた。
虎太くんが睨むときのそれとは、違う迫力があり、無意識に息を呑んだ。スカートに皺が出来る。

「詮索しようなんて、思わないでくださいね」
「え、ど、どうし」
「それじゃ」

私が言い終わるのを待たない竜持くんが、無残にも扉を閉めた。
ばたん。乱暴な音が鳴る。
竜持くんの真意がわからないまま、一人立ち尽くすことを余儀なくされた。


閉じられてしまった扉が、まるで私を拒絶しているようだった。




(2013.10.07)
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