体育終わりの生徒たちが集う男子更衣室と言えば男くさいに違いないだろうが、今はそれを確かめる余裕など毛頭ない。私はクラスメイトである出水公平の、首筋とも鎖骨とも言えない際どい位置に顔を埋めていて、向かい合った出水の身体とぴったり密着しているものだから、五感全てが出水のためのものになってしまっているのだ。足を捻って早々に保健室で休んでいたと言っていた出水は、大して汗もかいていなかったのだろう。柔軟剤の匂いがした。

 私と出水は今、男子更衣室のロッカーの中にいる。しかも、更衣室には体育を終えたばかりの男子たちが着替えを行っているところだ。俗に言う、絶体絶命という状況である。

 何故こんなことになったかと言うと、体育教師のお使いをこなし、友達に遅れてひとり女子更衣室へ戻ったところ、二階と三階を間違えるというしょうもないミスをした。女子更衣室だと思い込んだ男子更衣室で着替えをしようとしていた時、他の男子より先に保健室で休んでいた出水が戻ってきたのだ。(ちなみに出水が保健室に行っていたとかいう話はロッカーの中で聞いた。)私はまさに上の体操着を脱ぎかけているところだったので、固まってしまった。出水も固まっていた。しばらく凝視し合ったあと、「男子更衣室で何やってんだよ」と戸惑いを孕んだ出水の問いでようやく自分の誤りに気付いた。同時に、男子たちの声が遠くから近づいてくるのが聞こえ、「うわっ、隠れろ」という出水の声にパニックを起こしていると、出水にロッカーに押し込められた。なぜか出水もロッカーに入ってきた。おそらく、出水もパニックになっていたのだろう。そして今に至る。

 とにかく、女子が男子更衣室にいるだけでも大問題なのに、もしもロッカーから着替えを覗き見ていたなんていう冤罪をかけられてしまったら、私の高校生活は終わる。確実に。そしてそれは、こうして一緒にロッカーの中にいる出水も同じだろう。ありもしない事実を、良からぬ噂として広められるに違いない。私たちは極力息を潜め、ただ時間が過ぎるのを待った。
 出水は酸素が足りないとでも言うように「はあ」と熱っぽく、しかし誰にも気付かれないように、声を殺して息を吐く。他の誰が気付かなくとも、出水の籠もった吐息は私の耳元で吐かれるので、鼓膜にとても良く響いた。私の意思と関係なく身体がゾクっとして思わず身震いすると、出水の喉がごくっと鳴って、首筋がじんわりと湿ったのが伝わる。普段、教室で男子たちと盛り上がっている時の出水とは比べものにならない色っぽさのせいか、それとも酸素が足りないせいか、頭がくらくらした。触れ合っている全てが、熱い。

「あれ、そういえば出水どこ行った?」

 不意にロッカーの外から米屋くんの声がして、悪い意味で心臓が跳ねた。思わず息を止めると、出水の身体も硬くなった気がした。

「知らね、まだ保健室じゃね?」
「しょうがねえから、保健室に寄ってってやるか」

 そんな会話が交わされてからしばらく、男子更衣室を賑わせていた声は徐々に廊下に遠ざかっていき、誰の声も聞こえなくなった。もう誰もいないということを出水も察したのだろう。後ろ手に扉を思い切り押して、よろけながらロッカーから脱出する。

「はぁ、はぁ……」

 久しぶりに外界に出て、二人して思い切り酸素を肺に吸い込む。男子たちが閉め忘れた窓から涼しい風が通って顔を掠めると、かなり身体が熱くなっていたことに気付いた。
 とりあえず変なことに巻き込んでしまったことを謝らなくては……と顔をあげると、がっつり目が合ってしまった。出水の顔は、信じられないくらい赤くなっていた。

「出水、めっちゃ顔赤いけど、大丈夫?」

 顔から火でも拭くんじゃないかと思うほどの様子に、思わず謝るより先にツッコんでしまった。出水は少し食い気味に「あ、暑かったんだよ」と否定した。

「誰か戻ってくるかもしれないから、早く行けよ」
「え、ちょ」

 そうして私は謝る間もなく、男子更衣室から追い出されてしまった。
 こうなっては仕方がない。また男子更衣室に入るわけにもいかないし、あとでまた謝ろう。
 次の授業の時間が迫っていたので急いで女子更衣室へ向かい、制服へ着替えようとした。体操着を脱ぐと、いつの間にか移ってしまっていた出水の匂いが、ふと鼻先をかすめる。同時に、出水の息遣いや体温などもありありと思い起こされ、顔が再び熱くなっていくのがわかった。
 きっとしばらくは、あの出水の真っ赤な顔を忘れることはできないだろう。


(20210515)
もくり即興企画「誰も知らない」というタイトルお題で書きました。

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