中学時代、それはもう悪行の限りを尽くしていた。腹黒教師の卑劣行為を授業参観で暴露したり、PTAを焚きつけて時代遅れのブラック校則を撤廃させたり、授業をサボっては無断でシアタールームに改装した空き教室で映画鑑賞をしたり、図書委員長と裏取引をしてこち亀全巻を図書室に揃えさせたり、私のバレンタインチョコに群がる男子たちにひとつ五〇〇円で売り捌いたり……まあ色々だ。
 今にして思えば、若気の至りだった。ありあまる知性と、羨望を集める整った見目を、学校というせせこましい世界で持て余しており、端的に言うと、退屈していたのだ。
 それだけではない。悪友の存在も大きかった。実を言うと、私が犯した問題行為のほとんどは悪友が画策したものである。彼もまた、私に勝るとも劣らない聡明な頭脳の持ち主で、大人が定めた非合理的なルールに反骨していた。
 大胆かつスマート、それでいてどこかくだらない彼の提案はいつだって私を驚かせ、魅了した。私が彼を好きになるのも、至極当然のことだった。
 卒業を間近に控えた冬。高校ももちろん彼と同じところに通うつもりで、六頴館を受験した。成績は常にトップクラス、実家も裕福な彼は、私立校へ進むものとばかり思っていた。そのため、彼の進学先が六頴館ではなく三門市立第一だと知った時は、心底驚いた。絶句する私を前にして、彼は無慈悲にも「ぼく、六頴館に行くなんて言ったっけ?」と笑った。
 たしかに、言ってはなかった。私たちは顔を合わせれば悪巧みをするのに夢中で、進路なんて退屈な話をする暇がなかったからだ。結局、第一高校を受験していなかった私は、彼と離れざるを得なかった。
 それから約三年の月日が流れたが、彼とは中学校の卒業式を最後に一度も会っていない。けれどきっと、それで良かったのだと思う。いつまでも社会に反抗するなんて、子どもじみている。
 悪友との縁が切れ、私は呪いから解き放たれたみたいに振る舞いを変えた。楚々とした容姿に違わぬ、洗練された人間……他人が期待する姿であろうとした。
 新しい出逢いもあった。我が六頴館高等学校の生徒会長を務める、蔵内和紀氏である。文武両道で品行方正、老若男女問わず人望の厚い蔵内くんは、恋人に選ぶべきお手本のような人だ。堅実なお付き合いができるに違いない。
 卒業が迫りつつある十二月、日曜の今日。蔵内くんを呼び出した。無論、彼が私を好きになるよう仕向け、彼の方から交際を申し出させるためのデートである。突拍子のない計画に聞こえるかもしれないが、実際大した話ではない。この容姿を以てすれば、好意を仄めかせるだけでたいていの男子は陥落してしまうのだ。いとも容易く。
 ゆえに、特別な策を弄する必要は全くなく、いつも通りの順調な一日になる……はずだった。

「ぼくはアールグレイにするよ。きみはダージリンだろ?」

 それがどうして、こんな状況に。

 初老の男性が経営する、ノスタルジーな趣であふれる純喫茶。今、私の目の前に座っているのは蔵内くんではない。
「この店、ぼくも気に入ってるんだ。さすが好みが合うね」
 柔らかい物腰に反してどこか人を食った声色で話すこの男は、約三年ぶりに再会したかつての悪友……王子一彰だ。
 状況を整理しよう。まず、この喫茶店は蔵内くんとの待ち合わせに指定した場所だ。店員に通された席で彼を待っていた私の前に、王子はなんの前触れもなく現れた。王子は「や。久しぶり」なんてあっけらかんと笑うと、蔵内くんが座るはずの席に許可も得ず腰掛け、それどころか、狼狽する私を置いて注文まで済ませてしまった。三門市きってのマイペースさは、今なお健在らしい。
「勝手に座らないで」
 ようやく平静を取り戻しつつあった私は、ツンと澄ました顔で、ぴしゃりと拒絶した。けれど、王子は動揺する様子もない。どうやら取り合うつもりがないらしく、手にしていた革張りのメニュー表を閉じると、立ち去るどころか、紺色のダッフルコートを脱いで背凭れにかけた。完全に居座る気だ。
 私はため息をひとつ吐くと、そっぽを向く振りをして、三年ぶりの悪友を盗み見た。青いセーターの下から、シャツの襟が覗いている。前髪は綺麗に整えられていて、いかにも好青年といった外見はあの頃と変わらない。けれども、醸し出す雰囲気はずっとまるくなっていた。私の愛した捉えどころのない笑みも、マイペースな言動も、相変わらずだけれど。

 三年もの間、互いにこんな狭苦しい街にいて、一度たりとも遭遇しなかったのに。よにもよって、なぜこんなタイミングで。

 悶々としていると、こちらの視線に気付いたらしい王子と目が合ってしまった。身体を強ばらせる私とは対照的に、王子は顔の前で優雅に指を組む。それから、応えるように微笑んでみせた。そのたおやかな所作が、パブロフの犬よろしく私の目を奪う。同時に、王子を好きだった頃の悪癖が今なお染み付いていると気付かされた。悔しさで唇を喰む。
 というか、こんなことをしている場合ではない! 蔵内くんと鉢合わせる前に、王子には帰ってもらわねば。ごほん、と、わざとらしい咳払いをして会話の主導権を取り戻す。
「あのねえ。私、ここで人を待っているの」
「知ってる。クラウチだろ?」
 上品にまくし立てるつもりだった私を、カウンターが襲う。全く予想していなかった切り返しで、思わず言葉を失ってしまった。
 今、王子はたしかに「蔵内」と言った。瞬時にいくつもの疑問が脳裏に浮かぶ。慎重に、最初のひとつを選び取って尋ねた。
「……知り合いなの?」
「二人ともボーダー隊員だからね。それにクラウチはぼくの隊の隊員だよ」
「ボーダー? 王子、ボーダーなの? しかも、隊長?」
「うん。面白そうだなって思って」
「そうなの……」
 私ともあろうことが、平凡を煮詰めたつまらない相槌を打つのがやっとだった。二人が知り合いだったことはもちろん、王子がボーダーに入隊していたことすら知らなかったのだから無理もない。それにしても、面白さを求めて悪巧みばかりしていた王子が、街の平和にそれを見出すことになるとは……随分と品が良くなったものだ。
 そうこうしていると、銀製のトレイに二人分のティーセットを乗せた店員がやって来た。ティーポットとカップがテーブルに並べられていく。
 透明の筒に伝票が差し込まれるのを見届けると、王子に視線を戻した。
「……ということは、ここで会ったのは偶然ではないってこと?」
「うん。実は、クラウチは学校から急に呼び出されて、来れなくなったんだよ」
「え?」
「きみと電話が繋がらないって困ってた」
「……充電が切れていたわ」
「だと思った。それで、ぼくが伝書鳩を買って出たんだ。デート相手がどんな人か気になったし。相手がきみって知った時は驚いたけどね」
 王子はティーポットを手に取り、紅茶を注ぎ始めた。ベルガモットの香りが漂う。不意に、強い郷愁に駆られた。授業を抜け出しては二人で入り浸っていた、物置に成れ果てていた空き教室。あの頃もこうして、王子が紅茶を煎れる姿を眺めていた。何もかも覚えている。塔のように積み上げられた段ボール、乱雑に押し込められたジャンルも不統一な本棚、不安定に軋む学習机。ティーカップの模様も、紅茶の雑学も、悪巧みを語る横顔も。今だけは、卓越した記憶力が憎らしい。そっと唇を喰み、くだらない感傷を追い払う。心を落ち着かせるべく、ダージリンを注ぐ。
「クラウチに告白させようって魂胆だったんだろう?」
 カップへと流れ落ちてゆく透き通ったオレンジ色が、波紋を作って揺れていた。揺らぎが静まるのを待って、ひと口いただく。
 遅かれ早かれ見抜かれてしまうだろうと覚悟していたものの、いざ言葉にされるとバツが悪くなった。もちろん、王子に対してそんな義理はない。
「いかにもきみっぽいね」
「……王子が橋渡ししてよ。親友でしょ?」
 当て付けだった。まるで私のことを知り尽くしているような口振りに、微かな苛立ちが湧いたためだ。また、再会してから先手を取られ続け、すっかりやられっぱなしなことに対する仕返しでもあった。
「うーん」
 王子は顎に手を当て、わざとらしく考えるポーズを作った。それから「別に良いけど」と勿体ぶった反応をしてから、にんまりと笑った。嫌な予感がする。
「どうせ、クラウチとはうまくいかないよ」
「なぜ?」
「実直だからね。きみが息を吹きかければ陥ちる、わかりやすい男たちとは違うよ。それにきみだって、本当に好きな相手はクラウチじゃないだろう?」
 
 あらゆる音が止んだ気がした。白雪のように眩くきめ細かい柔肌に、冷や汗が滲むのを感じる。
 
「何を言ってるの?」
 王子から目を逸らさない代わりに、瞬きの速度をゆるめる。凛と背筋を伸ばし、上品な威嚇を向けた。
「忘れちゃった? なら、またキスが必要かな?」
 店内を照らす暖色の淡い光は、世界をどことなく不鮮明にさせている。王子の意図を見失う。どうして今さら、そんな話を。
 そう、私たちはキスをしたことがある。誘ったのは私の方だった。
 
 約三年前、秋。私たちはいつものように、空き教室で映画鑑賞をしていた。私たちは「面白ければ良い」という暗黙のモットーから作品ジャンルには拘っておらず、B級映画だろうが、モノクロ映画だろうが、特撮だろうが、垣根なく観ていた。その日はラブストーリーだった。主役のキスシーンからあることを思い出し、ふと王子に切り出した。
「王子はキスしたことある?」
「突然どうしたの?」
「今日、告白して来た男子がね」
「また? 今月で三回目だね」
「それはどうでもいいの。でね、断ったら『キスだけでいいんで』なんて言うの。私の唇がそんなに安く見られていたなんて心外だわ」
「あはは」
「……キスなんて、そんなに良いものなのかな」
「してみたらわかるんじゃない?」
「じゃあ、王子。してみようよ」
「いいよ」
 二つ返事で了承した王子は静かに目を閉じた。内心、私がするんだ、と思いながら唇を重ねた。身体の中でも特に皮膚が薄い唇は、肌よりもずっと直接的で、繰り返すうちに溶けて混ざり合ってしまうかもしれないと思わされた。
 この時、私は愚かにも仄かな期待を抱いてしまった。勘の良い王子が、私の好意に全く気付いていないはずなかったからだ。キスを拒否しなかったということは、王子も私を憎からず思ってるのではないか、と。二人の関係も、変化していくのではないか、と。
 しかしながら王子は「ふうん、こんなもんか」と呟くと、何事もなかったかのように映画へ戻ってしまった。そしてこれ以降、この件が掘り起こされることはなかった。王子にとっては、雨が降ったとか、消しゴムを貸しただとか、コンビニへ行ったとか、そういう日常の些細なひとコマでしかなかったのだと思い知らされた。だから私も、王子に倣うことにした。私たちの間に、特別なことは何もなかったのだと。
 それをなぜ、今になって蒸し返すのだろう。葬った過去を弔うには時間が経ち過ぎている。
 私は物分かりの良い大人になって恋人を作ろうとしているし、王子は品が良くなって、ボーダーで面白いと思えることを見つけた。もうあの頃は違う、のに。
 ふと、ベルガモット香りが纏わりついてきた。
「ほら、そうやってまた唇を噛む」
 指摘されて気付く。無意識に喰んでいた。ほんの瞬きひとつ分、王子と重ね合わせただけのそれ。何度も喰み、感覚を反芻していた。
 王子の指が伸びてくる。親指のはらが、拭うように、或いは、塗り込むように、私の唇を押さえつけていく。蔵内くんのために、三回もティッシュオフをしたリップグロスが、王子の指に薄く、薄く、感染る。
 
「きみはたぶん、ずっとぼくが好きだよ」
 
 そうなるように、仕向けてきたんだから。

「……どうやって?」
「教えてほしい?」
 唇から移動した手が私の髪を掬っては、はらはらと落としてゆく。髪一本一本まで彼のものになったようで、全身が痺れた。
「だったら、早く戻っておいで」
 
 かつて私は王子の悪友で、彼の考える企みには何だって加担した。当然、この謀略にだって。
 きっと私は、一生、王子に抗えない。
 
 遠くの方で、からんからんと、来客を報せるドアベルが鳴っていた。ヨハネの黙示録で、ガブリエルが吹いた復活の音のように。



(22.05.14)
参加者同士の考えたタイトルを交換して、夢小説を書くという企画に参加しました!

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