水面で瞬く無数の光が、眩しい午後だった。潮のかおりをまとった風が夢山のセーラー服をはためかせ、髪を無造作に乱す。おれはその様子を、数歩後ろから眺めている。だだっ広い海を右と左に分断する長い波止場には、平日の昼間という時間帯もあってか、おれと夢山のふたりしかいない。
「二月に海って……季節外れすぎるだろ」
「でも、ロマンチックでデートにぴったりじゃない?」
「げ、聞こえんのかよ」
 絶え間なくさざめく波音にこっそり忍ばせたつもりだったが、夢山の地獄耳を甘く見ていたみたいだ。おれのぼやきをきっちり拾った夢山は、ボーダー隊員も顔負けの俊敏さで振り返ると、ロマンチックとは程遠いニヤけ面でおちょくるようなことを言った。
 ちなみにおれらはただのクラスメイトで、もちろんこれもデートなんかじゃない。登校中のところを、通学路で待ち伏せしていた夢山に捕まり、なんの説明もないまま無理やり連れてこられただけだ。
 さっきみたいな恋愛感情を仄めかす言い回しは、夢山お得意の悪趣味な冗談にすぎない。反応したら最後、地獄の果てまでイジられるのだ。彼女の独特なノリに最初こそ戸惑ったりもしたが、同じクラスになって約一年が経った今では、すっかり耐性がついた。おれは軽くスルーして、会話を続ける。
「つーか、ロマンチックな海って、砂浜とかあるところじゃねぇの? こういう港じゃなくてさ」
 ふい、と辺りを見渡せば、厳つい筆文字の入った漁船が、何隻も停泊していた。お世辞にも、ロマンチックと言えるロケーションではないだろう。
「だって、三門市から一番近い海がここだったんだもん」
「あのなー。ロマンチックな気分に浸りたいがために、こんなところまでおれを付き合わせたのかよ」
「出水とデートしたかったってことだよ」
「へーへー。そうですか」
 どうせいつもの冗談だ、と、まともに取り合うことはしなかった。
 三門市よりもずっと冷たい水辺の風が、頬に突き刺さる。おれは小さく身震いすると、波止場の真ん中に腰を下ろした。体育座りをして身体を縮こませながら、波止場を境として真っ二つに分断された片側の海を、ぼんやり眺める。
 
 思えば、夢山に振り回されてばかりの一年だった。
 出逢いは二年に進級してすぐの席替え。夢山がおれの後ろの席になった。最初は大人しかった夢山だが、そこそこ雑談をする仲になると、授業中にちょっかいを出してくるようになった。おれの跳ねがちな髪先を、指で弾いて遊ぶのだ。「何してんだよ」と指摘しても調子良く笑うばかりで、次の授業でもまた、同じことを繰り返した。いつしかおれも諦めて、夢山の好きにさせるようになった。
 背中に書かれた文字を当てるゲームなんかは、おれもそれなりに楽しんだ。夢山の悪趣味な冗談はここでも存分に発揮され、「好きだよ」とか「付き合う?」とか書かれることがあった。その度に夢山は「ドキドキした?」と揶揄うように笑っていた。
 自由だな、と思いつつ、あまり悪い気はしなかった。
 
 そんな回想に浸っていたら、ふと、背中にあたたかい体温が伝ってきた。同時に、くすぐったい感触が首筋を掠めていく。視界の端に映ったのは、風に煽られた夢山の髪だった。どうやら、おれと背中合わせに座っているらしい。
 その事実に気付くと、おれは少しだけ緊張した。ただのクラスメイトにすぎないおれらが、こんな風に身体を触れ合わせることなんて、今までなかったからだ。
 しかも、いつも適当な冗談ばかり言う夢山が、なぜかしおらしく黙っている。あきらかに、妙な雰囲気だった。
「……夢山?」
 呼びかけておいて、振り返ることはできなかった。夢山相手に、なぜか、心臓がバクバクと脈を打っていた。気持ちが落ち着かず、視線をあちこちに泳がせる。
 しばらくすると、夢山はおれの背中に体重をぐっと預けてきた。まるで、甘えているみたいだった。いよいよ緊張が最骨頂に達していた。
「出水、私ね……」
 夢山が、波音の隙間を縫うように切り出した。そして、たっぷりと間をためて、言った。
 
 
 ──明日、引っ越すんだ。
 
 
 一瞬、何もかもの音が、消えた気がした。
「……マジかよ?」
「マジマジ。ずっと引っ越そうかって話はあったんだけどね。この前の侵攻で、親の決心ついちゃったみたいでさ」
 普段、人を揶揄って遊ぶ夢山らしくない、捲し立てるような話し方だった。おれはようやく小さく振り返ったが、夢山がどんな表情をしているかはわからなかった。背中合わせの夢山は、おれとは反対側の海を見つめていた。おれもしぶしぶ、目の前の海に視線を戻す。
 ざざん、ざざん、と。波の音が次第に大きくなっていく気がした。夢山と話しているときには、全く気にならなかったのに。なぜか今は、ひどくうるさい。
 
「出水」

 おれの背中を、冷たい風が撫ぜていった。あたたかかった体温は、いつの間にか感じられなくなっていた。おれにぴったりと寄り掛かっていたはずの夢山が、離れていってしまったのだとわかった。
 追いかけるように、慌てて身体ごと夢山に振り返った。
 
 その時。
 唇に、柔らかく、熱い感触が押しつけられた。
 
「おま、今、キ……」
「冥土の土産に、いいでしょ?」
 
 夢山がいつもの冗談をかましながら、寂しそうに笑った。それを見て、苦々しい気持ちになる。
 
 今さら、そんな顔、ずるいだろ。無理やりこんなところに連れてきて、なんの脈絡もなく大事なこと打ち明けて、ただのクラスメイトなのに、キスなんて、して。
 
 ああ。こんな勝手な奴、たぶん一生、忘れられるわけがない。
 
「出水、帰ろう」
 そう言って立ち上がった夢山は、おれを待たずに、ひとり駅方面へ歩き出した。夢山の姿が小さくなっていくのをしばらく眺めてから、おれものそっと立ち上がる。
 
 ふと、誰かに後ろ髪を弾かれた気がした。驚いて振り返ったが、当然、波止場には誰もいなかった。かつて授業中におれの髪で遊んでいた夢山は、もうずっと遠くを歩いている。風が、おれの髪を揺らしただけだった。
 
 波の音が聞こえる。おれの中で、静かに、けれどもたしかに、何かがざわつく音が大きくなる。そんなの、今さら、遅いのに。
 このしょっぱい気持ちは、潮のかおりをまとった、風のせいに違いないだろう。おれはそのかおりを忘れないように、何度も、風の後を追いかけた。



(22.02.28)
宇多田ヒカルさんの楽曲から選んだ曲で夢小説を書くという企画に参加させていただきました!
『One Last Kiss』で、歌詞を見ていただけると夢主の心情がわかる…という構成にしています。

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