うちはクリスマスツリーを飾らない家だった。家庭の方針で禁じられている、というわけでは決してない。その証拠に、イヴの夜は父がケーキを買ってきてくれるし、翌朝になるとちゃんとサンタクロースを名乗る人物から未だにプレゼントが届く。単純に、インテリアを使って楽しむ習慣がないというだけだった。一度、母親にツリーを買ってほしいと強請ったことがあるが、クローゼットのスペースがないという理由で却下されてしまった。たしかに、一年のうちで日の目をみるのはわずか数週間しかないのだから、収納という問題はどうしても付き纏う。私はしぶしぶ、諦めるしかなかった。
 そんな私を救済してくれたのが、歌川さんである。歌川さんとは、私の家の三軒隣に住んでいるご近所さんのことだ。長男の歌川遼くんとは同学年で、幼稚園からずっと一緒ということもあり、母親同士の仲が良い。ちなみに私と歌川くんは、接点だけで言えばいわゆる幼馴染なのだが、たいして話したことはない。誰に対しても気さくな歌川くんから話しかけられることはしばしばあったが、インドア派の私とアウトドア派の彼では、休み時間の過ごし方から交友関係まで何もかもが異なる。同じクラスになったことすら一度しかなく、私たちが仲良く会話をする理由なんて、特になかった。三門市のような田舎には、こうした“付き合いは長いが仲良くはない、なんちゃって幼馴染”がごろごろいる。
 話を戻そう。小学五年の時のことだ。母からクリスマスツリーの話を聞いた歌川ママが「良かったらうちのツリーを見においで」と言ってくれた。それから毎年十二月になると、歌川くん家へ飾り付けをさせてもらいに行くのが恒例行事となった。
 そして今年もまた、私は歌川くんの家へ向かっている。スーパーでたまたま会った歌川ママに「今年はいつ来るの?」と嬉しそうに声を掛けられ、気付いたら日取りを決められていた。色々あって、本当は断ろうと思っていたのだが……。
「こんにちはー」
「はーい」
 インターフォンを鳴らすと、すぐに玄関の扉が開いて、歌川ママが出迎えてくれる。ちら、と視線を走らせると、男物の靴は一足もなかった。「今日はご家族はいないんですか?」と探りを入れながら、母に持たされたいいとこのどら焼きを手渡す。歌川ママはそれを受け取りながら、「いつもありがとう。そうなの、今日はみんな出掛けているのよ」と答えた。
 歌川くんの不在は、不幸中の幸いだった。まあ、健全たる朝型人間の彼は休日だろうがなんだろうが午前中から活動する傾向にあって、例年も遭遇することは滅多になかったのだが。ボーダーの仕事かプライベートの遊びかはわからないけど今はありがたい。私はそっと胸を撫で下ろし、晴れやかな気持ちで家にあがらせてもらった。
 リビングへ行くと、すでにツリーは出されていた。去年までと同じく、テレビ台の横に置かれている。家族の視線が自然と集まるであろう、ベストポジションだ。さすがは歌川ママである。
「好きに飾り付けしてね。オーナメントはテーブルの上に出してるから」
「いつもありがとうございます」
「こちらこそ嬉しいのよ、夢子ちゃんが来てくれて。うちの子たち、あんまり興味ないから」
 歌川ママは紅茶を運んで来ながら、苦笑いをした。このやり取りを毎年やっている気がするが、もはやご愛嬌である。大人は、同じ話を何度もするのが好きなのだ。
 一通りの挨拶を終えると、歌川ママは「家事をしてくるから、夢子ちゃんは好きにしてね」と言って、リビングから出て行った。それを軽い会釈で見送ってから、ツリーに向き直る。
 歌川家のツリーはなかなか立派で、一八〇センチサイズのものだ。その分、横幅のボリュームもあって、飾り付けにも力が入る。私は、歌川ママが用意してくれたオーナメントをぶら下げていった。
 ◇
 数歩引いて、全体のバランスを確認しながら何度も調整していると、いつの間にかかなりの時間が経っていたらしい。十二月の短い日はゆっくりと傾き始めていた。
 だいぶ少なくなってきたオーナメントを一瞥してから、ツリーを睨む。
「うーん、バランス悪いかな……」
「そうか? オレはいいと思うな」
「え?」
 独り言に返事をされ、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。隣を見上げると、いつの間にか並んでいた歌川くんが、同じようにツリーを眺めていた。それから、私を見て、フッと柔らかく微笑んだ。
「えっ! な、なん!」
「任務が終わったから帰ってきたんだ」
「あ、そ、そうなの」
 しくじった。歌川くんが帰ってくる前にお暇しようと思っていたのに。クオリティにこだわるあまり、時間を忘れて没頭してしまっていたようだ。
 慌てる私をよそに、歌川くんはツリーに視線を戻した。
「クリスマスの飾りって不思議だな。なんで、クッキーや杖を飾るんだ?」
 歌川くんが、ぶら下がる赤と白のキャンディケインに触れながら言う。
「……意味があるのよ」
「意味?」
「たとえば、杖は羊飼いのものなの。迷える子羊……ってよく言うでしょ? 神様が羊飼いで、人間が羊。で、羊飼いが羊を引き連れるように、神様が人間を導いてくれるの」
「そうなのか。夢山は博識だな」
「お、大袈裟だな……」
 育ちの良い歌川くんは、歳の離れたお姉さんがいることもあってか、他人──とりわけ女子を、息をするように褒める。言われたこちらの方が恥ずかしくなる。
「それで……」
 歌川くんの声が、少しだけ低くなった。その繊細な変化を感じ取った私は、手に汗が滲んだ。
「返事、考えてくれたか?」
 ああ嫌だ。だから会いたくなかったのに。
 私は二週間ほど前、歌川くんに告白をされた。なぜ告白をされたのかは、全く見当がつかない。歌川くんとはクラスも違うし、個人的に遊んだこともない。ただただ幼稚園から同じ所に通い続け、十二月に彼の家へ飾り付けをさせてもらいに行くだけの関係だ。そりゃ、同級生だし普通に雑談することもあるけれど、なぜ急にこんなことになったのか。お昼休みに「ちょっといいか?」なんて呼び出されて、人気のない中庭に連れて行かれたと思ったら、歌川くんは私をまっすぐ見つめて「夢山のことが好きなんだ」と、目を柔らかく曲げながら言った。こんなことを、照れもせず言える男子高校生は、三門市では歌川くんくらいに違いない。
 歌川くんとは正反対に、人生初の告白をされた私は驚くくらいパニクって、とりあえず返事を保留にさせてもらった。そして、何の答えも出せないまま、今に至る。
 
 ツリーの前で目を泳がせている私に、何かを察したらしい歌川くんが「すまん、急かしたな」とバツの悪い顔で謝ってきた。ボーダーのA級隊員で、成績も運動神経も良い上に、こんな気配りのできる人が一体なぜ、なんの取り柄もない私なんかを……。謎はますます深まるばかりである。
「な」
「ん?」
「なんで私……なの?」
 この際なので、告白された時に訊けなかったことを切り出してみた。結局ここがクリアにならなければ、私自身、いつまでも答えを出せない気がする。
「……毎年、うちのツリーを飾りに来てくれるだろ? 一度だけ、一緒に飾り付けたことあったよな」
「あ、うん。二年前だっけ」
「ああ。夢山がすごく楽しそうに飾り付けてて、それが可愛かったんだ」
「な……」
 歌川くんが、にこりと微笑む。
 可愛いなんて、親以外から初めて言われたので、びっくりした。この人には、気恥ずかしいという感情はないのだろうか。私の方が恥ずかしい想いをしているのが、少しだけ悔しい。
「さて、オレも手伝うよ」
 私に気を使ってか、自然と話を変えてくれた歌川くんは、ローテーブルの上に置かれたリボンのオーナメントを手に取った。それから、不意に「リボンにはどんな意味があるんだ?」と訊ねてきた。
 間がいいのか、悪いのか……。私は少し言い淀んでから、答えた。
「あ……が……」
「うん?」
「だ、だから、愛情が、永遠に結ばれるって、意味!」
「……そうか」
「な、何笑ってるの!」
「すまん。夢山の顔が真っ赤だから、可愛いと思ったんだ」
「も、もう、可愛いって言うのやめて……!」
 なんだ? この砂糖みたいに甘いやりとりは。ものすごく恥ずかしい。きっと歌川くんと付き合ったら、こういう想いを何度もするんだろう。
 しかしながら、正直な話、まんざらでもなかった。押し付けるわけでも回りくどいわけでもない、心地よい距離感の好意に絆され、私の心は今、バランス良く飾られたクリスマスツリーみたいに煌めいている。
 あと一回。歌川くんに褒められたら、私は首を縦に振ってしまう気がする。なんと返事をすればいいのかと、あれだけ迷っていたというのに。現金というか、チョロいというか。
 さながら彼の言葉は、私にとって羊飼いの杖なのだろう。
「なあ、夢山」
 歌川くんが、口を開いた。


(2021.12.29)
相互さんのお誕生日に書きました!

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