「何してるの?」
 十六時過ぎ。午後の任務を終え本部を出ようとすると、地下通路の出入口前で、漆間くんが壁に凭れながら立っていた。彼は私を一瞥すると、質問に答える代わりに、親指で出入口を指した。不思議に思いながら、上から下に降りるスライド式の扉を開くと、外は雨が降っていた。朝に見た天気予報の通りだった。
 私は高校のスクールバッグから折り畳み傘を取り出し、漆間くんに振り返った。作戦室に戻らないところをみると、雨が止むまでしばらく待つか、意を決して濡れて帰るか、迷っているのだろう。土砂降りというわけではないが、小雨というわけでもなかった。冬の冷気を孕んだ雨粒に打たれれば、風邪を引いてしまうに違いない。
「傘がないなら、入っていく?」
 漆間くんは目を丸くした。まさか私から誘われるとは思っていなかったらしい。当然だ。私たちは同学年にも関わらず、大して話したことがない。
「いいのか?」
 気怠そうに見上げる漆間くんの目は、まるで品定めをしているみたいだった。私の提案を素直に受け入れていいのか、思案しているのだろう。漆間くんの拝金主義は有名で、特に任務への姿勢には損得勘定が大きく影響するらしい。水上先輩に言わせれば“がめつい”とのことだが、ボーダーが慈善団体ではない以上、むしろ合理的な人なのだと私は思う。市民や街を守りたいという殊勝な考えや、強さという年相応の健全な向上心を持つ隊員が多いために悪目立ちしやすいが、漆間くんの価値観は、勤め人として至極真っ当と言える。
「大丈夫だよ。お礼しろなんて言わないから」
「……」
「それにこの雨、しばらく止まないよ。天気予報で言ってたもん。あと一時間は降るんじゃないかな」
 これがダメ押しになったようだ。
 漆間くんはゆったりとした動きで壁から身体を離すと、私の隣に立った。肩が触れる距離で伏し目がちに私を見下ろす。ふと、彼の背が意外と高いということに気付く。
「悪いな」
「いいえー」
 傘を広げてふたりの間に差すと、漆間くんがひょいと奪い取った。代わりに持ってくれるということだろう。彼の厚意を素直に受け入れ、そのまま預ける。
 学生服に身を包んだ漆間くんは、頭の天辺から足のつま先まで黒一色だ。ウサギが描かれたピンク色の傘との組み合わせはミスマッチで、少しだけ面白かった。
 かろうじて日は出ているが、雨ですっかりと色彩がくすんだ街に、どちらからともなく歩き出した。
 ◇
 駅方面へ向かう中、コンビニや百円ショップといった傘を販売する店がちらほらと現れ始めたが、漆間くんは見向きもしない。止むかもしれない雨のために、傘を買う気がないのだろう。ただでさえ、学生にとってビニール傘はいいお値段だ。漆間くんは稼いだお金を気持ち良く使うタイプではなく、こつこつ貯め込むタイプとみた。
「あ! ねえ、寄りたい所があるんだけど」
「どこ?」
 漆間くんの吐いた息が薄く白んで、細い雨脚の隙間へ消えていく。その行方を、なんとなく目で追った。
「商店街のたこ焼き屋さん。無料券もらったんだけど、今日までだったの忘れてた」
「たこ焼き屋なら、そこの角曲がった方がいいな」
 文句のひとつも言わずに寄り道をしてくれる漆間くんは、ボーダー内で噂されているほど性格が悪いわけではないのだと思う。現に今も、ふたりで使うには小さすぎる折り畳み傘を私側に傾けてくれていて、彼の肩は濡れていた。
 
「いらっしゃいませー。お持ち帰りですか?」
 こじんまりとしたたこ焼き屋の暖簾をくぐると、愛嬌満点の女性店員さんが声を掛けてくれた。
「漆間くん、このあと予定ある?」
「? ないけど」
「じゃあ、店内でお願いします。ふたりです」
「は?」
 イートインの旨を伝えると、軒下で折り畳み傘の水滴を払っていた漆間くんが、訝しげに私を見た。
「ちょっと寄るだけじゃなかったのかよ」
「いやー、外寒いし。ちょっとだけ温まっていこうよ」
 へらへら笑う私に漆間くんは「……ったく」と呆れたような顔をしたが、私の傘を借りているからか、それ以上は何も言わなかった。
 窓際の席に通されると、水ではなく温かいお茶が運ばれてきた。この店のサービスらしい。湯呑みを両手で包み込むと、指先がゆっくりと温まっていく。漆間くんも充分に暖を取れているといいのだけれど。
 無料券の対象となる、最もオーソドックスなたこ焼きの八個入りを注文した。店に充満するソースの匂いが、食欲を刺激していく。
「漆間くん、たこ焼き好き?」
「普通」
「じゃあ何が好きなの?」
「……たい焼き」
「一文字しか違わないじゃん」
「文字って……ものが全くちげーだろ」
「冗談冗談。今度はたい焼き食べに行こうね」
「なんで夢山さんと……」
 はあ、とわざとらしいため息を吐いた漆間くんは、お茶を一口啜った。それから頬杖をつき、窓の外を流れ落ちていく雨の滴を眺めながら、「夢山さんが好きなのはウサギ?」と続けた。
「え? ああ、折り畳み傘のこと?」
「相当年季入ってたから、気に入ってんのかと思って」
 たしかに、あの折り畳み傘は中棒が一部錆びているし、よく見ると傘地に黄ばみがあった。何よりポップなウサギ柄のデザインは明らかに女児向けで、高校生の持ち物としては幼すぎる。漆間くんが引っかかるのも無理はなかった。
「ごめん、ボロかったよね。小学生の時におばあちゃんからもらったの。四年前の侵攻で亡くなっちゃったから、なかなか手放せなくて」
「ふーん」
 漆間くんは、さして興味なさげに相槌を打った。
「でもまあ、さすがにそろそろ買い替えようかな」
「……別にいいと思うけど」
「あ、そう?」
 それまで遠くに投げられていた漆間くんの視線がふいっと移動して、私を捉えた。鋭く、どこまでも深い色の瞳に、吸い込まれそうになる。
「オレ、物持ちいいヤツ好きだから」
 正面からまっすぐに、私を見る。
 歯に衣着せぬ彼の物言いを、性格が悪いと評する人もいるけど、それは裏を返せば、嘘を吐かない人ということだ。おそらく深い意味はないのだろうけど、漆間くんに気に入られたのはたしかだと思う。肯定してもらえるのは嬉しかった。

「お待たせしましたー。ご注文のお品です」
 出来立てのたこ焼きが運ばれてきた。不規則な湯気が、ゆらゆらと立ち昇っている。爪楊枝はしっかり二本刺さっていた。
「美味しそー。あ、漆間くんも食べてね。どうせタダだから遠慮しないで」
「いい。タダより高いものはないって言うだろ」
「え? うーん……さっき好きって言ってくれたし、そのお礼ってことで」
「……変な奴」
 漆間くんが爪楊枝に手を伸ばした。私も一本取って、たこ焼きを口元に運ぶ。丸ごと口の中に含むと、割れた表面から熱気に満ちた生地が、どろりと舌の上に流れ落ちてきた。口内に、味覚よりも痛覚が走る。完全に火傷した。
「あ、あふ!」
「何やってんだよ」
 漆間くんは唖然とした様子で、お冷を注文してくれた。彼は存外、面倒見の良い性格みたいだ。店員さんからコップを受け取ると、いっきに水を口の中に流し込む。
「痛かった……ありがとう」
「夢山さんって、結構ドジだろ」
 口内の皮が捲れ未だ半泣き状態の私を見て、漆間くんは楽しそうに笑っていた。
 今日は、噂からは想像できない漆間くんの姿を知ることができた。心底楽しそうな顔を見れたのだから、火傷した甲斐もあったかもしれない。
 もしまた漆間くんが雨宿りしていたら、その時は約束通り、たい焼き屋さんに誘おうと思う。好きなものを食べたら、また新しい一面を見せてくれるかもしれない。
 もちろん、漆間くんには似合わない、ウサギ柄の傘を片手に。


(2021.12.28)
漆間くんお誕生日おめでとう!

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