「日佐人は好きな子いないの?」
 唐突な質問に、思わず息を呑んだ。
 まさか、他でもない夢山さんに訊かれるとは。
 
 夢山さんが諏訪隊の作戦室にやってきたのは、今から五分前のことだった。諏訪さんと仲が良い夢山さんは、麻雀メンバーと並んでここの常連である。今日はあいにくオレ以外誰もいなかったのだが、夢山さんは気兼ねせず「日佐人、お疲れ様」と言って入ってきて、慣れた手つきで本棚を物色した。夢山さんは諏訪さんの推理小説仲間であり、作戦室に訪れるのも本の貸し借りが主な理由だったので、こうした光景は珍しくなかった。オレはその姿を、気付かれないようにソファからチラチラと眺めていた。
 しばらくして夢山さんは「あったあった」と呟きながら、一冊の本を取り出した。どうやらお目当ての小説を無事に見つけたようだった。きっとこれで引き上げてしまうだろうと名残惜しく思っていたが、夢山さんはなぜか出入口には向かわず、オレの斜め向かいに位置する一人掛け用のソファに腰を落ち着かせた。そして、そのまま小説をぱらぱらとめくり始めた。予想外の展開に、オレは驚いてしまった。
 夢山さんがここで読書をすることはこれまでにもあったが、今は諏訪さんはおろか、堤さんもおサノ先輩もいない。二人きりというこの状況に、夢山さんは全く気まずさを感じていない……ということだろう。嬉しいような、悲しいような。複雑な気分だった。
 オレが百面相をしているうちに、夢山さんは創作の世界に入り込んでいた。ページに目を落とし、整列する文字を静かに追いかけていた。俯く夢山さんの横髪が、耳の輪郭をなぞりながら、限りなくゆっくりとばらけ、落ちていく──そんな何の変哲もない一場面が、息を呑むほどキレイだった。
 この人の横顔を、オレはいったい、何度眺めてきたのだろう。きっと正面を見た回数よりも多いに違いない。片想いをしている以上、盗み見が多くなってしまうのは仕方がなかった。
 そんなことを考えていると、夢山さんが「そういえばさあ」と言いながら不意に顔を上げ、オレに視線を送ってきた。目が合っただけでドキリとしてしまうオレをよそに、夢山さんは「日佐人は好きな子いないの?」と尋ねてきたのだ。冷や汗をかいた気がした。
「どうしたんですか、突然」
 オレは夢山さんの意図を測りかね、とりあえず当たり障りのない返事をした。どんな時でも広い視野を持って、物事を冷静に判断すること。最近、オレが身を持って学んだことだ。少し前のオレだったら、パニくって余計なことを口走っていたかもしれない。
 夢山さんは、よくぞ聞いてくれましたとでも言いたげに身を乗り出した。
「今ね、キテるんだよ。日佐人のビッグウェーブが」
 にこにこという擬音語が似合う顔で、夢山さんが笑う。まるで自分が褒められているみたいに嬉しそうで、年上の女性に対して失礼かもしれないが、可愛かった。
「ビッグウェーブ、ですか?」
「うん。日佐人、最近落ち着いてて大人っぽくなったなーってオペの間でも噂なの。つまりモテ期だよ。一生で三回あると言われているあのモ・テ・期」
「はあ……」
「だからね、好きな子がいるなら今がチャンスだよ。なんなら協力してあげる」
 諏訪さん曰く、夢山さんは後輩を可愛がりたいのだという。にも関わらず、まだどこの隊にも所属していないので、年下と関わるタイミングが少ないそうだ。加えて人見知りなきらいがあり、自分から積極的に絡みにいけるというわけでもない。実際、オレに話し掛けてくれるようになったのも、わりと最近のことだった。そんなわけで、夢山さんは数少ない“年下の知り合い”であるオレをロックオンしたのだろう。
 本来、好きな人から構われたら嬉しいだろうが、オレは密かに落ち込んだ。協力してあげる、なんて言われている時点で、脈がないからだ。モテ期と言っても、好きな人にモテなければあまり意味がない。
 しかしその一方で、夢山さんの言う通り、これはチャンスなんじゃないかと思った。意識されていないだけで、何もフラれたわけではない。
 むしろこのまま何もアクションを起こさなければ、片想いで終わってしまうのは確実だ。それはものすごく悔しいし、せめて少しくらい、オレという痕跡を夢山さんの中に残したい。
「好きな人は……います」
 膝に置いた手にぎゅっと力を込め、意を決して言った。オレの告白に対し、夢山さんは見るからに目を輝かせた。
「え! 誰? 私の知ってる人?」
「えーと……はい」
「わー誰だろ! 待って、ヒントちょうだい」
「……年上で、オペレーターで……それから、本が好きで」
「うんうん」
 いつも文字ばかりを追っている夢山さんの瞳が、今日は真っ直ぐオレを見つめてくる。横顔ではない、正面の夢山さんは新鮮だった。視線を合わせ続けるのは気恥ずかしかったが、オレは目を逸らさず「伝われ!」という思いで核心的な内容に触れた。
「あの、この部屋によく来ます」
「えっ! おサノ?」
「いえ、あの……」
 オレが言い淀むと、夢山さんはついに何かに気付いたように「あ……!」と吐息を漏らした。さすがの夢山さんにも伝わったのかもしれないと、心臓がバクバクと脈打つ。夢山さんが、真剣な面持ちでオレを覗き込んできた。
「日佐人さ……」
「は、はい……」
 
「結構、くっきりした二重なんだね」
 
「……はい?」
 盛大な肩透かしどころか、あまりの脈絡のなさに、思わず固まってしまった。夢山さんは何度も瞬きをしていた。
「や、日佐人とこうやって正面きってまじまじ顔見ながら話すの、初めてだからさ。新しい気付きというか」
「はあ」
 オレとしては攻めたつもりだったので、あっさりスルーされてしまい、凹んでしまった。ここまで伝えて気付いてもらえないということは、そもそも恋愛対象外なのではないだろうか。それでは勝負のしようもない。
 肩を落としているオレを尻目に、夢山さんは「それからねえ」と話を続けていた。力なく見返すと、何やらはにかんでいた。そして、またも耳を疑うようなことを言った。
 
「日佐人めちゃくちゃ目見てくるから、ちょっとドキドキしちゃった。へへ」
 
 え、は……え?
 
「あの、え、そ、それって……」
「あ!」
「え!?」
「しまった、このあと呼ばれてたんだ! ごめんね、もう行くね」
 夢山さんは早口に捲し立てると、小説を小脇に抱え慌ただしく去って行った。
 その背中を見送って、自分に何が起こったのか理解すると、オレは思い切り脱力した。ソファの背凭れを、身体がずるずると滑っていく。
 
「ず、ずるい……」
 
 夢山さんに言われた言葉を反芻しながら、ひとり頭を抱えた。一矢報いたような気もするが、結局、完敗に違いなかった。
 とりあえず今日は、はにかむ夢山さんが正面から見れただけで良かったと思うしかない。



(21.12.12)
フォロワーさんの誕生日に書いたものです。



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