「今日夢子の誕生日らしいぞ。メシでも誘えよ、二宮」
「なぜ俺に言う」
「そりゃあ、お前が夢子のこと好きだからだろ?」
「……チッ」
「否定しないってことはやっぱりそうだってことだな」
「……だとしても、お前に指図されるつもりはない」
 控えめに言って、最悪だった。
 ここボーダー本部のラウンジ──それも私の真後ろの席で、太刀川くんと二宮くんがとんでもない話をしている。どうやら二人は、話の張本人である私が運悪く居合わせていることに全く気付いてないらしい。こういったセンシティブな話題は、個室などの閉じた空間でするか、周囲に知り合いがいないことを確認してからにしてもらいたい。
「お前が誘わないんなら、俺が誘ってみるか。俺と夢子、結構仲良いからな」
「……自惚れるのも大概にしろ」
「寝たこともあるぞ」
「……」
「俺と夢子と、小南と、迅もいたな。防衛任務の後、本部で雑魚寝したんだが……おっと、悪い。勘違いさせたか?」
「……くだらない茶番に付き合わせるな」
 人を食ったような太刀川くんの声に反した、二宮くんのピリついた空気が、痛いほど背中に刺さってくる。なぜか私が、嫌な汗をかいた。
 居た堪れない。面と向かって告白されているわけでもないのに、望まぬ盗み聞きをする羽目になっているこの状況が。申し訳なさもあるが、単純に気まずい。二宮くんはまさか私に聞かれているとは微塵も思っていないので、今後二宮くんの前では「何も知らないフリ」をしなければならないが、平静を保てる自信がない。私にとってこの話は寝耳に水なんてレベルでは収まらない、言うなれば寝耳に大雨……いや、台風だったからだ。
 振り返ってみても、今までの二宮くんにそのような素振りはなかったように思う。彼との関係は、普通の男友達とのそれと変わらなかった。例えば、お昼時に大学の食堂でたまたま会うと、同じテーブルに呼ばれるとか。帰りの時間が合った時には、遠回りにも関わらず私を家まで送ってくれるとか。私が見たがってた映画に誘ってくれるとか。頻繁に焼肉を奢ってくれるとか。バレンタインデーにチョコレートを食べてたら「寄越せ」と言われ……って、あれ? もしかして全部そういうことだった? 全然気付かなかった。
「焼肉はやめておくんだな。誕生日くらい夢子の好きなもの食わせてやる方がいいだろ」
「あいつも焼肉は好きだ。知らないなら黙ってろ」
「そうか? ならいいが、お前誕生日も知らなかったんだろ? 本当に大丈夫か?」
「……」
 やめてー! 私の好きな食べ物で喧嘩しないで! 
 話題が切り替わる様子がないどころかヒートアップし始めて、私は脳内で頭を抱えた。正直、今すぐこの場から立ち去りたいが、下手に動いて私の存在を気付かれる方がまずい。私にできることは、せいぜい息を潜めて背景の一部になることくらいだった。
 太刀川くんと二宮くんの会話を聴きながら、目の前に広げているノートパソコンの液晶を眺めた。テキストファイル上で、カーソルが点滅している。大学のレポートを終わらせようと思っていたのだが、もうそれどころではない。キーボードを叩く動作や音でこちらに意識が向けられてしまっては事だ。
 これ以上の作業はできないだろうと諦め、声に出さずため息をついた。その瞬間だった。
「あー! 夢子さんだ!」
 遠くに自分の名前が聞こえ、声のした方を見遣ると、ラウンジの入り口にいた緑川くんが手を振ってた。目が合うと、一目散に駆け寄ってきて、私のテーブルの周りをぐるぐると走り回る。
「ねえねえ、今日お誕生日なんでしょ? おめでとうございまーす!」
 声変わり前の元気溌剌な高音はよく通り、気持ち良いくらいに辺りに響いた。
 
 ──ま、まずい。
 
 恐る恐る振り返ってみると、見事に不安は的中した。太刀川くんと二宮くんが、ジッとこちらを見ていた。全身から血の気が引いていくのがわかった。
 最悪だ。確かに「何も知らないフリ」をうまくこなせる自信はなかったが、現行犯で捕まるよりは遥かにマシだったに違いない。今すぐ記憶封印装置を使って、何もかもなかったことにしてほしい。それが無理なら、原始的な方法でも良い。誰か、私の頭を思い切りぶん殴って記憶を飛ばしてくれ。
「なんだ、夢子。居たなら声掛けろよ。驚いちゃうだろ」
「あ、あはは、ごめん」
 太刀川くんはニヤリと笑うと、目の前にあったトレーを持って立ち上がった。どうやら彼は食事をしていたらしく、トレーには空の丼とコップが乗っている。一方、二宮くんの前にはジンジャエールらしき炭酸が注がれたグラスが置いてあった。おそらく、休憩していた二宮くんを見つけた太刀川くんが、意味もなく相席したのだろう。そうでなければ、この二人が仲良く食事をするなんて珍しかった。
「緑川、俺と個人ランク戦しようぜ」
「やるやる! 夢子さん、またね!」
「あ、うん……ありがとうね」
 気を利かせたのだと思う。太刀川くんは緑川くんを連れて立ち去っていったが、私にとってはありがた迷惑だった。事態を収束しないまま置き去りにするなんて、あんまりである。せめて少しくらいフォローしてくれても良いじゃないか。太刀川くんが話し始めたことが発端でこんな気まずい状況になっているというのに、私と二宮くんを二人きりにするなんて……。こんなことってない!
「おい」
「ひっ」
 太刀川くんの背中をいつまでも恨めしく見つめていたら、それを咎めるような二宮くんの声が這ってきて、思わず身をすくめた。
 私は小さく深呼吸をしてから、ゆっくり二宮くんに向き直った。彼の表情は一見、いつもと変わらないように見えた。
「いつまでそっちにいる。こっちに来い」
「え? あ、うん」
 いつまでも何も、二宮くんと同じテーブルを使わなければならないルールはないのだけど。というか、移動するのは私の方なんだ。別にいいけど……。
 荷物を移動させてから、先程まで太刀川くんが座っていた二宮くんの向かいの椅子を引くと、彼は「そっちじゃない、こっちだ」と言って隣の椅子を指さした。なぜ席まで指定されるのか訝しんだが、とりあえず言う通りにした。
「……聞いていたか」
「まあ……」
「そうか……」
「……」
「……」
 沈黙が、重い。
 これは、私から話しかけた方が良いのだろうか。とはいえ、私はあくまで偶然会話を聞いてしまっただけであって、告白をされたわけではないので、返事のしようもない。
 そもそも、太刀川くんとの会話の中でも、二宮くんは一度も「好き」とは明言していない。もし私が先走って、思い上がった発言をして否定されたら……到底立ち直れないだろう。ゆえに、二宮くんの出方を待つしかなかった。
「……今日」
「……! ひゃい!」
 噛んだ。
「誕生日だそうだな」
「う、うん」
 二宮くんはジンジャエールに視線を落としていた。伏目がちな睫毛が影を作っていた。
「焼肉、行くか?」
「あ、えーと……」
 言い淀んでいると、二宮くんが伺うように私を一瞥した。こちらの反応を気にしている風で、なんとなく彼らしくなかったが、続く言葉ですぐに見当がついた。
「……他の店がいいのか?」
「あ……」
 二宮くんは太刀川くんに、今日は焼肉以外にしろと指摘されていた。その時は突っぱねていたが、私が誘いに即答しなかったので、彼の中で確信が揺らいでしまったのかもしれない。
 信じ難いことではあるけど、いつでも自分の選択に自信があり、滅多に意見を曲げない二宮くんが、私の反応ひとつを気にしているようだった。
 
 そんな二宮くんを、うっかり、「可愛い」なんて思ってしまった。
 
「……好きだよ」
「……!」
「や、焼肉がね!」
「……そうか」
 二宮くんは一瞬だけ瞳を揺らしたけど、しばらくすると「それ見たことか」と得意げな様子で、澄まし顔をした。
 私は気付かれないように口元を緩ませて「もし返事を求められたら、なんて答えようか」なんてことを考えていた。

(21.12.04)
フォロワーさんの誕生日に書きました。

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