強くも弱くもない風が吹いていた。まるで、途方もないほど遠くからやってきて、とっくに終着地を見失っているにも関わらず、留まることだけは決して許されていないかのように──薄く、柔く、淡々と私の身体をすり抜けていった。不思議と冷たさを感じなかったのは、冬至の迫る十二月の低い太陽が、なけなしの光を惜しみなく注いでいたからかもしれない。隣を歩く遊真くんの白髪が、境界線を霞ませながら輝くのが目の端に見えた。透明度の高い青空がどこまでも続いている。快晴と呼ぶにふさわしい日だった。
「お、雪だ」
 お使いを頼まれ、ふたりで玉狛支部へ戻る道中。気付いたのは遊真くんだった。独り言に近い声に促され、目の前に焦点を合わせると、たしかに白い欠片がちらついていた。縦に降るのではなく、横に流れていた。
「えーと……たぬきの結婚式だったか?」
 遊真くんは顎に手を当てながら唇を尖らせ、首を傾げた。どうやら記憶があやふやらしいのだが、彼が何を言いたいのかはすぐにわかった。なぜならそれは、私が教えた言葉だった。
「狐の嫁入りね。それは晴れてるのに雨が降ること」
「これは違うの? 晴れてるのに雪が降ってる」
 きょとん、とした顔で問いかけてくる。普段、飄々としていてどこか底知れない雰囲気を漂わす遊真くんが、こういう時は無垢な子供みたいな顔をする。私を見つめる目が丸くなるのを、もっと見ていたいと思った。
「これは『風花』だね」
「かざはな?」
「今日みたいに、晴れてる時に雪が舞うこと。山に積もった小雪が風に運ばれて、街にまで届いているの。風に舞う花びらみたいだから、風花って言うんだって。だから、雪が降っているわけじゃないんだ。三門市は暖かいから、雪はそんなに降らないの」
「ふむ。日本には色んな天気があるんだな」
 不規則な動きで運ばれていく風花を、遊真くんは素早い動作でたしかに掴んだが、手を開いた頃には消えてなくなっていた。風花は雪よりもずっと小さいひとひらで、当然積もることなどなく、過ぎ去ってしまえば跡形も残らない。
「夢子が教えてくれることは、夢に出てきそうなものばっかりだ。もうずっと、見てないけどな」
 遊真くんは空っぽの手のひらを見つめ、親指から順に一本ずつ畳んでいく。手の中に、言葉を閉じ込めていくように。
「雨の匂い、月の兎の話、狐の嫁入り、風花……」
 ふっと顔を上げた遊真くんが、歯を見せて笑った。あどけなくもあり、大人びてもいた。
 最後の小指がゆっくり曲げられて、小さな拳になった。
「それから、他人のために吐くウソがあるってこと」
 遊真くんは歩道の縁石ブロックに跳び乗って、バランス良く歩く。どんな細い足場でも、速度をゆるめることはなかった。
 ブロックのぶん背が高くなった遊真くんに、つい、ありもしない未来を瞼の裏に描いてしまう。それこそ、夢みたいなことだった。
「きっとこの先、どこにいても、空を見れば夢子のことを思い出すと思うよ」
 遠くを見上げながら、遊真くんが呟く。
 別れを孕む言葉は、告白にも似ていた。
 
 ふたりの間を、やわらかい風が通り抜けていく。
 雪よりもかすかな風花が舞い踊った。それらが遊真くんと重なって、私の瞳に映る。ふいに振り返った彼と、目が合った。
 鮮やかな赤い眼とおぼろげな白い欠片の対比が美しく、まばたきするのも惜しかった。
  
「はやく戻ろうか。夢子は寒がりだもんな」
 跳ねるように縁石ブロックから降りた遊真くんが、ニッと笑う。本当はもっとふたりでいたかったので、相槌は打たないでおいた。そんなことしなくても、バレてるかもしれないけれど。
「覚えててくれてありがと」
「いえいえ、礼には及びません」
「ふふ」
 どこで覚えてきたのか、貴族のような仰々しいお辞儀をする遊真くんに、自然と笑みが溢れる。
 本来の身長差に戻った私たちは、玉狛支部までの道のりを、大きくも小さくもない歩幅で進んだ。風はゆるやかだったが、決して、そよぐのをやめなかった。
 
 きっと私も、遊真くんを思い出す。この街に風花が訪れ、去っていくたび。雪のような白髪を横目に、そんなことを思った。
 
 小雪はどこまで飛んでいくのだろう。風は終着地を見つけることができるのだろうか。その答えを私が知ることは、おそらくない。
 わかるのは、束の間の命が溶けずにさえいてくれれば、そこがどんなに遠い場所でも、私は彼の中に居ることができる、ということだけだ。

(211202)
企画に投稿した話です。

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