二十歳になって最初の買い物は煙草だった。もう何ヶ月も前から、そうすると決めていた。
 誕生日の数分前からコンビニの雑誌コーナーで時間を潰し、日付が変わったと同時にレジへ並んだ。煙草を買うのは当然生まれて初めてだったので少し緊張したけれど、銘柄はずっと前から決めていたので、何とかまごつかずに注文することができた。ライターも一緒に購入した。
 店員さんに未成年ではないか疑われるかもしれないと身構えていたのだが、そういったことは一切なかった。年齢確認という文言が表示された液晶画面へのタップを要求されること以外は普通の買い物と全く同じで、予想以上に簡単に購入できてしまった。大学の学生証をいつでも取り出せるようにポケットに忍ばせていたのだが、意味がなかった。
 一応、日本では未成年者への販売は法律で固く禁じられている。もちろん私はすでに成人済みなので全く問題はないのだが、数分前まではれっきとした未成年であったのに、なんだか変な感じである。未成年かそうでないかを隔てるものが、たかだか日付でしかないなんて。数分前の私と今の私に、一体どんな違いがあると言えるのだろうか。とはいえ、無事に買えたので良しとする。
 帰宅後、友達から届いていたお祝いのメッセージに返信をしてからお風呂に入り、誕生日本番に備えてすぐ就寝した。
 翌朝。大学の授業は三限からだったが、一限の時間帯よりも少し早く登校した。ある人物に会うためである。いや、鉢合うため、と言った方が正確だろうか。その人物とは約束をしているわけではなかったし、特段用事があるわけでもなかった。ただただ、誕生日という特別な日に、私が会いたかった。何せ私は、その人物に片想いをしているのである。私たちの接点といえばボーダーくらいで、休みの日に遊びへ行くなんてことはないし、連絡先すら知らない。つまり、仕事がない日に会う方法といえば、偶然鉢合う以外にないのである。
 大学へ到着すると真っ直ぐ学食裏に向かった。禁煙化が進んでいる昨今、喫煙者の立場はすっかり弱くなっているという。飲食店内では自由に吸えないケースがほとんどだし、街中の喫煙所も減少しているそうだ。ここ三門市立大学内でも、喫煙スペースはかなり限られている。それゆえ、喫煙者の知り合いを校内で探そうと思った時は、当たりをつけやすい。
 私の約一年に及ぶ統計によると、その人物は始業よりも早めに登校し、学食裏の喫煙スペースで一服してから授業に出ることが多い。彼の時間割は把握済みで、今日は一限から授業を取っているはずだ。見た目や言動からだらしないイメージを持たれがちだが、結構きっかりしていて、防衛任務さえなければ遅刻や欠席などもしない。今日はシフトに入っていないはずだから、そこにいる可能性が高かった。
「す、諏訪さん!」
「おー、夢山じゃねーか」
 いた。これはもう、神様からの誕生日プレゼントと言っても過言ではない。お目当てだった人物……諏訪さんは、学食裏のベンチに腰掛けて、煙草を吸いながら推理小説を読んでいた。
「おはようございます。あ、あの、隣いいですか?」
「いいけどよ。臭いつくぜ」
「大丈夫です。私も吸うので」
 私は隣に座り、鞄から煙草を取り出した。諏訪さんは顔を顰めて、本を閉じた。
「おまえ、未成年だろ」
「実は、今日から成人なんです」
「まじかよ! ワリ、やれるようなもん持ってねーわ」
「い、いえ! お気持ちだけで充分です」
 これは本心だった。というか、今こうして隣に座っているだけで動悸が激しくなっているのに、プレゼントなんて貰えた日には嬉しさで心臓が止まってしまう恐れがある。誕生日が命日になるなんて、洒落にならない。
「で、二十歳になってさっそく煙草かよ。そんなに興味あったのか?」
「は、はい、まぁ……」
 思わず、歯切れの悪い返答をしてしまった。正直なところ、煙草にそれほど興味はなかった。ただ、少しでも諏訪さんと接点が欲しかっただけだ。巷では、タバココミュニケーションと呼ばれる喫煙者同士のコミュニティがある。喫煙中に意気投合して仲が深まることが良くあるそうで、私も、それにあやかりたいと思ったのだ。
「夢山が煙草吸うなんて、意外だけどな」
 諏訪さんは煙草から口を離すと、私のいる方とは反対向きに煙を吐き出した。諏訪さんの、こういうなんてことない気遣いが好きだ。
 私も煙草を咥えた。昨日ネットで調べた吸い方を思い出しながら火をつけようとしたが、ライターからうまく火が出せない。カチッカチッと、火花を散らしながら空回る音だけが鳴る。そんな私の辿々しい動作を諏訪さんが訝しげに眺めるので、余計緊張してしまった。
「うっ! げほ、けほ」
「あ? 何やってんだよ」
 ようやく火がついたのは良かったが、不慣れさと緊張から、思わず一気に吸い込んでしまった。これは、昨日読んだネット記事にも書いてあったダメな吸い方そのもので、案の定思いきりむせてしまった。
「つーか夢山、初心者のくせにこんな高タールの煙草選んでじゃねぇよ。俺のやつと同じじゃねーか」
「う、だ、だって……」
 実は、諏訪さんが吸っていると知っていて同じ銘柄を選んだ。会えない日でも、同じ匂いを纏うことができたら、諏訪さんを近くに感じられるのではないかと思ったからだった。我ながらいじらしい。しかし、そんなこと諏訪さんに言えるわけなかった。
 咳を繰り返す私を、諏訪さんは片目を潰すように細めて見ていた。
「おまえ、喉強くねーんだろ? 煙草は向いてねーから諦めろ」
「す、諏訪さん……」
 う、嬉しい。私が喉弱いこと、覚えててくれたんだ。
 些細な雑談を覚えていてくれたことと心配してもらえたことに感激して素直に頷いてしまいたくなったが、すんでのところで我に返った。煙草さえ吸えるようになれば、これから先も喫煙所を訪ねる口実が作れるのだ。易々と諦めるわけにはいかない。いくら諏訪さんの言葉でも、はいと返事することはできなかった。
 適当な言い訳を探す私を尻目に、諏訪さんは学食の時計に目をやると「授業行くわ」と言った。もうそんな時間か、とハッとする。もっと話していたかったなどと贅沢なことを考えていると、煙草をスタンド灰皿に押し付けていた諏訪さんが思いもよらない言葉を続けた。
「夢山、今日の夜は予定あんのか?」
「え、え? な、ないです」
 あったとしてもないと答えただろうが、それは言わなかった。
「じゃあ奢ってやっから飲みに行こうぜ。成人らしいことしてーなら、煙草より酒の方がハードル低いだろ。だから煙草はやめとけ」
「え、は、はい!」
「そういや、連絡先知らなかったよな」
 そうしてメッセージアプリのIDを交換すると、諏訪さんは黒いリュックを背負って、授業へ向かっていった。
「やばい。大人って、最高……」
 タバココミュニケーションはダメになってしまったが、その代わり、飲みに誘われ連絡先まで交換できてしまった。このチャンスを逃す手はない。私は急遽、飲みニケーションを用いた新たな一手を思案することとなった。
 たったひと吸いしただけの、火がついたままの煙草から、狼煙が上がっていた。誕生日は、まだまだこれからだ。


フォロワーさんのお誕生日に捧げたものです。(2021.09.19)

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