そういえば、ウサギの鳴き声を聞いたことがないと思った。

小学校低学年の頃は友達と学校のウサギに餌をやることが日課であったし中学校二年生の頃は日直の仕事の一つでもあったというのに、一度も耳にしたこともなければ気にしたことすらない。むしろウサギは鳴かない動物とさえ決めつけていた。
どうして今まで、己の無知に気付かなかったのか。
きっと、ウサギが当たり前に鳴かないから、それをただただ受け入れるばかりだったのだろう。



「隼人、ウサ吉の餌を調達してきたぞ!」

ウサ吉?
昼休み、隣のクラスの彼氏の元へ向かう途中だった。
まるで「吾輩はウサギである」と触れ回っているかのような自己主張の激しい名前に反応して振り返ると、後ろ姿の東堂くんが両手に大きな袋を抱えていた。名前を呼ばれたその人、クラスメイトの新開くんは「悪いなあ」と言いながら東堂くんに歩み寄り、チャームポイントの厚い唇を爽やかに丸くさせてニッと笑って見せる。

「おまけをしてもらったぞ、いつもより多い!」
「へえ、さすが尽八。モテるなあ」
「まーな!オレは世界が嫉妬する美形クライマーだからな!」

賑やかに人の行き交う廊下で得意気に語り出す東堂くんを一人放って、聞いているのかいないのか、新開くんは「へえ」「そうか」「すごいなあ」なんて適当にも程がある相槌を打ちながら袋を受け取り、一度中身を確認する。新開くんの代わりとでも言うように、通りすがりの女子が数人、東堂くんに視線を送り、忍ぶように笑うのが見えた。

「じゃあオレはウサ吉に餌やってくるよ」

新開くんが何事もないように穏やかに声をかけると、高笑い交じりに語り倒していた東堂くんが「むっ」と反応した後、了承したとでも言うように頷いた。

「すまんね、付き合えなくてね」
「いや、これサンキュウな」

バキューン、と物騒な音でも出てきそうなポーズを指で作ると、それを東堂くんに向けて新開くんがウインクする。「やめろ、しとめる気か」と、先ほどのテンションとは一転しあしらうように呟いた東堂くんを置いて、箱学の青いブレザーを翻し、新開くんは階段の螺旋に消えていった。

「(ウサ吉……)」

名前から察するに、ウサギでいいのだろうか。いや、それだけで決めつけてしまうのは早計である。もしかしたら、ウサ吉という名の猫かもしれない。自転車競技部の人たちは愉快だから(主に東堂くんだけれど)、そういうウィットにとんだジョークも言うかもなあ。
それにしても、何故新開くんがウサ吉という名の動物に餌をやるのだろう。飼育委員でもないのに。
第一、箱学で動物など飼っていただろうか。いや、ただ私が知らないだけで、そういう事実があるのかもしれない。高校生にもなると、随分と学校のことに無知になる。小学校や中学校に比べて広すぎるから、もはや何を知らないのかわからない程、知らないことが多いのだ。

「(そういえば)」

ウサギってどうやって鳴くんだろう。



新開くんとは二年生の頃から同じクラスだけれども、思えば新開くんのこともほとんど無知に近かったなあ、なんて。
授業中、新開くんの背中を、頬杖をついて眺めながらぼんやりと考えた。彼も私と同様、頬杖をついて黒板を眺めている。熱心に前だけ向いているので髪の色に反して意外と真面目なのだなあと思うのだけれど、右手に握られたシャープペンがくるくると軽快に回っているのが見え、東堂くんに対する態度を思い出した。適当に相槌を打って、聞いているのか聞いていないのかわからない、あの姿。きっと新開くんって、ちゃっかりしているんだろうなあ。委員会に入っているわけでもないし率先してクラスをまとめたりすることなんてないのに、クラスメイトからの評価は高い。顔がいいからだろうか。かと言って、女子からだけの人望というわけでもない。気さく、というには少し違和感があるけれど、新開くんのことを必死に思い出してみると、記憶の中の端々で、どのグループの人とものらりくらりと会話しているところを思い出した。

「(世渡り上手)」

なんだろうなあ、きっと。なんて。
良く知らない印象で、なんとなあく思った。

「(ん……?)」

ブレザーのポケットの中でスマホが震える感覚がした。
先生が板書をしているのを見計らって、机の中に潜り込ませて画面を叩き、ロックを解除する。メールフォルダのアイコンが赤くなっているのを見つけて開けば、彼氏からのメールが受信されていた。

「(きょうの、ほうかご、むかえに、きて)」

要件はかなり簡潔。いつものことだ。また、顔文字も絵文字も付けない白黒の質素な彼のメールを、結構気に入っていた。少しだけ素っ気なくて、媚びたりしない。彼らしい。まるで、直接話しているような気持ちになる。
色の少ない彼のメールに、承諾の旨を伝えつつ、可愛い顔文字を添えて返信した。
スマホはそのまま机の奥にしまう。バイブ音が響かないように、教科書の間に挟んだ。
ノートの端っこにハートマークを落書きして、待ち遠しさに自然と頬を緩くなる。

早く放課後にならなかなあ。

暢気にそんなことを思った。


(20140123)
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