あ、また目が合った。これで八回目だ。

今日は、どうしてだろう。同じクラスの新開くんとやたら目が合う。朝のショートホームルーム、化学の実験、美術のデッサン、廊下、などなど。その度に彼は顔を逸らして、まるで何事もなかったように知らんぷりした。初めの内は偶々だろうと思っていたのだけれど、それが四回五回と積み重なればさすがに意識せざるを得ない。無意識に視界の中では新開くんを探し、今も見られているのではないかと垂れ下がる髪を耳にかける動作一つにも緊張した。

「今日、なんか新開くんと目が合うんだよねえ」

おどけた体を装って友人に相談じみたことをすれば、気のせいでしょうと一蹴される。これが新開くん以外の男子だったらどうだったろう。恐らく適当な友人のことだから「へえ、夢子のこと好きなんじゃない?」と考えなしに言っただろうし、私だって相手が新開くんでなければほんの少しそういう思い上がった勘違いをしたかもしれない。
けれど相手はあの新開くん。
日本一強いとされる箱学自転車競技部のレギュラーで、甘い容姿と爽やかで世渡りの上手い性格から、女子人気の高い人だ。そんな、言うなれば女子なんてより取り見取りの彼が、私のように同じクラスというだけで他に接点もなく、容姿成績能力どれをとっても並、平凡で慎ましく生きているだけの一女生徒に好意を寄せることなどあるはずもない。

したらば一体何故新開くんは私を見ているんだ。

友人の言うように、私の気のせいなのだろうか。思い過ごしなのだろうか。実は彼が見ていたのは私ではなくて、私の近くにいる誰かなのだろうか。
けれども果たしてそれで、八回も目が合い、私が彼を見つける度に視線を逸らすだろうか。
今までこんなことなかった。私が見る新開くんはいつも後ろ姿か横顔か遠巻きに小さくなった姿で、何度も視線をかち合わせては意味深に逸らすその九回目の動作が、やはり偶然も思い過ごしも否定する。
確かに私は少しドジで、思い込みも激しいところもある。先週なんて、化学の実験中に床の汚れを虫と見間違えて、驚いた拍子に手に持っていた液体をブレザーに零してしまったほどだ。先生には怒られるし、ブレザーは薬品臭くなってクリーニング行きになった。(おかげで新品みたいにパリパリで、気分はいい)
けれども新開くんが私を見ていることは、勘違いじゃないはずだ。
それがどういう意味を持つかまでは、分かるはずもないのだけれど。


「夢山」


事態が進展したのは六時間目の休み時間。
トイレに行こうと廊下を歩いていると、声をかけられた。あの、新開くん。十回目の視線は、逸らされなかった。

き、きた!

やはり勘違いではなかったのだと己の確信を実感しつつ、もしかしたらと予想していた状況に直面したことで訳もなく緊張した。
新開くんが、一歩二歩、私に近づいてくる。
九回も逸らされた視線が、今度は真っ直ぐ私を見つめるから、心臓が必要以上に音を立てた。

夢山。

もう一度、私の前に立った新開くんが私を熱っぽく見つめ、囁くような声で名前を呼ぶ。
新開くんに名前を呼ばれたの、初めてじゃないだろうか。新開くん、私の名前知ってたんだなあ、なんて。
いつも、そのチャームポイントと呼べる厚い唇がつくる、全てを見透かしたような笑みが、今はない。口をきゅっと結んだ真剣な表情は、今まで一度も見たことがない。一体、どれだけの女子が、新開くんのこんな表情を見れているんだろう。そう思うと、自分がとても幸福な人間に思えた。
初めて見る、貴重なその顔を忘れないように、じっと見つめ返す。
余りにも、彼の一挙一動が、意味深に見えるから。


まるで、特別なことでも起こるみたいだ。


「ずっと、気になってたんだ……」

ずっと?
新開くんの告白に、顔が熱くなるのがわかった。
気になってたって、何が?

「いいか……?」

戸惑うように笑みを作った彼は、私の答えも聞かずに、肩に右手を置いた。
新開くんのごつごつした指が私を触っている事実に驚いて「わ」と声をあげると、もう片方の手を、頬へ伸ばしてくる。

「(え、え、え?)」

突然のことに理解が追い付かず、肩に置かれた手と頬へ伸びる手と、新開くんの瞳を順番に見た。
新開くんの顔が、ゆっくりと近づいてくる。
心臓が今までで一番、それこそ持久走ラストスパートの直後よりもずっと大きく速くうるさく鳴って私をドキドキさせるから、身体は硬直して息をするのを忘れた。
熱い。顔と、新開くんが触るとこ。

なんで、新開くん、なにを、なにをしようと、なんで私に、新開くん、が?


これって、もしかして、まさか、き、す。


訳もなく瞳が薄い膜を張る。
耐えきれなくなって力いっぱい目を閉じた。


が。

新開くんの髪が、私の頬を撫ぜたのに驚いて目を開ける。彼の顔は唇には向かわず、すれ違うように私の耳元へと。まるで私の背中を覗き込んでいるような体勢に困惑していると、首の後ろで微かに鈍い音と、引っ張られるような感覚がした。
すっと新開くんが離れ、肩に置かれた手も遠くなる。
訳が分からず、戸惑いを含んだ瞳で新開くんを見つめると、新開くんはいつもと同じ飄々とした笑みを見せた。

「おめさん、今日ずっとつけてたぜ」

新開くんが左手に持った小さな紙のようなものをちらつかせた。
首を傾げると、それを差し出されたので、大人しく受け取る。

まじまじと見つめると、それはクリーニングのタグだった。

「た……」
「クリーニングしたのかい」
「あ、うん……あの、薬品、零したから」
「はは、そういえばあったな」

思い出したように新開くんは笑ったけれど、私は乾いた笑いで返すのが精一杯だった。
今日一日、間抜けにもタグをつけて、誰にも指摘されず、なんて恥ずかしい。

なにより、新開くんにキスされるかもなんてたいそうな勘違いして、恥ずかしさで死んじゃいそうだった。
何を期待してたんだ、私、は。
新開くんが、私なんて、そんなことあるはずないのに。
あろうことか、キスされるかもなんて、そんな、妄想、頭悪すぎる。

「おっと、予鈴だ。じゃあな」

六時間目開始前の予鈴が鳴ると、新開くんは愛想よく手を振って教室に戻った。



「なんで誰も教えてくれなかったの!」

トイレを済ませ教室に戻り、六時間目の準備をしている友人たちを責めると、皆訝しげに眉を顰めた。とぼけた態度をとる友人たちに、先ほどの赤っ恥を思い出してますます顔を赤くさせ、ほとんど八つ当たりに問い詰めた。
この期に及んで、なんて非道! と。

「クリーニングのタグ、ブレザーについてたでしょ!」

先程新開くんに託されたタグを見せつけると、友人たちは口々に「知らないよ」と言って面倒くさそうな溜息を乗せる。

「どこについてたの」
「首の後ろ」
「知らないよ、そんなところいちいち見ないし」
「内側入ってたら見えないし」
「そうそう、第一髪で隠れるし、いちいち気付かないよねえ」

友人たちは「ねえ?」と互いに顔を見合わせた。

そう言われれば確かにそうだ。
意地悪ではなく、本当に気付かなかったらしい彼女たちの様子に、次第に沸騰していた頭も冷静になってくる。

でも、新開くんは、気付いたのに。どうして?


「よっぽど見てないと気付かないんじゃない?」


友人の一人の、いつもの適当な指摘が、私の体に染み透った。ゆっくりと自分の中でその意味をかみ砕くと、先ほど新開くんに触れられた時のように顔が熱を帯びていく。
一度タグに視線を戻してからそっと、窺うように教室に視線を配った。視界の端に、明るい髪に青の混じったその人を見つけると、目が離せなくなってしまう。


不意に、そっぽを向いていた新開くんの視線が横へ流れて、私の視線を見つけた。


まるでそれは、永遠のような一瞬で。
十一回目にかち合ったそれは、どうしてだろう、途方もなく長く感じて、息の仕方も忘れてしまったように苦しくなった。

思い出したように喉を鳴らして生唾を飲み込むと、新開くんがいつもの笑みで首を傾げる。
何故だか無性に恥ずかしくなって、今度は私から逸らした。

心臓がうるさい。
顔が熱い。
皆が、適当なことばかり言うから、だからまた勘違いしてしまいそう。


忌々しかった手の中のタグが、ひどく愛おしくなった。



(20140124)
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