東堂くんの自信気な眉が好き。
一途に坂の上を見据える横顔も好き。
場を華やかせる底抜けに明るい雰囲気も、口先だけではない実力の上で更に努力を怠らない姿勢も、自分本位に見えて他人への敬意を忘れない高い気位も。
初めて体育館で東堂くんに声をかけられた時から。
東堂くんはいつだって自分のみてくれを美しいと言うけれど、最も深く美しい部分には一切言及しようとしません。東堂くんにとっては、あまりに当たり前のことで、自分自身ではその価値に気付いていないのかもしれませんね。
そういう貴方だから、ずっと、尊敬していたのです。
*
綺麗言戯言世迷言を惜しみなく並べて自身の腑抜けを正当化した意気地なしの夜が明けると事態は私の語彙力を更に超えた展開を見せることとなり、バレる筈がないと高を括っていた私の口は言葉通り開いた口が塞がらない状態となった。名前のないラブレターを不法侵入とも呼べる行為で想い人の靴箱に忍ばせ自己満足にも思いの丈を勝手気ままに撒き散らしておきながら、シンデレラに登場する王子様よろしくたった一人の女生徒を地道に探す彼の姿を見ざる聞かざる言わざるで貫き続けられている、その名も箱学名無しのラブレター事件が起こってから二週間と二日目の朝。
箱学女子寮より眠気眼を擦り欠伸をかみ殺しながら登校すると、一階職員室前の掲示板に男女入り混じった人だかりができていた。高校生と言えば思春期真っ只中、好奇心が服を着て歩いているようなものでありそれは私とて例外なく当てはまる。靴箱に黒のローファーを押し込みオセロをひっくり返したような白の上靴に履き替えるとそのまま人だかりになんだなんだと足を向ける。日本人らしき黒、色素の薄い茶、明らかに手を加えた金などの頭と頭と頭の隙間から皆が一心に視線を注ぐ掲示板を覗き見た。が。朝から敢え無く卒倒しそうになることとなった。
「ねえねえ、見た? 東堂様の公開ラブレター!」
オセロをひっくり返したように黒目勝ちの瞳を白目にして教室へ行くと予想通り女子の黄色い声の的は、一階職員室前の掲示板に殿様から出されたようなお触書の如く仰々しく貼りつけられた手紙であった。色恋の噂にはしゃぐ女子たちの横を青い顔で通り過ぎ自身の席にどっぷりと腰掛け、手紙の内容を反芻させた。
拝啓、名も無き女生徒。
二週間前オレの靴箱に入れた恋文を読ませてもらった。その件について一度話し合いの席を持ちたいと思っている。明日の放課後、手紙の内容にあった場所で待っているので絶対に来てくれ!
箱学一の美形クライマー・東堂尽八。
敬具
夏のインターハイの表彰台で、他校の友達の名前を連呼し表彰台に共にあがれと騒いでいた東堂くんの姿が、手紙にダブって何故か思い出された。
お昼休みになると箱学名無しのラブレター事件改め眠れる森の公開ラブレター事件が学校の隅々から囁かれ私の耳にもお経のようにくどくどと流し込まれるようになり、それは放課後を経ても冷めやまない。重い溜息が漏れた。
皆それぞれ、他人事を軽い気持ちで楽しんでいるのだ。週刊誌のゴシップを捲る時や少女漫画の修羅場シーンを捲る時のような、単純な好奇心と高揚感で。一つの恋路の結末と名無しの差出人の正体を。(第一あれはラブレターというより果たし状に近かった)
誰も私がラブレターの差出人だと知らないのに、どうしても囃し立てられている気持ちにさせられる。噂が鼓膜を揺らすたび、一人羞恥心に顔を赤らめた。
下校し箱学学生寮に戻っても噂は絶えることはない。夕食を終え風呂の時間になっても浴場からは「差出人来ると思う?」「ねえねえ、当日東堂くんの後つけて見に行こうよ」などと肝の冷える相談が湯気の隙間に響き、ぞっと湯船に身を顰めるはめになった。
「(どうしてこんなことになったんだろう……)」
風呂上りにコーラが飲みたくなりのぼせた身体を冷ますためにも、学生寮玄関脇に設置された自販機に行くため外に出た。夏も終わり秋を迎えた夜は未だ暑さが残りつつも柔らかい山風が吹くと気持ちがいい。夜空を見上げると星が散らばっている。虫の声が心地よい。
ゴロンゴロンとけたたましい音を立てて落ちてくるコーラを拾いプルタブを引っ掻ける。
「……」
東堂くん、一体何を考えてるんだろう。
一口含んで喉を潤し、はあと息を吐いた。
私はただ東堂くんにラブレターを送っただけだというのに。気持ちを贈りたかっただけなのに。目立ちたかったわけじゃない。返事がほしかったわけでも、付き合いたかったわけでも。わかってるもの、私なんかじゃそんなの無理だって。そのことだって手紙に書いた。それなの、に。
東堂くんは、私を見つけてどうしたいんだろう。
呼び出しにだって行ける筈がない。観客がわんさか群がるかもしれない呼び出しに。意図のわからない呼び出しに。
何より。何より……。
「尽八、おめさんどうしたいんだ?」
「(ん?)」
じんぱち?
ふと聞こえてきた話し声と想い人の名前に意識が持って行かれた。辺りを見回すと、隣の男子寮から影が二つ出てくる。自販機の陰に隠れてジッと見ると、東堂くんと新開くんだった。
思わず聞き耳を立てる。
「どうしたいとはなんのことだ」
「なんだって、あれしかないだろ? ラブレターの」
ああ! と納得したような東堂くんの相槌がする。
二人はコンビニにでも行くのだろうか、寮から離れ敷地外へ進んでいく。慌てて、足音を立てないように追いかけた。
「さすがオレ! 名案だろう!」
「迷案かな」
ワハハと笑い声を上げる東堂くんに対し、新開くんがハハっとマイペースに笑った。
私は苦笑いをした。
高笑いを終えた東堂くんが、一瞬大人しくなる。時々ある、東堂くんのこの、間に、私はいつもドキリとする。それは彼がレース前に坂の上を見据える時と似ていた。
「どうしたいかなんて、オレにもわからんよ」
「(はあ?)」
誰も見ていないことを良い事に、思わず顔を顰めた。
あんな騒動を起こしておいて、わからないはないだろう。本当に、何も考えていなかったのだろうか。なにそれ。それってすごく、調子いい。
戸惑いや不安やそれに少しだけ交じっていた期待が不満に取って代わり、コーラを持つ手に力が入る。夜風がそよそよと吹き、濡れまま首に貼りついていた髪が密かに冷えた。
もう戻ろう。
しかめっ面を携えたまま踵を返し女子寮に向かおうとする。
風が吹くのをやめた。
「ただ、差出人がわからないのでは、役目も果たせぬこの恋文が不憫ではないか」
そよそよと。夜の暗闇にまぎれてしまいそうな東堂くんの言葉の続きが届き、思わず振り向いた。彼らは先ほど後をつけていた時よりも小さくなっていた。コンビニかどこかへ行くのであろう二人の背中をぼんやり見送る。しばらくしてから、一人地面を眺めて部屋に戻った。
「(やっぱり、何も考えてなかったんだ)」
点呼を終えベッドに潜り、先程の東堂くんの言葉を振り返る。
「(でも……)」
二週間前の日曜日。何度も読み直して書き直して、一字一字、気持ちを込めて書いた。東堂くんの名前は、一番、綺麗に書いた。
――恋文が不憫ではないか。
「(東堂くん、読んでくれたんだなあ)」
夏が終わり、もう寝苦しい暑さはない。
ベッドがきもちいい。
夢見心地もいいだろう。
*
なんだ、腹がへったのか?
一年生の同じ時期だった。月に一度の全校集会、クラス毎二列、男女男女に体育館に立たされて校長先生の長々しく生産性のない話を右から左に聞き流し瞬きに勤しんでいると空の胃袋がぐうと不満げな声をあげた。寝坊して朝食を食べ損ねていたのだ。周りからくすくすと忍んだ笑い声が聞こえ、顔が熱くなった。
最悪だ、恥ずかしい。
お腹に力を込めてそれ以上鳴らないように努めていると、隣の列から「なんだ、腹が減ったのか?」と聞こえた。振り向くと、カチューシャをした男子が笑っているのが見えて、眉を顰める。
「(知ってる、この子隣のクラスの東堂くんだ)」
この頃から東堂くんはその性格ゆえか有名で、度々女子の噂に出てくるため話したことはないが顔くらいは知っていた。
「(いいや、シカトしよう)」
わざわざ声をかけてからかおうとするなんて酷い。きっと、目立つ人だからそういうことも平気でするんだ。常に上がっている口角を睨む。お腹が鳴ったくらいで、なにが楽しいんだ。
「なあ、おい」
「……」
「これをやろう」
「え……?」
東堂くんがポケットを漁り、それを差し出した。不思議に首を傾げ戸惑っていると、東堂くんが私の手首を掴む。私の掌に何かを落とした。
キャラメルだった。
「女子からもらったものだが食べるといい」
「……ありがと」
「ああ」
東堂くんが微笑む。いつもの高笑いじゃないそれに、思わず緊張した。
斜め後ろの女子が「ねえねえ、私にもちょうだいよお」と彼の袖を引っ張ると、東堂くんは私から視線を背けそちらに向いてしまった。
手の中のキャラメルを眺める。
馬鹿にされるんだと思ったのに。
なんか、イメージと違った。
*
次の日の早朝、なんとなしに、一人体育館に行った。
東堂くんの呼び出した場所、手紙の内容に合った場所で、と言っていた。一字一句丁寧に書いたから、手紙の内容は覚えている。手紙で書いた場所と言えば、体育館だけだった。
東堂くんに、初めて、そしてたった一度だけ、声をかけられた体育館。早朝故、人はおらず、不思議なくらい静かだった。
「(呼び出しは放課後だけど)」
靴を脱いで体育館に上がる。床が冷たい。靴下だと、随分滑りやすい。
「(どうしようかなあ)」
ぼんやりと、床の線を足で撫でて遊んだ。くだらない遊びに、思わず笑みが零れる。
東堂くんと初めて話した体育館。私にとっては、訪れるといつも緊張する場所だった。もう一度、話しかけれることがあるんじゃないか、と。
他力本願な期待ばかりして、情けない。だからいつまでも意気地なしなのだ。
笑みが、自嘲的なものに変わった。
その時だった。
「そこの女子」
突然、背中からした声に、背筋が凍った。足がピタリ、ととまる。呼ばれた。私が。
「おまえ……」
背中に汗が滲んだ気がした。この声、知ってる。
東堂くんだ。
心臓が爆弾のような音を立てて鼓動する。
とめていた足を再び、ゆっくりと、無意識に動かし、背を向けたまま早歩きを始める。「待て!」と呼び止める声がして、早歩きが駆け足になった。同時に背中から足音が追いかけてくるので、頭がパニックになる。
どうしよう!
逃げ場などないし、私の足ではすぐに追いつかれてしまう。どこかに隠れるより仕方がないと、動転する意識のまま夢中で壇上に駆けあがり、舞台袖のカーテンの内側に包まり身を顰めた。
どうして東堂くんがここにいるんだろう。約束は放課後のはずだったのに。
カーテンの中で必死に呼吸を整えるが、尚もひどく息は弾む。走ったからではなくて、極度の緊張からだった。心臓はまだうるさい。
心の準備だってできていない。
もしかしたら、聞きたくないことを言われるかもしれない。フラれてしまうかもしれない。
東堂くんは、会ってどうしたいかなんてわからないなどと言っていたけど、フラれない保証などどこにもなかった。
東堂くんが不憫と言った。名無しのラブレターを。けれども、差出人の正体がわかり晴れてお役御免となってしまえば、不憫と言われたソレもただのラブレターになってしまう。たくさんもらう告白の内の一つに。
そう思うと、どうしても意気地なしのままになってしまうのだ。
本当は、東堂くんに会いたい。これだけ私を見つけたがっている、東堂くんの願いに応えたい。真摯にラブレターを読んでくれた、東堂くんに。
でも、会いたくない。知られたくないのだ。弱虫、は。
「なぜ逃げる」
カーテンの向こうから東堂くんの声が話しかけてきた。姿は見えないのに酷く緊張した。心臓が更にうるさくなる。カーテンを強く握った。
「逃げるということは、間違いないのだな? 恋文の主だと」
「……」
「答えたくないならばいい」
東堂くんの静かな音色は珍しい。
答えなくていい、と言われたことで、少し冷静になる。
「女子が一人、体育館に行く姿が見えたから、もしかしたらと思ってね」
「……」
「恋文、読ませてもらった」
「……」
「ありがとう、嬉しかったよ」
嬉しかった?
「……な、んで」
「む?」
「なんで、私のこと、探して」
「言ったろう? 嬉しかったからだ」
姿も見えないのに、顔が熱くなった。同じように、目頭も。
ふと、カーテン越しの東堂くんが、笑った気がした。
「……こんな」
「……」
「こんな綺麗な字、見たことない」
ハッと、しゃくりあげるような苦しい声が漏れた。
同時に、何の躊躇いも予告もなく、涙が一粒零れ落ちる。
一度落ちるとそれは止まらず、ボロボロと頬に伝う。
東堂くんの声が、あまりに優しかったから。
一字一句、丁寧に書いた。一字一字、好きだという気持ちを込めて書いた。東堂くんの名前は、一番、綺麗に書いた。
「探しだしてどうしたいかなんて、オレにもわからんかったよ。ただ、会いたかった」
そのラブレターを、東堂くんが綺麗だと言ってくれた。不憫だとも。
きっと、私が丁寧に書いたのと同じ分、丁寧に読んでくれたのがわかる。
「オレは、この恋文に惚れたのだ」
私以上に、そのラブレターを大切に想ってくれているのがわかる。
だから、悲しくもないのに涙がでるんだ。
「今度は、その人に惚れたい」
そんな東堂くんだから、好きになったの。
力一杯に握っていたカーテンの裾をゆっくりと離すと、そよ風に髪が靡く様にカーテンのひだが揺れる。震える足で踏みだして、カーテンから抜け出すと直に視線を感じた。心臓がまたうるさい。速くなる心臓に合わせて呼吸も速くなる。一度、意を決して大きく深呼吸すると踵を返し、ゆっくりと、東堂くんに向き直った。
目が、合う。
東堂くんは高揚したように瞳を大きくさせて、私を見つめた。
何故か、また涙がでた。
「……す」
「……」
「……すき、です」
「ふっ……」
東堂くんが微笑んだ。キャラメルをくれた時のように。
「やっと会えたな」
ラブレターが、やっと届いた。
(20131224)