『八月八日、家に戻るぞ!どうだ嬉しいか?何しろ正月ぶりの帰省だからな。夢子もこの美形と会えず、寂しかったろう。待たせてしまってすまんね。楽しみに待っておけよ!オレも夢子に会えるのが今から楽しみで夜も眠れんよ。それじゃ、おやすみ。尽八』

尽八くんのメールはまるで本人が喋っているように勢いがあって、いつだって楽しい。幼い頃、嬉しいことがあるとすぐに息もつかず私に話していた尽八くんが思い出されて。尽八くんの言う通り、会えない寂しさはあったけれど、マメに送られるメールを読んでいる間だけは寂しいなんて思わなかった。
一週間前に彼から送られた帰省報告のメールを読み返して頬を緩めてから、従業員控室で着物から私服に着替える。帯を解き着物が緩むと、同時に昔の記憶まで解かれるように、脳裏によみがえった。



東堂旅館の仲居として働くようになったのは、今から十年前のことだ。社会人一年目である十八の私に与えられた初めての仕事は、女将の二人の子供の子守であった。
その内の一人。ご子息の方が、尽八くんだったのだ。
大人に囲まれて育ったせいか八歳にしては古風な喋り方をしていたが、むしろそれが彼の愛嬌となっており、従業員のみならずお客様にも可愛がられる看板息子となっていた。愛されて八年。普通の子供よりもずっとたくさんの人と触れ合って育ったせいか、人懐こく物怖じしない彼の性格はこの頃より備わっていたし、歳よりもずっとしっかりしていて子守の必要なんてほとんどなかったように思う。主な仕事としては、仲居の仕事の合間に尽八くんやお姉さんのご飯の支度をしたり、宿題を見てあげたり、二人が休みの日に遊びに連れていったりすること。クリスマスのパーティーや尽八くんとお姉さんの誕生日会などのイベント毎の準備も、私の役目だった。
そのせいだろう。二人は従業員の誰よりも私に懐いてくれた。特に尽八くんなんかはべったりで、学校から帰ってくると一目散に私のところまで駆けてきて今日学校であったことを楽しそうに報告してくれたり、別の従業員から貰ったおやつを分けてくれたり、「この美形の勇姿、しっかり見ておくのだぞ!」などと言って、運動会や参観会にも私を呼んでくれるほどだった。
中学に上がった頃になると、自転車のレースを見にきてくれと言った。「夢子に見てもらいたいんだ」と言われたことが嬉しくて、都合のつく限り応援に行った。彼はどの大会でも一等で、表彰台から私を見つけては嬉しそうに大きく手を振った。私も親のような気分になってしまって、あの小さかった尽八くんが誰よりも高い所で華々しい人間になっていることが、なんとも言えない気持ちにさせた。

私の仕事から「子守」がなくなったのは、この頃である。「二人とも子守なんていらない歳だから」と言って、目出度くお役御免となった。それから尽八くんたちと会う機会はめっきり減ったけれど、それでも会えばいつもと変わらないように話しかけてくれたし、それどころか尽八くんは時間を見つけては会いに来て「忙しくて無理などしていないか」と心配までしてくれた。
たまに私との休日が重なると「遊びに行こう」と行って外に連れ出してくれた。「子供の時は私が連れ出していたのに」と思うと感慨深かったし、荷物を持ってくれようとしたり車道側を歩こうとしたりするところが「もう小さな子供じゃないんだな」と実感させて寂しくもあった。昔は私が手を引いて歩いていたのに。
そんな私の寂しさを察してか、彼はしばらく見ない間に随分と骨ばるようになった手を差し出して「手を繋ぐぞ」と子供のように微笑んだ。その気遣いが、やっぱり嬉しくてちょっとだけ泣きそうになった。「尽八くんは、昔から手を繋ぐの好きだよね」と言うと「夢子だからだよ。夢子の手は柔らかいからな」と言った。
尽八くんの手は、変わらず温かかった。

尽八くんが中学三年生の冬。仕事終わりに、尽八くんに散歩に誘われた。旅館の外に出て、二人で坂をゆったりとくだる。山の静けさと暗さ、刺さるような冷たさが、酷く印象に残っている。
「箱根学園を受ける。受かったら春から寮に入るから、家を出ることになる」
白い息を吐きながら、尽八くんは淡々と言った。箱学を受験するとは聞いていたけれど、寮に入るとは思わなかったから、少しだけ驚いた。肩にかけたストールを撫でる。もう少し厚着してくればよかったと頭の端っこで後悔した。
「そっか。少し寂しくなるけど、尽八くんならどこに行っても愛されるから、大丈夫だよ。受験も自転車も、頑張ってね」
そうやって微笑むと、尽八くんは苦笑いをした。いつも全身全霊で楽しそうに笑う尽八くんにしては、珍しい表情だった。その表情の意味はよくわからなかったけど、私を寂しくさせるには充分だった。尽八くんには、いつも屈託なく笑っていてほしかったから。
「寂しくなるね」
「すまんね」
「嬉しいことがあったら、メールちょうだいね」
尽八くんを見上げて、ストールを掴んでいた手を離し小指だけ立てて前に差し出した。いつの間に尽八くんを見上げるようになったのだろう。背丈は遠の昔に追い抜かれていた。あんなに小さかったのに。気付けば自分で進路を決めて家を出る歳になっていたなんて、私も歳をとるわけだ。
尽八くんは一度不思議そうに目を開いたけれど、瞬きをするとフッと笑って、私の小指に自分のそれを巻きつけた。
「するよ。一番に」
繋いだ小指が冷たかった。いつも繋いだ手は温かかったのに。やっぱり、厚着してくればよかったと、後悔した。マフラーぐらい、貸せただろうに。

それから三年間、尽八くんはあまり家に帰ってこなかった。自転車がオフのシーズンである冬には帰ってきたけれど、夏休みなんかは学校に残って部活三昧だったみたいだ。八月生まれである尽八の誕生日を祝えないのは少々寂しかったけれど、いつまでも誕生会なんて子供じみたことしてほしいとも限らないし(いや、まあ、目立ちたがり屋だから、開けば喜ぶんだろうけど)、私よりも学校の友達に祝ってもらえる方が嬉しいだろう。夏休みは旅館の方も繁忙期で私も暇がなく、簡単なメールを送るだけで彼の誕生日を過ごした。



そんな尽八くんが今日、家に帰ってくる。五日前に終わったインターハイ。三年生の引退はまだ先らしいけれど、とりあえずしばらくは充電期間ということで部活は休みらしく、一時的に帰省することにしたと言う。
ちょうど今日は尽八くんの誕生日だということで、女将から「ケーキだけでも用意してあげてもらっていいかしら」と頼まれた。昼間は忙しく女将は手が離せないので、代わりに私がお祝いの準備をすることになったのだ。

「ケーキ、ケーキ」

仕事の休憩時間。控室で私服に着替え、出掛ける準備をした。ケーキを作る時間はないので駅前の店で買うことにした。尽八くんは夕方くらいに帰ると言ったのでまだ時間はある。少し足を伸ばしてプレゼントも買ってこよう。久しぶりに尽八くんの誕生日を祝える。それが嬉しくて仕方がない。
鞄の中の持ち物を確認しながら裏口に向かう。灰色のパンプスを靴箱から出して履きながら戸を開けた。

「わっ」

突如視界が真っ赤に染まり、思わず素っ頓狂な声を上げ後ずさった。何事かと思い数回瞬きを繰り返すと、近すぎて焦点の合わなかった真っ赤なものが、薔薇の花束ということがわかった。
甘い匂いが香る。

「え、ば、薔薇?」
「夢子!ただいま帰ったぞ!」
「あ」

真っ赤なものがどけられると、顔を出したのは最後に会った時より日焼けをした尽八くんだった。

「おかえり、早かったね」
「ああ、早く夢子に会いたくてね」
「あはは。私も会いたかったよ」

相変わらず私に懐いてくれているらしい。

「どうしたの?その薔薇。プレゼント?」

以前レースを見に行った時、女子の集団に応援されていたことを思い出す。尽八くんはどこに行っても人気者だ。誕生日だし、寮にいる誰かにでももらったのだろう。尽八くんが小学生の時こそ「誕生日が夏休みだと友達に祝ってもらえなくて、きっと寂しかろう」と思ったけれど、そういう点でも寮生活は尽八くんにとって楽しいものとなっているのだろう。

「ああ、そうだ!プレゼントだ!」
「へえ。よかっ……」
「お前に!」
「え?」

私?なんで?
予想外の回答に思わず首を傾げる。すると尽八くんは手に持っていた花束を私の前に両手で恭しく差し出して「夢子」と、いつもよりずっと落ち着いた声で呼んだ。
そして。

「結婚しよう」
「……え?」

え?結婚?

「え、結婚……て?誰が?」
「夢子が」
「誰と?」
「オレと」
「……え?」

何を、言っているんだろう。
尽八くんの提案が、常軌を逸していて、理解力が追い付かない。

「オレも目出度く十八になったからな」
「ええ……」
「もちろんすぐにとは言わない。オレには経済力もないしな。ただ、ずっと決めていた。十八になったら、お前に告白しようと」
「……えっと……」
「結婚しよう」

頭の中がクエスチョンマークで埋まる。
えっと、だって、尽八くんは。

「わ」
「うん?」
「私のこと、好きなの……?」
「好きだよ」

子供の頃から。ずっと。

尽八くんの告白に、意図せず顔が熱くなった。
だって、そんな風に見られているなんて、今の今まで少しも気付かなかった。

「夢子がオレのこと、子供扱いしていることは知っているよ。実際、夢子から見たら子供に違いないからな」
「そんなこと……」

ただ、あまりにも突然で、どうしたらいいかわからないのは事実だ。あんなに小さい頃から知ってる子が、プロポーズなんて……。

「プロポーズしたからといって、無理強いするつもりはないよ。でも、今日を機にオレのことも考えてくれ」

尽八くんが真っ直ぐ私を見る。優しい目だった。いつからこんな大人びた表情をするようになったのだろう。私と会わない間に?それとも、ずっと前から……。
尽八は、ずっと優しい子だったもの。
優しい彼の気持ち、無下にはしたくないなあ。

「……うん」
「では、これは受け取ってくれるな」

そう言って、尽八くんが再度花束を差し出した。それをゆっくりと受け取る。両手で大事に抱えると、甘く温かかった。
ちょっとだけ、緊張した。相手は尽八くんなのに。変なの。まるで、尽八くんじゃないみたい。知らない人。

「ありがとう……」
「ああ。どうだ、美しいだろう」
「うん」

尽八くんみたいだ。

「夢子みたいだと思ったんだ」
「……そう」

恥ずかしいことを言う人だ。
尽八くんの目が見れない。赤くなった顔を見られたくないから、花束に顔を隠して俯いた。

「そういえば夢子、どこかに行こうとしていたのか?」
「え、あ、うん。尽八くんの誕生日ケーキを……」
「ならばオレも行こう」
「え、でも悪いし」
「一緒にいたいんだよ」

尽八くんが私の手を取って歩き出す。見上げるようになった横顔は、やっぱり新鮮だった。それは、背が追い抜かれたからだけじゃないようだ。

「夢子」
「うん?」
「これほどの美形、逃がすとあとあと後悔するぞ」
「……うん」

大丈夫。ちゃんと考えるよ。

繋いだ手が、今日も温かいから。

とりあえず、今日はお誕生日おめでとう。尽八くん。



遅刻ですがおめでとうございます!(20140810)
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