「明日はホワイトバレンタインデーだ」なんて女子寮の天気予報を見ながら皆でロマンチックな夢にはしゃいでいる時が一番楽しかった。
いざ当日になってみれば、朝から視界一面薄白い猛吹雪。歩けば足は埋まりコートに雪が刺さって傘は折れる。寮から学校の距離を考えれば登校できないこともなかったが、自宅から通う生徒のことも考慮され休校となった。寮では外出禁止令が出され、既にチョコレートを準備していた女子たちは落胆に落胆を重ね、女子寮はまるで閉鎖病棟のように鬱屈とした。中には抜け出して男子寮への侵入を試みる者や自宅へ押しかけようとする者、郵便局で配達してもらおうとする猛者などがいたが、皆敢え無く雪に足をとられ足跡を残す間に監督生によって発見されてしまう。連れ戻されては涙に暮れる女子たちに同情をしながら、男子寮の方を眺めて私も一つ、溜息を零した。
明日は土曜日で学校はない。男子寮はすぐ横だから、会いにはいけるだろうけれど、会える保証などどこにもないし、当日に渡せないというのは、少々気持ち的にも盛り下がる。
折角、バレンタインデーだなんて女子寮の皆の雰囲気に乗っかって、ガラでもなくチョコレートを作ったというのに。今更あいつにバレンタインデーなんて、すごくすごく恥ずかしくて照れくさくてどうしようか迷ったけれど、それでも、少しでいいから喜んでもらえたらいいなと思って贈ることを決意したというのに。

渡したかったなあ、チョコレート。


しかしながら次の日、会える保証のなかった意中の彼とは難なく会えることとなる。
すっかり吹雪も収まり晴れ間が見えた十五日の土曜日。男子寮を住まいとする男子たちが、女子寮周辺の雪かきに駆り出されたのだ。
朝から男子たちの賑やかな声が女子寮を取り囲む。窓から覗けば、ゾロゾロと周囲に散らばった大勢の男子たちがスコップを片手に道を作っていた。
男子たちが寮に閉じ込められた自分たちのために(少々語弊があるのだけれど)せっせと雪かきをしてくれている。女子寮には活気が戻り、まるで囚われていたお姫様気分になった女子たちは頬を赤らめてはしゃいだ。

「ねえねえ、東堂くんいた?」
「いたいた! 耳あてしてるよお、可愛いね」
「新開くんもいるけど、なんか寒そう」
「本当だあ、縮こまってる、可哀想……」
「でもちょっと可愛くない?」
「わかる!」
「わかるわかる! 可愛い!」

中でも一番人気だったのは、自転車競技部の東堂くんと新開くんだ。他にも福富くんやサッカー部の部長、バスケ部のエースなど、雪を掘っている男子たちを窓から見つける度に女子たちの黄色い声がロビーに響く。時々、女子たちの視線に気付いたらしい東堂くんがこちらに視線を送って寮の中にまで微かに聞こえる高笑いをしながら指をさすと、その黄色い声は悲鳴へと変わって女子たちを盛り上がらせていた。

生憎私がチョコレートを用意した相手は女子たちの会話の中には登場せず。
もしかしたら、いないんじゃないだろうか。男子寮の方で雪かきでもしてるんじゃないかと焦りつつも、東堂くんや新開くん、それに福富くんがいるのだからいないはずがないと、三階の自室に戻って上から見渡すように探した。
同じクラスの、口が悪くて、よく軽い口喧嘩をしてしまうけれど、困ったときは助けてくれる、ぶっきらぼうで不器用でむかついて、でも試合になるとまっすぐ走る、かっこいい、あいつ。
中々見つからない彼に、もしかしてサボっているんじゃないかと一瞬不安が過るが、そんな女々しいことをするような男ではない。すぐにサボりそうな顔もしてるしそれこそ入学当初は教師にメンチ切りながら授業中これまた堂々と抜け出してしまうこともしばしばあったが、与えられた仕事を放るようなことは決してしないと知っていた。そういうところが、好きだったからだ。
右から左。丹念に、男子たちの頭や恰好、仕草を観察する。雪かきに飽きたらしい男子たちが雪合戦を始め入り混じる中。それでも、見間違えるはずがない。見逃すこともきっとない。いつも見てるもの。

「あ」

いた。
女子寮の周辺にいる皆とは随分離れたところ。女子寮の玄関から校門に続く道を、ずうっと先までせっせと雪かきしている。荒々しく大雑把に雪を掘って道を作っている後ろを、福富くんがケアするように、スコップで凍った地面を削っていた。いつか見たレースみたいだと思った。

「荒北あ!」

意中の彼。荒北が、誰かに呼ばれた。男子の声だ。
遠くで雪かきしていた荒北が振り返る。とほとんど同時に、どこからともなく投げつけられた雪玉が頭に命中した。
「アァ?!」といつもの怒鳴っているような威嚇する荒北の声が銀世界に響く。それを合図とするかのように、雪合戦に興じていた男子の群の中に荒北も入っていった。

「(楽しそう……)」

三階から目を細めて、じっと荒北を眺める。
丸い頭が可愛い。リーゼントより、ずっといい。リーゼントなんかしてた頃より、ずっと楽しそう。よく笑うようになった。授業だって真面目に出る。部活だって真面目にやる。夜一人でペダルを回しているのを、やはりこの窓から見たことがある。その姿を、ずっと眺めていても飽きなかった。

だから、この窓から見える荒北は、一層愛おしくなるのだ。


雪かきが一通り終わったらしい。ぼんやりと上から覗いていたら、玄関からわっと女子たちが押し寄せた。すぐに東堂くんの周りには女子が群がって、騒ぎ立てた。一番騒いでいたのは、囲まれた東堂くんだったけれど。次いで新開くん。なんとなくアイドルじみてて気軽に群がれる東堂くんに比べて、近寄るのに勇気がいるらしい新開くんの周りには、おずおずとためらいがちではあるが確実に女子が集まっていた。他にも福富くんやサッカー部の部長、バスケ部のエースと、想い想いの男子へと足を向かわせる女子たちが手に持った包みを悴んだ彼らに手渡す。
私も出遅れてはいけないと、急いで下に降りた。
けれども私が外へ駈け出す頃には荒北の姿はなく。
おろおろと周辺を見渡していると、目敏い東堂くんが割と大きな声で話しかけてきた。

「どうした女子! オレならここだぞ!」

東堂くんを囲んだ女子たちも視線を送ってくる。
東堂くんの迫力に圧倒された上に女子たちの視線に緊張して、少々怖気づいた。

「え、あ、いや、違くて……えと、あの、あ、あらきた……を」
「荒北? あいつなら寒いからとさっさと寮に戻ってしまったぞ」
「え!」

確かに、こんな女子たちの群がっている中にぽつねんと残っているような奴じゃない。こんな如何にも恋愛的な雰囲気、絶対好まないだろう。一人で戻ってしまうことなんて、充分予想がついただろうに。
タイミングを逃してしまった。
一人で男子寮を訪ねるのも気が引けるし、第一男子寮は女人禁制だ。折角、渡せなかったチョコレートが渡せると思ったのに。私だけ、出遅れて一人チョコレートを抱えたままだなんて。
最悪だ。
寒い。溜息が白い息になる。具現化した憂鬱が視界に映って、ますます悲しくなった。今度は、涙になって零れてしまいそうだ。

「まだ間に合うだろう」

俯いた私に、東堂くんが声をかけた。
ふと顔を上げると、東堂くんが悟ったような笑みで真っ直ぐこちらを見ていた。

「追えばよい」
「で、でも」
「モテない荒北が一つも貰えないと可哀想だ。渡してやってくれ」

ホラ、あの足跡が荒北だ。

東堂くんがいつものように指をさしたが、それは人に向けられたものではなく、男子寮に続く道なき雪道の上にできた足跡だった。男子が最初に来た道であろう、足跡が混在するところか少し外れた、踏み荒らされていない真っ白い場所に、逆向きの足跡が一人分交互に残されていた。

独りぼっちの足跡が、少し寂しく、同時に愛おしく思えた。

「……うん。ありがとう、東堂くん」

東堂くんにお礼を言って、荒北の足跡を追った。
足跡の上に私の足跡が重なる。明確に、荒北と同じ道を踏んでいるのがわかる。照れくさいのと嬉しいのが混ざる。いつも窓の中から、眺めるばかりだったから。

「あ!」

しばらく進むと、今まさに男子寮についたらしき荒北を見つけた。玄関に続く短い階段を登る荒北。引き留めなければと、酷く緊張する声がたどたどしくその名を呼んだ。

「あ、あら、き、たっ!」
「ア?」

玄関扉に手をかけた荒北が振り向く。
視線が私を捕える。雪道に体力をとられたからか将又緊張からか、心臓が速くなった。バレンタインにチョコレートを渡すのって、こんなに緊張するんだ。と、今更ながらに実感した。
引き留めた荒北に、しばしば足をとられながら駆け寄る。距離がもどかしい。時間が気まずい。荒北が不思議そうに眉を顰めた。

「あ、あのっ」

やっと雪道を抜けた。荒北に歩み寄ろうと、弾む息を整えることに努めながら階段に足を登り終える瞬間だった。
つるり。
足の裏が安定感を失ったと同時に「あ、滑った」と理解した。
受験生なのに縁起でもない。などと思考を巡らせたコンマ一秒。荒北の前で転ぶなんて恥ずかしいという感情のまま、反射的に目を閉じた。
が。

「っぶねーな!」
「あ……」

二の腕が痛い。加減のない力に捕まれている。重力に逆らい、地面に打ち付けかけた膝が間一髪のところで浮いていた。
顔を上げると、私の腕を掴んで眉に皺を寄せた荒北が睨むように見ていた。

「何コケてんだよ、鈍くせっ」
「ご、ごめん」

足元を整える私を確認すると、荒北が手をすうっと放した。

「で? 何してんだ、ここで」

荒北が腕を胸の前で組んで顎をあげ、見下ろすように私を見た。
遂にプレゼントを渡すときが来たのだと実感すると、顔がカアっと熱くなる。
あの荒北に。私のこと、女子とも思っていないような、荒北に。こんな女子らしいこと、するんだ。バレンタインデーに贈り物だなんて。しかも、手作りチョコレート、だなんて。
荒北、なんて思うだろう。ガラじゃねえだろって笑うかな。それとも、私の気持ちに気付いて、気まずくまってしまうだろうか。
そんな思いに頭を巡らせていると、こんな女子らしいことしている自分が、急に恥ずかしくなってきて、緊張で視界がぐにゃぐにゃになった。

「……偉そう」
「ハ?」
「物貰う態度じゃない!」
「んだよそれ! 知らねーよ、こんな雪の中わざわざ喧嘩売りにきたのかテメェは!」
「知らないわけないでしょ! 昨日何の日だと思ってんのよ!」

折角、バレンタインくらいは可愛くプレゼントを贈ろうと思っていたのに。自然に、笑顔でって。
それなのに、緊張が過ぎて、照れ隠しにいつもの調子で悪態を吐いてしまった。
言い終えてから、熱い顔が青ざめた。

「昨日ォ?」

荒北が顰めていた顔のまま思案するように視線を巡らせると、また恥ずかしくなってマフラーを巻いた首がじわりと汗をかいた。
荒北が答えに辿りついてしまうと思うと緊張が最高潮に達した。青ざめた頭が冴えてきたような感覚になったが、実際は真っ白になっていた。「あぁ」と閃いたような荒北の声を合図に、羞恥に耐えきれなくなって、持っていたチョコレートを思わず投げつけた。

「って!」

丁寧に包装した、荒北の好きな猫柄の可愛い箱の角が、荒北に刺さる。
雪玉より、ずっと痛いだろう。

「テメー!」
「く、食らえ!」
「はァ?」
「がんばって作ったんだから、ちゃんと有難く食べてよね!」

喚く様に言い切って、荒北の反応も見ずに階段を駆け下りる。恥ずかしさから逃げ帰ろうと思った。
しかしながら、凍った地面が再び私の足をとる。つるりと滑り、今度こそ階段に尻餅をついて積もった雪の中にダイブした。

「いった……」
「お前、バカじゃねぇの?」
「うるさい! ばか」

恥の上塗り。穴があったら入りたい。

到底荒北の顔なんて見ることなどできなくて、隠れるように雪の上で伏せった。
すると、後ろからぎゅっぎゅっと雪が潰れる音がする。緊張が走るのとほとんど同じに、二の腕が再び強い力で掴まれた。
無理矢理伏せっていた上半身を起こされると、同じ目線にしゃがんだ荒北の細い目と目が合う。何を考えているのか分からなくて戸惑った。

「ギャンギャンギャンギャン喚きやがった上に投げつけるたぁ、随分じぇねーか」

そう言って、いつの間にか手に持っていたチョコレートの箱をかざして見せた。

「こんな面倒くせー行事参加するような奴の気が知れねぇなぁ」
「うるさい、嬉しい癖に」
「誰がブスからもらって嬉しいかよ、バァカ」

そのまま荒北の指が、箱を止めていたテープを荒々しくはがす。蓋を開けて、中に入っていたチョコレートが顔を出した。四つの味の違う丸い形のチョコレートが、紙カップの中で大人しくしている。内一つを摘まんだ荒北が、軽々しく口の中に放り込んだ。

「あ」
「まっず」
「……じゃあ食べなきゃいいじゃん」
「うっせ。オレの勝手だろーが」

モゴモゴとこもる荒北の声。文句を言いながらも、私の目の前であっという間に平らげてしまった。

「ごちそーさん」
「……味わったの?」
「まずいって言ったろぉが」
「全部食べたくせに」
「うっせ。喋んな」

そうして、ぶっきらぼうに言う荒北の手が私に伸びてきて、身体の雪を払う。
荒北の手袋が、私の目の下を擦るので、思わず目を瞑った。ザラザラする。
手が退いて、再び目を開けると目が合った荒北が舌打ち交じりに視線を逸らした。
腰をあげ、雪の上に座り込んでいた私を立たせる。
コートについた雪を再び払ってくれて、されるがままになっていると、最後に眉間を親指でぎゅうっと押された。ぎゃ、と変な声が出た。

「ちょっと何するの!」

突然のことに物申すが、答えない荒北が踵を返し、再び男子寮に戻っていく。
「ちょっと」呼び止めるが先に、背中を向けた荒北が既に空になった箱をかざして「これ」と言った。

「あんがとネ」

今度こそ男子寮の玄関を開けて戻っていく荒北の背中が小さくなって消えていく。
それを茫然と見送ってしばらくしてから、来た道を戻った。

先程つけた足跡から、少し離れて歩く。真白い雪に足跡をつけるのは、ちょっとだけ楽しい。
一面真っ平らに輝く白濁に、私だけなの。私だけのものみたいで。特別みたい。


男子寮からの帰り道。
この向きの足跡が、私だけならいいなと思った。



(20140215)
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