これと同じ人ですが読まなくても読めます。
※高校二年。付き合う前。




母はアクセサリーをつけない人だった。
元々好んでつけない性質だったそうだが、由緒正しき老舗旅館の女将になってからは、一層つけることはなくなったと言う。
そんな母がやけに洒落た日があった。確か、親戚の結婚式だったと思う。オレが十の時だった。
仕事柄、土日祝日はどうしても都合のつかない人だ。普段は祝電を送るばかりだったのだが、その日は繁忙期を過ぎた平日で、珍しく親父と共に参加するのだと言った。いつもの見慣れた着物ではなく年相応に落ち着いたパーティードレスで身を包んだ母にオレや姉も「行きたい」と子供らしくごねたのだが、もちろん平日には学校があるものだ。母の一喝を受け、大人しく学校で留守番をさせられる羽目になった。
渋々登校するオレたちを、身支度を終えた母が急かすように送り出しに来た。職業病なのだろう、流れるような所作で膝を畳み玄関で正座をした母が「いっていらっしゃい」と言う。首には真珠のネックレスが恭しく鎮座していて、母が屈んだ瞬間だけ、ゆったりと揺れた。
見慣れぬそれが今もひどく印象に残っている。
玄関を開けた光に反射して、一等美しかった。


そんなことを、夢子の指で光る指輪が彷彿とさせる。
光ると言ったがそれは比喩ではなく、かと言って「眩い」などといった光沢的性質の話でもない。実際に光っていた。ゴム製の柔らかい花型の指輪の中に見える、本来なら石があるだろう位置で、小さな装置が学食では悪目立ちする赤と青の安っぽい光を交互に点滅させていた。夏祭りの出店でよく見る如何にも子供だましといった代物だったが、当の本人は大層お気に召していたらしく、自慢気に手の甲をこちらにかざして見せた。

「どうしたんだ、それ」

昼飯のコロッケを一齧りしてから尋ねてみれば、澄まし顔だった夢子の唇が得意気に、みるみると半月のような弧を描いた。

「駄菓子屋さんで買った!」

かっこいいでしょお、光るんだよ。
無邪気に笑って見せる夢子は子供みたいだ。

「ガキかヨ」

オレと同じ感想を抱いたらしい荒北が、オレよりもずっと荒い口調で吐き捨てた。(もっとも荒北は、夢子がおもちゃの指輪で喜んでいることに対してそう言ったらしかったが)

「いいんじゃないか、夢子らしくて」

一瞬だけ頬を膨らませて今にも言い返そうとした夢子に絶妙なタイミングで隼人のフォローが入るものだから、荒北への反感は飲み込まれて腹の中で消えてしまったらしい。開きかけた口を閉じて瞬きを一度すると夢子は再び機嫌よく笑ったが、実際隼人の言葉が褒め言葉だったのかは測り兼ねる。隼人にとっては悪気のない台詞だろうが、どちらでもとれてしまうのがこの男の長所でもあり短所でもあるところだ。飄々としているあまり「言葉に親身がない」としばしば夢子に文句を言われている隼人はその度に「そうかあ」と暢気に笑っていた。だからきっと普段の夢子ならば隼人に目敏く食って掛かっただろうが、素直に隼人の褒め言葉を受け入れる辺り今日は大分ご機嫌らしかったし、その証拠に駄菓子屋で買ったと言う菓子を、隼人にあげていた。(もしかすると、その後に続いた「なあ、寿一?」という隼人の問いかけに揺るぎなく頷いたフクの功績かもしれないが)
そんなに、その子供じみた指輪が大事なのだろうか。

夢子とは一年生の頃から、つまり一年程度の仲だが、アクセサリーを身に纏った姿は記憶に薄い。つけないのか、と以前尋ねたことがあったが、あまり好まないのだと言っていた。
桜色の爪も伸ばすことはなく、いつも丸く切り揃えていた。化粧はしていたのだろうかオレには測り兼ねるが、少なくとも睫毛はさほど長くない。唇には薬用のリップクリームを時々見かける程度だ。前髪を自分で切る度に懲りずに失敗をして朝から溜息を吐き、花のついた髪留めをつけて誤魔化していた。女子らしく煌びやかに自身を彩ることに積極的ではない、どこか言動や容姿に幼さの残る女子だった。

その幼さ故、行儀のないこともしばしば。

「むっ、夢子! その箸の持ち方はなんだ!」

エビフライ定食の主力であるエビフライを箸で掴む夢子が顔をあげ、きょとんとした。「それだ、それ」と指を指すと、隣でうどんを啜っていた荒北が「うるせえ!」と怒鳴ったが、今は荒北に構っている場合ではなかった。

「箸がクロスしてるぞ。ちゃんと持てよ」

数回瞬きをした夢子がオレから視線を自分の箸とエビフライへ戻す。そうして自分の箸とオレの箸を交互に眺めた後、盗み見るように荒北や隼人、フクの箸へと視線を泳がした。

「私だけ?」
「そんな持ち方してるのはお前だけだ」
「ええ? みんなどうやって持ってるの?」

こう。
夢子に見やすいように箸を持った手を近づかせて見せる。夢子がまじまじと構造を理解するように見るので、上の箸と下の箸をゆっくり開いて閉じてみせると、エビフライを一度皿の上の落とした夢子は今一度手中に収めんとエビフライを掴もうとする。しかしながら正しい持ち方で掴もうとされるエビフライはなかなか持ち上がらず、皿の上で泳ぐばかりだった。

「や、無理。いいよ、別に食べられないわけじゃないし」
「いや、悪いぞ夢子! 行儀が悪い!」
「だって、生まれてからずっとこの持ち方なのに今更直せないもん」

拗ねたように唇を尖らせた夢子は、再び箸をクロスさせた異様な持ち方でエビフライを捕獲する。
すぐ投げ出す。すぐ拗ねる。幼い夢子の悪い癖だった。

「直す気がないだけだろう」
「いいじゃん、別に東堂に関係ないじゃん」
「関係はないが美しくない!」
「どうせ私は可愛くないですよ−だ」
「誰がそういう話をした! 第一可愛くないわけないだろう!」
「っぐ!」

再び夢子のエビフライが皿の上に落ちた。同時に夢子が咽たようで、背中を向けて咳を始める。大丈夫か?と立ち上がると、夢子は数回頷いて見せて肯定の意を示した。背中でも擦ってやろうと手を伸ばしたが、それより先に夢子の隣でカレーを食べていた隼人がスプーンを置いて背中を擦る。その様子を見守ってから再び座った。
しばらくすると、咽返ったことで顔を真っ赤にさせた涙目の夢子が勢いよく振り返った。唇がわなわなと震えていたので「どうした?」と首を傾げると「と、とうど、う、の!」とたどたどしく語気の強い声がした。
オレ?

「あほー!!」



夢子は何を怒ったんだ。
放課後、部室でユニフォームに着替える時に昼のことを尋ねてみれば、隼人はハハハと暢気に笑った。奥で荒北とフクは物言わず黙々と着替えている。

「おめさんが可愛いとか言うからだろ」
「何が悪い」

貶したわけでもあるまい。褒めたというのに、何を怒ることがあるのだろうか。
夢子の考えていることは時々わからん。


思えば最初から変な奴だった。
夢子と初めて喋ったのは一年生の時。席が隣になったのだ。
「しばらくの間、隣の席だ。よろしく頼むね!」
確かそう声をかけた気がする。夢子は「えっ、あ、う、うん」としどろもどろに返事をした。
「ワハハどうした女子よ! オレの美しさに恐れおののいてしまったか? 無理もない。オレは箱学一の美形、東堂尽八だからな!」
あまりにどもるので、当然オレに見惚れたのだと思った。幸運にも、女子人気の高いオレの隣の席になれたのだ。緊張しないはずがないだろう。
しかしながら夢子が言ったのは耳を疑う言葉だった。
「は、はあ? そんなわけないじゃん! 東堂くん、ちょっと自意識過剰」
「はあ?」
思わずこのオレですら間抜けな声で反論してしまった。夢子は一瞬、眉を顰めてから気まずそうに視線を落とした。
「そんな筈ないだろう! このオレに見惚れない女子がいるか!」
夢子に指を指すと、身体を少し仰け反らせた後「指さないでよ」と小さく言った。
「ほ、他の人がどうかは知らないけど、世界中の女が同じ感性持ってるわけないじゃん」
「なるほど、つまりお前のセンスは不可思議且つ壊滅的だということだな?」
「なんで自分中心なの」
「なんで!」
「だって!」
そうして夢子とあーだこーだと言い合いを重ねること幾数日、腹を割ったオレたちはいつの間にか男女の隔たりなく言い合える気の置けない関係へとなっていき、隼人やフク、後々荒北との輪にもなじんでいくようになっていった。今ではクラスも離れたが、関係は変わらない。

女子の癖にオレの美しさを理解できない夢子は本当に変な奴だ。女子ならば当然オレに笑顔で声援を送り、オレが指を指せば喜ぶものだというのに。
アクセサリーも好まず爪も丸い。化粧気もなく、年相応の女子らしく着飾ることをしない。
そんな夢子は、オレの中でほとんど男友達に近い存在であった。


「尽八、夢子可愛いんだ?」

む?
いつの間に着替え終わっていた隣の隼人が笑みを含んで問いかけた。茶化している様にも見えるが、普段から口角をあげるのはこの男の特徴である。

「可愛いよ」

深い意味もなく返事をして、一度カチューシャをとった。癖のついた前髪を手櫛で整えていると、ロッカーに置いてある鏡の中の自分と目が合う。やはり、紛うことなき美形だった。

「どういうところが?」

更に隼人が質問を重ねる。
これほど他人に興味のある奴だっただろうか? 少々訝しみながらも、そうだなあと腕を組んで考える。思慮深い顔をする鏡の中のオレも、なかなかかっこよかった。

「行儀の悪いところは好かんが」
「うん」
「この前、試合に勝てる呪文を教えてもらった」
「へえ。そういえば、この前の総北のやつとの試合はどうだったんだ?」
「巻ちゃんな。勝ったよ。いい勝負だった。オレと競い合えるなんて、この先きっと巻ちゃんしかおるまい。初めは気味の悪い奴だと思ったが、いいライバルに出会えた」
「そうか」
「この山神の力を持ってすればまじないなど必要ないと思ったのだがな、夢子がやってみろと熱心に言うものだから」
「そういうところ?」
「ああ。勝ったと言えば、得意げな顔をしたんだ」

子供みたいだろう?
問いかけるように隼人を見れば「そうだなあ」と言ってパワーバーを齧った。荒北は「バァカじゃねえの? おまじないなんかで勝てるかっつーの」と吐き捨てていた。

可愛くないわけない。
初めて巻ちゃんに負けた時、特に励ますようなことを言うわけでもなかったくせに、次の試合の前には試合に勝てるおまじないとやらを調べてきて「絶対やってね!」としつこく念を押してきた。
「東堂、実力はピカイチなんだから、あとは運だよ!」
確かにあの時悔しくて歯がゆい思いをしたのは事実だが、このオレがそう何度も負ける筈ない。練習量も増やした。慢心を捨て、負けてやるものかという気合もあった。何より自分の脚を信じていた。
それでも、夢子の言葉が嬉しくなかった筈はない。素直に嬉しかった。レースの話には興味のない素振りを見せ、試合に応援にくるわけでもない癖に、オレの勝敗を逐一気にする。

嬉しくない筈ない。

「機嫌直るといいなあ」

そう、隼人が暢気に笑って新しいパワーバーを齧った。
オレはカチューシャをつけ直した。


しかしながら次の日も夢子の機嫌は悪く。
朝練を終えた後、昇降口で会ったのでおはようと声をかけたが、目を合わせようともせず走り去った。廊下で会えば女子トイレに逃げ込まれる。教科書を借りに会いに行けば教卓の中に隠れる。メールを打てば返信はなく、電話をかければ出ずに切られる。昼休みは食堂に来ず。夢子と同じクラスの隼人に尋ねれば、今日はコンビニで買ってきたから教室で食べるとのことだった。極めつけに「嫌われてんじゃねぇの?」と荒北が笑った。
こうもあからさまに避けられては、オレとて傷つかないはずはない。

昼飯もそこそこに、夢子の教室を訪ねることにした。

「夢子!」

教室の扉から夢子を呼ぶと、窓際の席で女子と共に昼食をとっていた夢子より先に、オレの女子ファンが悲鳴という返事をした。数人が群がって「キャー!」「東堂さま!」「どうしてここに?」「指差すポーズやって!」と口々にせがむ。この美形が突然現れたのだから、当然の反応だ。気持ちよくてワハハと笑っていると、その隙に夢子が反対のドアから逃げるのが見えた。

「あ、こら待て!」

制止の声も聞かず夢子は廊下を走って行く。
女子ファンたちには「ありがとう女子たちよ! すまんね!」と一言置いて、教室を後にした。夢子はそう足は速くないし、ましてや昼休みで廊下には人通りも多い。すぐに踊り場で捕まえた。

「このオレから逃げるとはどういうつもりだ!」

腕を掴むと、夢子は「離してよ」と腕を振り回してオレを振り切ろうとする。女子からここまで拒否されたことは生まれてこの方一度もなかったので、正直信じられなかった。

「何を怒っているんだ」
「だって……」
「オレが何かしたなら謝るが、何をしたか分からん以上、不躾に謝ることなどできん!」

だから話せ!と掴んでいた腕をゆっくりと離すと、夢子は逃げることはせず、黙って俯いてしまった。
時々他の生徒が階段を上り下りして、オレたちを興味深そうに眺めていった。オレは気にしないのだが、夢子はきっと気にするだろう。「場所を変えよう」と今度は夢子の手を握って引こうとした。が。

「やっ!」

瞬間、弾く様に夢子が手を払いのけた。
突然のことに驚いて思わず目を見開くと、夢子も同じように目を見開いて瞬きをした。「なんだよ」問いかけると、夢子の顔は何故か茹蛸の如く赤く染まった。
赤?

「夢子?」
「と、東堂、が!」
「は?」
「可愛いとか、言うから!」

何の話だ。一度眉を顰めて数秒、昨日のことだと思い出す。隼人が言ったように、オレの言葉のせいだったのだろうか。褒められて怒るなんて、夢子はやはり相当変わっている。

「それで怒っていたのか?」
「お、怒ったんじゃなくて……」
「じゃあなんだ」

怒る以外に避ける理由があるか。
要領を得ない夢子の言葉を詰めると、今度は涙目になっていった。昨日の、食堂での姿を彷彿とさせる。

「は……」
「は?」
「はず、かしい、じゃん……」

そう絞り出すように呟いた夢子が、今にも泣き出しそうな顔をして、両手で顔を覆った。

何が恥ずかしいんだ。恥ずかしいものがあるか。褒められたら笑えばいい。自信を持てばいい。顔なんて覆わなくていい。泣く必要なんて全くない。
当たり前に、可愛いのだから。

それなのに、どうしてだろう。
オレの言葉一つで、夢子がこんなに弱くなってしまうのか。いつもの強気な夢子からはほとんど想像ができない。同時に、見慣れない姿に、目が離せなくなった。

なんだ、これは。

「夢子……」

ふと、無意識に手を伸ばして、その覆った両手から顔を覗こうとした。なんとなく、顔が見たくなった。
けれど、伸ばしかけた手は宙で舞って、そのまま力なく下ろされる。
何故だか、その真白い肌に触れるのが躊躇われた。何故かは、分からなかった。

ただ、どうしてか。
アクセサリーをつけているわけでも爪を彩っているわけでもないのに、その肌が珠のように。そうだまるで、あの日母の首元で光った真珠のように恭しく、一等美しく輝いて見えたのだった。



「仲直りしたのかヨ」

次の日の昼休み。
いつも通り食堂に現れた夢子に、荒北が牛丼を突きながら言う。

「別に元々喧嘩なんかしてないし」
「あっそ。興味ないけどネ」
「うざ」

軽口を叩き合いながら、ハンバーグ定食を持った夢子が、オレの向かいに座った。
いただきまあす、といつも通り声に出して言う。行儀は悪い癖に、こういうところはきっちりしている。

「あ」

ハンバーグを一口サイズに切る夢子を見て、隼人が声を上げた。
なによ、と夢子が視線を送る。隼人は得意のバキューンポーズを夢子に向けて、ウインクを一つ零した。

「おめさん、箸の持ち方直ってるじゃないか」

隼人に向けていた視線を、すうっと夢子の手元に移動させる。確かに、クロスしていない箸がハンバーグを一欠けら摘まんでいた。

「まあね……」
「すごいなあ。練習したのか?」
「し、新開うるさいよ!」

煩わしそうに隼人をあしらう夢子を眺めていると、ふと目が合った。
視線を僅かに泳がした後、もう一度オレに目を合わせて「どう?」と不安そうに尋ねる。

「ああ、綺麗だな! 美しい!」

指を指すと「それやめてよ……」とぼやく様な夢子の声がした。


そういうところが、可愛いと思った。





つづくかと……
追記.六月くらいのお話だと思っていただければ…
(20140209)
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