メメント・モリ
ビルの屋上、頼りないフェンスを掴みながら下を覗く。
そんなに時間は経っていない筈なのに、姉の居た痕跡はもう随分と薄れている。
5ヶ月前、私の姉はこのビルで飛び降り自殺した。
でも、自殺じゃない。
殺されたんだ。
姉は。
「あれあれぇ〜? こぉんな廃ビルに女の子がいるよ〜?」
こいつによって、だ。
「うるさい、人殺し」
「ひっどーい。ボク、悲しくてないちゃう」
「黙れこの外道」
そう言うと唇に冷たい感触が伝わった。
「口悪すぎ」
「うるさい、汚い」と言って手を払えば、白い指はすぐに離れた。
「それにしても飽きないね」
「は?」
「ここに来るのだよ」
「どうだっていいでしょ」
「お姉さんの墓参りのつもりなんだよね〜? でも残念! ここにはもう君のお姉さんの魂はないし、本当のお墓の中にもないよ」
こいつは頭がイカれている。
あたしがここに来る度に姿を現してはこうして馬鹿な事を言い出す。
「うるさい」
「お姉さん、立香さんだっけ? 残念だよね、美人だったのに…」
「うるさい!」
「さっきからそればっかり」
「あんたがうるさくするからでしょ?」
「うるさくなんてしてないさ。ただ、大好きな大好きな姉のお墓参りに行けないからって、こんな危なっかしい所に来る女の子が暗〜い顔をしてるから、励ましてあげようかな? なんて、ほんのちょっぴり思っただけだよ」
「ほんのちょっぴりとか、何?」
「ん? 本当は君のその悲しそうなやりきれない様な顔を見に来ただけだけど?」
いつもいつも思うけれど、なんなんだろう、こいつは。
やけに饒舌だし、色々勘に触って苛々する。
「うーん…」
わざとらしく、腕を組ながら首を傾げる。
「やっぱり君は怒ってる時の方が君らしいね〜」
「黙れ」
「おお、怖っ」
大袈裟に肩を竦める男は放っておき、姉の飛び降りた場所を見てみる。
フェンスが邪魔で少しばかり距離があるが、殆ど姉が飛び降りた場所と同じ位置に立っている。
「あれ、君も飛んでみるの?」
ニコニコと嬉しそうに笑う男が隣にいた。
「いいね〜、お姉さんと同じところで死ぬなんて」
「あたしは死なない。少なくとも、あんたの見ているところでは」
「へぇ? でもさ、君もいつかは死ぬんだよ?分かってる?」
きつく睨むと、薄ら笑いを浮かべた男は小さな声でなにかを呟いた。
「 」
「え?」
聞き返そうとしたのと同時に、強い風が吹いた。
目を開けた時には男はどこにもいなかった。
私は大人しく鞄を拾い上げ、廃ビルの屋上を後にした。
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