雪の下の一呼吸




羽根が生えたらいいのに。

彼女がそう言ったのはいつだっただろうか。
練習が終わって着替えている最中に彼女がポツリと呟いたのを覚えている。

「そしたら、ジャンプの時とか失敗しないじゃない?」

目線は少し下を向きながら、今日の失敗を嘆いているように見えた。
いつも笑って楽しそうに滑り、失敗なんて気にしない彼女らしくなかった。
大会が近いからとか、そういうことではなさそうな気がした。
けれどその理由を聞く前に、彼女はいつもの調子に戻っていた。


「こうさぁ、肩甲骨の辺りからバサーッとね?」

笑いながら身振り手振りで話していた。




「すごい…」

冷たい氷の上で滑る彼女は本当に羽根が生えているようだった。
滑らかに、そして軽やかに気持ちよさそうに滑っている。
彼女は自分で憧れる迄もなく、羽根を生やしていた。
立派な綺麗な羽根を。



結果、彼女は1位だった。
けれど彼女はあまり嬉しそうじゃなかった。
腑に落ちないというか、納得しないという表情をしていた。
それが何故だかは私には分からなかった。
大会が終わってから、彼女はコーチや私達に囲まれていた。
それを少し離れたところで眺める同い年くらいの女の子と、男の子が気になった。
男の子の方は暫くするとどこかにいなくなっていた。
女の子の方は男の子がいなくなってもその場にずっと立っていた。
そこで私は気がついた。
あの女の子は彼女の友達だということに。
よく彼女と話しているところを見かけたことがある。
友人に気がついた彼女は、コーチや私達にありがとう、と言いながら壁に凭れていた女の子の元に駆け寄った。
コーチ達が場を離れていった。
女の子が彼女に何かを渡しているのを横目に私はコーチ達の後を追った。




数日後、いつものスケート場で彼女のお祝いが開かれた。
彼女は嬉しそうに笑っていたけれど、私にはそれが嘘のように見えた。
辺りが薄暗くなり始めたところで、お祝いの会はお開きになった。
主役である彼女は真っ先に帰っていった。


「なんか冷めてたね?」

「嬉しくないのかな」

彼女がいなくなってからそういう声が、ちらほらと聞こえて来たけれど、私はどこの話にも参加せずただぼんやりと座っていた。
そしてふと革張りの長椅子を見ると青と淡い水色のリストバンドが置いてあった。
――――彼女の忘れ物だ。とすぐに気がついた。



まだ間に合うかもしれない。そう考えてリストバンドを手に、小走りにスケート場を出た。
近くにはもう彼女の姿はなく、周りを見回しながら彼女を探した。

彼女は意外と早く見つかった。
スケート場近くの大きな美術館の前に立っていた。
声をかけようとして留まった。


美術館の前に立ち、雪が降り積もるのも気にせず、ただじぃっと美術館を睨むように見ていた。



声をかけられる雰囲気じゃなかった。
いつもの彼女じゃなかった。
私達と話す彼女とも、コーチと話す彼女とも、自分の友人と話す彼女とも違っていた。
怒り? 嫉妬? 疑問? そのどれとも分からない視線を美術館…或いは美術館に関係する何かに向けていた。


私はただリストバンドを握りしめながら、歩いて来た道を戻っていった。



手帖様に提出。




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