01
「…はっ?今なんて言った?」
昨晩会社の飲み会で飲み過ぎてただいま絶賛二日酔い中の頭が、ズキリと、痛んだ。
「だから、その3ヶ月の間、あんたの家で住まわせてやって欲しいって言ってるのよ」
……………………。
「…なんで」
「なんでってこと無いでしょ。見ず知らずの子じゃないのよ、昔はよくキャッチボールなんかして遊んであげてたじゃない」
「いつの話してるのよ!もう子どもじゃないんだけどっ特に私!列記とした成人女性!」
「あらあら。相手はピチピチの18歳よ、何をそんなに意識することがあるのかしら」
「……………………」
「ふふふっ」
ふふふじゃないよ、笑いごとじゃない。
何考えてんのこの人。超真面目に。可愛い一人娘を持つ一母親としてどうなの。どういう神経してんのマトモな常識人なの。
言ってること分かってんのか!!!!!
「嘉章さんも透子さんもあんたなら安心して任せられるって言ってくれてるんだもの。特に透子さん、あの人は言わずもがな、息子溺愛じゃない。一人置いてけぼりにするのはとてもじゃないけど耐えられないんでしょう」
「だったら一緒に連れてけばいいじゃない」
「今時の十代の男の子がそれをやすやすと了承すると思う?」
「………………………」
「さすがの透子さんでもそれは分かってたみたいで、一応何度か話してみたらしいけどやっぱり折れてくれなかったんだって」
「親の権限どこにいったの」
「あの人が息子に甘いことはあんたも知ってるでしょ。ついこの間行方をくらました一件があって以来それが重症化してるのよ。戻って来てくれただけで充分、なんて言って泣いて喜んでたんだから」
「…そういえばあったね、そんなことも」
「弟くんに関しては元々特に過保護だったじゃない。その一件のせいで一人にさせるのが怖くて仕方ないみたいでね、あの様子じゃしばらくは手放せないでしょうね」
「…なら無理やりにでも連れてけばいいのに」
「高校にも行ってないらしいし何してるのか詳しいことは聞かないようにしてるけど、この間たまたま鉢合わせたらこれがまた礼儀正しくて。随分男前になっちゃって、だいぶやんちゃくんだけどあれは将来有望ねぇ」
おい母親、話が。話が逸れとる。
「仮に一人こっちに残るとして…さ。なんで私の家なの。ここで面倒見てあげればいいじゃない」
「なんでってあーた」
…はい出た。
この人がワザトらしいおばさん口調になるのはロクでもないことを考えてるときだ。血の繋がりによる長い付き合いで、私はそれを知っている。
少し温くなったコーヒーを一口飲んで、マグカップを片手に楽しそうに目を細める。
「それじゃ面白くないでしょう?」
「……なっ」
呆 れ た 。
これはさすがに呆れた。呆れすぎて咄嗟に言葉が出てこない。何なんだこの人。娘が心配という感情は微塵もないのか。というかむしろ私が意識してるとか考え過ぎてるのではなくて
この人が何かを期待してるとしか思えない。
「あんた今彼氏いないんでしょ?」
「…おっしゃる通りですけど」
「なら問題ないじゃない」
「いやどの辺が」
「あのねぇ、私だってあんたの母親なんだから一つ屋根の下彼氏でもない男の子と過ごさせるってことは考えものなのよ。相手がどんな子か分かってるからこそ頼んでるんじゃない」
「そういう問題じゃない。いくら子どもって言ったって相手は立派な男の子なんだよ?」
「あの子は大丈夫よ、いい男だしいい子。それにいい男」
…思いっきり楽しんでやがるなくっそーーーー!!!
「いや悪いけどその話は」
「拒否権はないわよ。もう決まってることだから。それともなに、いつもお世話になってる透子さんたちに顔が立たなくなってもいいわけ?お母さんが一生恨まれ続けて苦しんでもいいわけ?そんな薄情な娘に育てた覚えはないわよ」
「ちょ、ちょっと待って。もう決まってるってどういうこと?」
「いつもお歳暮やら何やら、普段じゃ食べられない高級和牛いただいて、しゃぶしゃぶすき焼きの日はあんたもすっ飛んで帰って来るくせに。その恩は無いわけ?」
「うっ……」
アレが食べられなくなるのは辛い…。
まぁそれ以上に叔父さんや透子さんには私も良くしてもらってるから強く反論できない。うぅ、でもでも。だからっておかしいと思わないか!
「い、いくら叔父さんたちが賛成してるからって…そんなの、肝心の本人が納得しないでしょ」
「何言ってるの、本人がそれでいいって頷いたからあんたにこうして出向いてもらったんでしょうが」
「えっ」
「そういうことだから。とりあえず3ヶ月、よろしくね?」
えぇぇぇぇぇぇぇええ!?
ななな、なにそれ。みんなおかしい。おかしいよ!!
叔父さんだって透子さんだって。いくら知ってる間柄だからって大切な息子さんを、そんな。
本人も本人だ。最後に会ったのいつだよってレベルなんだけど。そんな相手の家に転がり込めるメンタルってどんなもんよ…。しかも仮にも女だよ私。
そしてなにより
「今時は交差いとこ婚も珍しくないしね、どうなることやらっ。ふふふっ」
最後の最後までとんでもない爆弾発言をのたまうこの人。おい肉親よ母親よ。
何を考えてるんだあんたは。
…あれ、つい数ヶ月前元カレとお別れしたときもヤケ酒して二日酔いで頭ガンガンだの起き上がれないだの後悔しまくったけど。
そのときよりも、タチの悪い頭痛がした。
…というわけで。
異論はありまくりだけど、今日から3ヶ月。海外出張に行かれた叔父さんとそれについて行った透子さん。二人のお子さんである男の子と、いとこの村田将五くんと。
事実上の二人暮らしが始まろうとしている。
お母さんは男前男前ってめちゃくちゃ太鼓判を押してたけど、そうは言ったって相手は年下の男の子だ。それも一、二個のレベルじゃない。18歳って言ってたから…うわ、私おばさん…。
いくら男の子だからとは言えあまりにも若い。きっと可愛いくらいのものだろう。そんな身構えたり意識するようなことじゃn
「…迷惑かけてすんません。一応、今日から、よろしくお願いします」
男 前 ! ! !
これでほんとに18歳なのか…。
小さい頃から知ってるし年数を考えれば今それくらいになってるだろうなぁって分かるけど、いやいや。最後に会ったのは小学校低学年…くらいの時かしら。この成長ぶりには度肝を抜かれる。背も大きいしがっしりしてるし髪型はオールバックだし顔に傷跡あるし。(最後の方は全然関係ないけどさ)
面影はなんっっとなーくある。
あるけどまぁ、見事な成功例だわ。
そういえば長男くんは大人になってから時々見かけたことあるけどとんでもない色男になってた気がする。ああ、それを考えれば納得か。遺伝子ってスゴい。透子さんたち美男美女夫婦だものね。
「あ…そんな畏まらないで?いとこ同士なんだし、せっかくだから仲良くやろうよ」
「…いや、はい」
………………………。
い き な り 沈 黙 。
いや、という吐いて出たような微妙な抵抗に彼の遠慮が感じられる。彼の立場からしたら気を遣うのは当たり前だろうから、なるべくそうならないように。そして変に緊張しないように落ち着いて柔らかく接しようと思ってるんだけど。まぁ初めはこうなるのも当然か。
「荷物こっちにどうぞ。置いたらとりあえずソファ座って、くつろいでくれて良いから」
「…ありがとうございます」
あらかじめ片付けておいた奥の和室を指してそう言う私の顔をチラッと見て、一度頭を下げてから足元にある少し大きなボストンバッグを持ち上げる。
私の家は2DKのマンション。
そのため二人で生活するにあたっても特に問題はない。最低でも寝室が別であれば彼としても一つの安心材料になるだろう。
文句はいくらでもあるけど、こうなったからにはそれなりにちゃんとした対応がしたいと思っていた。この子ができるだけ窮屈な思いをしないように。
「でも、不思議な感じだね。昔はよく一緒に遊んでたのに今じゃ私より全然背が大きいし、大人っぽくなっちゃってビックリ」
「オレは…大して変わらないですよ」
荷物を部屋に置いてこちらに戻って来た将五くんを座るように促しつつ、今ある限りの共通の話題を頭の中で探して。在り来たりだなぁと思いつつも昔話。一瞬間を置いた彼の返答に私の心の中はちょっぴりざわついたけど。
こういう発言自体おばちゃん感満載だよね…。
ババくさいこと言ってんなぁ、って思われた気がしてもはや開き直るしかなくなる。
「そんなことないよ。私も敬語使われるようになっちゃったのかぁ、って。年取ったの実感しちゃった」
「すんません。そういうつもりじゃなかったんですけど…」
「いいのいいの!礼儀正しいのは良いことだからね」
コーヒーでも入れようとキッチンに向かいがてら、顔だけ振り返りながら大人ぶったことを言ってみる。
うーん、慣れるまで難しいなぁ。
十代なんて複雑なお年頃だもの。自虐的に年寄りアピールをすれば申し訳なくさせるし、年上のお姉さんぶれば子供扱いにムッとするかもしれない。かと言って同世代っぽくキャピキャピするのもなんか違う。元々そういう性格じゃないし将五くんはこの落ち着きようだ、逆に疎ましく思われてしまいそう。
この子が妙に大人びて見えるのも、それが要因の一つなんだろうな。
…扱いについては以後研究、と。
「これ飲んだら家の中一通り案内するね。と言っても勝手に使ってもらってそのうちに覚えればいいとは思うんだけど、まぁ一応ね」
「色々すんません」
淹れたばかりの湯気が立つコーヒーマグに視線を落としながら小さく頭を下げる。私はその彼の前に座って頬杖をつき、先に話しておくべきことを頭の中で整理していた。
「気にしないで。あ、私基本的に平日は仕事だから夜まで家空けるけど、居るときはご自由に」
「はい。オレもバイトあるんで昼は出ること多いと思います」
「じゃあ夜ご飯は、食べられる時はうちで一緒に食べよっか」
「いや、さすがにメシまで世話になるワケにはいかないですよ」
「私が作りたいの」
「えっ」
「特別得意って訳じゃないけど、人に振る舞うのってなんか好きなんだよね。私がしたいことだから、そこは遠慮しないで欲しいな」
これは別に気遣いじゃなく事実だ。
年頃の男の子が小さい頃を知られてる相手、それも女の人と一つ屋根の下住まわないといけなくなっただけでも恥ずかしさとか嫌悪感があるはず。だけどお母さんの見立て通り、この子はいい子だと私も思う。この風貌さながら愛想がいいとは言えないけど、反抗的な態度を取るわけでもなく、それでいて腰が低い。
ただ単純に、親切に対応してあげたいと、何かしら喜ばせてあげられたらいいなと、そう思ったのだ。
「……………………」
あらら。黙って俯いちゃった…。
いきなり歩み寄り過ぎたかな、余計なお世話だったかな、そんな不安がよぎる。
私がひとまず何かジャブを入れようと口を開きかけたその時。突然将五くんが顔を上げたものだから思わず言葉が喉の奥に引っ込んでしまった。
「あの、梨穂さん」
「なに?」
「タイミング逃して、言うべきか迷ったんですけど、やっぱり言っときたいんで」
「う、うん」
…なんだろう。
というか今の沈黙はそれが原因だったのか。将五くんの言いたいことの内容はさて置き、私の不安が解消されたことに小さくホッと息をつく。
「綺麗に、なりました、よね。すごく」
……………………。
顔中の血管という血管が、拡張。
な、なななっ
なんてことを言うの。
なんて爆弾を投下したのこの子はっ!!
「そ、そそ、そんなこと…ないよ。やだなぁ将五くん。上手いんだから…あはは」
いや下手くそか。
ここは大人の女性らしく、まぁね。とか、褒めても何も出ないぞ☆とか、さらっとかわすところでしょうが。まぁそれが出来る性格だったら今までに思い当たる男性との失敗遍歴は無かっただろうけど。手のひらで転がすとか小悪魔的なことは得意ではないので。
あわわわわっ…顔が、顔が熱い…っ
「…すんません」
謝るべきところではないのに謝る彼、その一言に隠された感情は簡単には読み取れない。でもおそらく謝るくらいだから気まずく思ってるんだろう。きっと私の慌てぶりを見て、うわ、こいつお世辞通じないのかよ。って心の中で引いてるんじゃないかって。
そう、思ったんだけど。
「でも、あの、ありがとう。この年になると褒められることって少ないから…えと、嬉しい…です。えーと…」
「……………………」
「将五くんこそ、そんなにカッコよくなっちゃって。うん。それが一番のビックリだったかな、あはは」
言われたから言い返したようで、ワザトらしかったかなと思いつつ。実際度肝を抜かれたのは事実なので。当たり障りない切り返しながら、なるべく厭らしさのない言い方でそれを伝えてみる。
いや、でも、コミュニケーションって大変。
年の差があるから相手にどう捉えられるかによって生じる誤解とか、色々。お互いにというか私が勝手に模索しまくりになってしまってる。
器用な人の取り繕い方と、これでは既に違う。そういう人はいちいち年の差を考えなくたって自然に、言い方は悪いけど、上手くはべらせてしまうんだろうから。
間に受けてる時点で、大人の女性とは言えない。むしろ彼の方が上手かもしれない。
ああ、これから3ヶ月間、大丈夫かしら…。
「…すんません、オレそういうの言われ慣れてないんで、なんて返せばいいか」
いやいや嘘おっしゃい。
と、内心ツッコミを入れつつ、思う。
私のそれが移ったかのように顔を赤らめて視線を泳がせながら、口元に手を当てて困り果てる将五くんを見て、思う。
…あらら。挙句、固く目を瞑っちゃった。
なんなの、その反応。ちょっとあなたっ、
可愛すぎやしないか!!!
「見ての通りだけど、ここがバスルームね。タオルはここに置いてあるのを適当に使って。こっちのカゴの中は洗濯物だから、使ったらここに入れておいてね」
「はい」
「お風呂の中の物も好きなように使ってね、あ、でもシャンプーとかメンズ用の方がいいよね。ちょっと待ってね」
あのあと一息ついてから、生活する上で使うであろう場所を一通り案内している。案内と言っても大して広い家でもないので、まぁ、一日二日暮らしていればすぐに慣れることだろう。分からなかったらその都度聞いてもらえばいいから、要はお風呂とトイレをどちらかが使ってる時は気を遣おうね、程度の話だ。
3ヶ月住まうというわりに見た感じ荷物は少なめだったから、まぁ男の子なんてそんなものなのかもしれないけど。歯ブラシと着替えくらいは持ってきてるかな、と。そんな予想をしつつ、後々必要になったものは自分で用意すると言ってたから、今ここにある最低限のものは使ってもらって構わないし。元々そう考えていたので元カレが置いてったメンズ用品のストックをふと思い出して、洗面台の前でしゃがみ込んで扉を開ける。
「あー…シャンプーとリンス、詰め替え用が一個ずつ、か。ボディソープはサボ○のだから一応女性物だけど香りそんなにキツくないし、嫌じゃなかったらそれ使ってね」
「……………………」
「将五くん?」
返答がないことを不思議に思って、そのままの姿勢で彼を見上げてみる。ん、何か、考え事してるような。どうしたんだろう。
「…実家はさすがに、叔母さんに知られるとまた迷惑掛けるんで、ダチにもこのコト軽く話してあるんです」
「う、うん」
「…だからなるべく、ここには帰って来ないようにするんで」
片手で扉を掴んで体を支えながら。爪先立ちをしてる足が少しジンジンと痺れを訴えてきたところで、あ、気を遣ってる。そう思って咄嗟に口を吐いて出たのは、単純なようで漠然とした万能な疑問の言葉。
「どうして?」
「いや…どうしてって」
「面倒を見る、とか大それたことは言えないけど、仲良くやっていこうって言ったでしょ。そんな寂しいこと、言わないでよ」
「……………………」
十何年振りに会って、たった小一時間。
まだまだ知らないことが多すぎるくらいだけど。まず第一印象、そこから特に不快感を感じさせない、むしろ居心地よく思って欲しいと、できる限り配慮を見つけようと思わせてくれる彼に、私は少なからず。出来のいいイトコという好感を持った。
でもまぁ問題は彼の方、かな。
「いとことは言え、いきなり久しぶりに会う年上の女の家で世話になれって言われてもね、たった3ヶ月にしろ。簡単に納得できなかったとは思うの」
「いや、それは」
「お母さんから話を聞かされたとき、十代の男の子がよくそんな提案を受け入れたなぁって不思議に思ってたんだけど」
「……………………」
「そういうことね、ようやく、理解した」
納得したフリをして、私に目を瞑らせて、この3ヶ月お友達の家を転々としながらやり過ごす。形上ここに住んでいるということにして、最低限荷物を置いて、生活感だけを残して。
将五くんなりの気遣いであることは分かる。
住まわせる立場も、一人のときより楽ではないから。彼が考えついた策もこの子の年齢や状況を汲めば、至極当たり前のことかもしれない。
それによく考えれば私たちは異性同士だ。
そこで生じる可能性のある問題、と言えば。
…あら、大事なこと聞くの、忘れてたな。
「将五くん、恋人は?」
「えっ…いや、いません」
突然色恋沙汰を聞かれると思ってなかったのか、少し目を見開いて慌てたように答える。
うーん、ならばそこの問題はナシ、か。
ワザトらしく顎に手を当ててみたりする私。
「好きな女の子がいる、実は私のことが嫌い、大っ嫌い、一緒の空間なんて耐えられない、むしろお友達に好きな子がいる」
「…梨穂さん?」
…将五くん、最後のオチ、ツッコむところ。
困った顔をしてる場合じゃないよ、もう。可愛いなまったく。
「このどれかに当て嵌まるなら、好きなようにしていいよ。お母さんや透子さんたちには黙っててあげる」
「……………………」
「ただし。気を遣うとか私に迷惑を掛けるからとか、そういう理由なら、というか将五くんが嫌じゃないなら、ここに居なよ」
「…梨穂さん」
これはただの驚きか、否か。
呆然と立ち尽くす彼の足元を見ながら、ううん、ある意味では強制的な言い方になっちゃったかなと、軽く苦笑する。
「でも」
「ん?」
「オレがここに住んじまったら、彼氏さん、とかは」
「えっ、」
将五くん、あなた、もしかして。
「気にしてたのって…それ?」
「そりゃ…当然気にします。男物の買い置きあった時点で、間違いねーだろうって」
これは盲点だった…。
まさか自分のことだったとは、やっとそれらしいこと言えたと思ったら、それ以上に将五くんに気を回させていたなんて。しかもこれで実際に彼氏という存在がいればまだしも格好がつくんだけど。現実は、そう甘くない。
見栄張るのとか、苦手だし。
こんなこと誇張したって虚しいだけだし。
「あの、このストック、元カレのだよ」
「…え」
「私、掃除するときは家の中まるごと一掃したい人だから。止まらなくなっちゃうっていうか、一日じゃ終わらなくなるって分かってるから要らないものも手をつけてないのが多くて」
「…そう、なんですか」
「でもまさかこれがこんな時に役に立つと思ってなかったよ、あはは。捨てないでおいてよかった」
我ながら言い訳がましいと思いつつ、将五くんは引くわけでもなく、その辺はあんまり気にしてない様子。軽く頭を掻きながら視線を彷徨わせて、ため息を一つ。
気づけば床に座り込んでいた私は、いつまでも見上げて見下ろされてじゃお互いに疲れるからと、一人だったらよいしょっと声を漏らすところを耐えて、立ち上がる。
久しぶりだなぁこの感じ…。
将五くんはいとこで年下で、そんなこと気にする必要もないのだけど、彼だって列記とした男の子であり異性であり。むしろそんじょそこらの異性と比べたら格段に男前で。意識しないと言ったら、それは嘘になる。
「どう?答え、決まった?」
笑いながら、無理強いはしないように、なるべくフランクな感じで。というより変にいい返事を期待しないようにと、そんな気持ちを抑えつけながら。
…あれ、どうしちゃったの、私ったら。
「…ほんとに、良いんですか」
いや違うよ、いくら仲の良いお友達のお家だからとは言え、私の了承次第で少なからずご迷惑をお掛けすることになる。だったら元々頼まれていた私が気張るべきだと思っただけ、それだけだ。それ以外に何があるというのだ、社会人として未成年を保護するのは当然じゃない。
って、こらこら。
今はそれどころじゃないでしょ私。
「もちろん。将五くんがいいなら、私は歓迎するよ」
「梨穂さん…ありがとうございます」
あ、笑った。やっと笑ってくれた。
ずっと表情が硬かったから、でもさっきのあれ、照れてたのか顔を赤くしてたときはそれはそれで可愛いすぎてどうしようかと思ったけど。
…ん、いや待とうか。私どうした。
あれだね、何となく思ってたけど、この子こう見えてピュアなんだ。さらっと言い負かしてしまいそうなところを、まっすぐ受け止めるから。だから可愛く見えるだけであって別に、きゅんとしたとかじゃなk
「改めて、あの、よろしくお願いします」
…きゅん。(ああ、私この子の困ったような顔に弱い)
あれから一週間が経った。
思っていたよりも順調な毎日を過ごしている。と言うのも、将五くんはやっぱり本当にいい子で、家にいるときはできる限り家事を済ませておいてくれるし、洗濯なんかは私の物を無闇に触らないように除けておいてくれる。放っておくと皺になりそうな物は叩いて伸ばしておいてくれるし、なんだ、主夫なのか。と思ったくらいだ。
水曜という微妙な曜日に会社の飲み会があって(っていうか多いよね、うちの会社)軽く潰れて帰って来たときは、玄関まで出てきて手を貸してくれたり。酔っ払いの鼻ながら何かのいい匂いを嗅ぎつけてそれを尋ねると、また困ったように頬をポリポリ掻きながら
「梨穂さん今日飲み会って言ってたんで遅くなると思って…明日の朝飯作るの辛いだろうから、暇だったし、試しにやってみたんですけど」
上手くできたかどうかちょっと…なんて小さく付け加えて。キッチンに行ってみれば、卵の殻がダストポットに乱雑に入ってて、スクランブルエッグかな?それとも目玉焼き?とか、ポリ袋敷いておけば後々手が汚れないのに、とか思いつつ。開いたまま置かれた携帯をチラッと見ると、クックパッドの「超簡単★初心者でも作れる親子丼」というページで。明日の朝は親子丼かぁ…朝から丼、重いけど、重いなぁ。なんて贅沢な嘆き。もう、何もかも微笑ましくて、あれはニヤけた。
正直なところ。
この生活、悪くないと思ってしまっている。
母親の思うツボだなこれじゃ…。
「…はぁ」
お風呂上がり、髪を乾かしていざ至福の時間。
今週もお疲れ様。と心の中で自分を褒めて、缶ビールの蓋をプシュッと鳴らして開ける。
我ながらオヤジ顔負けだなぁと思いつつこれは止められない。夜に何もない金曜はこの時間のためにあるようなものだ。木曜の朝、もうしばらくお酒はいらない…なんて緩い決意をしたのもとうに忘れている。いや、忘れたフリか。
時計を見ると20時を回っていた。
今日は確か将五くん、バイトのあと用事があるとかで遅くなるって言ってたっけ。
この間、保護者らしからぬ行動に出て、ついつい彼をお酒に誘ってしまった。ちょうどコンビニで新作のビールが発売してて迷わず数本購入したという経緯も相まって。だって将五くん、ビール好きだって言うんだもの。コンビニに寄った時点で彼の喜ぶ顔を思い浮かべてしまってたんだから、私もダメな大人だと思う。軽く透子さんの気持ちになっちゃったものね、あの子は甘やかされる素質を持っていると身を以て知ってしまった。…彼の所為では決して無いのだけど。
そのときに少しだけ、彼が学校も行かず普段何をしてるのかを教えてくれた。
今となっては将五くんにシフトチェンジしてるけど昔お母さんは長男くんが大のお気に入りで、その頃に聞かされたこの辺で有名な走り屋のチーム。長男くんは当時副頭だったとか何とか。そして今、将五くんがそのチームの頭なんだって、さ。
ああ、なるほどな。と、すぐに納得した。
普段あんまり自分のことを話さないのは彼の性格的なものもあり、理由が理由だからなんだろうなぁって。
思い返してみても私にはよく分からない話ではあるけど。まぁあの二人の風貌さながら、容易に想像はできる、かな。そしてその中でも実力者であることも、あの落ち着きと気の遣い方を見れば浅はかにも頷ける。一番は腕っぷしなんだろうけど、それはほら、私には入り込めない世界だから。
ソファに深く腰掛けて体育座りをしながらテレビを流し見。この時期部屋着はキャミ一枚にコットンショートパンツ。一番楽な格好で、このスタイルはできれば崩したくないのだけど、将五くんが帰って来る前にさすがに着替えとかなきゃかなぁと頭の片隅のやることメモにインプット。いい年して腕も足も丸出しじゃあ、ね。今はまだ湯上がりで暑いから、もうちょっとしたらでいいか。
このバラエティの話、いつだったか同僚がしてたような、あの番組は鵜呑みにしない方がいいだとか云々。健康オタクだからなあの人…。
会社のことを思い出すと仕事のことも同時に流れ込んでくる…、やめやめ、やっと一週間終わったんだから余計疲れるようなことは考えない。掻き消すように残りのビールを喉に流し込んで、もう一本いっちゃおうかな、なんて、週末は自分に甘くなってしまうのだ。
ガチャガチャ…
ん、玄関の外に人の気配。
意外と早いお帰りだったみたいだ。
ガチャッ
2本目の缶を取りにキッチンの奥にある冷蔵庫に向かっていた私は、目的のそれを手に取って、壁からチラッと顔を覗かせてみる。
「梨穂さん」
「おかえり、将五くん」
「はい、その、ただいま…です」
かっ…
可愛いなぁ、もう!
もう慣れてもいい頃だと思うんだよ、将五くん。私を出迎えてくれるときの「おかえりなさい」は言えて、帰って来たときの「ただいま」が何故言えない。何故照れる。何故そんなにたどたどしくなるんだ。「ただいま…です」ってなによ。「ただいま」の敬語は「ただいま帰りました」だよ。もう、何なのよこの子。
お酒が入ってるせいか思わず言葉に出したくなる衝動に駆られるのをぐっと堪えて、平静を装いながら、ソファの方へ戻る。
「ご飯は食べて来たんだよね、あっ、ライダース陰干しするならそこに掛けておいて。明日やっとくから」
「……………………」
「あの…どうかした?」
部屋の内扉の前で黙って立ち尽くす将五くん。
困ったように目を逸らしたまま、こっちを向いてくれない。まさかまだ「ただいま」の照れが延長してるのか…いや、頭の中でイメトレしてるのかもしれない。どうやったら自然に言えるのか、彼なりに。
「あ、将五くんもビールいる?」
反応が返ってこないので、好きなもので釣ってやろう作戦。何故だかどっかに飛んでいっちゃってる意識、とりあえず戻してあげないと。とうに保護者失格な件について、ここは大目に見てもらいたい。
「っ、梨穂さんストップ!」
「えっ」
ピタッと、言われた通り動きを止める。
な、なに!?
どうせ飲むだろうと思って冷蔵庫で冷やしてあるビールを取りに行こうと立ち上がった私を、将五くんは両手を突き出して何故か止めた。
今回ばかりは全く、彼の意図が理解できない。
「すんません。今、それ以上近づかないでください」
「しょ、将五くん?」
一体何がどうして。
近づかないでって…わ、私とうとう嫌われた!?やっぱり気付かぬうちにお節介おばさんになっちゃってたのかしら。鬱陶しかったならそうだと、早く言ってくれればよかったのに。この子は優しいからな…でも、ちょっと、悲しい。
「あ、いや…違うんです!梨穂さんが嫌とか、そーいうことじゃなくて」
私の悲壮感が顔に出ていたのか眉を下げて慌てた様子で弁解に努める。うぅ、気を遣われてるようでなんだか、余計に虚しい気が…。
「…不満に思うことがあったら、遠慮しないで言ってくれていいのよ」
強がって大人ぶってみるものの。
ああ、拒絶されるのって、なかなか。
こんなにショックが大きいとは思わなかった。
この一週間でそれなりには距離が縮んだと、家事を分担してやったり、何を頼んでも嫌な顔一つせず一生懸命頑張ってくれたり、私の中ではいい関係が築いていけてると思ってたんだけどな。将五くんにとっては単に、実家にいるときより面倒ごとが増えてとんだ大損だぜ、って感じなのかも…。
「あの、たぶん今梨穂さんが考えてることは何となく、分かります。けど、それは思い違いです」
「…私ってそんなに分かりやすいかな」
「分かりやすいっつーか、その、オレはいつも梨穂さんのことつい見ちまってるんで…あ、いや、別に変な意味じゃなくて…」
年下の男の子に考えてることがもろバレという由々しき事態にも関わらず、まったく私ったら、ダメだ。
なんかよく分からないけどまたもや照れてる将五くんが可愛すぎてダメ…っ!!
彼は片手で頭を抱えてため息をつく。
この嘆息は、おそらく私に対してではなく、自分自身に。
「…とにかく、梨穂さんが考えてたよーなことは全くないんで。オレはここに居たいし、居心地いいと思ってます。梨穂さんに愛想尽かされない限り、できるだけ、その…長く」
「…ほんと?ほんとに?大丈夫、尽かさないから安心してっ!」
もう私…あかん…
あまりの可愛さに悶絶寸前なんですけど!?
そのせいか頭がイカれて、思わず飛び跳ねて喜びたいような、訳の分からないテンションになってきてるんですけど。助けて、いや、戻ってきてくれいつもの私…!
「や、だからっ待ってください!」
「あっごめん。思わず、勢いで」
ソファから飛び出すように一歩前へ出れば、再びステイを命じられる。あれ、いつの間に私、犬扱い。
「あの、将五くん。じゃあこれは…何で?」
率直に尋ねると、目を逸らして、口元に手を当てて。理由はよく分からないけど、本当に照れ屋さんなんだなぁ…、分かってるのかしら、こちとらそれに擽られまくってるということを。
「いや、その…あんま自分勝手なこと、言いたくないんですけど。できれば服、着替えてきてもらえると…梨穂さんがそのままじゃオレ、一緒に酒飲むとか、無理です。…色々とヤバいです」
「え、服って」
ピンポーン…
「……………………」
「……………………」
言葉を遮られた電子音によって一瞬、思考が停止した。だけどすぐにハッとして音の発信元に駆け寄る。今のはインターホンの音だ。
こんな時間に誰だろう、もし変な勧誘だったら追い返そう、と思いつつワイヤレスドアホンのモニターを覗き込む。
…あ、佐○の人だ。
そういえば私確か、金曜か土曜に配達指定したような気がする。ネット注文した防水DVDプレーヤー。もしそれが金曜指定だったなら夜だし妥当な時間だ。
「はい」
『すいません。周藤様に時間指定のお届け物です』
「はーい、どうぞ」
『先に他の階のお客様にも配達がありましてもう玄関のところに来てるんで、お願いしまーす』
「あ、分かりました」
ピッと通話終了ボタンを押して、そのままの足で玄関へと向かいながら、後ろで未だ立っているであろう将五くんを振り返る。
「将五くん、とりあえず座ってていいから」
「…いや、はい」
なんだか煮え切らない態度の彼を背に不思議に思いつつ、玄関先の彼の靴がキチンと揃えられていることにふと笑みをこぼしつつ。端っこにあるちょっとコンビニへ行く用のクロックスを無造作に履く。
外開きのドアを半分くらい開けたところで被せ気味に『どうもー』というよく通る声が聞こえてきた。
「こんばんは。遅くまでご苦労様です」
『いやー、とんでもないです。あっお先に荷物、ここ置いちゃっていいですか』
「あ、はい。ありがとうございます」
『じゃここにサインだけお願いします』
「はーい」
『どうも!夜はまだまだ冷えるんで、風邪に気をつけてくださいねー』
「ありがとうございます。お兄さんこそ」
『こっちは日頃から力仕事で鍛えてますんで』
「あはは、ご苦労様です」
『じゃ、どうもー!』
バタンと扉が閉まる。
ついでに鍵をかけてチェーンでロックして、と。
佐○に限らずだけど、配達の人ってハキハキしてて元気いいよねぇ…なんてどうでもいいことを思いながら届いた荷物を持ち上げて部屋の中へ戻る。
「梨穂さん」
「わぁっ!!」
開いたままの内扉を通ってまもなく、右上あたりから声を掛けられて思わず声を上げてしまった。とっくのとうにソファに座ってると思ってたのに。
将五くん…
どうしてまだそこに立ってるのかな。
「あ、荷物運びます。どこ置けばいいですか」
「えっ…ああ、じゃあとりあえず、テレビの前でお願いします」
言われるがままに段ボールを渡すと指定した通りの場所にそれを置いてくれる。そしてまた、私の目の前に戻ってくる。
あの…将五くん。
そろそろ座ったらどう?
「梨穂さんってさっきみたいに客が来たとき、いつもそういう格好で出るんですか」
「え?そういう格好って…部屋着のこと?」
「そうです」
なんの話かと思ったら。
というか、この格好だったこと忘れてた…。
将五くんが帰って来る前に着替えようと思ってたのに結局かいって感じだ。おばさんのこんな姿、若い子に晒してしまってたのね…ああ、恥ずかしい。
「こんな薄着なのは今の時期だからだけど、基本的に家ではこういう、ラフな格好だから。このまま出ちゃうよ」
「……………………」
な、なんで黙るの。
…「イタいって察しろよ」ってことかしら。
「あ…み、見苦しいよねぇこんな肌出しちゃって。ごめんね、今着替えてくるから」
「いやっ違いますよ!めちゃくちゃ可愛い……です」
「…え?」
めちゃくちゃ、可愛い…だと?
私、今、将五くんに。
可愛いって言われたぁぁぁぁあっ!?
「や、だから…その、さっきも言いましたけど。その格好で近くにいられると、ちょっと、ヤバいんですって」
「………っ」
ヤバいってなにーーーーー!?
「オレ、梨穂さんを傷付けるのは嫌なんで…あ、いや…とりあえず、その話は置いといて、ちょっと頼みがあるんですけど」
「…な、何でしょう」
もはや照れを通り越してシドロモドロな将五くん。ちょっと今は、私の方こそ恥ずかしくてマトモに顔が…見れない。
ああもう、なに翻弄されてるんだ私。
この子はいとこで年下で、だいたいいくつ離れてると思ってるんだ。何を言われようが惑わされちゃいけないのに…今の発言で、男の子なんだって妙に、実感しちゃったというか、意識しちゃうじゃないかーーーーっ!!
「今後オレがここにいる間、宅配便の受け取りの役目、やらせてもらえませんか」
「…へっ?」
「すぐに必要な荷物じゃない限り、オレがいる時間帯に指定して欲しいんです」
「…えーと、要するに、私は受け取りに出るなってこと?」
「なるべくなら梨穂さんの知り合い以外の客が来たときはそうして欲しいんですが…オレにそんなこと言う権限、ないんで」
「いや、えっと、宅配便以外は訪問販売とかもあんまり来ないし…なるべく出ないように、するね?」
「…!…はい、お願いします」
今、若干だけど、表情がパァっと明るくなったような。よく分からないなぁ…、将五くん。
宅配便を受け取っておいてくれるならそれはすごく助かるし、ね、その申し出はむしろこちらが有り難いところなんだけど。
もしかしてちょっと…変な子、なのか。
宅配便の受け取りのワクワク感が堪らないとか、受領印を押すのが快感とか、はっ…!まさか、佐○男子の腕筋フェチ!?初日の私のボケにツッコまなかったのは図星だったから!?
っていうか、筋肉だったら彼らといい勝負だよ、将五くんも腕、相当凄いもんね。服の上からでも充分に分かるもの。
…くだらないことを考えてないで、本人に直接聞いた方が手っ取り早いわね。
「あと、もし出るとしても、そういう格好は…できるだけ、止めて欲しいです」
「う、うん。分かった」
…いや、違う違う。
素直に頷いて終いにしてどーするのよ私。
「あのさ将五くん」
「はい」
「それは…あの。急にどうして?」
「…すんません。オレ別に梨穂さんの何でもねーってーのに、出過ぎたこと言いましたよね」
あららら、お、落ち込んじゃった…!
私はそんなつもりで聞いたわけじゃないよ将五くん!
「そういうことじゃなくてね、全然、嫌とかそういうことじゃなくてっ!ただ単にどうしてなのかなぁと思って…」
あ、いつの間にかさっきと立場が逆転してる。
「……………………」
「…将五くん?」
「反省したばっかで申し訳ないんですけど…結局それ言うと、出過ぎたことになっちまうっつーか」
「ああだから、出過ぎたことなんて思ってないよ。将五くんが自らうちで何かやろうって思ってくれることが私は嬉しいの。家事のときだってそうだし、それぞれ役割分担して、共同生活ってそういうものでしょ」
「…梨穂さん」
「ほら、将五くんって、あんまり自分の思ってること口に出さないじゃない。だからこれからは、私の方から積極的に聞いていこうかと思って」
「一緒に住んでる人の考えてることを知りたいって思うのは、当たり前のことでしょ」と付け加えると、虚を突かれたように目を丸くする将五くん。
…なーんかそれらしいこと言ってるけど、結局私、この子に何が聞きたかったんだっけ。あれれ。三歩歩いてないけど忘れるとか、鳥以下なのかな、私は…。
「嫌なんですよ」
「ん?」
「他のヤローに見られんのが嫌なんです。梨穂さんのそういう無防備な格好とか、欲を言えば、それだけじゃなくて」
「えっ」
「…ね、出過ぎたこと抜かしてるでしょう」
「えっ、あの、」
「先に風呂入ってきます。出たら酒、付き合ってください」
「あ…うん、それは、もちろん…」
今度は私が目を丸くするハメになって。
既にバスルームの入り口の前にいる彼は、そんな私のポカーンとした表情を見て、フッと笑った。その笑みの意味は、今のところ定かではない。
バタンとバスルームの扉が閉まる音が耳に届いて、私はそのままトボトボと歩いて、自然とソファに沈み込むように座って。
……………………。
いつからか放置していた缶ビールを徐ろに持ち上げて、一口飲んで喉を潤した。
……………………。
えっ!?
さっきの言葉、あれ、どういう意味!?
ボワッと一気に顔が熱くなっていく。
いやいや考え過ぎだよね、深い意味なんてないよね、でも、じゃあどうして他の人に見られたくないんだろ、しかもなんか、それだけじゃなくてとか言ってた、言ってたよね、それって人目に晒したくないってこと?いや何で、それに先にシャワーってまさか…そういう意味じゃ!?いやいや違う絶対違う、私もうとっくにお風呂入ってるし、くつろぐ前にってことに決まってる、だって寝る部屋は別だもの、いやでも、え、え、えっ、、、
将五くんどうしちゃったのーーーーーっ!?
とりあえず落ち着くべく一気にビールを飲み干してみたけど、普段絶対に気になってしまうはずの、この麦酒特有の温くなったあとの不味さが、一欠片も脳を刺激してこなかった。
ーその時点で、私としては重症なのである。
「…ハァ、オレはアホか…」
頭からシャワーを浴びながら下を向き、大きくため息を一つついてから、虚ろな目でどこか一点をぼんやりと見つめる将五。
明らかに好意を示す発言を残しておきながら、この純情な男が平気でいられる訳がないのである。
平然とした態度でバスルームのドアを閉め、その瞬間、勢いよくしゃがみ込み、一頻り後悔の念に駆られたのだ。あまり浴室に長居すると彼女が不審に思うのではないかと、何とか気持ちを奮い立たせて、ようやく今に至る。
まだ一週間しか経っていないというのに。
抑え込むことはいくらでも出来ると思っていた、それは今に始まったことではない、昔からずっと、そうだったのだから。
しかしたった7日とちょっとでこれだ。
この3ヶ月間、ある意味では試練に、はたまた拷問に近いものに、耐え抜くことができるのだろうか。
そもそも彼女は。
この後、明日、またいつものように笑い掛けてくれるのだろうか。
ーオレをここに置いていてくれるだろうか。
「ただ単にどうしてなのかなぁと思って」
「一緒に住んでる人の考えてることを知りたいって思うのは、当たり前のことでしょ」
ザァーッと止め処なく流れ続けるシャワーの音に、将五の呟きは、掻き消された。
「…そういうところですよ、梨穂さん」
誰にでもスキだらけ
(あの後照れたように笑って出迎えるあなたを)
(目一杯抱きしめて、壊してしまいたいと思った)